鬼灯異譚

蜜柑箱

一章

第一話

 青天に、真っ赤な帳が降ろされる。

 夕暮れが迫る空を見て通りを歩く人々は顔をしかめ、或いは着物の襟を正して足早に家路に着こうとする。まばらな人の波から離れた村はずれにて、一人の少女がひっそりと歩を進めていた。


 結ばれもせず肩を覆う程無造作に伸ばされた黒髪。小柄な体を覆う、着古した色の薄い着物。閉塞的なこの村でさえ年頃の娘となれば多少なりとも見た目に気を遣うというのに、そのなりは素朴というよりもやぼったい。


 少女の目的は、村の外側に造られた石灯篭であった。赤い塗料で全身を塗りたくられているそれは古びていて、大層年期を感じさせる。かがみこみ中を覗き込もうとすると、細い背中に石が当たる。振り向いてみると、子供たちが揃って囃し立てた。


「赤憑きだ!」

「赤憑きが来たぞ!」

「バケモノは出ていけー!」


 雑言をぶつけられた張本人は無言でただ見つめ、子供たちが一瞬たじろぐ。その眼差しに苛立ちや憎悪はなかった。相手が怯んだのは、瞳の色のせいだ。


 燃える夕焼けと同じく、鮮やかな赤。

 少女の瞳は、よく映える緋色であった。


「こらっ、なにやってんだい!」


 村の女性が子供たちを庇うようにして駆け寄り、眉を寄せて注意する。日が暮れるまでに帰るよと促されるも、遊び盛りの子らは口々に文句を出す。


「まだ暮れやしないよ」

「悪い鬼退治だ!」

「火灯しに関わっちゃいけないって前も言っただろう。ほら、鬼に食われたくなけりゃ日暮れ前に帰るんだよ!」


 子供たちの肩を抱き、女は足早に去る。後姿をぼうっと見送ると、少女は自らの仕事に戻った。火口を見て、無表情を僅かにしかめさせる。中には石が幾つも入れられていたのだ。恐らく先程の子供たちの仕業だろう。邪魔なものを全てかき出し火打石で火をつけると、火袋の内部に淡い炎が灯った。それを確認すると立ち上がり、また別の灯篭へと向かう。これから村周辺の灯篭全てに火を灯す仕事が待っているのだ。


 それが牡丹の、日常だった。




◇◇◇




 昼は光、人の領域。

 夜は闇、魔の領域。


 瑞々しい木々の幹やつるりとした石ころも、全てが黒く塗りつぶされた頃。 牡丹は一人、村の外を歩いていた。提灯が淡々と歩く少女の姿をぼんやりと照らす。真っ赤な光は、知らぬものが見れば、或いは不気味な鬼火の誘いに映ったかもしれない。


 踏みしめている道の両側には竹林が立ち込め、不用意に迷い込めば二度と日の下には出てこられぬような深みがあった。ぎいぎいと枝が不自然に揺れ、牡丹はふと立ち止まり周囲に視線を寄こした。立ち並ぶ木々の隙間に、なにかがある。


 黒々と大きいもの。

 長い手足をもつもの。

 無数の牙をもつもの。


 異様の姿をしたものの姿が、闇に隠れて小さな娘を窺っていた。

 足を止めたのは、ほんの僅か。幾多の気配に怯えもせず、牡丹はまた歩き出す。付き従う提灯の明かりが闇色を晴らすと、ざあっと気配も遠のいた。


 怯えるように。

 或いは、嫌悪するように。


 遠巻きに何かが様子を窺い続ける中、牡丹はようやっと足を止めた。

 古びた壁と傷んだ木の屋根。年季の入った家屋が、村の明かりも届かぬ森の中にひっそりと鎮座していた。提灯を家に吊るすと、牡丹は引き戸に手をかけてがらりと開けた。


「ただいま、師匠」


 居間に座り、行燈の隣で木綿の小袖を着流した若い男が、手元の本から顔を上げる。薄い金色の長い髪は首辺りで一つに束ねられ、背中に流している。女のように長い髪と細い体つきは村の男衆と比べたら頼りなさげに見えるが、ひょろりとした小柄の牡丹よりも、ずっと大人の男であった。


「おかえり、牡丹」


 本を置き、師匠の無月は菫色の瞳を緩ませ微笑んだ。同じように牡丹も無表情を綻ばせ、にこりと笑う。何かあったかと聞かれ、無月のすぐ隣に座り込む。灯篭の悪戯を思い出し、牡丹はむっとした表情を浮かべた。


「また悪戯されてたよ。折角毎日火を灯しているのに」

「仕方がないさ、子供はそういうものだ」

「だからって、困るのは村の方なのに。意地悪ばっかりして好き放題言うんだから」


 口をとがらせて文句を言う牡丹の頭に、ぽんと手が乗せられる。無月は子供をあやすように優しく頭を撫で、気にする必要はないよと囁いた。それだけで、ささくれだった感情が落ち着いてゆく。


「村の者達に、また何か言われたのか」

「赤憑き、化け物だって」


 その言葉に無月の表情が陰りを帯びる。牡丹は気遣うように撫でられたまま、口を開いた。


「あたしは気にしてないよ。でも、師匠まで一緒に悪く言われるのは腹が立つ」

「仕方がないさ。火灯しは昔からそういう扱いを受けているのだから」

「師匠のずっと前から?」

「……ああ、そうだよ。代々ね」


 宥めるような手つきが細やかな黒髪をひと房掬い、指先からすり抜けさせる。男が優しく少女を宥める光景を、赤々と燃える行燈の光が見守っていた。


「私としては、お前までそのような扱いを受ける方が堪える」

「師匠と同じ扱いを受けるだけなら、あたしは嬉しいよ」


 微妙に噛み合わぬ会話に、無月は苦笑する。一方どうしてそんな反応をされるのか分からないとばかりに、牡丹は首を傾げた。


 提灯作りに加え、日課で村を取り囲むように設置された灯篭に火を灯す。火に憑りつかれた職として赤憑きと罵られ、村人から遠巻きにされながらも、二人は仕事をこなし続けていた。

 

 そんな穏やかな日常を、戸を叩く音が遮った。二人は驚いた表情を浮かべて戸口を見つめる。牡丹は戸口を睨んだまま、小声で呟いた。


「……鬼かな?」

「いいや、入口の提灯の火が灯っている限り、襲ってはこない筈だ。それに鬼ならばわざわざ戸を叩くなんてせずに、蹴破ってくるだろう」


 二人が言葉を交わし合う間に、またとんとんと戸が揺らされる。今度は遅れて、若い男の声が響いた。


「夜分遅くに申し訳ありません。村の者でございます。火灯しの方と話をさせていただきたい」


 丁寧な物言いに、二人は顔を見合わせた。


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