09.
突然の青年の大声に、俺とキーナはぎょっと肩を震わせる。
「あ、
「あーっ!! 〈シーレッド〉だ!!」
俺が最初の「あ」を言った時点で、キーナは興奮して叫んでいた。赤装束はぎょえっとびっくりしているが、びっくりしている相手はキーナじゃなくて、俺だった。要は正体がバレたくないタイプのヒーローらしく、改めて俺の方をジイっと睨みつけると。
「そ、そうだ! お、俺は、海を守りし聖なる戦士、〈シーレッド〉!」
「うわーっ! すごい!! こんな間近で初めて見た! 写真撮っていい!?」
「すまない、それはできないんだ! SNSで写真を拡散できないよう、このスーツはカメラに写らない特殊な素材でできている! 代わりに、その目に焼き付けてくれ!」
な、なんだその、昨今のSNS対策。ヒーローって大変だな。
なんとなく同意を求めたくなって、俺はふと
「……綾瀬?」
「ん……? ああ」
寝っ転がって、赤坂がいる方とは、まるで別の方向を向いていた綾瀬が、ひゅっと目を閉じた。
「…………?」
「綾瀬、大丈夫か!? さっきの、あの黒い壁は……」
赤坂こと〈シーレッド〉……いや、回りくどい。赤坂は無我夢中で、タッタッタとこちらに駆け寄ってくると、はっと思い出したようにキーナの方を見た。キーナは興味津々な様子で、じいっと、赤坂の方を伺っている。
「〈シーレッド〉も、ユウヤさんのことを知ってるの?」
「あ……えーと。ユウヤさん……?」
俺はちょいちょいと、キーナにバレないように綾瀬を指さす。こいつのこーとー。
「あっ、ああっ、そうだ! 綾瀬とはクラスメイト――」
「知り合いなんだよなー!! なっ、あか――〈シーレッド〉!!」
綾瀬の秘密をバラされそうになったので、慌てて俺は口を挟む。互いのセリフを手探りでフォローしあう、泥沼みたいな言い合いだ。こいつらめんどくせぇな!!
「あっ、ああっ、そうさ! 彼らとは知り合いでな!」
「へえー! そうなんだ!」
き、キーナのやつ、ヒーローの言うことは簡単に信じやがる。いや、まあ、話の内容の割に、俺のことも信じてくれてた方だとは思うが。格差すげえ。
「私イエローが好きなの! 今度サイン欲しい!」
「ああ、機会があれば! イエローもきっと喜ぶよ」
そんなやり取りを見て、ふと脳裏に
「…………」
不意に思い出す。マコ~、と、俺に抱きついてきた
――お前に、嫌われるかと思って。
「……お前は、みんなのところに帰れ」
俺は、告げる。
自分が意図した以上に、冷たい声で。
「え?」と、キーナが俺の顔を見る。
「もう、危ないやつはいなくなったって。みんなに教えに行ってやれよ」俺は赤坂の方を振り返って、尋ねた。「お前がここに来たってことは、そうだろ」
「……ああ。その通りだ」
赤坂は頷いて、後押しするように、キーナに言う。
「頼めるか?」
「…………」
キーナはなにも言わなかった。ただ、大きな瞳が、綾瀬の方に傾いた。これはチャンスと言わんばかりに、満足そうに寝ている綾瀬の方に。
そして今度は、赤坂のマスクを見つめて……最後にちらっと、俺を見てから。
「……うん、わかった」
キーナが立ち上がった。落ち込んでいる、ようにも見えた。
赤坂は……赤坂は、〈主人公〉の中じゃ、お調子者だし、いろんな意味で子供っぽいところもあるけれど、やはり〈主人公〉なんだと思う。俺たち一般人からすると、なにを言われても言い返せないような、静かな威圧感があって。
「キーナ」
綾瀬が寝っ転がったまま、彼女の名前を呼んだ。
「大丈夫だから」
「…………うん」
キーナは躊躇うように、一歩、二歩と歩いて……たまらなくなった様子で、駆け足で公園を出て行った。
役者が、逆らえない台本の通りに、出て行くように。
「……おい、大丈夫か? 綾瀬」
キーナの姿が見えなくなったところで、赤坂が綾瀬の横で膝をつく。それと同時に、彼の全身が一瞬光ったかと思うと、それが消えた頃には私服姿の赤坂がいた。綾瀬とは対照的な、彩度の高いやんちゃな服。よく見ると、手にスマホくらいの大きさの、赤い何かを持っていた。恐らく変身のための道具だろう。
「怪我は? あのとき出てきた壁は……お前だろ?」
「……ああ、そうだよ」
「…………」
二人とも黙り込んだ、妙な沈黙だった。無言で寝っ転がる綾瀬を見て、ああ、こいつ疲れてんなとか、こっちから話しかけない限りは答えないやつだからなとか、俺はぼんやり思うのだが、赤坂は別のことを思っていたらしく。
「……昨日は……悪かったよ」
歯切れ悪く、赤坂が謝る。
「すまなかった。……酷いことを言った」
「…………」
「浮かれてたんだ。俺が能力を手に入れたのは、最近のことで……“ハカセ”から巨大な敵が来ると聞いたとき、どうすればいいかわからなくて、パニックになったんだ。けど、少しだけ嬉しかった。自分が、本当にヒーローになれた気がして」
赤坂は訥々と語る。静かな、落ち着いた声で。
「〈ポリュージョン〉が急にバラバラになったときは……焦ったんだ。でも、そのときに、壁ができて、あれ、綾瀬だって、俺は、すぐに……」
声が崩れる。赤坂は手の甲で目をこすった。綾瀬は相変わらず目を閉じているから、なんか、死んだ人に懺悔してるみたいだった。
仰向けの死者は、口元だけを動かして、
「いいよ。それにあのザコ……俺が、呼んだものかもしれない」
え? と俺が首を傾げてる間に、綾瀬は目を開けた。身体を起こそうとして、ゴチン、と不自然に、すぐ横のベンチに肩を思い切りぶつける。イテ、と綾瀬が声を上げる。声を上げるほど強くぶつけたというのに、綾瀬はそっちを見なかった。
赤坂が慌てて支えに入る。
「無理して動くな。だいぶ、消耗してるんだろ」
「……綾瀬、お前まさか……」
俺が綾瀬の目を見る。綾瀬は――俺を、見ていない。
「目、見えてないのか」
赤坂がはっと綾瀬の方を見る。綾瀬は、少し黙ってから、
「……バレたか」
「いや、バレたか、じゃねーだろ。治るのか?」
「後遺症だ。慣れてる。あんまり変身し続けると、耳が聞こえなくなったり、目が見えなくなったりして、しばらく五感が機能しなくなるんだよ。いつも、目は治るのが遅い。少しすれば治る」
「さっきの、三十分、ってやつか」
「もう少し、かかるかも。調子に乗りすぎた」
ふう、と綾瀬は、深呼吸するように溜息をついた。が、俺には別の疑問があった。
「待てよ。あれは、元々赤坂の敵だろ? 〈ポリュージョン〉って……なんでそれが、お前を狙うんだよ。赤坂、あれってどこから出てきたんだ」
そう尋ねると、赤坂が答える。
「前に、薬品が工場から海に流れ出す事故があっただろ。あれが今回の、〈ポリュージョン〉の源だ。俺たちは海を守るための戦士。ああいう汚染物質や、海を汚そうとする怪人たちを相手に戦ってる」
「それがどうして綾瀬に……」
「今はその話はよそう、
赤坂の声は、至って冷静だった。綾瀬はベンチにぐったり寄りかかっている。
「俺たちの基地に来るといい。ハカセが診てくれるはずだ」
「いい。いろいろ、面倒くさそうだ」
「いつもはどうしてる? お前を診てくれる人はいないのか?」
「寝てるだけだ。寝てれば治る。寝かせてくれ」
「一人っていうのは、大変だな」
「お前が羨ましいよ、赤坂」
赤坂が一瞬、息を止めた。
息を止めて、小さく、一言。
「……そうだな。幸運だと思う」
「…………」
昨日、ヒーロー論をバカみたいにぶちまけていた二人だった。論破されたのは赤坂の方だった。滑稽だ。キーナが綾瀬を見て、気持ち悪いと言った。正しい。綾瀬を見て、こいつがヒーローだなんて思う奴は、きっといない。いても、そう多くない。
与えられた才能が、美しいとは限らない。
「高橋、綾瀬を見ててくれ。〈コーラルシップ〉を持ってくる。家まで送ろう」
「乗り物か?」
「おう、なかなか快適だぞ。高橋も乗っていくといい」
そう話す赤坂は、妙に落ち着いて、大人びていた。
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