08.


「タカハシ! どこ行くの?」


 ムカデたちを追って少し走ったところで、キーナが後ろから追いかけてくるのに気付いた。ポニーテールを揺らしながら、俺の方にまっすぐ向かってくる。


「ユウヤさんのとこ? わたしも行く!」

「いや、危ねーから。お前はあっちでおとなしくしてろ」

「ほら、早く行こうよ! タカハシ遅い!」

「話聞けよ!」


 俺の話に耳を傾けず、追い越して先に行くキーナに叫ぶ。な、なんか、ナチュラルに見下されてる感じがあるな。すげえ慣れてるのがかなしい。

「えーと、で、どこに行くの?」

「か、考えなしだな。あのムカデを追ってたんだよ」

「あっ、本当だ。みんなどこかに向かってるね」

 繁華街から離れるほど、通りは静まりかえっていた。ふと通り沿いのアパートを見ると、カーテンをかすかに開いて、外の様子を伺っている住人が見えた。避難していない人も多くいるのだろう。建物の中まで率先して襲わないタイプの敵で良かったと思う。


 ムカデたちは海の方向に向かって歩いていく。途中、綾瀬あやせに電話をしたが、出なかった。代わりに如月きさらぎから電話が入った。

『もしもし、高橋たかはし。無事?』

「ああ、こっちは大丈夫だ。そっちは?」

『たぶん、全部片付いたよ。でも結局、誰のかはわからなかったな』

 それより、と、安否確認もそこそこに、如月は話を切り替える。

『あの壁、見た? 誰のか知ってる?』

「……あー……」

 あの壁、とは、綾瀬が出した“アレ”のことだろう。だが綾瀬の能力のことを、言っていいのかわからない。個人情報と同じだ。本人に確認を取らないとなんともいえない。ミチルはほとんど一般人だから、言った方がいいと判断して、言ったのだが。

『わからなかったら、いいよ。それより高橋、〈悪鬼あっき〉って見た?』

「は? 〈悪鬼〉?」

 突然話題が変わった。なんでここで、〈悪鬼〉?

夜崎よざきがね、〈悪鬼〉が出た、〈悪鬼〉が出た、って騒いでて。うっすらだけど、気配がするらしいの。今はもう、いなくなったみたいなんだけど……』

「見てないぞ。〈悪鬼〉って、この辺りだと出ないんだろ?」

『そうなのよね。おかしいとは思うんだけど……うん、見てないなら大丈夫。それと、帰りってどうする? 待ち合わせする?』

「ああ、いや。先に帰ってくれ。俺は…………ちょっと、用事があるから」

 綾瀬を探しに、と言おうとしたが、それを言えば俺と綾瀬が二手に分かれている話になり、そこからなし崩しで、あの壁人間が綾瀬だということを、説明せざるを得なくなるような気がしたのだ。

 如月は、そう、と、怪しむこともなく相槌を打った。

『じゃあ、夜崎のことは送っておくから。また、学校でね』

「ああ、お疲れ。ありがとうな」

『ん? いえいえ、なんのこれしき』

 最後の一言はちょっと嬉しそうだった。人を喜ばせたり助けたりするのが純粋に好きなのだから、如月は偉いと思う。


 電話を切ると、キーナがじーっとこっちを見ていたことに気付いた。


「な、なんだよ」

「んーん。今のもヒーロー? タカハシ、ヒーローの知り合いいっぱいいるね」

「あー……まあ、そうだな。わりと、多い方かもしれない」

「芸能人の知り合いがいっぱいいる一般人みたい……」

「その感想は、なんか、余計だ」


 そしてだいたい合ってる。若干悔しいのは、なんなんだろう。

 ムカデたちは川沿いに出ると、橋を渡って向こう岸へ。ここまで来るとムカデやネズミがそこそこ集まっていて、見る人が見れば叫び声を上げそうな様相になっていた。地元のサイクリングコースと思しき川沿いの道路には、野性的とも放置ぎみともとれる草木が生い茂り、ふと一カ所でそれが切り取られ、奥にひと気の無い公園が見えた。


 その、ベンチの横に。


「ユウヤさん!」

 俺が認識するのと同じタイミングで、キーナは走り出していた。砂地に横向きで倒れている青年に向かって一直線。つい「待て!」と叫んだが、キーナは止まらなかった。ムカデやネズミたちと一緒に、綾瀬の方に駆けていく。

「ユウヤさん、大丈夫!? ユウヤさん!」

 綾瀬の隣に膝をついて、キーナが呼びかける。俺はおっとっととムカデを避けながら、綾瀬に向かっていくそれらが、服の裾や襟から入っていくのを見ていた。綾瀬の体から出てきたものだから、綾瀬の中に帰っていくのかもしれない。

 キーナはほとんど泣きそうな声で、

「ねっ、ねぇ、タカハシ、どうしよう!? ユウヤさん、し、死んじゃっ……?」

「軽率にそういうこと言うな! おい、綾瀬っ」

 倒れているのは、たしかに綾瀬だった。髪が顔の方に流れて、目が隠れていたけれど、こいつの表情が読みとりづらいのは元からだ。外傷は、無いように見える。一瞬ためらったが、「おい起きろ」と、肩に触れる。


 ……死んでる感じは、しない。それと、眼鏡が無い。


「死んでないよ。……多分」

「たぶんって! 自信なさ過ぎ!」

「俺もそんなに詳しくないんだって!!」

「……おい、うるさいぞ……」


 低い声が響いた。特徴的な、厳めしい声。ぎょっと横倒しになった身体を見る。

「死んでないから……寝かせてくれ」

「あっ生きてる! ユウヤさん大丈夫!? ドロドロしてない!?」

「大丈夫だから」

 身体はぴくりともしないくせに、口だけパクパク動いているから、こういう合成写真みたいに見える。ムカデとネズミとクモと……その他諸々の入場は、だいぶ済んだようだ。

「キーナと……高橋もいるな?」

「おう。平気か? ちゃんとしたところで横になった方がいいんじゃないか」

「……家じゃないのか」

 言ってる意味がよくわからない。

「公園だぞ。えーと……」

 答えようとするが、言葉が渋滞する。ここがどこだか説明してやりたいが、俺はこのあたりの地理にも詳しくないし、それよりも聞きたいことが山ほどあった。お前こんな能力隠し持ってたのかよ、とか、いったいどういう経緯でそれを手に入れたのか……とか。そんな身勝手な質問で頭をぐるぐるさせる俺の代わりに、キーナがサッと口を挟む。

「川沿いのアスレチック公園。ユウヤさん寝ぼけてんの? 家から反対方向だよ? それに、メガネは? 落としちゃったの?」

 キーナ少女はヒーローにも容赦なしのようだった。「あー……」と、綾瀬はしばらく、気まずそうに唸ってから、ごろんと、休日にリビングでだらける父親のように仰向けになった。流れていた前髪がずれて、閉じられた目が露わになる。


「キーナ……俺はな、頑張ったんだよ」

「知ってるよ。タカハシから教えてもらった。ユウヤさん、ヒーローなんでしょ」

「…………」


 綾瀬の重く鋭い沈黙は、俺の方に向かっている気がした。いやいや……他に良い誤魔化し方がなかったんだって……。と、内心で抵抗するが、それが届いたかどうかは、俺の知るところではない。

 そして、綾瀬は“ヒーロー”という単語を横に置くと、

「たくさん頑張るとな……俺は、眠くなるんだよ。あと、お腹が減る」

「なにそれ。赤ちゃんみたい」

「そう。だから、放っといてくれ……三十分もすれば、動けるようになるから……そしたら、眼鏡も探しに行って……」

「ここに? 三十分? 体に悪いよ。誰か呼ぼうか? 後でおにぎりいる?」

「いらない。……メシは欲しい」

 しれっとおにぎりだけ要求しやがった。

「…………」

「え? マジで寝るのか? ここで三十分?」

 綾瀬が完全に無言になってしまったので、つい突っ込みを入れる。ホームレスでもこんな寝方しないぞ。

 が、綾瀬は、そんな俺の戸惑いを意に介さず、きっぱりと、


「寝るよ。キーナは、みんなのところに帰れ。心配するぞ」

「でも、目離したら、ユウヤさん、どっか行っちゃいそうだよ?」

「…………」


 ボケにツッコミを入れるような、少女の軽い切り返しに、綾瀬は黙り込む。

 妙な沈黙。きっとこの少女は、俺が思っているより、綾瀬のことをわかっているのだろう。先ほどまで矢継ぎ早に質問していた口を閉じ、じいっと綾瀬の言葉を待ち、そして綾瀬は、それに何も答えない。

 ……素直なやつだ。言い返せないときは、言い返さない。

 しばらく、沈黙が流れた。気まずくもない、バスの到着を待つような、ただ待つだけの時間が流れて――ムカデの最後の一匹が、綾瀬の裾に入った、その辺りで。


「綾瀬ーーーーっ!! 大丈夫か!?」

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