冒険者ハバキの詩

イソラズ

第1話


「そ···がいいわ·····こ···の名前は」


「旅と·····の·····」


馬車の中で、誰かが談笑していた。


自分は、振動に震える窓ガラス越しに、外の景色を見ている。

森の木々を映しているだけだった風景が、突然開ける。



「ほら、良い景色だ」


「本当に·····」


ふと、自分の身体が持ち上げられて、視点がよりガラスに近づく。


「ほら、見えるか?我が息子よ」


声はそう言って、脇の下を掴んで持ち上げ続ける。


 馬車の画角を流れ、目の奥へ景色が飛び込んでくる·····。開けた一面の草原に、夕暮れの曇り空を抜けた光が射し込んでいる。



「お前も···いつか·····」


「ま····気が早·····よ」



 二人の会話を背に、いつまでも景色を見続ける。

 やがて身体が下ろされて、後ろの二人の顔が見えた。



 「可愛い赤子だ」


「貴方の名前、憶えておくのよ」



二人の顔は、西陽に照らされて白く塗り潰され、細部までは分からない。


 

 ただ声だけが、耳へ届く。長い年月を超えて。





「「ハバキ。」」











 邪龍が現れた。それも、同時に二体に·····。


───この世界には、大きく二つの大陸がある。


なんの捻りもない名前を持つ〝東大陸〟と〝西大陸〟だ。


 二体の邪龍はそれぞれ、東と西の大陸の中心部·····つまり、最も栄えている国へと降り立った。


 それが、東大陸の大国〝ガルガ帝国〟と、西大陸の〝アルマ王国〟である。


ガルガ帝国に降り立ったのは、氷の邪龍〝メルドラ〟。アルマ王国には炎の邪龍〝ラヴァニール〟。


邪龍の破壊を食い止めるため、帝国と王国はそれぞれ最大戦力を切った。


帝国は「戦神」。王国は「勇者」と「聖女」。


それぞれの活躍により、二体の邪龍は駆除された。


 しかし、邪龍との戦いで勇者と聖女は死亡し、未だ戦神を有する帝国や周囲の国々からの侵略と、もし再び邪龍が現れた際の備えとして、アルマ王国は騎士団を結成。


東と西の大国は、それぞれが復興に努めている。






·····というのが、今から十六年前の話である。



先の惨事から年月が過ぎ、アルマ王国では、破壊された建造物の殆どが形を取り戻しつつある。


冒険者であった勇者と聖女の影響か、冒険者の数は増加の一途を辿っている。



そんな王国の端に位置する小さな村、〝ヴィタ村〟で、一人の青年が寝返りを打った。


 そして、木製のベッドの角に頭をぶつけ、黒髪を掻きながら、恐る恐る目を開いた。


 その瞳は金色をしていた。




「またか·····」


 今年で17歳を迎える青年ハバキは、窓から差し込んだ朝日に目を細めながら、今朝の夢を反芻していた。



·····小さい頃から、時々見る夢だ。


オレンジに染った草原の中を、両親と共に馬車で走っている。

 両親は小さな自分を取り上げて、自分の名前を呼ぶ。


 自分は両親の顔を見るが、白い光に照らされていて見えない·····。二人の額には、何か模様が書かれていたような、そんな気もする。



「·····ま、いっか」




何度も考えた事だ。


今更考え込んでも、何も収穫はないだろう。


 今日は剣の稽古がある日だ。

顔を洗って広場に行くとしよう。



前回までの剣の訓練を思い出しながら、手洗い場の鏡を覗き込むと、ふと見覚えのないものが写った。




「·····ん?」



 自分の額に謎の赤い文様が浮かんでいる。


落書きかと疑い、擦ってみるが、模様は刺青かのように皮膚の内側で黄色く発光している。



 なんだこれ·····!?


薄らと赤く光る模様は、魔法陣のように複雑に入り組んでいて、角度によっては火を吐くドラゴンに見えなくもない。


 ·····ちょっとかっこいい。

稽古に行く前にじいちゃんに見せよう。


手早く顔を洗い、壁にかけてある長剣を腰に取りつける。


 扉を開くと、土の匂いと共に、朝の村の景色が飛び込んできた。



 ·····ヴィタ村は小さな村だ。


小麦が豊かに取れること以外、あまり特徴はない。


「おはよう、ハバキ」


「おはよう、じっちゃん」



 家の目の前に広がる畑に立ち、仕事の手を止めてこちらを向いた一人の老人が、ハバキの育て親であり、この村の村長であるソルロア・ノーストラだ。


 日に焼けた手で髭を撫で付けている。




「じっちゃん、俺今から剣の稽古に行くけど、おでこになんか───」



「おい待てハバキ·····」




ソルロアは、ハバキの額の模様に目を見開いた。




「その模様は·····」




「いや、なんか朝起きたら·····」




畑の峰を跨いでこっちに来たソルロアは、ハバキの額をじっくりと眺め、触って、言った。




「ハバキ、医者に行くぞ。流れ医者が村の外れに来ていたはずだ。」











 本来、ヴィタ村に医者はいない。


 薬草の知識を持つ者はいるが、重い病気や怪我に対処出来るだけの技量はない。


ヴィタ村に限らず、小さな村はどこでもそうだ。


 だから、重病や大怪我が村から出た時は、一番近い町まで運ぶか、世界中を旅して回っている流れ医者に見せるかのどちらかになる。


 流れ医者·····旅医者とも言われているが、彼らの多くは、国から医師と認められていない。


 医師の資格を取るために各地を回って経験を深めている見習いや、医師になるつもりは無いが知識を持つ冒険者などである。彼らは時々村を訪れては、飯や宿を世話になっていく。

·····そしてその対価として、滞在中に病気や怪我を診るのである。


 ソルロアが、村に住む青年アベルの家の呼び鈴を鳴らしたのは、彼の家に旅医者が世話になっていることを知っていたからであった。



「じっちゃん、アベルは畑だろ」



「·····そうか」


ソルロアに手を引かれる。


何かはわからないが、相当焦っているらしい。


 ·····まぁ、額に急に模様浮かんでたら慌てるか。


急展開で現実味が無かったが、頭が回り始めて今更不安になってきた。


―畑を見ると、顔馴染みのアベルと髭を蓄えた中年の男が畑を耕していた。


·····後者が旅医者だろう。




「おーい」



ソルロアが手を振り、二人を呼び寄せた。



「·····ハバキなんだそれ」


首の汗を拭った青年アベルが、ハバキの額の模様に眉を顰めた。


 旅医者の方は、すぐにアベルの家へ入っていった。·····と思ったら、両手に皮袋を抱えて戻ってきた。診察道具を持ってきたらしい。




「中へ·····」




 木でできた椅子に座り、髪を手でかきあげる。


旅医者は四角い石のような物を額にかざし、何度か近づけたり離したりした。



「これは·····」


旅医者は困惑したように顔を顰め、ソルロアとハバキの顔を交互に見た。



「龍呪斑·····だと思います」


「馬鹿な·····」


旅医者の言葉に、ソルロアが愕然とする。

なにやら深刻そうだが、こちらは何も分からない。


 説明を求めて二人を見るが、それどころではないかのように話し合っていた。



「両親からの遺伝か·····症状は具体的にどうなる·····?」


「正直わかりません····」


「·····」



考え込んむ二人に、取り残される俺。


沈黙から帰ってきたソルロアは、こちらを見て言った。




「ハバキ、外で待っていなさい」







「·····で?なんだったんだよ」


アベルの質問に肩を竦め、踏み固められた地面に座る。


「りゅうじゅはん·····?だってさ。」


「なんだそれ」



そこまで説明して、ふと好奇心が湧いてきた。


家の裏手に回れば、窓から二人の会話を聞けるはずだ。


「お、おい、どこ行くんだハバキ!」



 頭上に開け放された窓を仰ぎ、植え込みと家の間に座り込む。


 カーテンの揺れるサラサラとした音と共に、二人の会話が聞こえてきた。



『·····ハバキの両親は元〝宵闇の冒険団ノックス〟です。』



『じゃぁ·····本当に龍の·····』



 しばらく沈黙が続いた後、ソルロアは小さな声を絞り出すように発した。



『ハバキは、あと何年生きられる·····?』



 窓枠の下で、ハバキは目を見開いた。


『····分かりません。〝龍呪斑〟自体がほとんど研究されていませんし、第二世代の病症となると、王都にも文献があるかどうか·····』



『·····』




 白く縁取られた視界の中で、呆然としたアベルがこちらを見ている。


 感情が入り交じって、何が何だか分からない。




『通常の〝龍呪斑〟は、龍の呪いを受けることによって発病し、発症から十年以内に体内で魔力を生産出来ずに死亡する病です。』


『あぁ、知っている·····ヴェスパーとルーナもそうだった。』



 医者が椅子から立ったのか、靴音と声が大きくなる。


「第二世代の発現となると、病状に変化がでるのかどうか·····」


「薬は、何か抑えるものは·····」



「·····ありません。」



 どうやら、自分は病気らしい。



·····それもかなり重い。



 その事実をようやく飲み込んできたハバキに、トドメを刺すかのように言葉は続く。


 耳を逸らすこともできないままに。



「·····どうすれば」



「恐らく、二十を迎えるまで生きられるか。王都の方で一度診察するしかないと思います·····」



「·····」



 視界が白く染まる。


室内の会話以外の全ての音が、遠ざかって消えた。


 そんな世界の中で、自分の日常が壊れる音が、確かに聴こえた。




「·····王都の知り合いに紹介状を書きます」



「分かった·····ありがとう」




 血の気が引いて、冷たくなった腕をアベルに引っ張られながら、家の正面まで戻ってきた。



 遅れて扉が開き、ソルロアと旅医者が出てきた。


 哀れみと悲しみと、何とも言えない感情がない混ぜになったソルロアの視線を受けた瞬間、ハバキは自分の運命を悟った。


 まさしくその瞬間に、悟ったのだ。




 俺は病気で、もうじき死ぬ。




 あまりにも強烈な二人の視線に、震える口の端を釣り上げて、ハバキは微笑んだ。




 朝とは思えない疲労具合だった。






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