第2夜②

 彼の話を聞いて、沙那の心は決まった。


「……あなたを見込んで頼みがあります」

「急にかしこまってどうした」

「私に主上と話をさせてください」

「何故だ?」


 こてん、と首を傾げてみせる彼の姿は妙に可愛らしくて絵になっていたが、そんなことに構う余裕はなかった。沙那の心はめらめらと怒りに燃えていたからだ。


「だってっ! 紗子がいなくなったのは、絶対に主上のせいじゃないですかっ! 喧嘩した時にろくでもないこと言ったんでしょうっ! だから、紗子は出ていっちゃったのよっ!」


 まったく、それを最初に言ってほしかった。

 失踪の直前に喧嘩があって、紗子の書置きまで残されていたのなら、これは、紗子の決意の家出ではないか!

 帝や左大臣が何と言おうと、従姉である自分ばかりは、紗子の味方になってやらねばと、沙那は拳を握りしめて突き上げた。


「紗子が見つかっても、そんなの、帰ってきたくないに決まってる! 話はまず、主上が頭を下げて『ごめんなさい』してからでしょう!」

「落ち着け! 俺のせいではない……はずだ、たぶん。俺たちはそんな仲ではないから」

「はぁっ!? 今、誰も、あなたの話なんてしてませんけど!?」

「主上のせいでもないはずだ! たぶん!」


 やけに慌てて弁解する寛高には、紗子の失踪が『決意の家出』であってはならない理由でもあるのだろうか。……あるのだろうな。これが家出だとしたら、『紗子が主上に愛想を尽かした』ということなのだから。宮仕えをしている彼が、主君である帝に『主上のせいで家出されたのだから諦めるしかありませんよ』と報告できるわけがない。


 ――なんだ、紗子の幼馴染といえども、結局は、主上の方が大切なのか。


 冷ややかな視線を向ける沙那に、寛高は怯んで、一拍置いて何かを反論しようとした、ように見えた。


「……宰相の君、どうかなさったのぉ?」


 それが言葉になる前に、隣室住まいの女房の『藤命婦とうのみょうぶ』が、騒がしいやりとりのせいで目が覚めてしまったのか、眠たげな声をかけてきたから、確かめることはできなかったけれど。


「いえっ! 何でもっ!」


 局を覗き込もうとする彼女には否定の言葉を返したものの、室内の寛高を消し去ることもできなければ、聞かれた口論の声を忘れてもらえるわけでもない。

 狼狽する沙那の横で、すい、と手が動いて、部屋の灯りは落とされ、次の瞬間、沙那の身体は、何か大きなものに巻き込まれていた。

 鼻先を芳しい香がくすぐる。……寛高に、抱き込まれている。

 頭が真っ白になって身動きが取れずにいるうちに、藤命婦はおっとりとした口調で言った。


「あら、恋人が来てらしたのね。ごゆっくり」


 暗くした部屋の中で二人が抱き合っているのだから、『取り込み中』なのだろうと、もっともな早合点をした藤命婦が、鼻歌を歌いながら自分の部屋へと戻っていく物音がした。

 彼女の足音が遠ざかってからも、沙那はしばらく動けなかった。

 静かな部屋の中では、自分の鼓動の音ばかりが大きく響く気がして、この音が寛高にも聞こえていたら嫌だと思った。だって、沙那がひどく動揺していることが、彼に伝わってしまうから。


「帰ったようだな。もう大丈夫だろう」

「……ああ、もうっ! 絶対に誤解されたっ! 早くっ、離れてください……っ!」


 やっとのことで『何事も無かったような顔』を作って、彼を引き剥がそうとする沙那に、寛高はぽつりと言った。


「そんな顔もするんだな」

「へっ?」

「いや。少し、想像と違っただけだ」

「想像?」

「ただの女房が帝と直接話す機会など、滅多にない。連絡は、俺を通せ。そんな顔を他に見せるものじゃない」


 早口で言うと、寛高は足早に立ち去ってしまった。

 きっと、彼は今日も宿直を抜け出してきたのだろうから、藤命婦以外の者に見つからないうちに戻ると判断したのだろう。

 それにしても、沙那の顔を『そんな顔』と連呼するなんて――。


「……私、そんなに変な顔、してる……?」


 思わず顔に手をやると、頬は熱いくらいに熱を帯びていた。

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