第1夜③
「……どういうおつもりですか」
「何がだい?」
これは、沙那の知らない一幕。
身代わりの約束を取りつけて足早に立ち去ろうとする左大臣を、橘則実は車止めで呼び止めた。
振り返った左大臣は、沈痛な表情で――否、その表情を作って、言った。
「我が愛娘が行方知れずになったんだ、親として取れる手を全て尽くそうとしているだけだよ」
「違うでしょう」
ぴしゃりと切り捨ててやると、左大臣はにやりと笑った。
過去を振り返ってみれば、そもそも有力な縁者を持たない則実は、どれだけ熱心に働こうが、未来永劫出世など果たせるはずがなかった。それが仮にも参議にまで上りつめたのは、相婿だったこの男に妙に気に入られたことが大きい。
「『何を考えているのか分からん、気味が悪い』という顔だな。貴殿は分かりやすい」
ついに声を立てて笑い出した左大臣を、その通り、則実は薄気味悪く思って見た。
「あなたは、自分の娘が見つからなかったときに備えて、早くも『代わり』を用意しようとしている」
「うーん、正確には『代わり』ではないのだけれどね。小姫には『本物』になってもらいたい。亡くした愛する女と似た面差しの女が傍にいれば、気持ちが移るのが人情だから」
ぺろりと吐かれたのは、想定よりもさらにひどい思惑だった。
左大臣は『自分の娘のことはさっさと諦めて、女御の席には沙那を挿げ替える』と悪びれもせずに認めたのだから。
「主上が『承香殿の女御の居場所を失わせたくない』と仰ったのは、あなたのそういうやり口に釘を刺すおつもりではないですか。『承香殿の女御以外を愛するつもりはない』と。私も同感だ、人の心とはたやすく変わるようなものではない。その企てに、うちの娘を巻き込むなんて――」
「橘宰相。貴殿は、学識は確かだが、愚かだな」
非難を煩げに遮った左大臣の瞳には、不思議な熱が宿っていた。
思えば、左大臣は自分の子に愛情こそ注いではいなかったかもしれないが、それなりの手間暇はかけてきたはずだ。その『投資』を惜しむことすらしないのは――。
(もっと、大きなものを見ているからか? あなたは何を望んでいる?)
もしかしたら、その熱の名を『野心』と呼ぶのかもしれない、と。そんな益体もないことを考えた。
「承香殿の女御が見つからなければ、私は、いずれにしても『次の駒』を後宮に送り込まねばならない。私だって人の子だ、送り込んだ娘が愛されずに一生を終えることは気の毒に思うさ。愛される見込みが高い者は誰かと検討したら、女御とは疎遠な異母妹よりも、女御と仲が良く、ともに育ち、面差しも似通った従姉の方が勝算があると考えた。……幸いなことに、その従姉の父親は左大臣派だから、私に逆らうはずもない」
貴殿の娘御も乗り気なのだからいいではないか、内裏では万全の手伝いをする、と嘯く左大臣から、それ以上に逆らう言葉は与えられていなかった。
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