第三章

 ──いやだから物騒すぎでしょ!


 愕然とした思いに満ちた歩は、内心で激しく突っ込んだ。原因は、お馴染みの地元出身女子アナの流暢な言葉──またしても近所で起きた事件の報道だった。


 六月も後半、儚くもまばゆい真夏の気配が忍び寄る蒸し暑い朝のこと、赤空警察署の生活安全課少年係の男性警察官(二十八)と市内在住の少女(年齢不詳)が、血飲川の河川敷公園で死亡しているのが発見された。

 死後変化の程度、争った形跡がなかったこと、身を寄せ合うようにして倒れていたこと、二人とも金銭をほとんど所持していなかったこと、少女の胃、直腸及び膣内から男性警察官の夥しい精液が検出されたこと並びに二人の口腔内にあった貫通銃創──脳を抉って頭蓋を破壊し、後頭部から飛び出している──から、遺体発見の前夜、複数回にわたって性交した後に、赤空警察署の警察官に配備されている三十八口径回転式拳銃で心中したものと見られる。しかし、拳銃は現場に残されておらず、見つかっていない。

 少女は家出と売春の常習者、いわゆる神待ち少女であった。

「家には帰りたくない」「帰れない」

 生前、彼女はそう繰り返していた。「あたし、親ガチャで大ハズレ引いちゃったから」と唇を歪めて笑っていた。「ホント、ウンデクレテアリガトーって感じ──」きゃはははっ、と、ぎこちなく、しかし子供らしい甲高い笑い声を撒き散らしていた。

 そう、彼女は幼い容姿をしていた。せいぜい十二、三歳という見た目だった。が、実年齢は定かではない。なぜなら、戸籍がなかったから──親? 母親は二人の遺体が発見された日の三日前から行方知れずで、娘の生年月日を尋ねることもできない。そして、父親はそもそも不明。

 すなわち、少女の家庭環境には軽くない問題があったようだった。

 一方、男性警察官も浅くない闇を抱えていた。近年、警察官の人手不足が深刻化していく中で、人口の少ない町の、すなわち、いざとなれば真っ先に切り捨てられる優先順位の低い田舎の警察署は、もちろん部署や上司にもよるのだが、激務を強いられていた。

 そうなると人間の精神は健全さを欠いていき、あるいは内罰的に、あるいはより利己的に──攻撃的になる。真面目で不器用だった彼は前者であり、道理にかなった当然の帰結としてストレス解消用のサンドバッグになった。金遣いが荒くなく、むしろ貯金に熱心な倹約家で、しかも金の掛かる趣味もなかったにもかかわらず、複数の消費者金融から限度額近い借金をしており、もしかしたら経済的にも搾取されていたのかもしれなかった。

 彼の精神は甘く苦しい深淵に堕ちていき、やがて死という、皓々こうこうと美しく光り輝く蜘蛛の糸を求めるようになった。

 そんな二人が出逢ったのは、人の心を備えぬがゆえに残酷な慈悲に至ってしまった神が、あるいは気まぐれに定めた逃れえぬ運命だったのかもしれない。

 男性警察官は補導などの職務の過程で少女と面識を持ち、そしていつしか二人の間には特別な絆が生まれていた。それは麻酔代わりの淫楽が育んだ粘膜の鎖か、もっと形而上的な抱擁が見せた空虚な幻想か──。

 いずれにせよ、彼らは救いを掴み取った。もう誰も彼らを苦しめる者はいない……。


 ──と、こんな感じのことを、文明の発展と共にどんどん薄っぺらくなっていくテレビ画面の中の小綺麗な大人たちが、ほとんどソースを示さないにもかかわらずやたらと断定的に、そして、おそらくは人の命や絶望をエンターテインメントや視聴率のための小道具だと勘違いしているのだろう、どこかおもしろおかしく伝えていた。

 どこに刺さる要素があったのかわからないしわかりたくもないけれど、女子アナの頬はほんのりと色づいており、声もいつもより少しだけ上擦っているようにも聞こえた。

 歩はシンプルに、気持ち悪いな、と思った。とても不快だ。そういえば、下腹部が切り取られた女子大生の事件の時も、どこかしらに、例えば自身の下腹部の奥などに淫靡な疼きでも感じていたのか、たまらなそうにもじもじしていたし、しきりに唾を飲んでもいたし、露悪趣味の変態淑女なのだろうか?──きっしょ。この女のあそここそ切除したほうがいいのでは? ……何か喜びそうだな。

 というか、深刻な人手不足って、そんなんじゃいつまで経っても栞莉殺しの犯人もほかの事件の犯人も捕まらないんじゃないの。最悪なんだけど。







 ──ということを思って残念な気持ちになった翌々日の月曜日の朝、歩は自分の机で頬杖を突いていた。SHRショートホームルームの真っ最中だ。教卓に立てた出席簿に手を乗せて話している酒本は、以前にも増してくたびれているようだった。

 何かあったのだろうか。

 ちらとそう思うも、すぐに霧散させた。たいして興味がなかった。考えたところでどうせ詮もない。歩に何ができるわけでもなければ、できたとしてもする気もない。

 

 ふと、ぞわり、視線が肌に触れる感覚がした。その方向を振り向くと、小杉と目が合った。しかし、次の瞬間には逸らされてしまった。

 何さ? と疑問に思うもすぐに自答した。隣の朱莉が気になるのかな、かわいいもんね、と。おっぱいも大きいし。 

 朱莉は、栞莉撲殺事件に相当なショックを受けたらしく、その日から休んでいたのだけれど、今日から登校を再開した。

 今朝久しぶりに見た彼女は、すっかり脱色した金髪になっていて随分と様変わりしていた。が、中身は変わっていなかったようで、「あゆちん、おっはよー」と、星マークでも付きそうないつもの軽妙な口調で笑いかけてくれた。その時、安堵と共に胸裏に生まれた切ない痛みは、まだくすぶっている。

 

 再び視線を感じた。傾けるようにして首をひねって目を向けると、今度は武蔵からだった。

 見交わす瞳の奥に潜むニュアンスは、小杉のものとは少し違っていた──似ているけれど、確かに違う色だった。しかし、その内容を言語化することはかなわなかった。正体不明の謎の視線である。

 何なの?

 内心で首をかしげた。その目は何だ、その目は。

 今度は歩から視線を外した。







 武蔵とは仲良くやれている。とはいえ、四六時中べったりという気色悪い関係ではない。

 今日は陸上部の友人と昼食を共にするということで、歩はぼっち飯である。

 寂しい。けど泣かない、男の子だもん。なんて戯れ言を浮かべる。

 ご飯と冷凍食品、それから半額惣菜の残り物を詰めただけの、手作りと言ったら詐欺になるけれど、恋人からそう言って渡されたらたぶんうれしい手作り(笑)弁当を食べ、それが終わると歩は二年C組を訪ねた。

 入り口の所から教室内に視線を走らす。楽しげな声が、ざわざわと咲き乱れている。人死にが二件もあったというのに平和なものである。自分と関係がなければこんなもんか、とも思うけれど。


 歩は、入り口の近くの席でスマホ片手に女の子らしいちんまい弁当をつまんでいたお団子ヘアの女子生徒に声を掛けた。「静観知世さんがどこに行ったか知らない?」


 急に尋ねられたからといって驚くでもなく、お団子ちゃんは大様おおように歩に顔を向けた。一瞬、考えるような間があって、「ああ、よく〈羊たちのまどろみ〉にいる人だよね?」


「うん、居心地がいいから」


「だねー」お団子ちゃんもうなずいた。それから彼女は、静観について教えてくれた。「たぶん用務員さんのとこじゃないかなぁ。あの子と彼が話してるとこ、最近ちょくちょく見かけるんだよね」


 えぇ……。歩は内心で顔をしかめた。まさか静観にも手を出してるの? まさかね。栞莉の事件から時間も経ってないのに、そんなに薄情じゃないよね?──いやまぁ気持ちはわかるけど。悲しいし寂しいよね……。


 お団子ちゃんに礼を言って歩は、用務員室へ向かった。


 ──っていうか、公務員の服務規定違反! 女子校生にほいほい手出しちゃ駄目でしょ! それもSSR級美少女ばっかり! モテすぎだって!







 用務員室は開放されていた。覗いてみるも中には誰もいない。その時、


 ──つんつん。


 背中──腰の辺りをつつかれる感触がした。びくっとして振り返ると、無表情に張り付いた空色の双眸がこちらを見ていた。静観だ。まったく気配を感じなかった。


「びっくりした。暗殺者アサシンみたいだね」歩は言う。


「あさしん……?」と長いまつ毛をぱちくりさせた静観は、「人一人でホベツイチゴ何個分?」と小首をかしげて尋ねてきた。


「いやそんなの知らないけど」


「そう……」どことなく残念そうに静観は答えた。


 静観によると、どうやら入れ違いになってしまったようだった。お団子ちゃんに歩のことを聞いて追ってきてくれたらしかった。曰く、「お団子ちゃんはいい子」らしい。


「双葉栞莉の事件の情報を買いたい」そう申し込むと、


「わかった、行こ」と言って静観は歩き出した。


 黙って三歩後ろを歩いて追従する。

 白銀に輝く短髪は新雪さえ欺き、ふわりと舞う優しい香りは純白の少女性を証明しようとしているかのようにも思えた。

 雑野がこの華奢な少女に獣欲の限りを尽くすところが、ふと歩の脳裏に浮かんだ。


 四つん這いの静観が突き出した白く小さな双臀に、雑野は自分勝手に激しく腰を打ちつけている。幼い膣肉のきつい締めつけと瑞々しいうねりがよほどたまらないのか、彼は時折喘ぐような吐息を洩らしながらも、快感を貪る腰の勢いを緩める気色はない。

 濡れた規則的な肉音。

 それに紛れて、か細くも熱っぽく甘やかな声も聞こえてくる。否応なしに高まっていく官能的な強張りにおびえながらも、本能に抗えずに、剛直から止めどなくもたらされる快楽に自ら溺れようとする少女──淫らな女の声そのものだった。

 しかし、静観の顔は見えない。その瞬間も彼女は氷人形のように冷たい無表情のままなのだろうか。それとも──。


 などと、しょーもない、けれど年頃の男の子らしい妄想をしているうちに食堂に着いた。ここが目的地らしかった。

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