いつだって笑顔だったほほえみ様が、その瞳から涙を流し続ける理由とは。

コーラを愛する弁当屋さん

第1話ことの起こり

 ——完膚無きまでにフられた。


 これまでに一度も見たことのない、怒り、もしくは嫌悪に満ちた表情のシスターは、その全身で俺を拒絶していた。


 俺が好きだった彼女のほほえみも、先ほどまでの偽りのほほえみも、今は少しも浮かんでいない。ただ、大粒の涙だけは止まることなく彼女の目から流れ続けている。


 ……でも、そんなことは関係なかった。


 だって、俺は今でも彼女が好きなんだ。


 そして、俺は今の彼女が許せない。俺の好きだったシスターは誰にでも笑顔しか向けない、そんな女性なのだ。


 ……勝手な言い分なことはわかっている。だが結局、恋なんてものは成就するまではただの独り善がりでしかない。


 だから、俺は彼女の一番好きだった所、「心からの笑顔」を奪った張本人に対して、純粋で真っ直ぐな敵意を向ける。


「……決めた。俺はお前からシスターを取り戻す」

「取り戻す? どうやって?」


 そいつは俺の言葉を聞いても一切表情を変えずに切り返す。


「……シスターはお前に生涯の愛を捧げているんだろ? だったら俺が、お前からその座を奪えばいい」

「……それって、ボクを神の座から引きずり落とすってことかな?」

「そうだ。俺がお前に変わってこの世界の神になって……シスターの愛を奪ってやる!」

「……ふうん。やってみなよ」

「……」


 刹那。シスターの頬を流れている涙が、一瞬だけ色を変えた気がした。





 ♢  ♢   ♢  ♢




 そのシスターは、いつも笑顔だった。

 楽しい時も、嬉しい時も。そして悲しい時ですらも。


 彼女はいつだって笑顔を絶やさない。いつ何時でもその顔には微笑みが浮かんでいる。

 それが所以となり、いつから彼女は自身の務める教会に訪れる者達から「ほほえみ様」、そう呼ばれるようになっていた。


 

 聡明で優しく、誰にでも寄り添ってくれるシスターは、それはもう大勢の信者達がいた。中にはシスターこそが神だと言う者までいたそうだ。彼女は五歳のころに街の教会のシスターになった。すると、それまで少数の敬虔な信者しかいなかったその教会に無心論者の入信が爆増したそうだ。しかし、そのほとんどが神を信じておらず、シスターが目当てにしているというのは昔からの信者達から見たら明らかだった。


 ……正直に言おう。こんなことを言っている俺自身も、実はそんな奴らの一人なのだ。


 いや、入りこそはそうなのだが、今では神を信じるようになってはいる。


 

 ——その切っ掛けは、神の啓示を受けた事だった。


 

 ある日、いつものように教会に行くと、どこからか声が聞こえてきたのだ。

 その声は、「……勇者よ。目覚めるのです」……そうしきりに繰り返していた。


 気味が悪くて、祈りを終えた後にその事をシスターに相談をした。話を聞いたシスターは、俺の手を両手で掴み、目を輝かせた。


「すごい! それは神の啓示ですよ! あなたはきっと、神に選ばれし勇者なのですね!」

「ぼ、僕が勇者? いや、そんなわけが」

「あるのです! だって神様がそうおっしゃったのでしょう?」

「それはそうだけど……」


 神の言葉も、彼女の言葉も信じられずにいる俺。


「……」

「……っ。行きますよ!」

「えっ」


 そんな俺を見かねたのか、シスターは俺の手を掴んだままどこかに引っ張って行く。


「ちょっと、どうしたの?」

「あなたを、神の声を聞けるお部屋に連れて行きます!」


 シスターに引っ張られるままに進んでいくと、連れて行かれたのは教会の懺悔室だった。


「ここって……神様に謝る部屋だよね」

「ええ。そうです」

「……ここで神様と話せるの?」

「話せはしないです。ただ、ここで神の啓示を疑った事を謝罪すれば、新たな啓示を受け取れるかもしれないでしょう?」

「な、なるほど?」


 シスターは六歳にして大人顔負けの物言いや思考をしていたからか、当時五歳の自分にはよく分からなかった。


 分からないけれど、この子に嫌われたくないという単純な思考により彼女の言う通りにすることにした。


 床に膝をつき、両手を組んで神に祈る。


「あの……神様。あなたの言うことを——」

「ご啓示、です」

「あ、ごめん。神様、あなたのご啓示を疑ってしまい、本当にごめんなさい。これからは信じるので、どうか他の啓示をいただけないでしょうか」


 そう呟いた途端、本当に頭の中に再び声が響いたのだ。


 ——十年。


「え?」


 ——今日から十年間、一日もかかさずに肉体の鍛錬に励みなさい。


「た、たんれん、ですか」


 ——そして鍛錬を終える今からちょうど十年後、この世界に魔王が降臨します。


「ま、魔王!?」


 ——あなたは勇者として、魔王を倒さねばなりません。それがあなたに与えられた使命なのです。


「使命って、僕に魔王が倒せるのですか?」


 ——……。


 それ以降は、何を聞いても新たな啓示は得られなかった。


 目を開いた俺に、シスターがワクワクそうに声をかけてくる。


「どうです? 新たな啓示はもらえましたか?」

「うん、今日から十年間毎日肉体を鍛錬しろって」

「え、鍛錬ですか?」


 コテンと可愛らしく首を傾げるシスターに、もう少し詳しく説明した。


「今日からちょうど十年後に、魔王がこの世界に降臨するみたい。だから体を鍛えて魔王を倒せって、それが僕の使命だって神様は言ってた」

「なんと、魔王が……」


 シスターは口元を手で隠してはいたが、口角が上がっていた気がする。神の啓示を目の当たりにしてワクワクが止まらないんだろうな、ぐらいに俺は考えてたと思う。


 しかし、俺にとっては困惑しかなかった。いきなり神様に勇者として魔王を倒せだの、十年間毎日に肉体を鍛錬しろとか言われても五歳の少年には何をすればいいのか分かるはずもなかった。


「じ、十年間一日も欠かさずに鍛錬って。そんなことできるのかな」

「できます。いいえ、やらないといけません!」

「というか、鍛錬って何をすればいいの?

「一緒に考えましょう。そして頑張ってください。私も鍛錬のお手伝いしますから!」

「え。いいの? シスター」

「もちろんです!」

「ま、毎日?」

「はいっ、毎日です!」


 単純な感情だが、これから毎日シスターと一緒にいられる。それだけで何とか頑張れる気がした。


 それは憶測などではなく、俺はシスターのお手伝いを受けながら、十年間一日も欠かさずに肉体の鍛錬をやり抜いたのだ。


 本当に外がどんな天気でも、シスターはいつも笑顔で鬼のような鍛錬メニューを課してきた。


「ソ、ソロウちゃん! 風邪引いちゃうよ!」

「勇者は風邪なんて引きませんよ! それとソロウちゃんと呼ぶのはやめなさい! 私はもうあなたと同じ孤児院の孤児じゃなく、教会のシスターなんですから!」」

「ご、ごめんよ〜」


 雨の日も。


「こ、これはさすがにふっとばされるのでは!?」

「大丈夫です」

「根拠は!?」

「あなたが勇者だからです!」

「いつも思うけど、それは無理やりすぎない!?」


 風の日も。


 それでも、俺はシスターと一緒に過ごせるのが嬉しくて。そして、鍛錬をこなして鍛えられていく俺を見て嬉しそうに微笑むシスターが見たくて必死に鍛錬をこなし続けた。



 ——十年後、俺が十五歳でシスターは十六歳の年。

 十年前の神の啓示の通りに、この世に魔王が降臨した。


 その報告はこの国の中央都市からもたらされた。


『——魔王降臨せり。以降、魔物の生息地域は魔国と呼称する』


 魔王降臨という知らせに、国中が阿鼻叫喚の騒ぎになる。国民達の反応はそれはもう様々だった。


 この世の終わりだと死を覚悟する者。

 救いを求めて教会に入り浸る者。

 自分が魔王を討伐すると魔国へ攻め入ろうとする者。


 数週間その騒ぎは続いたが、とある街のとある教会の御触れによって、一気に沈静化する。


 そう、シスターのいるあの教会だ。教会の神父から王城に報告が入れられたのだ。「私の教会にて、神より魔王を倒す使命を与えられし者が現れました」と。


 その報告を受けてすぐ、俺は国王より王城に呼び出しを受けた。そして王公認の勇者として国から多種多様な支援を受け、魔王討伐の旅に出ることになったのだ。


 旅に出る直前、俺はシスターに気持ちを伝えるつもりで、彼女を呼び出した。


「じゃあ、シスター。行ってきます」

「はい」

「……あの、シスター。行く前に伝えておきたいことが——」

「——その必要はありません。私は信じています。あなたは必ず魔王を倒し、笑顔でこの街に戻ってくると」

「っ。そう、ですね。行ってきます!」


 この時、俺はもしも自分が死んだ時、想いを伝えられないままでは死に切れないと思っていた。シスターはそんな俺の不安を見抜いていたんだと思う。


 旅に出た俺は、仲間が増えたり減ったり、沢山の出会いや別れを繰り返しながら三年の月日を費やして魔国を蹂躙し、ついに俺は魔王城へと攻め入った。


 瀕死になりながらも魔王を倒し、俺はついに十年前に受けた神からの啓示を成し遂げたのだった。


  ——そして、魔王討伐から三ヶ月後の今。仲間達とも別れ、俺はようやく故郷に戻ってくることができた。帰郷中に訪れた街全てで魔王討伐の戦果を祝ってもらっていたので、少し遅くなってしまった。


「……元気かな、シスター」


 魔王討伐の旅に出てから三年と少し。俺は十八歳、シスターは十九歳になっている。一体彼女はどのような女性に成長しているのだろうか。そして、彼女は成長した俺を見てどう思うのだろうか。


 ……三年の隙間はあるが、俺の気持ちは昔から少しも変わっていない。年齢的にもお互いにそろそろ成人する歳だ。結婚を前提とした交際を申し込むなら、今がベストだと思う。


 勇者として使命を果たしたら、帰郷してすぐにシスターに想いを伝えよう。魔王討伐の旅に出るときにそう決めていたんだ。


「勇者様のおかえりだぁ!」

「ははは、皆ありがとう!」


 街に入った途端、住民たちから労いの言葉をかけられる。


 まだ魔王討伐のお祭り騒ぎが収まっていないのか、住民達はやけに楽しげで笑顔が溢れている。加えて仲の良かった人達はもちろんだが、どちらかというと嫌われていたと思う人までもが笑顔で出迎えてくれた。


 魔王討伐という功績にはここまで人からの評価を変えるものなのかと、内心戸惑ってもいた。


 しかし、一番俺を戸惑わせたのは、街中の路地の光景だった。


 俺の故郷の路地や路地裏は、小さめの貧民街だった。

 いつも多くの孤児や職や家族を失った浮浪者が、うなだれて地べたに座り込んでいる。


 実は俺もこの路地裏出身だった。シスターがまだ教会に入信する前、孤児だった時代に助けてもらった過去がある。


 孤児がまともな生活を手に入れるには、どこかの家庭に引き取ってもらうか、俺のように孤児院に入れてもらうしかない。


 しかしこの数十年はどこの孤児院も一杯の状況だった。俺が入れたのは、シスターが自分の分の食事や生活スペースを半分俺に分けると院に交渉してくれたおかげだった。


 シスターは俺だけでなく、余裕があれば他の孤児や浮浪者に食べ物を分け与えたりもするが、孤児院に入れてあげたりはしない。俺が最初で最後のようだ。とはいえ俺が特別なわけではなく、俺以降はもう受け入れてもらえなくなっただけだが。


 ——そして今。路地の光景はその頃とはまるで様変わりしていた。


「あっははは」

「うふふ」

「きゃははは」


 孤児や浮浪者が地べたに座り込んでいるのは今も代わりない。変わっているのは、その者達の様子だ。


 前は全員が下を向き、食べ物が恵まれるのをただ待っていた。表情も生きる希望なんてないような絶望感に溢れた表情だった。


 それなのに、今は全員が顔を上げていて笑顔で笑い声まであげている。これまでに俺は一度たりとも路地の住人で笑顔の人を見たことはない。ここで笑顔を見せるのは孤児達に微笑みかけるシスターだけだった。


 側から見て、状況は何も変わっていない。それなのにどうしてあんなに楽しげに笑っていられるんだろうか。


 魔王討伐は、孤児や浮浪者達にも幸せをもたらしたというのか?


(……なんだこれ。そう考えると、他の住民達の様子も違和感を感じてしまう)


 しかし、いくら考えてもこの違和感に答えなんて出ないことは明らかだった。


 どこかに違和感を覚えながらも、魔王討伐という成果にはそれくらいの力があるのかもしれないと自分を納得させることにした。





 ♢  ♢   ♢  ♢



 街の中心部に到達すると、俺は急いで教会へと向かう。


 なにせ三年振りなのだ。早くシスターに魔王討伐の報告をしたいと思っていた。


 教会の入り口の大扉を開き、中に入る。中は信者達でいっぱいになっている。ちょうどミサを行っているようだった。


(そうか、今日は日曜日だったか)


 曜日の感覚がなくなっていたことに苦笑し、俺も開いているスペースへと入りこむ。


 祭壇には司祭が立っており、その横には一人のシスターが付き添っている。


(……あ、シスターだ!)


 この教会には数名のシスターが働いているが、あれは俺の好きなシスターで間違いない。祈りの最中なので目は閉じているが、間違いないと思う。


 三年振りに見たシスターは、前よりさらに大人っぽい女性へと成長していた。


「……アーメン」

『アーメン』


 やがて祈りが終わり、この場にいる俺意外の全員が笑顔で顔を上げ、目を開ける。シスターも同様に顔を上げて目を開けた。


「……え?」


 ここでもシスターを含め全員が笑顔なのは変わりない。しかし、シスターにだけは他の者達とは決定的に違う部分があった。


 ——それは。


「……シ、シスター。どうして泣いているんですか?」


 シスターだけが、目から大粒の涙を流しているところだった。

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