盗まれたプラネタリウム

クロノヒョウ

第1話





 僕は確かにプラネタリウムを持っていた。

 あの日までは、確かに。


 『まるでプラネタリウムにいるかのような癒しの音色』

 『美しい音を奏でる天才少年あらわる』

 小学生の頃から数々のピアノコンクールで優勝していた僕は、記事にそう書かれたことで『プラネタリウムピアニスト』と呼ばれるようになっていた。

 中学、高校では作曲もし、有名なアーティストに曲を提供するほどにまでのぼりつめた。

 プラネタリウムのように、実際に僕の頭の中では宇宙と、そして輝く星たちが様々な音を奏でていた。

 それをただ音符として譜面に書いていただけだった。

 それなのに、ある日突然、僕の中のプラネタリウムが消えた。

 あれは音大に入ってすぐだった。

 すでに名を馳せていた僕の周りにはいつも人が集まっていた。

 みんなは『本物のプラネタリウムピアニストだ』『すごいね』『いい曲だよね』と言っては僕のことをちやほやしていた。

 ただ一人の男をのぞいて。

 彼はそんなふうにもてはやされている僕のことをいつも遠くから眺めているだけだった。

 人の輪の中には入ってこない。

 でもいつも僕のことを見つめている。

 嫉妬なのか何なのか、無表情で見つめてくる彼のことが気になってしかたなかった。

 そして僕はあの日、彼に声をかけた。

 誰もいないピアノの個人レッスンルーム。

 彼が一人でレッスンしている部屋に入ってしばらく彼の演奏を聴いていた。

 僕は衝撃を受けていた。

 なんて綺麗な音色だろう。

 それになんて優しいんだ。

 しかも一曲の中に出会い、喜び、悲しみ、別れ、そして希望のような、まるで人生のような物語がある。

 こんな音を出せる人がいたんだ。

 そう感動しながら僕は思わず彼に近づいていた。

「ねえ、もしかして僕のこと、嫌い?」

 僕がそう言うと、彼は弾いていたピアノの手を止めて僕を見上げた。

「べつに君のことは嫌いじゃない。でも、君の中のプラネタリウムは嫌い」

 彼はそう言うと立ち上がって、僕の頭に触れた。

「なに!?」

 驚いた僕はその手をはじき返していた。

 彼の手がものすごく冷たかったのを覚えている。

 そして彼は何も言わずにレッスンルームから出ていってしまった。

 それからだ。

 僕の頭の中から音が消えた。

 いくら音楽を聴いてもピアノの前に座っても、僕の中から音が産み出されることはなかった。

 僕のプラネタリウムが盗まれたと思っていた。


 音を産み出すことができなくなった僕が世間から見放されるのはあっという間だった。

 作曲の依頼はすぐになくなった。

 コンクールに出てもうまく弾けなくて散々だった。

 音大の仲間たちももう誰も僕に話しかけてこなくなった。

 そうなるともう、僕は家から出ることすらできなくなっていた。

 ずっと家にいて考えていた。

 彼のこと、彼のピアノのこと、彼が言っていた言葉のことを。

 彼は僕の中のプラネタリウムが嫌いだと言っていた。

 今思えば僕の中のプラネタリウムとは何だったのだろう。

 宇宙に星がたくさんあって、それを音にしていた。

 あの美しく、綺麗な星たちを。

 ただそれだけだったのに、それが嫌いだった?

 どうして?

 考えても答えが見つからないまま、気づけば一年という月日が経っていた。

 休講届けを出してはいるが、そろそろどうするか決めなければならない。

 このまま音大を辞めてしまうか、それとも復学するか。

 そう思っていた時、ネットのニュースが僕の目に飛び込んできた。

 それはあの彼がピアノコンクールで優勝したという記事だった。

 僕の手は無意識に彼が演奏している動画をタップしていた。

 そうだ、これだ。

 あの日聴いた人生の物語のような曲。

 出会い、喜び、悲しみ、別れ、そして希望。

 僕は彼の演奏を聴きながら涙を流していた。

 やっとわかった気がした。

 人生は美しいだけじゃないんだ。

 綺麗なだけじゃない。

 つらいことも悲しいことも、絶望することだってある。

 僕が演奏していたのは綺麗なものだけだった。

 そんなの楽しくも美しくもなんともない。

 嫌なことや苦しいことを乗りこえてがんばったから喜びや楽しさがわかるんだ。

 何かを乗りこえてがんばってきた人たちはなんて美しいのだろうか。 

 そしてその先の希望を見る人たちの輝き。

 それはどんな星たちよりもきっと輝いていることだろう。

「ありがとう」

 僕は泣きながら画面の向こうの彼にお礼を言っていた。

 彼は僕に教えてくれたんだ。

 小さい頃からちやほやされて何の苦労もしてこなかった僕。

 そんな僕の中のちっぽけなプラネタリウムは彼にとってはとてもつまらないものだったのだろう。

 彼は僕の中のプラネタリウムを盗むと同時に、本物の宇宙を見せてくれた。

 僕は彼の演奏を聴いて、彼の才能を目の当たりにして落ち込んだ。

 そして音を失くしてしまった。

 でも大丈夫。

 もうきっと大丈夫な気がする。

 だって今、僕の頭の中に広くて大きなプラネタリウムが現れたんだ。

 そしてそこにいるたくさんの星たちが、喜び、悲しみ、そして希望という、たくさんの音を奏で始めているのだから。



           完





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