清少納言、令和に立つ
金澤流都
第一章 清少納言、あらわる
1 清少納言、あらわる
僕が押し入れを開けると、華やかな装束に身を包み、横に硯と筆と紙を置いて、生八ツ橋を食べている長い髪の謎の人物がいた。
押し入れを閉める。変なものを見てしまった。どうやら学校のストレスで疲れているようだ。ないない、大河ドラマから抜け出てきたようなお公家様の女の方が、どうして我が家の押し入れから出てくるのか。
それにこういうのって押し入れじゃなくて机の引き出しから出てくるものでは? と思いつつ、布団をしまわねばならないのでまた押し入れを開ける。
「生八ツ橋、ちょーうまいねー」
謎の人物はもっくもっくと生八ツ橋を食べている。なにやら悪い夢を見ているような気すらしてきた。
「あの、どちらさんで?」
「あたし? 清原なぎ子! 中宮さまには清少納言って呼ばれてるよ!」
完全にお呼びでない人が現れてしまった。僕としては未来の世界の猫型ロボットとか、撲殺天使とか、もっとこう……楽しい人に出てきてほしいところだ。
清少納言って、国語の古文の授業に出てきたあの人だよな。「春はあけぼの、ようよう白くなりゆく山ぎわ、すこしあかりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」の。
ここより先はどうしても覚えられなかった。僕の脳みその性能はすこぶる微妙なのだ。
清少納言は押し入れを出ると、部屋の中をきょときょとと見まわした。
「せまいねー。でもたたみがいっぱい敷いてあるねー。すごーい」
それは褒めているのか、けなしているのか。
清少納言は長い着物を引きずりながらすたすた歩いて、僕の部屋のドアに少し苦戦して(ドアノブを回すという概念を知らなかったらしい)、階段をとことこ降りて茶の間に向かった。
茶の間では我が家の文筆業者1号2号が、それぞれパソコンやらポメラやらに向かって文章を書いていて、清少納言が現れたことになかなか気づかなかった。
「タビトおはよう、マロきゅんにご飯あげて……だれ!?」
文筆業者2号こと母さんが素っ頓狂な声を上げた。タビト、というのは僕のことだ。漢字は旅人と書くのだが、これだと「たびびと」と読める普通の言葉なので、家族や友達はカタカナのイントネーションを使っている。
「初めまして! 清原なぎ子です!」
「清少納言!?」
「えっなに珠子ちゃん。だれ? 清少納言?」
文筆業者1号がポメラから顔を上げた。父さんである。珠子ちゃんというのは母さんのことだ。
「清少納言って何書いたひとだっけ? ホージョーキ?」
「枕草子だよ父さん」
「マクラノソーシかあ。理解理解……初めまして、比野宗介といいます。こちらは妻の比野珠子、これが息子の比野旅人。こっちが猫のマロきゅん」
マロは知らない人が相手でも怖がる様子はなく、のこのこと清少納言にすり寄っていって頭を十二単にすりつけた。
「やだ! 猫ちゃんかわいい! やば!」
ギャルみたいな語彙の清少納言は、かがんでマロをよしよしした。マロは全体に黒っぽいハチワレ猫で、お腹が白い。しっぽをぴんと立てているところを見ると清少納言を気に入ったようだ。
「えっ、ちょっと待って……宗介さんもマロも適応早すぎ……朝ごはん4人前用意しなきゃじゃん」
母さんがあわあわしている。母さんは夜に次の朝の朝ごはんを仕込むのが日課なので、たぶんいい塩梅に冷えたナス味噌炒めとか焼くだけでオッケーのフレンチトーストとか、そういうものが仕込まれているに違いない。
とにかく僕は僕の仕事をする。マロにキャットフードを食べさせねばならない。マロは父さんが作家仲間の家で生まれたのを家族の了承を得ずにもらってきた猫だ。母さんは父さんに「ちゃんと宗介さんが世話をしてくださいよ」と言ったのに、結局僕が世話をしている。
マロの食器にカリカリを入れる。マロはおいしそうにカリポリ食べている。
「令和の猫ってこういうの食べるんだねー。やばー」
平安時代の猫の食生活について聞いてみようかと思ったが、母さんがパソコンを閉じててきぱきと料理を始めたので手伝う。どうやら、食パンに切り目を入れてチョコを挟み、ココアに漬けておいたチョコレートフレンチトーストを作るらしい。なるほどこれでは清少納言のぶんは用意していないだろう。
清少納言のぶんはふつうの、チーズと蜂蜜のクワトロフォルマッジョ風のトースト……と思いきや、母さんがチーズのトーストで、清少納言がチョコレートフレンチトーストらしい。
「こっちの時代のおいしいものに慣れていただかないと」
「わーなにこれ、ヤバい色してるけど超いい匂いする! いただきます! てかこれどうやって使うの?」
清少納言はナイフフォークを見て困惑している。母さんが使い方を説明するときれいに半分に切り分けた。切り口からチョコレートがとろりと出る。
「珠子さん、半分こしましょーよ。そっちのもおいしそーだし。母親だけおいしいもの食べらんないとかマジありえなくないですか」
「清少納言さんのやさしみすごい……! じゃあこれも半分どうぞ」
なんで僕たちは、当たり前に清少納言と食卓を囲んでいるのだろう。よくわからないのだが、そういう大らかなところが我が家のいいところである。
清少納言はチョコレートフレンチトーストをうまうまと食べ、蜂蜜チーズトーストもうまうまと食べた。
こうして、ごくごく当たり前に、我が家に清少納言が棲みつくことになった。清少納言という名前は、語呂が猫型ロボットの名前に似ていなくもない。
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