王女様の替え玉用ホムンクルスに乗り移ってしまった

於保育

第1話

 ああ、つまらない死に方をした。


 進学先の中学で上級生に待ち伏せされ、一方的にボコられ人生を終えるとは。


 きっと神様も、死んでしまうとは情けないと軽蔑する事だろう。


 一対一なら、一人ぐらいは何とかできたんですがね。


 実際、最初の相手には鼻血を出させてやった。


 まあ、今さらそんな話をしたところで、何の土産話にもならないが……。


「ほう、これが我らの傀儡となるホムンクルスか。いやはや、王女殿下に瓜二つだな」


「ヒヒヒ、これまで採取してきたサンプルを念入りに研究した結果、歯形まで同じとなっているはずで御座います」


「それは素晴らしい。事が済んだなら、同じものを私にも一体作れ。これまで散々邪魔をしてくれた鬱憤を晴らしてやるわ」


「ヒヒヒ、それはよう御座いますね。少々お時間を戴く事となりますが、必ずご用意させて戴きます」


 何だろう。不鮮明ながら、外から声がする。


 まるで海に潜っているとき、上から友人に呼び掛けられた時のような。


『お、俺は関係ない……呼ばれただけだから……』


 上級生が待っていた場所へ僕を連れ出したのは、よく一緒に遊んだ同級生であった。


 彼を庇った結果、僕に標的が変わってしまったのだが、本当はどうだったのだろう。


 元から僕は、彼に嫌われていたのではないか?


 もしくは何か気に障る態度を取ってしまい、上級生に殺させる決断をしたのではないか?


 いったい、何を間違えてしまったのだろう。


 全て終わってしまった事だと言うのに、失意と戸惑いが尾を引き続ける。


 これが、亡霊になると言うことなのだろうか。


「ん? 今少し、水槽の中で動かなかったか?」


「ヒヒヒ、ご冗談を。これは死んではおりませんが、覚醒は未だ先に御座いますよ」


「そうか……まあ、何にせよ。これで準備は整ったな。あとは、あの小娘を拐って亡き者とし、我々が発見した事にしたこの替え玉を傀儡とするだけ。ハハッ、何と愉快な話だ」


「私も此度のホムンクルス製作は実に楽しませていただきました。これの骨格はアダマンタイト製を採用しており、ヒュドラの毒にも耐性を持つ他、小振りのドラゴンにも匹敵する筋肉や腱を採用しておりましてーー」


 うっすら開いた瞼の向こうで、二人の男が話している。


 身なりのよい壮年と、ローブを纏う痩せた男。


 どちらも外国人……? なんだろう、この夢は。


「ああ、そうかそうか。とにかく、貴様の素晴らしい仕事には感謝している。では、私も仕事に向かうとするかな」


「ヒヒヒ、ご武運をゴールドバーグ公爵様。今後も何卒、我々魔術師ギルドを御贔屓に」


「勿論だ。貴様のおかげで、あの忌々しい王女を遂にこの世から消してやれるのだからな。では、手筈通りに」


 消す? 王女? 映画を見ていた時の走馬灯か?


 それにしては、妙に肌感覚へ訴えるリアリティがある。


 歩き去る男を恭しい礼で見送ったあと、男は僕のほうへと歩み寄り、恍惚の表情を浮かべる。


「嗚呼、錬金術師として、これ以上の完璧なホムンクルスを造り上げた人間がいただろうか! いや存在しまい! この私を除いてな! さあ我が子よ! 今この世に産声を上げるのだ!」


 そう自画自賛の快哉を挙げながら、彼は脇にあった装置に手のひらを翳す。


 それが淡く光ったかと思うと、次の瞬間、周囲を満たしていた水分が急速に抜け始めた。


 音を経て排出される溶液が抜け、それが鼻や口元より下の水位になった時、自身の気道を通り出てきた水に思わず咳き込む。


「うっ、けほ、けほっ!」


「ははは、慌てるな。お前の体は水中に含まれる酸素も取り込めるようにできている。落ち着き、ゆっくりと回数を分けながら吐き出せばよい」


 言われた通り、噎せた苦しさで視界を滲ませつつも、水分を出して通常通り酸素を取り込める状態となる。


 体に入っていた溶液のせいか、声がおかしい。喉にも、妙な違和感がある。


「ヒヒヒ、いい子だぁ。素直に指示を理解し遂行できるとは、さすがワシの製造物よ。さあ、こちらへ来なさい」


 装置が開くと、ローブの男は踵を返し歩き出してしまう。


 薄暗がりの中、仕方なく後を追って行く。


 なんだろう、少し胸が痛いと言うか、重たい。体は無事に動いているのに、変な感じだ。


 水に漬かっていたせいだろうか。とりあえず、何か着させて欲しい……。


「さあ、まずは検査だ。そこへ寝ろ。表面上は取るに足りない人間として振る舞わねばならんのだからな」


「こ、ここスか……?」


「うむ。仰向けに寝たら、体を楽にするように」


 言われるがまま、診察台と言うには禍々しく見えるそこへ乗る際のこと。


 先ほどより明るい場所であるが故に、体の違和感に気づいてしまった。


「え……な、なに、この胸。女みたいな……肥田君の乳みたく……ね、寝たきり生活でデブった……?」


「何を騒がしくしておる。ほら、早く上体を寝かせてーー」


「いや、腹は別に出てなーーな、無い!? なんで!?」


「ど、どうした! 何がないのだ!?」


 ローブの男が、慌てて僕の股間を覗き込む。


「な、ないんです! 付いてたのが跡形もなく! ほら!」


「……とくに問題なく、一般的な性器に見えるが……?」


「いや! 付いてないっスよ! ほらっ、玉も竿も!」


 半泣きで訴えたものの、男は顔を話したのち、一人首を傾げるばかりであった。


「まさか調整の過程に狂いが……? 脳の機能に問題はなかったはずだが……」


「い、いや! そんな事よりこれ、どうしたらいいんですか!」


「慌てるな。お前の体は王女殿下と同じ造りをしておる。女の体とは皆そういうものだ」


「お、女……? なんで俺が……」


 外国人と普通に話せてるとか、異様な状況下に置かれてるとか。


 それらを抜きに、僕を最も動揺させているのがそこであった。


 と言うか、声を出すときの違和感がある理由に気づいた。


 喉仏がなくなってるんだ。それで声も女みたいになっちゃってるんだ。


「どういう事だ……? 脳の性自認が男? そもそも話し始めるのが早いし、自我も明瞭過ぎる……」


「あ、あの、どういう事でしょう。俺、元の体に戻れたりとかは……」


「元もなにも、それがお前の体だ。お前は私が造り上げたホムンクルスなのだ」


「ほむ……? なに……?」


 困惑する僕へ、男は得意気に胸を反らす。


「ホムンクルス。つまるところ人造人間の事だ。貴様はこの私が造り上げし、一体目の完璧なホムンクルスなのだよ! どうだ凄いか!」


「す、凄いは凄いス……つまり、クローン人間とか、そういう話ですよね」


「クローン……? 概念的には少々異なる。細胞を同じくする部分もあるが、貴様はオリジナルを超えた完全体! 言わば人間を超越した存在なのだ!」


 そういえば、骨格がアダマンタイトだのヒュドラの毒にも耐えるだのと言っていたな……。


「そして私は! 人間をより高次の存在へと引き上げた創造主! 歴史に残すべきその名はーー」


「あ、あの。貴方が凄い人なのは分かりましたが、俺はこれから何をすればいいんですか……?」


「貴様は今からあの世へ行く王女に成り代わる。ゴールドバーグ公爵の敵対組織から情報を盗み、破壊し、最終的にはゴールドバーグ公爵様の御子息と結婚するのではないか?」


「けっ、結婚しなきゃならないんですか!?」


「全く惜しい話だ。しかし安心してくれ。貴様を作る時に得た骨格筋力の強化は、次のホムンクルス製作に必ず活かすと誓おう」


 なんだか僕、とんでもない陰謀に巻き込まれたのでは……。


「ところで、その……王女を暗殺するとか仰ってましたが、どんな方なんでしょう」


「現王位継承権最上位だが、現在優位な啓蒙派とは距離を取ろうとしている。それが派閥トップであるゴールドバーグ公爵の邪魔になっているのだろう」


「その、殺されなきゃいけないほど、悪い人なのでしょうか」


「人の生死に善悪は無関係だ。私は自由に研究をさせてくれるゴールドバーグ公爵の下に今はいる。保守派どもとて、内心では不老不死や若返りと言った俗物丸出しの願望を抱えているだろうに」


 ローブの男は、一頻り語り終えると溜め息を吐いた。


「人の生死に、善悪は無関係……」


「そうだ。そんな尺度では恣意性の介在を許すばかりだ。力の裏付けなくして物事は動くものではない。その点、あの王女は愚かだ。古きよき保守に幻想でも見ているのか知れぬが、それがなぜ滅ぶに至ったかを考えれば到底指針として選ぶ価値はない」


 正直、ろくに情報も無いまま正しいのはどちらか、など軽率には決められない。


 政治が利益についての決定の場なら、揉め事が起きるのも必然だろう。


 それでも、騙し討ちで相手を消し、事を都合よく運ぼうとするとは……。


「もっとも、ゴールドバーグ公爵が目論見通り院政を敷くに至ったとして、それもいつまで続くか知れたものではないがな……ん、どこに行った?」


 診察台から起き上がった僕は、先ほどの場所へ戻ってから壮年の男が出ていった方向へ向かった。


 途中、布切れがあったので拝借して巻き付け進むと、豪奢な馬車がちょうど出るところであった。


「事は手筈通り進んでいるのだろうな」


「勿論です。極右の犯行を装い、後に連中を一網打尽にする手筈も整っております」


「ならいい。ふんっ、中央の富に寄生する自堕落な田舎者どもめ。仮に幾らか残ったとしても、貴様らに戻る御輿が根こそぎ破壊し尽くしてくれるわ」


 田舎あってこそ、都市に食料や物資や若い労働力を供給できるんじゃないですかね。


 地方出身者として一人ごちながら、馬車の屋根へと飛び乗る。


 猿飛佐助にでもなったが如く、軽々と音もないまま張り付く事ができてしまった。


 この体で体育テストを受けたら、新記録連発は間違いなしだな。


「襲撃場所は、ちょうど峠だったな」


「はい。そこに極右を装わせた兵らを用意しました。我らが付く頃には終わっているはずです」


「ふん。忍び込ませた間者にも気づかん間抜けを王位になど就かせられるか。あの得たいの知れん化物を皇后に迎える息子には申し訳なく思うが、即位が済んだら替え玉も用済みでいいだろう。関わった連中も全員漏らさず消すように。しくじれば貴様もその中の一人だ、よいな?」


「か、畏まりました……」


 黙って従っていても消されるのか。よし、腹は決まった。


 王女殿下側に加勢するとしよう。そっちだってクズかも知れないが、会わずに決めるのはよくない。


 峠が見えたら、馬車を追い越し真っ直ぐ走る。


 間に合うことを祈りながら、僕は王女が馬車内の公爵よりはマシな事を祈っていた。



「今日の会談、子爵の身で口にするのは金の話ばかり。真に国を憂う者は極僅かですね」


 嘆息する乳姉妹にして側近を務める彼女を、王族特有の青い目をした少女が静かに窘めた。


「クレア、そんな事を言ってはいけないわ。彼らも中央が科す重税に苦しんでいるの。治水対策に予算が必要なのよ」


「金がないのを何とかするのが知恵です。だいたい予算が出ていた頃だって、いったい何割を仲間内で懐に入れていた事やら」


「過不足なく地方を統治してくれるなら、幾らかなら目を溢すわ。それに仲間内だけで濡れ手に粟をしているのは、中央だって同じ」


「我々は違いますよシャアリー様。国を正しい方向に導こうとしている。悪いのは全て、国益を流出させてまで地位を得てきたゴールドバーグ家ですよ」


 ゴールドバーグ公爵家。複数ある王位継承権を持つ貴族のうちの一つである。


 が、その地位は長年、公爵位の中では最下級に位置していた。


 前の代での政争に敗れた結果、爵位の降格は免れたとは言え中央での利権争いからの排斥を余儀なくされた。


 そんな彼らが覚えた屈辱の深さは、底が見えない。


 何せ他国の商会からの献金規定が緩くなったのを皮切りに、支援を受けながら国内の経済基盤を破壊してまで地位を高めてきたのだから。


「金儲けしか考えていない丁稚商人風情に顎で使われ、恥ずかしくないのでしょうか。あんな売国奴が国政に大きな影響力を持っているなど、到底許されることではありません」


「献金の合法範囲を拡大することに合意してしまったのは、当時の保守派もそうよ」


「今は違います。各派閥が争いを止め協調し、一丸となって国難に立ち向かおうとしています」


 結果として単なる反啓蒙派の寄り合い所帯と化し、政策の優先事項も決定しきれぬ有り様。


 既に多くが切り崩され離反、または失脚の末に没落し、貴族院での過半数も失っている。


 この会話とて、今まで二人の間で何度も交わされてきた会話だったが、クレアの納得を得られた例はない。


 彼女とて王都の学院で共に勉学に励み成績にも優れているのだが、その能力の使い方は千差万別という事なのだろう。


 むしろシャアリーにしてみれば、都市派としての考えを持ちながら未だに味方で居続けてくれるクレアには感謝しかなかった。


「啓蒙派にも国の事を考えている人たちはいるわ。だからこそ、地方の陳情を聞いて回って、彼らの声を代弁しなければならないの」


「その結果、シャアリー様が国費を垂れ流して地方の支持を金で買うと無知蒙昧の輩からすら批判されているのに、ですか?」


「言わせておきなさい。お祖父様もお父様も言われてきたことよ」


「あっ、いえ、その。陛下や先代の陛下を批判したわけでは。失礼しましたっ」


 最後に大戦が起きたのが、およそ八十年ほど前。


 戦争のリスクがあれば、侵攻に備え地方にも力を持たせざるを得ず、また兵の数を増やす目的な敵のプロパガンダに流させない為に国民も大切にされる。


 逆に平和が続けば、力を持つ地方は中央の邪魔となり、皮肉な事に労働者は能力も命も安く買い叩かれる。


 そうして弱った国が侵略を受けてと言うのが、繰り返される歴史と言えばそれまでだが。


 祖父は名君としての誉れ高く、波乱万丈ながら幸福な一生を終えた。


 しかし、現国王である父は違った。


 国父として大きな失策も犯さずにきた父であるが、王位に就く前からカリスマ性が無いと国民からすら揶揄されてきた。


 それでも誠実に、実直に務めを全うしてきた彼だが、実は保守派からも受けは芳しくない。


 彼らも代を重ねるにつれ、今現在の実体経済や国民生活より、歴史戦や先祖の武勲に偏重し過ぎた者も増えてきた。


 鬱積が溜まっているのは理解するが、それでも彼らから透けて見えるニュアンスは共通している。


 先代に比べ、今の陛下は物足りない、と。


「でもお父様、先ほど来ていたお客様は、お父様の陰口を言っていたわ」


「シャアリー、そんな事を言ってはいけないよ」


 なぜ、そんな相手の嘆願を考慮せねばならないのか尋ねると、父は苦笑いを浮かべながら私を叱った。


「彼の領地の税を免じる事で、飢饉に苦しむ領民たちを助ける事ができる。それに補助金も出せば、来年も村から離散せず農作物を作ってくれ、安定した税収に繋がる。違うかい?」


「領民だって今は困ってるからお父様を頼るだけよ。また作物が採れるようになれば、どうせ口さがなさも戻るわ。お父様だって、また血税を無駄にしたと陰口を言われる」


「いいじゃないか、不服を言えるだけの余裕が戻ったんだから。そもそも信用ある通貨を発行していられるのだって、安定した経済基盤や生産能力が確保されているからなんだ。自分たちの国で賄えるほど作れなくなって、他所から買うために通貨を濫造しては本末転倒だろう?」


 そう優しく窘めてくれた父は、近年めっきり病に伏せがちだ。


 長年の心労も祟ってか、髪も老人のように白く、笑ってくれても顔は皺だらけ。


 刻苦の果てに刻まれたそれすら、嘲りの対象となるのだから世の中は救えない。


 一方、さほど年齢も変わらないゴールドバーグ公爵は、少々顎が弛み始めた程度と若々しい容姿を保ち続けていると言うのに。


「それにしても、妙な胸騒ぎがします。地方は足を引っ張る極右の巣窟になっていると聞きますが」


「考えすぎよ。こんな寂れてしまった田舎に、そんな元気な方々がいるなら逆に感心するわ」


「笑い事ではありません。奴ら後先も考えず、陛下やシャアリー様に不敬な連中ばかりなんですから。無能な味方は敵より悪いと言いますが、言うに事欠いて奴らとくればーー」


 クレアの言葉の途中、窓が割れ何かが入り込んできた。


 シャアリーが何事かと思うより早く、クレアが彼女を引き倒し、そのまま覆い被さる。


「敵襲か! 無事なものは!?」


「御者がやられた! 王女殿下は!?」


「ご無事だ! 必ずお守りするぞ!」


 そのまま矢に狙われ続ける中、クレアが同じく護衛につく前後の馬車に声をかけた。


 そうして、起き上がろうとした彼女を再び伏せさせる。


「このまま突っ切るため、御者を守りに向かいます。どうかこのまま、お伏せになって」


「行っては駄目。殺されてしまうわ」


「ご安心ください。シャアリー様の御身は、必ず御守り致します」


 そう微笑む清々しさは、無私の精神が宿った別れの笑みだからか。


 首を振るシャアリーに一礼するや、クレアは外に出て行く。


 そうして、しばしの間だが馬車は走り続けた。


 御者を守るよう剣を振るって矢から守った結果だろう。


 が、矢を受け続けた馬から限界を迎え、遂に逃走劇は終わりを迎えた。


 先頭の馬車を牽いていた馬が息絶え倒れ、馬車も横転。


 道を塞がれた後続が立ち往生や追突などする間に、他の馬も射殺されてしまった。


「総員、二番目の馬車を死守せよ! 指一本触れさせるな!」


 それでも、息のある護衛たちは決して逃げ出さない。


 取り囲む敵との人数差は、今さら比べるまでもない。


「王女を渡せ。さすれば命までは取らん」


「王女殿下の馬車と知っての狼藉か! 貴様らこそタダでは済まんぞ!」


「貴女は時期国王には相応しくない! 今ここで死んで戴く!」


「黙れ賊ども! 全員まとめて錆にしてくれる!」


 そうして、遂に始まってしまった乱戦。


 護衛たちも精鋭とあり決死の粘りを見せるが、それでも一人、また一人と数を減らしていく。


「気をつけろ! 賊にも何人か強いのがいる!」


「カーリーが殺られた! 俺もそろそろ駄目だ! 今何人残ってる!?」


「怯むな! アイザック王国に栄光あれ!」


「絶対に王女殿下を死なせるな! 持ち場を死地と心得ろ!」


 騎士が忠節の為に死ぬ理由とは、果たして何か。


 名誉、残される家族の保障、戦う喜び。


 それらは人の数だけある事だろうが、クレアのそれは友情であった。


 母が乳母に選ばれた事から王女の乳姉妹として育った彼女にとり、シャアリーは面倒見のよい姉のような存在。


 何をするにも後ろをついて回り、一緒に遊んでくれなければ駄々を捏ねる。


 そうして嫌われたかと自己嫌悪に陥るたび、隣で落ち着くまで慰めてくれる。


 そんな愛しき次期国王の為、彼女は努力を重ね実力で側近としての地位を勝ち取った。


 今、腹部に矢を受けるまで戦い抜けたのも、そんな日々の積み重ねの賜物だろう。


「ぐっ、ごぽッ……」


「クレア!? クレアしっかりして!」


「いけません……シャアリー様、お逃げ下さい……」


 血を吐きながら、なおも彼女を心配するクレアに応急処置を施しながら、シャアリーは言い放った。


「私の首は差し上げます! ですから、まだ息のある者たちだけでも治療を受けさせて下さい!」


「残念ながらそうはいかん。最初から貴女方には全員、消えて貰う予定だった」


「そんな……最初に私の命が目的だと仰ったはず! 他の者たちは関係ないじゃないですか!」


「ギャハハァ! まったくバカな王女様だぜぇ! 国家財政の敵め! 膾切りにして立派なオブジェにしてやらァー! ガッ!?」


 そう言いながら襲撃者の一人がシャアリーの元へ近づくも、彼の胸から唐突に剣先が飛び出す。


 その刺突を繰り出したのは、まさかの同じ襲撃者であった。


「ぐ……なんで……俺は味方……」


「黙れ汚らわしい。最初から貴様の味方だった事などないわ」


 他の面々も、次々に打ち倒される光景に、王女側は困惑するばかりである。


「な、何を……」


「仲間……割れ……?」


 そんな彼女たちを尻目に、他の賊は皆切り捨てられてしまう。


 残ったのは、先ほど戦っていた中でも攻撃の中核を担っていたものたち。


「シャアリー姫殿下、このような無礼、まとこに申し訳ありません」


「貴方たちは、いったい何なのですか。どういった目的で、こんな事を……」


「姫殿下、我々も貴女を憎んでいるわけではないのです。王族の方を手に掛けたいわけではない。どうか、我々と共に来ていただけませんか。もしかすれば、命だけは助かる可能性もあります」


「その命とは私の騎士たちのものですか? 全てはそれ次第です」


 しばしの無言の後、襲撃者の男は溜め息と共に頷いた。


「わかりました。おい、お前ら。一応、応急処置をしろ」


「よ、よろしいのですか? 勝手にこのような事を……」


「なら貴様が、代わりに姫殿下の首をはねてくれるのか?」


「……わかりました。おい、まだ息のある奴がいたら手当てだ」


 渋々、と言った様子での救命措置。


 その卒のなさは、彼らが単なる賊でない何よりの証拠であった。


「シャアリー様、いけません……今からでもお逃げを……」


「ごめんなさい。でも、もう遅いわ」


「信じては……いけません……殺される、だけです……」


 クレアの言う事が、正しいのだろう。


 シャアリー自身、自らが助かるとは夢にも思っていない。


 いかに襲撃者に王族を殺す事への抵抗感があろうが、ここまでの事態を引き起こした黒幕が、軟禁などと言う手ぬるい手段を選ぶとは考えにくかった。


 共に剣を取り、戦って散るべきだったか。


 こんな場所で、救援が間に合うはずもなし。


 治安維持の見回りだって、窮乏した領地経営を理由に最低限すら出せずにいると言っていたではないか。


 結局、国家の弱体化を食い止められなかったのが死の要因か。


 弱った父を思い浮かべ、彼を悲しませる結果となったなと感慨を結ぶ。


「姫殿下、処置は済みました。さあ、どうぞこちらへ」


「いけません……シャアリー様……」


「皆の事、どうかよろしくお願いいたします」


「よし、お前ら。捕虜を馬車に積め。このまま合流したらーー」


 そうして覚悟を決め、敵の手に渡ろうとした、その瞬間。


「がああああ!」


 なぜか耳馴染みのある咆哮を挙げながら、何者かが襲撃者の一人に飛び蹴りを浴びせた。


 素足にも関わらず、その蹴りは鎧ごと中身を潰し、背後からまともに受けた男は倒れたまま動かなくなる。


「な、なんだこの女! ギャッ!?」


「ヒイイイッ! は、半裸の女がこっちに!」


「う、嘘だろ!? その顔は、でもっ、グフッ」


 剣を受けても、表面が斬れるだけで腕も断たれず。


 先ほどまで王女側を追い込んでいた襲撃者たちを、素手のまま次々と無力化していく圧倒的暴力。


 そんな彼女に、背後から骨と骨の間を狙った突きが襲いかかる。


「危ない!」


 思わず叫んだシャアリーの声に反応してか、辛うじて体を捻りながら倒した事により剣は肩の肉を削ぐに止まった。


「痛ってぇ……クソッ」


「痛いのはこっちのほうだ。いったい何なのだ、貴様は」


「は? ホムンクルスだ何だと言われたが大して知らねーよ。手前こそ誰だ、何とかハンバーグ公爵とやらの手下か」


「ゴールドバーグ公爵!? では今回の襲撃は……ッ」


 ホムンクルスと名乗った少女が出した名前に、襲撃者たちの表情が色を変える。


「理解しているのか? 貴様が今口にしたのは、取り返しがつかないお方の名なのだぞ」


「手前らこそ、この惨状を起こしといて無事で済むと思ってんのかよ。あ? この殺人犯どもが」


「ほ、ホムンクルス……じゃあ、シャアリー様と瓜二つの見た目なのも……」


「あー、何か王女内親王殿下? の替え玉らしい。最終的にハンバーグ公爵のガキと結婚させられたあと、ほとぼり冷めたら殺すって言われてな」


 怒気を放ちながら語っていた彼女だが、シャアリーを見るや少し緊張した面持ちとなる。


「その、内親王殿下であられますか」


「あ、はい。私がアイザック王国第一王女、シャアリー・アイザックです」


「こ、これはご丁寧に。すいません、王族の方への態度とか礼儀、ちゃんとしてなくて……」


「い、いえ、お気になさらず……って、話してる場合じゃないです後ろっ」



 鋭敏な感覚と敵の影を頼りに、攻撃を交わして反撃を狙う。


 腕を斬られつつ蹴りを浴びせるも、目視も態勢も不十分だった為、掠る程度しか当てられなかった。


 しかも切り返しで、足を少々斬られた。脛側にてブロックしていなければ、脹ら脛を豪快に抉られていたことだろう。


「あー、痛ってぇ……肉を斬らしてやってんのに骨も断てんのかよ」


「ホムンクルス風情がいい気になるな。我々の事情も知らずして」


「都合の悪い相手を暗殺で消そうって輩が、都合よく手前の可哀想な事情をひけらかそうとしちゃ、いけねぇよなあ? ん?」


「……下劣なチンピラが。貴様の存在は姫殿下への冒涜でもある。さっさと死ね! 化物!」


 そうして格闘するも、口ほどにもなく僕の肉は削られるばかり。


 これだけ負傷を積み重ねれば、さすがの特製ボディも精細を欠き始める。


「……化物とは言え、それだけの手傷を負ってよく立っていられるものだな」


「はっ、余裕かよ。嘗め腐りやがって」


「だが、戦いの腕は新兵と変わらん。いい加減、楽にしてやろう」


 そう言いながら向かってくる男に、落ちていた剣を拾い上げ向ける。


「無駄だ。汚れ仕事に身をやつす俺だが、素人に負けるほど落ちぶれちゃいない」


「もういいです! その男には勝てません! 貴女だけでも何処かに逃げて!」


「なあアンタ、公爵様にはこんな状況で、命懸けで最期までお供する奴がいるかよ……?」


「仕事は仕事だ。最期までやり通すものだろう」


 間合いの見切りも、技の切れ味や連続性も段違いだ。


 剣道を真似して振ってみても、瞬く間に劣勢に追い込まれてしまう。


 叩き込む斬撃は回避され、受け流され、そうしているうちに態勢は崩れ隙が大きくなっていく。


「そうは言っても、アンタだってお姫さんは斬れなかったわけでしょ?」


「ふんっ、一端の騎士気取りか。単純な奴め、貴様など周りの人間に処分されるだけだ」


「なら、そうなるまでに有効活用さして貰うわ。お姫様も曲者だったりするかもだけど、どうせ死ぬなら熱いうちに気持ちよく、だ」


「暴れたいだけのガキが! 死ねっ!」


 その突きは、ちょうど態勢が崩れガラ空きとなった脇腹を見事に貫いた。


 刺され体内に侵入する、金属の冷たさ。それが次の瞬間、傷の熱さと寒気に変わる。


「こ、こいつ……」


 が、僕を深く貫いたはずの男は、剣を握ったまま表情を引き攣らせていた。


 思いきり力を入れた事で、刺された状態ながらどうにか剣を固定できた。


 柄から手を放し逃れる前に掴み、強引に捻り上げる。


「捕(つーか)まぁえたっ」


 腱が千切れ、骨が折れ、関節が壊れる音が直に伝わってくる。


「がああああ!?」


「こんなの反則だと思うんだけどさ、使える物は全部使わなきゃだろ」


 そのまま締め上げ、反撃に取ろうとした短剣を握った手をそのまま掴み、抵抗を押し退け胸へ深く突き刺していく。


「ば、化物……」


 力を失い、倒れた男のか細い声が聞こえた。


「アンタも相当強かったよ。その力、こんな事には使いたくなかったんだろ?」


「化物が……知ったような口を叩くな……」


 そう言い残し、大きく血を吐いたきり男は動かなくなった。


「あ、あの! 大丈夫ですか!」


 膝を着きかけたところ、内親王殿下から支えられる。


「大丈夫じゃないけど……あまり触れないほうが、いいかもです。なんか、普通の血じゃないらしくて……」


「そんな事を言っている場合ですか! ……これは抜いては逆に危ないですね。すぐに助けを呼んでくるので、どうか皆とここに」


「その心配はない。すぐに全員あの世へ送ってやろう」


 聞こえてきたのは、先ほど馬車の上で聞いた冷酷な男の声。


「ゴールドバーグ公爵! 此度の襲撃は貴方の差し金ですか!?」


「これはこれは、シャアリー姫殿下。まだお元気なようだね」


「なぜこのような真似を! おかげで私の護衛たちがこんなに……ッ」


「困るのだよ。せっかく削った、君たちの強い支持層であった地方領主。彼らが万が一でも力を取り戻したらと思うとね」


 平然と自国の弱体化に繋がる愚策を口にする姿に、首をかしげる事すらできない。


「ご自身が何を仰っているか理解しているのですか!? そんなに地方の支持を得たいなら、貴方が彼らの力になればいい!」


「君のように田舎者へ媚びへつらわずとも、私には財界や高級官吏、他国商会の強いバックアップがある。この国の怠け者どもを駆除するのも、私の重要な役目でね」


「な、怠け者……? 日々、額に汗する平民たち無くして国家が回ると本気でお思いなのですか?」


「より安い、他国の奴隷を入れればよい。連中と競争させる事で国内の穀潰しどもを、さらに安く使うことができる」


 どう考えても破綻が目に見えた悪手なのだが、こういう国家を食い物にする輩は古今東西、例え世界が違っても存在するものらしい。


「ゴールドバーグ! 貴方は公爵に身にありながら、この国を売り払うおつもりですか!」


「そもそも生まれさえ違ったなら、君の父君より優秀な、私の物になるはずだった国だ。私がどうしようが自由というもの」


「ふざけないで! 父上は祖父より優秀な君主よ! でなければどうして今日まで難しい国の舵取りをこなしてきたと思うの!?」


「先代の国王陛下の遺産があったからだろう。もっとも、私が国王ならより有効活用できていたろうがね。無駄を省き、外貨を稼ぎ、下々に地位をわきまえさせーー」


 思わず吹き出してしまった笑い声を、敢えて盛大に張り上げる。


 理由? もちろん、目の前の勘違い男を煽る為だ。


「あー、なるほどね。普段財界や他国に這いつくばってケツを舐めてる公爵様だから、他の誰かに同じことをしてやりたくて仕方ないわけだ! うわぁ、みみっちい! よくそんな恥ずかしい言葉を口に出せたね!」


「……過去の政争に敗れたゴールドバーグ家に産まれた。ただそれだけの為に、力を発揮する機会を奪われた悔しさなど、次期国王である貴様にはわかるまい。これは正統なるーー」


「いや、絶対に資質も込みでの判断だろ! 手前みたいな何も産み出せないから削る立場になって影響力を発揮してやろうってルサンチマン丸出しの小物に国家百年の大計なんて委ねられるかっつーの! 殿様ん家に産まれただけ、ありがたいと思っとけバーカ!」


「……弁えろホムンクルス。奴隷ですらない身で我々の会話に口を挟むな」


 冷静を装っていても、おちょくる喋り方に気を悪くしている様子がアリアリと伝わってきた。


「これを見ろ。お前を造った魔道師から渡された、貴様の自爆装置だ。それでもまだ反抗的な態度が取れるかね?」


「……内親王、離れて下さい」


「い、いけません! 妙な気を起こしては!」


「ハッハッハ! そんな人擬きにも媚びへつらうとは、王室の格式も随分と安くなったものだな!」


 僕から離れぬまま、シャアリー内親王殿下は哄笑するゴールドバーグを一喝する。


「黙りなさい! そもそも人のホムンクルス研究は禁止されているはずです! なぜ禁忌を冒すような真似を!」


「古いな。人道など守っていては停滞を招くばかりだ。賢い人間が上手く使えば、傀儡だって容易く用意できる」


「残念でしたね。貴方が用意した彼女に、口は悪くとも心に正義が宿っていたようで」


 ……え? 僕、そんなに口悪い……?


「どうでもいい! それは今から廃棄処分だ! 貴様らが死んだのを見届けてから、新しい傀儡用ホムンクルスでも造らせれば問題ないのだ!」


「殿下、俺が爆ぜる規模によっては、救援が駆けつけるんじゃないか? その間にアンタが逃げ回れたら」


「それは難しいでしょう。仮にこの領内の治安部隊が駆けつけたとしても、公爵と揉めるより私たちを見殺しにする事を選ぶはずです」


「世知辛えなぁ……でも、このまま一緒にいたってアンタも巻き添え食らうだけだぜ。俺が突っ込んでギリギリまで粘るから、その間にアンタはどうにか馬を盗んでーー」


 言葉の途中、内親王殿下の指が僕の唇を止めた。


「アンタではなく、シャアリーです。自棄はいけません。私に考えがあります」


 その発案は、たしかに一縷の希望を見出だせる物であった。


「体は、動きますか」


「死ぬまでの間なら」


「剛毅ですね」


「アン……シャアリー殿下もな。行くぞッ!」


 背中に乗ったシャアリー殿下を背負い、僕は敵目掛け走り出す。


「何を血迷ったかと思えば。馬鹿の考えることは理解できんな」


「俺らが馬鹿なら手前はクズよ! ほぉら爆弾が来てやったぞ!」


「ふんっ、忌々しい。二人まとめて死ねぇ! ん? 死ねっ、死ッーーま、まさか故障か!?」


 そう思うのも無理はない。が、実際には違う。


「凄ぇんだな。王家に伝わる魔法ってのは」


「私は残念ながら、【阻害】しか使えませんが……そんな事より、体は……」


「最期かも知れないんだ。やるだけやるよっ……おらああ! 爆発に巻き込まれたくなきゃ道を開けろー!」


「く、糞! 絶対に私の元へ越させるな! 身を盾にして食い止めろ!」


 もう半分も、本来の力が出ない。


 刺さった部分に力が入りずらくなっており、出血も止まらない。


 死ぬ前にせめて、馬だけは手に入れなくては。


 及び腰で待ち構えていた敵を蹴散らし、さらにゴールドバーグとの距離を詰める。


「何をしているか! たかが二人だろ! 早く殺せっ、殺さんかぁ!?」


「で、ですが止まりません。先ほどの起爆装置は」


「馬鹿か貴様は! この距離で使えば私まで巻き添えになるだろうが!」


 囲みを突破した事で、奴はボタンを押せなくなった。


「糞! 射て! 射殺してしまえ!」


「ゆ、弓兵構え! 放て!」


「や、やめろ! 今止めるからーーぎゃっ」


「う、射つな! 頼む、やめてくれぇ!?」


 腿に矢が刺さったものの、幸い足が止まるほどではなかった。


 不意に後方から矢の放たれる音がしたが、シャアリー殿下が背中で動くや、折れる音と同時に折れて散らばる。


「すいません! 傷は大丈夫ですか!?」


「問題ない! それより、やるな!」


「ありがとう! 矢の備えは足元だけ気をつけて!」


「よしきた! 死ねやああああ!」


 最後の力を振り絞り、冷や汗で喚き散らす公爵を追う。


 さっき相手した男ほど強い敵がいないのも、功を奏している。


「う、射つのを止めろ馬鹿ども! 私に矢が当たったらどうする!? 」


「息子がいるなら死んでもいいだろ! 今から手前の肉を捏ねてハンバーグ公爵にしてやらあ!」


「ひいいいっ!? ば、化物に、食われる! だ、誰ぞ殿につけ! お前らは俺を守れえええ!」


 断じて行えば鬼神も之を避く、とはよく言ったもので。


 尻尾を巻いて逃げる公爵と、それを守らねばならない敵が大幅に離脱する。


 連中が馬で駆け出すのを確認したのち、僕らは途中で方向転換。


 敵の馬を奪いつつ、追手が来ないよう他の馬の尻を叩き森の中へと散らす。


 それが終わるや、彼女の護衛が乗せられた馬車に固定。


「シャアリー様……ご無事で……」


「ありがとう、クレア……さあ、あなたも乗って! すぐに出るわ!」


「な、何とかなった……」


「ここから離れたら処置をします! それまで頑張って!」


 いや、さすがにこれは、また死ぬだろう。


 これだけ強い体なのに、すっかり生気が抜け出してしまっている。


 寒い、苦しい。やはり死ぬ前は辛い。


 それでも、一度目の死よりはマシだ。


 だって、やりきったんだから。守りきったのだから。


 いや、それも絶対ではないか。彼女が無事、味方の元へ辿り着けるか見届けられないのが残念だ。


「……もし死んでたら、捨てて行ってくれ。別方法で起爆され巻き添えにしたら……成仏できん……」


「大丈夫。必ず助けます。信じて下さい」


 こちらを振り返る彼女の目は、死ぬ前に僕を見下ろした彼の眼差しとは大きく違って。


 その真剣さに満たされた気持ちになるや、僕は意識を手放してしまった。


 会ったばかりの女の子とは言え、今回は別に、いいや……。



 瞼が重い、体も動かない。そのくせ、痛みだけは訴え続けている。


 死にかけから目覚めるとは、本来こういうものだったか。


 生きてる証拠とは言え、耐え難い思いで割れた唇を動かす。


「水……」


 かろうじて嗄れた声を絞り出すと、視界の端に水差しが見えた。


 口を開けると、添えるような手付きで慎重に飲ませてくれる。


 飲んだ瞬間、水分が体に染み渡ってゆく。


 まるで、喉のすぐ下に大腸があるかのようだ。


「もう大丈夫。落ち着いて、ゆっくり飲んで」


 声の主に視線を送れば、シャアリー殿下が手ずから飲ませてくれていた。


 身を横たえているのも、馬車の硬い板ではない。


 本当に、助かったのか……そう思いつつ、右手が彼女と繋がれている事に気づく。


「あなたの体は、まだ解析が終わっていません。今、爆破を止める方法を探っています。この間、少しだけ辛抱下さい」


「……殿下は、ちゃんと休めてたの?」


 何事もなかったかのように微笑む彼女であるが、目の下や顔色に色濃く疲労が浮き出ていた。


「亡くなられた護衛の者たちについての対応など、済ませねばならない事がありましたから」


「そうか……同じ装飾の着た人ら、いっぱい倒れてたもんな……」


「あなたのおかげで、全滅は免れました。改めて感謝を。ご心配なく。もし限界が来たら、手を固定した状態で隣に休ませていただきます」


「わかった……悪いな、面倒かけて」


 話している最中、わざとらしい咳払いに紡ぐ言葉を邪魔される。


「おい貴様、このお方をシャアリー殿下と心得ながらの無礼、本来なら死罪でも文句は言えんのだぞ」


「……ああ、倒れてたうちの一人の……」


「バーンズ侯爵家の長女にして王位継承権の筆頭に位置するシャアリー殿下の側近を務めるクレア・バーンズだ!」


「お止めなさいクレア。今ようやく目を覚ましたばかりの相手に」


 窘めるシャアリー殿下に、自身も負傷した状態ながらクレアとやらが食ってかかる。


「シャアリー様! そもそも得体の知れぬ、爆発の危険性がある相手の側にいること事態に私は反対なんです! 早くお離れ下さい!」


「今離しては、逆に皆に害が及ぶでしょうに……解析が済むまで待ちなさい」


「結界を張り、中に閉じ込めてしまえばいいんです! だいたい人のホムンクルスなんておぞましい! 身の毛がよだちます!」


「この方が駆けつけて下さらなければ、今誰もここにいられなかったのよ? 礼には礼を以て応えるのが人の道でしょう」


 僕が礼儀知らずは事実として、こいつも大概無礼な奴だな。


 貴族の娘とは言え、王女様にこんな口の聞き方して普通、許されるものか?


「こやつは人ではありません! ましてや国民でもない! なのにずっとシャアリー様と手を繋ぎっぱなしで、果ては隣で添い寝!? 断じて許せません!」


「……あらやだ嫉妬? 可愛らしいのねぇ」


「だ、黙れ! その減らず口、二度と叩けないようにしてやる!」


「やめなさい二人とも。クレアにも後で添い寝の時間を作りますから」


 顔を真っ赤にして、白目を剥きながら目を吊り上げるクレアを見ながら理解する。


 なるほど、つまり君は、そういう奴なんだな。


 一人納得していると、外から白髪交じりの男が入り込んできた。


「クレア様、こんなところに居られましたか! 勝手に動いてはなりません! 傷が開いてしまいます!」


「は、離せ! 私は万が一に備え、この不審なホムンクルスを監視せねば!」


「あなたの身に何かあっては、私がバーンズ侯爵からお叱りを受けます! さあ、ご自身の病室へ戻りますよ!」


 呆気に取られるうち、男と目が合ったので軽く黙礼するも、あからさまな嫌悪の色がその瞳には浮かんでいた。


 再び静けさを取り戻した部屋で、シャアリーが気まずそうに言う。


「ごめんなさい……少し、あなたへの警戒が強いみたいで」


「いや、シャアリー殿下が謝ることじゃ……たぶん、仕方がないんでしょう?」


 散々に喚き散らしていたクレアなど、まだ可愛げがあった。


 ゴールドバーグと言い、先ほどの男と言い、ああも露骨に人間扱いされないとは。


 怒るより先に、面食らってしまうというものである。


「腹刺された状態で、武器持った相手に素手ゴロであれだけ暴れ散らして。それで死なないんだから実際、化物なんでしょうよ」


「そんな事を言うのはやめなさい。心を持たされたなら、同じ人間でしょう」


 その目に宿る悲痛に、なまじ彼女の言葉が上っ面ではないのだと理解させられる。


 気まずくなり、黙って視線を反らせば、彼女は僕の手を握り直す。


「今後あなたの扱いをどうするか、私なりに考えています。どうか信じて、今は体を休めて下さい」


「……勝手に造られたクローンが側にいて、嫌な気持ちにならないのか?」


「あなたが悪い人だったら、そう思っていたかも知れないわね。さすがに口の悪さには驚いたけれど」


 酒場で暴れる男の人みたいだったわよ、そう言いながら、彼女は可笑しそうに笑って見せてくれる。


「……酒はまだ、飲んだことないよ」


「じゃあ、いつか一緒に飲みましょう。それまでに、どこへ出しても恥ずかしくないマナーも覚えなければね」


 命を狙われ、護衛が死に、逆恨みを暴走させた主犯に未だ狙われている。


 そんな状況で、どうして笑っていられるんだろう。


「お辛く、ありませんか」


 一瞬の間のあと、微笑が苦笑いに変わる。


「ありがとう。でも、私は大丈夫。だから、あなたも心配しないで。ね?」


 笑みを浮かべ続ける彼女に頷く僕は、とても笑うことなどできなかった。


 王族としての矜持? 国を背負う覚悟?


 立派なものと思うが、その重みは酒も嗜まない女の子の双肩には荷が勝り過ぎだろう。



 とりあえず自爆の危険性は排除された、翌日のこと。


「あなたは今後、シャアリー殿下と共に産まれていた双子の姉妹という事になります。公務の際も共に行動して戴くので、そのおつもりで」


「な、なんで……どういった理由でそうなったか、ご説明いただけますか?」


 硬そうな役人の方に代わり、シャアリー殿下が口を開く。


「まず第一に、存在を公にしてしまう事で貴女が消されるのを防ぎます。発見され迎え入れられた一卵性の双子と言う事にすれば、信憑性も増します」


「ええ……いや、やっぱり無理があるのでは。双子なんて、そうそういるものじゃ……」


「たしかに、双子は忌み子。そういった偏見も珍しくはありません。近年の不況により不審な宗教が信徒を増やしつつある中、若い方々にもそう考える者が現れ始めていると聞きます」


 憂いを帯びた表情で俯かれては、何も言えない。


 このアイザック王国とやら、思ったより更にリスキーな状況なのでは?


「貴様は死産という事で処理されかけたものの、殺すに忍びないと捨てられた後、最近亡くなった平民の養子として育てられていた、という筋書きだ。捨てられたくなければ、しっかり頭に叩き込めよ」


「ちょ、ちょっと待てよ。王族の偽称とか洒落にならねぇだろ。もし攻撃材料にされたらアンタらだって」


「ホムンクルス製造も同じく人の道から外れた大罪です。少なくとも今に限れば、あなたの身の上に関して噂以上の話にはして来ないでしょう」


 たしかに伏せておくカードの一枚として、相手の積極性を奪えるかも知れない。


 しかしながら、最近発見された妹扱いはあまりにも厄の種過ぎる。


 軟禁で済めば御の字ぐらいに思っていた為、予想外の展開について行けずにいる。


「既に先手を打ち、血を分けた妹君を発見、保護した事は発表済みだ。貴様も覚悟を決めるのだな、ホムンクルス」


「あの状況で啖呵を切って立ち回って見せた剛毅さがあれば大丈夫。王族の一員として相応しい働きを期待していますよ」


「いや……急に言われてもプレッシャーと申しますか……とても王族なんて務まる気がしないし、品行方正とか無理に決まってるしーー」


「今回の襲撃は、単なる極右組織の襲撃として片付けられました」


 声のトーンが一段下がった事に、思わず背筋を伸ばす。


「検証も不十分に終わってしまい、証拠品も紛失してしまったとのこと。当然、ゴールドバーグ公爵は追及されないままです」


「不本意極まりないが、貴様の存在を公にしてしまったほうがマシというのがシャアリー様のお考えだ。精々感謝するがいい」


「あなたに選択肢がない中で、申し訳ないのだけど……力を貸して欲しいし、あなたの権利も守りたい。それも本当なの」


 まあ、言いたいことは理解できる。


 今回の襲撃が間者からの情報にて実行されたなら、身を隠すのも逆に危険を呼び込むのかも知れない。


 また、偽の身分を用意するに留まらず公表までし、それが王族のもの、というのも生半可には行えないはず。


 多少の後ろめたさもあるが、しばらく彼女の下で恩を返すのも悪くない。


 少なくとも、ゴールドバーグ公爵の下で替え玉になり、スパイして結婚させられ用済みとなって消されるより絶対マシだ。


「……わかった。これからは協力体制だ。宜しく頼ーーむううう!?」


「こら! シャアリー殿下に向かってなんだその口の聞き方は! 今後たっぷり矯正してやるから覚悟しろよ!?」


「やめなさい、悪気がないのは知っているでしょう。今はいいですが、皆の前では丁寧な言葉遣いをお願いします。多少ぎこちなくても構いませんから」


「甘やかしてはなりません。躾は最初が肝心と言います。下手に手心を加えては、此度の子爵のように曖昧な態度を取られへっーーい、痛だだだ!?」


 力加減に気をつけながら、僕もクレアの頬を引っ張ってやる。


 外見上なら大人にも見える彼女を、聞き分けの悪い子供のように扱ってやれる事は、一種痛快であった。


「い、痛だっ、千切(ひぎ)れぅ! 千切(ひぎ)れひゃうう!?」


「いいこと仰いますわね侯爵令嬢殿。どっちが上かたっぷり思い知らせて差し上げますわよ」


「もう、やめなさいってば! クレアもモリーも子供じみた暴力なんて振るい合って、恥ずかしくないの?」


「……モリー?」


 仕方なく放してやりつつ尋ねると、シャアリー殿下が居ずまいを正す。


「あなたの名前よ。アイザック・モリー。どう、かしら……?」


 どう、と言われても。外国人の名前の良し悪しなんて区別がつかない。


 ただ、この少々自身なさげな様子を見るに、ゴッドファーザーは彼女なのだろう。


「あ、いえ、光栄です。素敵な名前と存じます」


「そ、そう。よかった……じゃあ、これから姉妹として、三人助け合って参りましょう」


「さ、三人って、なんで私がホムンクルスなんぞとっ。それも、こんな野蛮なっ」


「乳姉妹とは言え、それ以上は許しません。すぐ仲良くは無理でも、衝突するのはやめなさい。いい?」


 黙るクレアであるが、相変わらず僕の事は睨み付けてくる。


「くそぅっ、シャアリー様の妹の立場を得るに止まらず、名前まで拝命して。私だって名付け親になって貰ってないのに」


 いや、乳姉妹の間柄で名付け求めるとか怖えよ……。


 乳姉妹や兄弟って、こんな感じなのかしらん?


 いや、シャアリー殿下の若干ダルそうな対応を見るに、少々クセのある人物に違いない。


 それでも、あの場で逃げなかった忠誠心は本物なのだろうけれど。


「さあ、話が済んだら公務の準備ね。じゃあモリー、ご挨拶に同行して貰うから、ちょっとお化粧して着替えてきて」


「えっ、い、今からか!?」


「なるべく早めに、姿を大勢に見せたほうが有効なの。既に大勢の方々が集まってきているわ。立って手を振るだけでいいから、じゃあ、お願い」


「え、お、お願いって……ちょ、ちょっと待って。だ、誰かあああ!」


 メイド服の方々に連行される僕を見るシャアリー殿下は、どこか楽しげでもあった。


 これから僕は、いったいどうなってしまうのだろう……。



「本当に、宜しかったのですか? あんな誰とも、いえ、人とも知らない輩を側に置くと決めて……」


「何度も言ったでしょう。不確定な存在だからこそ、素直に信頼を得られるならそれに越した事はない。実際、それが通ずる人物だったでしょう」


 まだ勝手知らぬ間柄ながら、単純とは言え卑しい人柄ではない。それがシャアリーからの評価であった。


「ですがそれは、地位や保障を求めての事かも知れません。いつ態度を翻すか知れない相手に、王族としての地位を与えてしまうなんて……」


「彼女は他に行き場がない。そしてゴールドバーグ公爵とも相容れない。今はそれで十分。それに私、個人的には結構モリーのことを気に入っているのよ?」


 あの絶体絶命の窮地にて、体を切り刻まれながら敵に相対した武勇。


 敵でも相手によっては認め、殺し合った間柄でも敬意を払う騎士道精神。


 そして自身と同じサイズでありながら、重傷を負った状態で駆け抜けてくれた広い背中……。


「そ、そんな……もしかして、私よりですかっ!?」


「お馬鹿さん、比べるわけないでしょう」


 愛しい乳姉妹の頭を撫でてやりながら、彼女は物思いに耽る。


『お辛くは、ありませんか』


 粗野にして卑しくはなく、野暮にして相手の心に気を配る。


 王宮周辺では、会う機会も少ないタイプの人種。


 彼女との出会いによって、自らの人生が大きく変わってしまうのではないか。


 そんな後に現実となる予感を抱く、後のアイザック王国女王シャアリー。


 十六歳の、秋の暮れであった。

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王女様の替え玉用ホムンクルスに乗り移ってしまった 於保育 @iku_oho

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