春の夜の夢

谷岡藤不三也

第1話

「春の夜の夢」




 春は嫌いだ。

 何故だか、心がひどくざわつく。

 こんな風に思うようになったのは、小学校六年の春休みからだろうか。


 三月九日。俺は小学校を卒業した。

 卒業式は泣かなかった。悲しむどころか、学校なんてって思ってた方だったから、終わってせいせいした。

 在校生の作る花道を友達と通り抜け、最後は笑顔だった。

 最後の帰り道、いつもの三人で公園に寄って話していた。

 たまたま通りかかった親に写真を撮ってもらった。その写真は未だに二人には渡せていない。


 小学校が終わって、中学生へなるための準備期間。

 クラス替えとはまた違った不安が心をざわめかせる。

 友達と遊ばなくなったわけではなかった。

 けれども、学校があった頃と比べて頻度は減ったし、寂しい時間の方が多くなった。


 映画に行ったね。友達二人と一緒に映画を観に行った。

 友達と一緒に映画を観に行くなんて初めてで、終始テンション高かったな。

 上映中も友達を笑わそうとして、ぼそぼそなんか喋ってたっけ。

 迷惑だったかな、ごめんね。なんかずっと楽しくってさ。

 映画が終わって、映画館を出てしばらく歩いてたら、それじゃ帰るわって。

 あれ、てっきりこの後もゲーセンとか行って遊ぶつもりだったんだけど。まだ半券も使ってないし。

 でも、結局遊ぶことなく解散。最寄り駅までは一緒で、楽しく会話はしていたけれど、行きと違って物足りなさと、寂しさが胸の中にもやもやっとあった。


 クラスメートのみんなで、デパートに遊びに行ったね。コンビニの前に集合してさ。

 デパートに着いたら、みんなバラバラになって、それぞれカードゲームや、スマホゲームや、メダルゲームやアーケードゲームをやり始めた。それぞれの仲いい集団で固まって。俺は一人でその集団を渡り歩いて、様子見てたね。どこの輪にも入らずに、うろうろしてその場その場で会話して、それでも十分楽しかったけどさ。


 自称漫画クラブ。公民館の共用スペースで、みんなで集まってやいのやいの言いながら漫画を描いていた。

 でもその賑やかだった場所も、今やすっかり静かだった。

 春休み中に一本作りたかったけれど、作画担当の相方は家族旅行の予定が入っていて無理だった。

 その他のメンバーも、漫画制作に飽きたのか、みんなどこかに行ってしまった。卒業アルバムの将来の夢には、「漫画家」ってみんな書いていたのに。

 思えば、漫画を完成させたことがあるのは、俺たちだけだったなあ。

 一人家の近い友達はいてくれたけど、そのうち彼も去った。

 今でも時々近くを通る。ついつい中に入って見に行ってしまう。

 けれど、いつかのように管理人さんに白い目で見られるほどに賑やかだったあの場所は、もう電気も点いてない。暗く静かにひっそりとあるだけだった。


 ケータイを手にした時は、頻繁に来ていた連絡も途絶え始めた。

 でも今度こそはと期待して、祖父母の家のひんやりとした仏間で寝そべりながら、メールを開く。

 俺ばっかり、返信が早かった。


 制服を着て、ジャージの寸法を測って、カバンを背負って、眼鏡を買って、着々と中学は迫って来ていた。

 未だに何の受け入れの準備も出来ていないのに、一つ一つ中学への準備をしている自分が嫌だった。

 日付が変わるのが怖かった。友達と遊ばない、一人でいる時間が怖かった。

 既にクリアしたゲームをずっと遊んでいた。技をひたすら打って、技の熟練度を上げた。何も考えずに、ただ画面を繰り返しタッチして。


 受け入れたくなかった。

 やがて受け入れざるを得ないことを知っていながら、抗っていたかった。


 後にわかる、それぞれと最後に遊んだ日を終えていく。

 そしてやって来た。中学入学の絶望の朝。

 辛うじて、家が近い友達数人と校門を通過することには成功したが、クラス発表の大きな紙を見て、自分の名前を見つけ、教室に向かう時には、もうすでに一人だった。


 自分の名前の載っていた、一番端っこの教室の扉を開ける。

 知り合いが誰もいない空間。名前も顔も知らない奴らが、何やら仲良さげに会話している。

 終わってしまったんだと、痛感した。死に至るくらいの心の痛み。

 終わった、全部終わった。

 抗って必死に見ないようにしていたけれど、もう決定的に時間は過ぎ去ってしまっていたんだ。

 人や物を抽象化すれば、数か月前と同じような景色。でも俺はその景色の中にはいなかった。その景色を見る第三者に成り果てていた。


 ────予感はあった。この繫がりが終わってしまうのではないかという漠然とした不安が。

 それは見事に的中し、今までの関係値全てを洗い流してしまった。

 全部消えた。

 まっさらになったこの場所で、俺は動けずに、立ち尽くしてしまったんだ。

 呆然と海を眺めて、涙を流すことしかできなかったんだ。

 眼鏡を買った店でループしていた、あの妙に物悲しい曲が、頭の中から聞こえて来た。


 翌日、最後尾二列目の左の席は空白だった。

 まるで最初からいなかったかのように、誰も意に介していない。

 そこには三角に折り曲げられた厚紙があるだけだった。

 誰かが書いた誰かの名前があるだけだった。

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春の夜の夢 谷岡藤不三也 @taniokafuji-novel

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