第33話

 ◇レイフ視点◇


 遠く、帰りの馬車がこちらへ。そろそろ出発の時間が近付いている。

「何時でも帰って来い。今度は村を上げて歓迎する」

 イーサク達が見送りに来てくれた。俺達は互いに痛々しい包帯を巻いたまま握手を交わす。

「この村を救ってくれて、……ありがとう。お前さん達からしたら、この村の人間は裏切った敵側だろうに」

「そうね。助ける積もりなんて無かったわ」

 ライラは横を向いたまま平然と言ってのける。

「おい」

 でも俺は、それが本心で無い事を知っている。彼女はただ、褒められて照れくさいだけなのだ。

「まあ、イーサク達だけでも無事で良かったよ。……間に合って良かった」

「レイフさん優しいんです」

 するとアリシアは前に出ていたイーサクの横に並ぶ。

「レイフさん」

 アリシアは口元に手の輪を作り耳打ちのポーズ。少し腰を屈め耳を近づける。

「ふふ」

 アリシアは微笑みながら、俺のネクタイを掴み引き寄せ唇を重ねる。

「隙だらけですね、レイフさん」

 後ろには修羅の悪寒。前方には父の静かな激昂。

「レイフ、宝飾技師を継ぐ気はあるのか?」

 魔王と化した父の確認に、首をブンブンと横に振り否定する。

「今度王都へ遊びに行ったら、この前のお礼の続きしてあげます」

 アリシアは今度こそヒソヒソと耳打ちし、嬉しそうに微笑みながら一歩下がり、そして魔王を制止する。俺も後ろの修羅へ謝りながら必死に宥める。

「でも、これからの生活は大丈夫か?」

 何とか話を転換する。

「んな事子供が気にすんな! お前さん達が見つけてくれた新しい鉱脈がある。こんなの百年掘っても採り尽くせないさ! ……まあその間に、エレオナイトのみに頼らない新しい産業を生み出さなきゃいけねーな。政治の事はベンノの爺さんに任せっきりだったが、これからは村人全員が責任を持つべきだ」

 豪快な破顔の裏には微かな不安と確かな決意が。村の経営や財務等の全てを取り仕切っていた超人は、もういない。

「そんなの難しい話じゃないわ」

 何故か妙に艶やかな、舞台女優のようなライラの声。

「マリミア湖を始めとした豊かな自然、源泉掛け流しで泉質の高い温泉。王都からのアクセスも良くインフラも整備されている。これらのアセットを眠らせておくなんて有り得ないわ。観光業に力を入れるべきよ。そして何より名産であるカノリアの銀河。これはマーケティングが不足しているわ。戦う市場は展開すべき。顧客が王家と騎士団のみでは足りないわ。先々代国王に莫大な国費を投じさせた街道を、エレオノーラへの愛を造らせた魔性の石よ。もっと大衆、例えば恋人や妻へ贈るジュエリー、恋や玉の輿を成就させる祝福の宝石、なんてキャッチフレーズとセット売りすれば良い。効力の是非なんて関係無いの。時代が移ろうに連れ、マーケティングはいずれ風習、そして文化へと昇華するわ」

「なるほど! よし! やってみるよ」

 感心したイーサクは朗らかな笑顔。しかし。

? 営業は? 法務は? 財務は? 人事、広告、運営管理は? それら実務担当者をどのように調達するつもり?」

 ライラは何か含みを有する微笑みで、しかし柔らかく語る。

「そ、それは……」

 剛健なイーサクは一転、窮地に立たされた小動物のよう。

「こんなアイデアなんて誰でも思い付く。それだけじゃ一ヒルドルにも成らないわ。そこから先に意味があるのでしょう? 調査して、分析して、計画して、実行する。そのプロジェクトマネジメント能力に社会的価値が有るんじゃないかしら?」

「それは、……そうだな」

「事業を起こすという事は、伴うリスクを覚悟する必要が有るわ。失敗すればエレオナイトで得たキャッシュを全て吹き飛ばす可能性だってあるのよ? 貴方はこれから百戦錬磨の商人が跋扈する商売の世界で、果たして戦っていけるの? 優秀なベンノとやらはもういない。事業に失敗すれば、また金の無いカノリア村へ巻戻りね。その責任は村長である貴方の双肩に掛かっているのよ」

「うぐ……」

 ライラは愉悦を我慢して、沈黙を嫌に溜める。

「でも大丈夫。私が全てを解決してあげましょう」

 一転、女神様と見紛う穏やかな微笑み。

「私は騎士一万の同期の座学主席、出自も貴族で領地運営の経験も有るわ」

 詭弁だ。ペーパースコアが商人の才と実力をそのまま表すものでは無いだろうに。しかも軍事貴族のレーヴェンアドレール家は領地経営では無く、騎士として成り上がった沿革。現在は封土も没収されており、ライラ自身はずぶの素人だろう。

「レーヴェンアドレール家の嫡子たるこの私が、耕された脳味噌を提供してあげる」

 良い加減俺でも分かるぞ。エレオナイトの原石を独占叶わずとも、これから莫大な富を生むであろうこの村の商売に一枚噛ませろという魂胆だろう。まあ、正式な手順を踏むならば、再現性は有るのだろうな。

「実務の全てを肩代わりは出来ないけれど、私ならこの村の商業を正しい方向へ導けるわ」

 組織経営をブラックボックス化し、ライラ抜きでは運営出来ない状況を生み出そうとしている。要はベンノのポジションを丸々貰い受け、かつ自身は裏に回り、責任は次の村長であるイーサクに請け負わせる。

 ……うーわ。この女、悪魔じゃん。

 エレオナイトが大量に発見された二週間前から考えていたのだろうか。

「あら? そろそろ馬車が到着しそうね」

 しかも交渉を仕掛けるタイミングも絶妙だ。タイムリミットは目の前であり即決が強要される。今引き止めなければ契約は成されないという状況。イーサクが他者と相談する機会を奪い、考える時間も与えない。更に口頭であっても売買契約は成立するが、この公衆の面前で仕掛ける事で、新しい村長という信用が命の立場を狙い、その言質を反故にはさせない誘導。今思い付いたのではなく、間違い無くこの二週間、機を伺っていたのだろう。

 ……あれ?

 俺とライラのバディの契約は、誘導されたものでは無いよな?

 魅了の魔法ではないよな?

 ちゃんと、俺の意思だよな?

 ……。

 ……ふぅ。

 考えるのはよそう。

 考えてはいけない気がする。

 そして遂に、俺達を王都へ運ぶ馬車がタイムリミットと共に到着。

「私は貴方の味方よ。イーサク」

 最後のチャンス。紫紺の髪を靡かせる女神様には、掴める後ろ髪は存在しない。

「宜しくお願いします。先生」

 イーサクは圧倒されつつも頭を垂れ、示された希望へ遂に食い付く。

「ふふ。ここから先はコンサルティングフィーが必要ね。先ずは書面契約から始めましょう。新しい村長さん」

 最後に証憑を残し法的拘束力を担保する。計算された恐ろしい話術と戦略。折角の麗しい二つのフランボワズは、今や黄金に輝くヒルドルマークにしか映らない。

 ただまあ、ライラの叡智とカリスマがあれば、この弁舌を唯の詐欺では無く、確固たる現実へ組み上げてしまうのだろう。きっとこの契約はレーヴェンアドレール家にも、カノリア村にも、適切な利益を生み出す種子となる。

 何故だかそんな爽やかな未来の予感が、酸素となって肺を巡るのだ。

 ……改めて本当に、色んな意味で、ライラが味方で良かった。

「まあ、それらは少々時間を要するわ。当面の生活は自分達で何とかすることね」

 ライラは到着した馬車の扉を開けて俺の介助をしてくれる。そこまでしてくれなくても、もう大丈夫なのだが。

「心配すんな。俺は一流の宝飾技師だぞ。生活だって大丈夫だ」

「はは。そうだな」

 思わず苦笑が零れる。自称ほど信憑性の薄いものは無い。

「世話になった。じゃあな!」

 俺は馬車の入口に足を掛ける。

「レイフさん! また会いに行きますね!」

 吹き抜けるのは春の風が、優しく髪を掻き上げる。その音色はまるで祝福を歌うエンドロール。足元を見やれば、白く小さな蝶々が勿忘草の花へ留まり、ようやくその羽を休めながら甘い蜜に有り付いている。

 アリシアは手を振り見送ってくれる。隣ではライラがシッシと拒否する。有り余る程の紆余曲折の末、遂にこの長かった三週間も、春の終わりと共に幸せな大円団を告げようとしている。

 その刹那。

「信じてないな!? 俺は王国に四人しかいない聖騎士紋章の宝飾技師だぞ!」

 少し拗ねたように、しかし自慢気に話すイーサクを他所に、血の気が引いていく。身体が凍る。耳を疑う。鼓動が速くなり、その劈く音で世界の音は掻き消される。

 ……そしてようやく理解が追いつく。

 ……は?

 気付けば松葉杖すら投げ捨て、激痛を抱えながら、走りだそうとした馬車より飛び降りる。

「……今……何て言った?」

 心臓が騒がしい。

 一転、全身の血液が沸騰する。

 握る拳は激痛が。それでもなお、ギリギリと音を立てて振り解けない。

 祝福の真名を、その刻印を知る者は現国王と聖騎士当人の二人のみ、……ではない。

 違う。

 違う違う違う。

 ……そうじゃない。

 

 


 どれほど固く口を閉ざそうとも、祝福の銘をその手で刻印し、聖騎士紋章へ命を吹き込む、三人目の宝飾技師がいた筈だ。

 ……何故、そんな事に気付かなかったのか。

「な、何だ?」

 意図を読めず狼狽えるイーサク。

「今、何て言った」

「だーかーらー! 俺は高名な! ほぼ世界一の宝飾技師だっての!」

「そ……こじゃねーだろ!」

 自身の制御を失いイーサクの胸倉を掴んで迫る。全身に激痛。それでもなお、驚くイーサクの瞳には鬼気に満ちる自身が映る。

「聖騎士はここで聖騎士紋章を造っているのか?」

「いや違う。聖騎士紋章は王都のエーベルゴード工房でのみ製造される。俺は昔、そこで聖騎士紋章の宝飾技師を生業にしていた」

「それ以外には無いのか? 他の場所で――」

「無い。絶対に無い。聖騎士紋章は初代棟梁エーベルゴードが編み上げた意匠をベースとする。それは建国からの伝統だ。その製造工程は棟梁から選ばれた人間のみが口伝で継承され、外部へ漏れる事は無い」

「という事は、イーサク、お前は……」

 心臓が煩い。唾が閊えて言葉が出ない。

「聖騎士達の、……祝福の真名を知っているのか?」

 イーサクは目を見開いて固まる。そして沈黙。

「お願いだ! 教えてくれ!」

 しかしイーサクは口を真一文字に閉じたまま。

「王家と騎士団、工房の三者間で無期の秘密保持契約を結んでいる。口外した事が漏洩すれば命を奪われる」

「お願いだ!!」

「いや、契約なんぞどうでもいい。……それを知って何になる?」

「……言えない。それは」

 なら殺すなど、決して口には吐き出せない。

「何故だ? レイフ。お前は、……この国を護る聖騎士の祝福を、……穢すのか?」

「…………」

 答えられない。そもそも技師が四人いるというならば、イーサクが全てを知る訳ではないのだろう。

 だからイーサクが知る祝福の真名がとは限らない。

 限らない。

 でも。

 それでも、すぐ目の前に真実が待つ、そんな予感が全身を駆け巡る。

「お前さん達は、裏切った俺達を助けてくれた。だから俺も返したい」

「なら――」

「だが、祝福の真名を明かす事は不可能だ」

 ヤーコプは大口を広げ、口内を指差す。覗けば、口蓋奥には……花を主題とした文字と紋様。

「これは、……魔法?」

「違う!」

 焦燥と怒気を孕んだ否定。

「滅多な事を口にするものじゃねえ、それはこの国では絶対の禁忌だ」

「でもそれは――」

「これは!」

 溢るる忿懣と共に遮る。

「そんな、…………だって」

 どう見ても、どう考えてもこれは魔女文字ルーンと魔法陣だ。ヨリス村の地下と同じ、トリトン鉱山の聖堂と同じ魔法の証左だ。

「聖騎士紋章の宝飾技師に選ばれる際、王家の祝福により制限を課され、話せば俺の心臓は止まる。これが秘密保持契約書に記載された命を奪う方法だ。そしてそれは筆談でも適応される事になっている」

 掴みかけた、筈だった。

「だから、すまない。力に成ってやれない」

 確かに、掴みかけたと、触れたと。

「なら、写真を入れ込んでいる人間は知っているか? ……はは、なんて、騎士にとっては当たり前なんだけどな」

 触れた筈の指先は、最早感触すらも思い出せない。

「…………聖騎士紋章の中へ、という意味か?」

「……ああ」

 だがどうやら、現実とは斯くも、思うが儘には廻らないらしい。

「聖騎士紋章とは、祝福の真名を刻印した後、母材と同じイエローゴールドを接いで閉じる。だから破壊でもしない限りは、二度と開かれる事は無い」

「……は?」

 何を言って。

「俺達の騎士紋章は――」

 あの真鍮の紋章は、確かに、……確かに開いた。間違える筈は無い。

「それは一般の騎士だからだ。だが聖騎士は違う」

「何で――」

 言い掛けて、気付く。

「女神ヒルドレーナ様より愛された祝福者しか聖騎士には成れない。彼等が最も恐れる事は、不意に真名を暴かれ、祝福を穢され喪う事だ。だから閉じる。当たり前だ。開く意味など無いからな。最悪、祝福の真名が何であったか、忘れたって支障は無い。封を閉じるという行為もまた、三百年以上続く伝統だ」

「え、……じゃあ」

 俺は、あの日、あの大火を背に、……何を見た?

「だがそんな聖騎士紋章へ、写真を入れられるように金を接がないでくれと言った男が一人だけ」

 ドクン、と心臓が跳ねれば、何かが繋がる。

「三百年の伝統を打ち破った傾奇者、そんなのは歴史上一人しかいない」

 それは細く、今にも千切れそうな一本の麻糸。

「それは、話しても良いのか?」

 だが確かに、それは宵闇の向こう、僅かに光を零した真実の足元へ。

「聖騎士紋章の意匠については秘密保持の対象外だ。そこまで縛られては工房は技術と伝統を受け継ぐ事は出来んよ」

 ようやく見つけた、唯一の風穴へ。

「誰だ! 教えてくれ!」

 繋がった。

「言わないならアリシアを殺すわ」

 背後のライラは平坦な、しかし鋭い刃を伴う声で加勢する。

「お父さん……」

 アリシアは父の裾を掴み答えを促す。そしてイーサクは盛大な溜息。

「……本来であれば口が裂けても言わない。これは聖騎士紋章の技師として選ばれた者の矜持だ」

 高明な宝飾技師は葛藤に顔を歪める。そしてライラの言外の意図を汲んだ男は、再び嘆息。

「だが娘を人質に取られれば仕方無い。ああ、仕方が無い」

 その目には諦観が。

「……いや、違う。何より、今回の礼だ。……誰にも口外してくれるなよ」

 しかし声には信頼が滲んでいた。

「聖騎士紋章の金継ぎを否定した、その男の名は――」

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