第21話
◇レイフ視点◇
「今日もアリシアの家に行くの?」
宿屋に戻るや否や、ライラは髪を解きながら問いかける。背中を向けたまま、表情は窺えない。
「そうだな。ライラも俺がいないほうがいいだろ?」
返事は無い。
どうしたら仲直り出来るものか。そもそもどうしてこんな拗れてしまったのだろうか。
そうこう考える内に陽も落ちてきた。そろそろ部屋を出よう。ライラも服を着替えたいだろう。
「……じゃあ、また明日」
それでも返事は無い。俺は一抹の寂しさを感じながら部屋を出た。
歩いているうちに菖蒲色の空は藍色に染まってゆく。西の乱層雲が過ぎて行き、サラサラと小雨が降ってくる。
しかし、どこか、走る元気は無い。あの石橋を渡った先がアリシアの待つ大きな屋敷だ。
……今日は少し疲れたな。嘆息し、ドアノブに手を掛ける。
「おかえりなさい! レイフさん!」
カチャリとシリンダーの回る音。ドアが開き切る前に、アリシアが走り寄って来た。後ろには有る筈の無い尻尾がブンブンと揺れている。
「遅かったですね。一日ご苦労様でした。やっぱり雨に当たってしまったのですね」
そしてアリシアは用意していた、裕福を思わせる綿のタオルで爪先立ちになり、俺の濡れた髪を撫でる。その優しさが、雨で冷えた身体へ温度を分け与える。
「すぐご飯温めますね。それとも先に、お風呂にしますか?」
エプロンをしながらくるりと一回転。そして再び俺へ笑顔を向ける。彼女といると、疲れも少しずつ吹き飛んでゆく。
「先にご飯にしよう。お腹空いてるんだろう?」
「……実はペコペコです」
アリシアは照れくさそうに微笑む。きっと明日は良い成果を出せる。そんなぼんやりと、しかし麗らかな予感が胸に芽生えた。
◇レイフ視点◇
暖炉の柔らかい火が横並びの二人を煌々と照らす。雨足の強くなった水音は外の雑音を隔絶し、世界はまるで、ここだけが水上へ浮かんでいるよう。
食事を終え、入浴を済ませると俺達は居間のソファで寛いでいた。
「ふふ。長い睫毛。レイフさんは綺麗な横顔をしてますね」
「……アリシアも胡桃色の髪色が綺麗だね」
照れながら、右手で彼女の髪を掻き上げるように撫でる。少女は恥じらいながら無言で俯く。
「元気付けようとしてくれているんだね」
「レイフさん、帰って来た時すごく辛そうでした。やっぱり討伐は大変ですか?」
「〈シレネ〉はそれ程でも無いさ。……ただ、ライラとあまり上手くいってなくて」
「……何かあったんですか?」
女性の意見が聞きたくて、今日一日のライラの謎の不機嫌について相談する。アリシアは静かにその話を聞いてくれた。
「俺、どうしたら良いか分からなくて」
「レイフさんは悪くありません!」
鼻息荒く、アリシアは義憤に満ちた表情で否定する。顔が近い。
「ライラさんが酷いです! そんなのただの八つ当たりに違いありません!」
「いや違うんだ! ライラは自身の憂さを人にぶつけるような人じゃない。……ごめん。俺の説明が悪かった」
アリシアは振り上げた両手の行き場を失ったまま、ストンと座った。
「ライラさんとはまだ数日前に会ったばかりなんですよね?」
「うん。それでもライラは真っ直ぐで、温かい心を持った人だという事は知っているんだ」
「……ふーん」
アリシアは不服そうな表情で唇を結び座り直した。そしてそのまま無言で身体をピタリと寄せ、俺の肩へ甘えるように寄り掛かる。アリシアの甘い匂いと柔らかい感触が、俺の頬を紅潮させる。情け無い緊張と動揺で身動きが取れない。
「私だったら、レイフさんを不安になんてさせないのに」
アリシアの手がスルスルと伸び、俺の右腕を緊く抱く。フワフワとした二つの甘美な圧力へ全神経が集中する。
「ア、アリシア?」
何とか裏返った声が喉を通る。しかし、それは何処か歯車の外れたように擬古ちない。
「……もうちょっとこのまま」
少女はそのまま目を瞑る。しばらくの間、俺はただ、暖炉の火を見つめていた。
……やっぱり、アリシアは、……俺の事が好きなんだ。……多分。
でも、そうでなければ、こんな風に身体を密着させたりはしないだろう。でも、それでも俺は、君の気持ちに応える事は出来ない。復讐のその道に、君の事は連れて行けない。もしも君がその想いを打ち明けてしまった時、俺はどうすれば、君を傷付けないように振る舞えるだろうか。
「明日はどちらへ向かうんですか?」
思案に耽る俺の意識を現実に呼び戻すように、寄り掛かったままアリシアは尋ねる。
「明日はもう一度南東部の草原へ向かってみるよ。今日は一匹しか見つけられなかったからな」
その柔らかい感触に慣れる事は無く、擬古ちない声のまま。
「ごめんね。お父さんの事もあるのに」
「良いんです。討伐は何時だって命懸けです。それなのに私、レイフさんの負担になるような事言っちゃって」
するとアリシアは徐に立ち上がる。膨らみの圧力を惜しみつつも、どこか安堵する。
「私、簡単ですけど占いが出来るんです。明日、レイフさんが何処に行けば良いか占ってあげます!」
アリシアはタロットカードを持ち出すと、シャッフルし裏面のまま、重ね重ね横一列に並べる。
「大アルカナのみのワンオラクルです。行き先を念じながらカードを一枚捲って下さい」
「じゃあ、明日はもう一度、南東の草原に向かいます」
言われるがまま、左端の一枚を捲る。そのカードは天空の中心に丸い輪? 紋章? が描かれている。
「これは運命の輪の逆位置です。意味は延期や妨害。期待していた事が実現せず、どれだけ頑張っても、大きな壁にぶち当たり、殆ど進展が見られません」
そしてアリシアは少し気不味そうに俺を見上げる。
「……明日は違う所に行った方が良いかもしれません」
「……はい」
ガックリと肩を落とせば。
「も、もう一度やりましょう!」
アリシアは努めて明るく、もう一度シャッフルし並べ直す。
「さあ、良い結果が出るまで引いて下さい!」
「じゃあ、ここから二番目に近い南の街道へ向かおうかな」
そして今度は中央右寄りのカードを捲る。そこには太陽と向日葵が描写されている。
「これは太陽の逆位置です。意味は失敗や虚しさ。希望は絶望へと変わり気分はどん底。願いが叶わない事、悪い状況から抜け出せない事を表しています」
アリシアはそっぽを向く。俺と目を合わせられないようだ。
「最悪じゃないか!」
「も、もう一回!」
そしてアリシアは再度シャッフルしカードを並べる。
「さあ! どうぞ!」
「……何処が良いかな?」
すっかり自信喪失した俺はアリシアへ助けを求める。
「そうですね。エーノル河川の下流東側のマリミア湖の畔へ、事件の発端となった二ヶ月前、〈シレネ〉に襲われた廃村があるんです。七名の死者を出し、今は誰も近寄れずにいますが、そこは確か沢山の〈シレネ〉が目撃されていた筈です」
「じゃあそこにしよう」
そして中央ど真ん中のカードを選ぶ。それは豪華な椅子に腰掛けた綺麗な女性。
「わ! これは女帝の正位置です! 意味は成長や愛。大切な人の愛情を実感できて、計画や事業が成長し、目標を達成させます!」
アリシアの表情へみるみると歓びの花が咲く。
「おお! じゃあ明日はここにしよう。ありがとう、アリシア」
「か、顔が近いです。レイフさん」
喜びのあまりつい顔が近付いてしまった。指摘されてすぐに離れる。それは暖炉の火の赤か、将又、互いの頬が赤くに染まりゆくのを、二人はただ見つめ合う。
「そ、そろそろ寝ましょうか」
アリシアは堪え切れず立ち上がる。二人は紅潮したまま寝床に就いた。俺は昂奮のあまり、中々眠りには就けなかった。
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