第20話

 ◇レイフ視点◇


 村長の地図を頼りに〈シレネ〉の出没情報があった地点へ向かう。その内、今日はカノリアから一番近い南東を捜索する。山岳地帯の村北西部とは違い、こちらはカルスト地形の扇状地。低い丘には雑多な春の草原が広がり、次々と新しい命が芽吹いている。もうすぐ昼過ぎ。この木製の短い橋を渡った先が、一つ目の目的地だ。

「もうすぐ目撃情報があった場所に着く。警戒して行こう」

 声を掛けてもライラは無言。少し前を歩く女王様は不機嫌を隠そうとしない。

 会話が無い。気不味い静寂。

 しかし女王様の怒りの原因が分からない以上謝る術も無い。何か糸口は無いだろうか。

「い、良い、天気だね!」

 本当は少し曇り。しかし情けない事にそれ以外に話題が思い付かない。

「余計なお喋りしないで。死にたいの?」

 こちらを振り向かぬまま。

「……すいません」

 そして沈黙。あれ程に馬車でお喋りだったライラは一体何処へ?

「……昨日はどこに泊まったの?」

 すると、さっき喋るなと発言した張本人が話しかけてくる。言いたい事は色々あるが、これ以上機嫌を損ねる意味も無い。俺は大人なのだ。努めて平静に応える。

「アリシアの家に泊めてもらったよ」

 その瞬間ライラの足がピタリと止まる。

 そして再びの沈黙。俺も何故か気不味く足を止める。

「…………ふーん。お盛んですこと」

 スタスタとライラは早歩きで進みだす。そもそも、何故俺がこの女のご機嫌を伺わなければならないのか。不意な苛立ちから、つい口を滑らせる。

「何でそんな不機嫌なんだよ!」

「別に不機嫌じゃないわ。勝手に決めつけないで」

 その声には明白に怒りが。追い掛け肩を掴み、ライラがその手を振り払った瞬間、初めて彼女の表情を見る。

 そこには、涙。

「な! ……どうしたんだよライラ。何かあったのか?」

 彼女はようやく足を止める。

「貴方みたいな人には分からないでしょうね。そうやって色んな女性を泣かせてきたんでしょう」

 カタリーナの顔が一瞬過る。それでもこの復讐の道の先へ、彼女の幸せはきっと無い。

 俺だって、好きで泣かせてる訳じゃない。何も知らないくせに。大体、それとこれと何の関係が有るのか。

「何が言いたいんだよ。……俺に悪いところがあったら教えてくれ」

 耳の痛い図星を突かれ、その声には遣り様の無い的外れな怒気を滲ませてしまう。

「別に悪いところなんて無いわ! 怒ってなんかない!」

 絶対に怒っている。

 女王様は再び早歩きで離れて行く。

「ライラ! 待ってくれ。ちゃんと話そう」

 追い掛け始めたその時、二人の間の地面から突如、土色の影が飛び出す。そして影は真っ先にライラの背後へ素早く襲い掛かる。

 〈シレネ〉。

「ッ!」

 ライラは気付いているのか? 迷う暇は無い。俺はその神速で〈シレネ〉へ低く直線で跳び迫る。

 間に合え。斬り掛かろうとした瞬間、目の前に俺の姿を反射する一面の紺碧。驚き体制を崩し、氷壁へ激突。そして氷面鏡はバラバラと音を立てて崩れていく。〈シレネ〉は血液すら凍らせたまま、肉体を四散させる。氷壁が崩れてもなお、周囲に息衝く氷塊は若草達を時を止めたまま。中心には背を向けたままのライラと足元から〈シレネ〉へ延びる氷の道、そして空気すら凍て付かせるような脈打つ冷気と殺気。

 これがライラの祝福。その絶大な威力に苦笑が溢れる。

 ……しかし少しでもタイミングがずれていれば、俺もこの目の前の死骸のように息絶えていた。俺は尻餅を着いたまま要求する。

「力を使う時は周りを見てくれ。危うく俺も死ぬとこだった」

「そんな暇は無かったわ。このまま私も死ぬとこだったのよ」

 こちらへ振り向き、その氷の瓦礫の中を、ゆっくりと近付いて来る。その眼差しからは温度は消え失せ、正に氷の女王。

「そうだな。基本的に戦闘は俺がやるよ。ライラは下がっていてくれ。こういうのは慣れていないだろう?」

 立ち上がり、尻周りの土汚れを払いながら応える。何より神速と膂力を高める為にも、俺が穢蕊の命を断たねばならない。

「……何それ? 女は守るべき対象って訳?」

 ライラは組んだ腕の右手人差し指をトントンと鳴らしながら続ける。

「馬鹿にしないで。……私はただ守られるだけのお姫様じゃないわ」

 ライラの表情は氷の女王でも、戯けたお姫様でもなく、只々静かな激昂。

「貴方なんて一瞬で殺せるわ」

 俺の右眉がピクッと振るう。

 やってみるか? ……と言いかけて辞めた。

 これじゃあ本当に喧嘩になってしまう。

 ……いやもうなっているか。

「悪かったよ」

 返事は無い。ただ気不味い沈黙だけが生き存える。

「私達は五分のバディじゃないの?」

「そうだな。ごめん。悪かった」

「私達の力は、相性が悪いのかもしれないわね」

 その声はどこか寂し気で、何時の間にか怒りも涙も蒸発していた。

「そんな事は無いさ。連携すればきっと上手くいく」

 ライラは俯いたままコクンと頷く。

「さあ、ここは片付いた。次は南の出没地点へ行ってみよう。ここから近い」

 今度は自然と俺が先導し、ライラは少し後ろを俯きながら付いて来る。

 ……しかし可笑しい。あんなに大人しく、土中の有機物や微生物が主食の〈シレネ〉が、いきなり人間を襲って来た。東の辺境ではそんな事は一度も無かった筈なのに。このカノリア村の周りだけ? そんな事があるのか?

 何かが可笑しい。そして俺達は無言のまま、地図を頼りに捜索するが、〈シレネ〉は見当たらない。

 だんだんと陽は低く、ふと空を見上げれば、すぐ西の空には乱層雲。夕方には小雨が降るかもしれない。

「もうすぐ雨が降りそうだ。視界が悪くなる前に早く帰ろう」

「……そうね」

 そして俺達は沈黙の中帰路に着いた。今日の成果は一匹だけ。このペースでは四十日掛かる計算。〈ロベリア〉を屠った伝説に比べれば何と対照的な初日だろうか。こんなんじゃ、聖騎士なんて夢のまた更に夢。

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