第8話「エル、あなたセレナ様のこと好きだったの?」
翠玉の湖畔に佇む古城エメラルディア。その玉座の間で、レオンたちは緊張した面持ちで立っていた。
玉座に座る若き王女、セレナ・エメラルドアイは、深緑の瞳でじっとエル・ファリスを見つめていた。その視線に、ある種の切なさが潜んでいるのを、アイリスは見逃さなかった。
「久しぶりね、エル」
セレナの声は、柔らかくも威厳に満ちていた。
「はい、セレナ様」
エルは恭しく頭を下げる。しかし、その仕草には微かな戸惑いが見て取れた。
レオンは状況が飲み込めず、アイリスに目配せする。アイリスは小さくため息をつき、レオンの耳元で囁いた。
「鈍感ね。エルとセレナ王女の間に何か特別なことがあるのよ」
レオンは驚いた表情を浮かべたが、すぐに納得の色を浮かべる。
セレナはエルから視線を逸らし、レオンたちに向き直った。
「あなた方が、魔王討伐の旅をしていると聞きました。私たちの国も魔王の脅威にさらされています。どうか、力を貸してください」
レオンは胸を張って答えた。
「お任せください! 必ず魔王を倒し、この国の平和を取り戻します!」
セレナは微笑んだが、その目はエルを追っていた。
「ありがとうございます。そして……エル、あなたは……このまま旅を続けるの?」
エルは一瞬、躊躇いを見せた。しかし、すぐに決意の色を浮かべる。
「はい。私には仲間たちと共に、魔王を倒す使命があります」
セレナの瞳に、一瞬悲しみの色が宿った。しかし、彼女はすぐに気丈に振る舞った。
「そう……わかりました。どうか、気をつけて」
会見が終わり、一行が城を後にしようとしたとき、アイリスはエルの袖を引いた。
「エル、あなたセレナ様のこと好きだったの?」
エル・ファリスは、アイリスの問いかけに一瞬たじろいだ。彼女の翠の瞳に、複雑な感情が交錯する。深呼吸をして、エルはゆっくりと口を開いた。
「……そうよ、アイリス。私はセレナが好きだった。いいえ、今でも好きよ」
エルの声は小さく震えていた。彼女は遠くを見つめ、続けた。
「でも、私たちの間には越えられない壁がいくつもあるの。まず、身分の差。私は一介の弓使い。セレナは王国の王女よ。そして……」
エルは言葉を詰まらせた。アイリスは静かに頷き、エルの手を優しく握った。
「そして、私たちは同性同士。王国では、そういう関係は……あまり好ましく思われていないわ」
エルの目に、悲しみの色が浮かぶ。
「私たちが出会ったのは、5年前。私がまだ王城の衛兵だった頃よ。セレナは毎日、城の庭園で一人寂しそうにしていた。話しかけたら、とても嬉しそうだった。それから少しずつ、親密になっていって……」
エルの頬が僅かに赤みを帯びる。
「気づいた時には、もう手遅れだった。セレナへの想いが、この胸に溢れていて。でも、私は自分の立場をわきまえていたわ。王女様と平民の女性。そんな関係、誰も認めてくれない」
エルは深いため息をついた。
「だから、私は逃げるように旅に出たの。セレナのためにも、私自身のためにも、それが最善だと思って。でも、今でも夜になると、セレナの笑顔が瞼の裏に浮かぶの」
アイリスは黙ってエルの話を聞いていた。エルは続ける。
「私たちの関係を誰かが知ったら、セレナの立場が危うくなる。王国の未来だってね。だから、私は自分の気持ちを押し殺して、遠ざかることにしたの。セレナのために」
エルの目に、涙が光った。
「でも、今日セレナに会って、全てが蘇ってきた。あの頃の想い、二人で過ごした時間。私の決意が、揺らいでしまったわ」
エルは空を見上げた。
「私にはみんなとの使命がある。でも、この想いも捨てられない。アイリス、私……どうしたらいいの?」
エルの声には、悲痛な響きがあった。彼女の心の中で、使命と愛が激しくぶつかり合っている。
アイリスは静かにエルを抱きしめた。
「エル、あなたは一人じゃないわ。私たちがいる。そして、きっとセレナもあなたのことを想っているはず。今はみんなで魔王を倒すことに集中しましょう。その後で、あなたの幸せを一緒に考えましょう」
エルはアイリスの言葉に、小さく頷いた。彼女の心の中で、新たな決意が芽生え始めていた。
「アイリスは……もしかして、レオンのこと……?」
しばらく間をおいてエルはアイリスに問いかけた。
アイリスは顔を赤らめ、慌てて否定した。
「ち、違うわよ! あんな鈍感男なんて……」
エルは小さく笑った。
「そう? でも、あなたたち、最近雰囲気が変わってきたわよ」
アイリスは言葉に詰まった。確かに、最近のレオンとの関係は、以前とは違っていた。でも、それは呪いのせいで……そう言い聞かせても、胸の奥で確かに芽生えつつあるものがあることを、アイリスは否定できなかった。
その時、レオンが二人に近づいてきた。
「おい、そろそろ行くぞ。……って、どうしたんだ? 二人とも顔真っ赤じゃないか」
アイリスとエルは顔を見合わせ、思わず吹き出した。
「なんでもないわよ、この鈍感男」
アイリスがそう言いながら、レオンの頬にキスをする。レオンは驚いた表情を浮かべたが、どこか嬉しそうだった。
エルはその様子を見て、微笑んだ。彼女の心の中で、セレナへの思いと、仲間たちとの絆が交錯していた。
「さあ、行きましょう」
エルの声に、レオンとアイリスは我に返った。三人は城を後にし、エメラルディアの街へと足を向けた。
翠の屋根が連なる美しい街並み。水晶のように透き通った運河が街を縦横に走り、そこかしこに噴水が設けられていた。緑豊かな並木道を歩きながら、エルは深い物思いに沈んでいた。
アイリスは、エルの背中越しに城を振り返った。最上階の窓辺に、セレナの姿が見えた気がした。
「エル……本当にいいの?」
アイリスの問いかけに、エルはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「……私には使命があるわ。セレナには、セレナの道がある。いつか、全てが終わったら……その時はまた、彼女に会いに来るわ」
エルの瞳に、決意の色が宿っていた。
レオンは二人の会話の意味を完全には理解していなかったが、仲間の背中を力強く叩いた。
「ああ、必ず戻ってこような。俺たちで、絶対に魔王を倒すんだ」
エルは感謝の笑みを浮かべた。
「ええ、そうね。みんなで、きっと……」
三人の足取りが、少し軽くなった気がした。彼らの前には、まだ長い旅路が待っている。しかし、互いを信じ、支え合う絆があれば、どんな困難も乗り越えられる。そう、彼らは信じていた。
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