第3話 賀籐兄妹 3
3
今度、弓と会ったら、確実に抱くな、と音矢はそう思っていた。
塾の集中講義がある、とか、自宅で改修工事に付き合わなければならないと云って、妹と会うことを延期していた。
だが、それは裏目に出た。
その抑える気持ちの反動が、むしろ侵犯する心を悪化させていったのだ。
弓の方も、もう会うのはヤバいと思っていたのだが、最初に堰を切ったのは彼女の方だった。
『今度会えないと、私はどうするか自分でも判らない』
そうLINEで送ったのは弓であった。
『じゃあ、会おう』
このレスするのに音矢は正確に14分悩んだ。
季節は冬になっていた。
クリスマスムード一色というやつだ。
JRの基地がある高台の駅が最寄りの音矢と世田谷方面から来る弓は新宿でいつも落ち合う。
山手線内、音矢は自分の鼓動が早まるのを感じた。
良心が「ウソのメールを出して、引き返せ」と云っている。
妹と最後に過ごしてから約ひと月、音矢の悪名は学園で轟いていた。
実際に音矢は弓と逢瀬を兼ねるうちに、着るものや髪型に気を配り、女性と同席する時のエスコートを心得るようになっていた。
長身で、細見で、案外顔はいい眼鏡男子である音矢はある意味、人気はあったのでモテ期が来たかのようだった。
一緒に帰ろう、とか、アド教えて等の誘いにほいほい従った。
結果だけ挙げれば、音矢はたったひと月で、10人の女子と登下校を共にし、そのうちの5人とは外食に行き、更にそのうちの4人とは口づけを交わした。
彼の不埒を非難はできようが、音矢としては必至だった。
それは早くカノジョを作れば、妹をカノジョにすることはなくなるからだ。
だが、面白いことに妹とのキス以上の甘さを、誰からも感じなかった。
そもそも甘いどころか、何も感じなかった。
ホテルの前まで2人の女子とは行ったが、入ることはなく、さっさと音矢は帰ってきた。
その悪名がそろそろクラスだけでなく、学年中にも広がりつつあった。
―弓の学校が女子校で良かった。
そんな立場なのに、音矢はそんなことくらいしか考えてなかった。
駅に着く。
時間は9:45。
10時に靖国通りにある区役所通り入口で待ち合わせだから、少々早い。
土曜の午前、大学生なのか、酔いに任せて奇声を上げる連中が数名いた。
―醜悪だな。
視界に入れたくなかったので、逸らすとそこには一人の女の子が目に入った。
セミロングの髪を束ねるだけでなく、その髪留めまでもが弓のものに似ていた。
子どもの時の弓にそっくりであり、その少女は隣の少年に「アニキが、行った通りに来たのに埼京線じゃないじゃん!」と怒っていた。
つまりその幼い小学生兄妹に昔の自分と弓を音矢は見たのである。
―それはつい数年前のことだったじゃあないか。
「なんだよ~~~~~~!そのノリ、オレが昨夜さんざん奢ってやったのにさ、おかしくね?」
これはさっきの酔漢の台詞。
―今ならば、未だこの2人の頃に戻れるよな。
その2人、兄は小学校中学年、妹は低学年と年齢は2、3年は離れているように見えた。
音矢と弓は一つ違い、学年も一つ違い、違うところの方が多いのかもしれないが、音矢としては誰かに止めて欲しかった現れなのかもしれない。
「おまえみたいなチー牛野郎と付き合ってやっているオレへの親切心が足りないんだよ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」
酔漢同士の大学生の他方の台詞だが、それをこのプラットホームにいた皆がいやいや聴いていたのだが、この中で音矢だけが、この酔漢2人と小学生兄妹の両方に注目していた存在だった。
だから、チー牛野郎と云われた学生が云った方の学生に右肩を力強く押され、泥酔していたためか、千鳥足のため、いつもよりよけいに突き飛ばされて、体重が軽い小学生の女の子を巻き込んで、倒したのを、そう、音矢だけしか直ぐには気付かなかった。
その音矢の降りたホームの反対側は総武線が到着する16番線。
もう肉眼で見える。
音矢は兄妹の兄の方を見た。
身体が硬直している。
とっさのことに、動けないのだ。
これは大変なタイムロスであった。
この兄のチェックをしていなければ、音矢はその女の子の襟首を引っ張るだけでよかったのだ。
音矢の脳内シナプスは、この一瞬だけ自分を正気に戻してくれた、恩義ある少女を助けることを至上命令と確定し、それならば、どうすればそれが可能かをすぐに弾き出した。
躊躇する可能性があったのだが、すでに兄の方のチェックで貴重な約1秒をロスしていたので、彼は自分にいかなるためらいも禁じた。
少女の距離まで3メートルはある。
そのたった3メートルをかれは全力疾走した。
たった3メートルである。
それほどの加速はつかないので、右手をフルスイングする必要があった。
ホームに突き飛ばされた女の子の首はホームに漏れていたのだが、その首根っこを音矢は掴み、そのまま大振りに大振った。
少女は兄の腕の中に収まり、音矢は疾走と大振りの反動によりホームへ落ちたのだが、そこに電車が入って来たので、弾き飛ばされた。
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