信頼主なし信頼社会

@mixxi

第1話

現代社会は主に「ヒト」信頼によって成り立っている。お金の価値を保証するのは国であり、我々は国を信頼しその国が発行するお金を使用している。

しかし、20世紀からの急激な情報化社会によって一部は「モノ」信頼に置き換わってきている。昔は手紙を信頼する誰が届けるかといった「ヒト」に信頼を置いて情報をやりとりしていたが、近代ネットなどに使われる暗号は逆算の難解さつまり「モノ」に信頼を置きデータをやりとりしている。

そして21世紀の初めに「モノ」信頼の代表的な物である仮想通貨のシステムが発案された。仮想通貨はその通貨の価値を保証する国もなければ、管理する銀行もない。しかしこれもまたブロックチェーン技術などによる「モノ」に人々が信頼をし価値が成り立っている。

ゼロ知識証明では証明者がもっている情報を、検証者に渡すことなく情報を持っていることが真であることを証明する。例えば、「A君はクラスのマドンナCちゃんの意中の人を知っている。Cちゃんに惚れたB君はA君にお金を払い意中の人を教えてもらいたい」とする。ここで、B君はお金を払わないかもしれない(B君を信用できない)からA君は「お金を受け取ったら意中の人を伝えるよ」といった。しかしB君としては、本当にA君がCちゃんの意中の人を知っているのかがわからない(A君を信用できない)ので先に意中の人を教えてもらいたい。そこで互いに信頼をおいてない二人が取引するためにゼロ知識証明を用いて、A君(証明者)が意中の人(情報)をB君(検証者)に渡すことなく、その情報を持っていることを証明する。真であれば無事取引ができ、この時二人が信頼関係を築くことなく安全な取引が成立する。「この人は嘘を言わないだろう」といった「ヒト」に対する信頼ではなく証明されたという絶対的な「モノ」に信頼を置くことで他者と安全なやりとりができるのだ。

人と人との信頼は長年の付き合いや商的関係からなどしか生まれない。ただその信頼はあくまで予測的信頼であり絶対的信頼ではない。友人が実は自分からお金を盗んでるかもしれないし、ある日信頼していた銀行が潰れることだってある。そんなことはしないだろう、そんなことにはならないだろうという予測的信頼によって成り立つ貧弱な関係がまだ社会には多い。しかし暗号理論や仮想通貨はどうだろう。これらは数学的に不可能が示され、その証明された不可能さに信頼を置いている。取引する相手に長年の付き合いがなく信頼を置かなくても用いるアルゴリズムに信頼を置けば取引が何の問題もなくできるのである。「モノ」信頼は人を信じたり疑ったりなどせずに関係性を保つことを可能にする。

隣接する小国同士がお互いを侵略しないかどうか「侵略なんてしないよね」といった相手方への信頼ではなく、絶対に負けない強大国(=「モノ」)を信頼しその強大国がお互いの領土を決める、見張ることで両国間の信頼はなくともそれぞれの安全は守られる。

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