破壊<創造の世界

@mixxi

第1話

今のこの世界は、「破壊>創造」という原理のもとで成り立っている。この不等号は価値や難易度など様々な物の比較している。例えば、壊れたパソコンと新品のパソコンでは新品のパソコンの方が価値が高い。また、パソコンを壊すこととパソコンを作ることでは圧倒的に前者の方が難易度が低い。当たり前のように感じるが、この原理のもとで興味深い話ができる。


例えば、戦争についてである。もちろん戦争という行為もこの原理に沿って行われる物である。ミサイルや爆弾によって建物を破壊する。また、銃弾や毒ガスによって人体を破壊する。これが「創造>破壊」であったらどうだろう。建物を破壊すること自体の難易度が上がりまたどれだけ破壊しても創造の方が簡単にできてしまうため、壊しても壊しても作り出される。人体であっても、銃弾を当てて破壊しても創造(再生)できてしまえば痛くも痒くもない。よって真逆の原理における戦争はこうなるだろう・・・他人(他国)の土地にどんどん建物を作り人を作ることで土地や財政を圧迫させる・・・もしくは戦争という行為自体が存在しないかもしれない。相手から奪おうとするものはなんでも自分で作れてしまう可能性があるからだ。

したがって戦争というのは最も「破壊>創造」の原理に基づいた行為であるとも言える。


また従来の原理に基づく世界では、”なおす”立場にある人のほうが価値が一般的には高い。病気、怪我を治す医者や機械、機器を直す専門家(車屋や電気屋、エンジニアなど)、また政治家も国を治す(治める)立場にある。破壊というものはいってしまえば誰にだってできる行為である。例を挙げると、パソコンを濡らすことや病気にかかる、対人関係を悪くすることなどは誰しもができうる。しかしながら、パソコンの壊れた部品を取り替えて直すこと、病気を分析し患者に適した療法を判断し治すこと、人々の考えをまとめ代表し関係を治すことは、その分野における専門的な知識や才能、努力が必要である。

では「創造>破壊」の世界においてはこれはどうなるであろうか。誰しもがパソコンを組み上げたり直すことはできるが、それを破壊しようとしてもできない。また誰しも他人と良い関係を築くことはできるが、仲を悪くする事はできない。はたまた病気、怪我を治すことはできてもそれにかかることはできない。もうここまで書けば気づくであろうが、逆の原理に基づいた世界では専門家や医者、政治家は必要ないのである。そして破壊行為:物を燃やす、物を曲げる折るなどに知識や才能、努力が必要とされるのだ。


我々は普段「破壊>創造」の世界に慣れているため、「創造>破壊」の世界を想像することが難しい。上に挙げた物もそれらの差異による影響のほんの一例であるだろう。もしくはもっと違うことが起きるかもしれない。

最後に、そもそもなぜ私がこのような逆の原理について話しているのかを説明する。

今後百年二百年と経った未来、人類が自身の怪我、病気を克服した先の世界を考えた時、それは通常考えれば今の世界よりも幸福であると言える。しかし上で話したように「破壊>創造」の原理が逆になることで起きる現象について考えると一概にそうとは言えないかもしれない、と思ったからである。これは怪我や病気の克服などと言った生物分野だけでなく、物体においても同様なことが懸念できる。

人類の進歩には何が付きまとうのか、その先を想像できなければ、現在における環境破壊問題などの二の舞になってしまうだろうと私は考えるのだ。

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