感情論


 「起」



 起承転結。起は物語の冒頭部分。承は物語が進んでいく場面。ならば転は、その物語の事が大きくなる場面。

 主人公のゴールから遠ざかり、目の前に巨大な岩が立ちはだかる転換点でもある。

 それは、観客を、読者を魅了し、更にその世界へとおびき寄せる鱗粉の役割を担う。

 しかし僕が書いた脚本には「転」はない。物語が始まり、進み、そして終わる。主人公を悩ませる劇薬も、治療薬も存在しない。あるのは安泰した世界と日常。それだけを僕は書き続ける。


 アリカ中部のグランドル市部は、僕の書いた脚本とは程遠い暮らしを余儀なくされていた。

 貧乏。家賃もない。日々、強盗が起き、日々、人が死ぬ。道端で喧嘩が勃発し、市民に不安と怒りが渦巻いている。アルコールの臭いが漂い、酒に逃げる人が後を絶たない。

 ゴールから遠ざかり、目の前に巨大な岩が立ちはだかる転換点が常に訪れていた。だから僕は、物語の中だけは安泰な暮らしにしたいと「転」の存在しない物語を書いているのだ。

 「転」が常に起こる日常。そんなグランドル市部を変えようと団体を設立。劇団員を何組か構成して、僕の書いた脚本を演じてもらった。

 しかし「面白くない」と揶揄され、空き缶を投げつけられ、野次を飛ばされる。唾を付けられ、「期待して損した」と頭を殴られる。


 勿論怒りが沸々と湧いてきてやり返した。拳で相手の顔面を思い切り殴った。すると相手は懐から拳銃を取り出し、僕に銃口を向けてきた。恐怖に口が開き、足が言う事を聞かなくなった。

 もしその場をなだめてくれる友人がいなければ、僕は死んでいたことだろう。

 その後、友人から「物語を貶されて嫌なのはわかるが、我慢しろ。お前がそんなんでどうすんだよ」と正論を叩きつけられたが、その正論は僕にとっての正論ではなかった。

 何度も頭を試行錯誤して生み出した作品に口出しされたんだぞ。ふざけんな。僕の正しさを間違いだとアイツらは言ってきたんだ。怒りが湧かない方が、意味わからんだろ。

 団体の空気が日に日に悪くなっていく。これ以上続けても意味はないと団体を抜ける者も出始めた。そのせいもあってか、僕のイライラは沸騰直前だった。


 そんな時。友人が密かに開発していた「感情取り除きクリーナー」を僕に見せてくれた。それは洗濯機に酷似した形状で、ひと一人丸々すっぽり入りそうなスペースがその中に設けられている。

「ジョイ、人間の感情とは一体何のためにあるんだろう。特に怒り、イライラという感情は人間に必要なものではない」

 友人は機械のボタンを押す。無機質な音が鳴り、作動音が部屋に鳴り響く。

「マジで死んじまえよアイツら。僕の物語を侮辱しやがって!」

「ハハハハハ、やっぱり面白い感情だ。イライラに頭を乗っ取られ、自分を守ろうと必死になっている」

「うるせえぞ友人」

「キレても良いことがない。そんな感情的になって、物事が良い方向に向かったことがあるか? 自分を守ろうとすればするほど、逆に自分自身を壊していることに何故気付かない? 今の君は自殺しているのと一緒だ。つまり感情的になるのは、自分から死を選ぶようなものと何ら変わらないという事だ」


 イライラ、ムカムカ、怒り。動物にもそういった感情はあるが、人間はそれ以上に複雑だ。

 何をどうしたらイライラして、ムカムカするのかも人によって全く異なってくる。

 非常に扱いづらい。割れやすい瓶を持ち運ぶのと同じような感覚。


 そんなクソみたいな感情は必要ない。あってはならない。


 だから僕は「感情取り除きクリーナー」に入り、感情を取り除いてもらった。

 

「承」


 心が穏やかだ。今までが嘘だったかのように、僕の心は快晴で澄み渡っていた。

 イライラという感情は本当に必要なかった。

 次第に、なんでこんな感情を、僕は大事にしていたのだろうと考えるようになっていた。

 団員が続々とクリーナーに入り込み、皆僕と同じ領域に達していく。

 人々は未だに強盗やら窃盗やら続けていたが、僕の心は何も変わらない。

 物語を披露してバカにされても、何も感じない。

 不安も、悲しみも、勿論怒りなんてものは微塵も感じない。

 本当に人間という生き物は不完全だと感じた。

 知能。そのオーバースペックの代償に、感情という扱いづらい機能を与えられ、自分自身を常にコントロールしなければならない。もし、感情を操作できなければ周りから変な目で見られ、周囲に溶け込めなくなる。

 すると人は頭の中で考える。

 何故自分の言う事を聞かないのか。何故自分だけひとりぼっちなのか。

 そんなことを考えれば考えるだけ、不安や怒りが湧くのは当たり前の話である。

 なのに、人はネガティブなことを考える生き物だ。

 ここグランドル市部も、そういった感情のメカニズムが市民のノウハウに刻み込まれている。

 そんなノウハウを消すために、僕ら団員はクリーナーを市民に進めた。

「これを使えばあなたは感情の渦から脱出できるでしょう」

 抵抗を示す者は無理矢理、機械の中に押し込んだ。音が鳴り終え、蓋を開けると見違えた表情をした市民が顔を出した。

「私はなぜこんな感情的になっていたのだろうか」

 団員の数が増えていく。こんなに素晴らしいものはないと、団員一丸となってクリーナーを推した。

 道路で行進し、クリーナーの素晴らしさを伝えた。銃撃で少しだけ団員が死んだが、特に何も感じなかった。

 


 「承」

 

 ある日、僕は頭を殴られた。怒鳴られた。

「お前ら気色悪いんや。俺を馬鹿にしてんのか」

 可哀想な人だ。イライラという感情に身を任せてしまい、身を滅ぼしてしまっている。

 自分が弱虫と公言しているのと同じであろう。こちら側を「気色悪い」と勝手に紐付けし、自分自身こそが正義だと守りに入っているのだから。

 僕ら団員はそういった可哀想な人達を救うべく、活動している。

「この人をクリーナーまで運んでいきましょうか」

 彼を団員たちで担ぎ、感情を消すためにクリーナーまで運んであげる。

 目的地に向かう道中、僕にも彼のような過ちを犯していたことを思い出す。あれはそう、イライラのせいで起きてしまった最悪の「転」だ。


 僕には娘がいた。母親は既に他界しており、シングルファザーとして教育を叩き込んでいた。しかし叱れば良いという問題ではない。褒めることも大切であり、逆に甘やかしすぎてもいけない。丁度いい塩梅が調節しきれないまま、僕は娘にきつく指導しすぎていた。

 ある日、僕は「テストの結果を見せろ!」と怒鳴った。

 娘の手は震えていた。僕は口を震わせていた。

「なんなんだこの点数は! ちゃんと勉強してんのかお前!」

 僕は勉強が得意だった。簡単に点数が取れた。だから娘も簡単にできるであろう。僕は勝手にそう思い込み、娘の正しさを侵した。娘は自分なりに頑張っていたのかもしれないのに、心境を真剣に考えず、自分の正しさだけで言葉の暴力をふるった。

 ムカムカが止まらなくなった。次第にテストの事だけじゃなく、日常の不満を全てぶちまけてしまった。感情的思考になると、次々と怒りが煮えたぎってくる。頭がイライラ、怒りに支配され、娘と口論になった。


 娘も癇癪をおこしていた。もちろん自分の正しさを否定されたからだ。もしかしたらバカにされている、被害者意識が強くなっていた、等の感情もあったかもしれない。どちらにせよ、僕のせいだ。

 娘は勢いで家を飛び出し、道路に飛び出し、車に轢かれた。頭から血が飛び出していた。僕の心臓は飛び出しそうになった。

 僕は過剰防衛に走り、轢いた運転手に殴り掛かった。自分は悪くない、悪いのはこいつだ。

 頭の中のどこかで自分が悪いと本当は気付いていた。その事実に余計イライラがたまり、自分の心を守ろうと相手の頭を何度も何度も何度も殴った。

 その後だった。僕が「精神障害」と断定されたのは。

 それに続くように僕は物語の「転」が嫌いになった。

 物語における怒りという感情は重要なシーン、つまり起承転結の「転」の場面で使われることが多い。仲間割れや人殺し、などなど。

 しかし僕は嫌だった。怒りという感情を使わないと「転」に進めない物語が。

 だから僕は「転」の存在しない物語を書くようになったのだ。


「もう少しで楽になりますから」

 クリーナーの置いてある場所までもう少しだ。僕は先導して先頭を仕切り、団員を誘導した。

 その時、僕の鼻腔に煙が吸い込まれてきた。

 一体、これは何なのだろう。特に何の感情も湧かない。

 不思議に思いながらも、目的地まであと一歩の所までやってきた。僕は振り返り、淀みのない笑顔を彼に向けた。

「あなたはこれから生まれ変わります。イライラや怒り、そのような感情を捨てましょう」

「この宗教団体が!」

「宗教団体? 良いですねその響き。僕たちはこれより宗教団体です」

「っっ……」

 彼はイライラに苦しんでいる。早く解放してあげなければ。怒りという鎖を解き放ち、自由の身にしてあげなければ。

 僕は全ての人間を解放してあげたい。そうして僕の犯したような過ちが二度と繰り返されないようにしたい。

「あの、ジョン。あれは何だい?」

 友人が指さしながら空を見上げた。何か変なことでもあったのだろうか。

 僕も釣られて空を見上げた。そこには、まるで夕陽のような紅が空を埋めていた。現在深夜の三時。これは何かが変と僕たちは駆け出した。

 

「承」


 訪れて欲しくなかった光景が僕の目に焼き付いた。

 クリーナーを置いていた倉庫がぼーぼーと燃えていたのだ。僕ら団員は呆然と立ち尽くし、唖然となった。犯人を捜す気には到底なれず、友人の肩に手を伸ばして再出発しようと企てた。

「もう一度作って欲しい」

「あれは貴重な資源を使っているんだ、もう無理だ」

 表情を変えずに友人は言った。その発言に暗い影が灯る。本来ならば深い絶望に苛まれるのだろうが、まだクリーナーの効力は続いているらしい。

 僕は火の海に近付き、クリーナーを探した。火の粉が視界を遮り、羽虫のようにちらつく。それでもイライラしないという強みを生かし、僕は炎に手を伸ばす。

「自殺行為かよ」

 後ろから誰かが言った。それは僕を完全に馬鹿にしている物言い。最近働いていなかった眉がピクリと反応を示した。あれ、この感覚は…………。


 いや、そんなはずはない。


 僕は頭を左右に振って、再び手を伸ばす。クリーナーがなければ、僕は生きていけない。あんな感情もう二度とごめんだ。

「だ、誰か! 水を持ってきてくれ!」

「ジョン、もうやめにしよう。ここまで火が強くなったんじゃ消化できない」

 見上げた。もう魔の火は僕の何十倍の身長にまで膨れ上がり、てっぺんを見上げるのは首が痛くなるほど。嫌だ。まだ可能性はあるはず。

 その時だった。火を付けた主犯格がぞろぞろと顔を出した。

「あはははは、いいザマだ」

「ほんとっ、おまえらきしょいわ」

「変な宗教俺たちに吹き込みやがって。そのお返しだ」

 いらない感情が芽生えたのを感じる。なんとか摘み取ろうと手を伸ばすが、脳ミソがそれを拒んできた。

「マジでくそいらいらしとったわ。お前らの気持ち悪い顔。鼻に触るわ」

 鼻ピアスの男が偉そうにほくそ笑んだ。僕は懐の拳銃に手を伸ばす。もう一人の僕は押し戻そうと踏ん張るが、本当の僕はすでに限界を突破しているらしい。

「おいなんか反論してみいやそこのお前」

 僕に話を振られる。話すことなんてない。そこから立ち去れ。じゃないと殺すぞ。

 遂に音を立てて倉庫自体が崩れ去り、いらない感情が急速に成長をし始めた。より炎の勢いが膨れ上がり、同時に僕のイライラも膨れ上がった。

 他の団員も同様だった。拳銃を取り出し、殺意を男に向けた。

「え、ちょ……」

 イライラに頭を乗っ取られるなんてもんじゃない。全身がイライラに包まれたかのように歯止めが効かなくなっていた。

 バン! 乾いた銃声が鳴り響き、僕の銃弾はピアス男の脳天を貫いた。

 


「転」


 物語に怒りを組み込む脚本家は、自分の愚かさに気付いているのだろうか。

 たしかに愚かさに気付きながら、あえて怒りを取り入れる脚本家もいる。しかし、そうではない場合。愚かさに気付いていない場合、僕は酷く軽蔑をすると思う。

 何度も言うが、怒りやイライラは、物語を悪い方向へと誘う最悪の感情である。今しがた、僕は自分のイライラを制御できず大量殺戮を繰り返している。サイコパスでもない限り、それはどう考えても良い方向とは捉えられない。

 もし、自分の作品にイライラや怒りを意図してなく取り入れた脚本家がいるならば、今一度自分の描いた作品を見つめなおしてほしい。

 そして気付くであろう。自分はこんなクソみたいな感情に頼って物語を書いていたのか、と。


 僕の手は血まみれで、感情は怒りに溢れ、銃弾は底を尽きようとしていた。

 ならば次は素手で相手の顔面を破壊する。僕は鼻ピアスの男の鼻ピアスを勢いよく引き抜き、血の溢れだした鼻を思い切りぶん殴った。骨の折れる音が伝わり、もう少しで鼻としての役割を終えそうな鼻をもう一度ぶん殴った。

 放物線に鼻血が飛び、僕の服に汚い血が付着する。

 それだけで僕のイライラはまた最頂点に達した。

「きたねんだよボケ殺すぞ」

 クリーナーのせいで、ここまでの怒りに苛まれていることに薄々気付いている。感情は感じなくても、内なるストレスは溜まり続けていたようだ。

「おらあ! おらっ!」

 自分の拳が変形するまで殴り続け、相手の顔面をブス方面へと整形させていく。

 そして何時間経っただろう。パトカーのサイレンが鳴り響いた。ろくに仕事をしねえくせに、こういう時だけ来やがって。いつも見て見ぬふりしてるくせに死ねよマジで。

 のこのことやって来た警官に殴りかかるが、当然かなうわけもなく、生き残りの人達は全員捕まった。僕も含めて。

 

 僕はパトカーの中、自ら「転」の引き金を引いたことをひどく後悔していた。しかしそれはつまり、そもそもイライラという感情があったからにすぎない。僕は暴れまわるが押さえつけられ、車内に歯ぎしりを響かせた。それが今僕にできる精一杯の足搔きだったのだ。

 

 イライラ、怒り。そういった感情は他生物でも確認されている。しかし、人間は他生物を莫大に上回る感情を頭の中で抱いている。

 これをどうやって良い方向に導けというのだろうか。何度も言うがイライラや怒りが良い方向に転んだことがあるか?


 カウンセラーの先生は「感情とは、心の自己防衛機能」だと言っていた。

 ハサミで皮膚を切り「痛い」と感じるのと、バカにされてイライラするのは同じことだと。そうおっしゃっていた。

 そしてこうも言った。「本当に人間という生き物はよくできているね」と。

 本当にそうか? そもそも知能がこんなに発達していなかったら、心の自己防衛機能なんて必要ないのではないか。

 

 イライラや怒りのせいで今人類は破滅に向かおうとしている。

 戦争。これは怒りやイライラのなれの果てだ。こんな感情があるせいで、苦しんでいる人間たちが沢山いる。


 おいどういうことだ? どう考えてもいらねえだろこんな扱いづらい感情なんて。なあおい聞いてんのか? てめえ。

 イライラや怒りはいらねえんだよ。人間に不必要な感情なんだよ。


 僕は言い続ける。こんな感情なんて必要ないと。

 僕は感情的になって言い続ける。こんな感情なんて必要ないと。


「結」

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