清周

谷樹里

第1話

 連絡線が途切れていた。

 完全に油断した。偽装は完璧と思っていたのだが。

 身体の電子加工も連絡線が切れているのでは効果が出るはずもなかった。

 みぞおちに蹴りを入れられ、頭側面を殴られた陽唯(ひゆい)は、道路にはいつくばって意識を維持しようと歯を食いしばっていた。

 傍に長い髪のウィッグと帽子が落ちている。

「俺たちは運が良い。おまえもな、陽唯。上には黙っておくよ。こんなお宝が、のこのこと昼間の通りを歩いてくるとは、思わなかったよ」

 男の一人が薄笑いをして彼女を見下ろした。

 彼を含めて三人。全員がゴシック・パンク系の服を着た二十代前後の若者だ。

 武器らしい武器は持っていないところが、幸いか。と、全身に痛みを感じつつ、陽唯は考えていた。ただ、連絡線が途絶えた以上、彼女も戦い方がシンプルになるのだが。

 罠だったか。

 だが、医療用の鎮痛剤がたまたま切れて、意識も怪しかった陽唯は気付きもしなかった。

 まったく嗤える話だ。

 この地域の連絡線はあらかじめ切られていたのだ。

 よって、電子ネットも使えなければ、指揮師としての能力も使えない。

 ただ、身体と四肢があるだけだ。

 十七歳だが、小柄で華奢な身体が、もっと幼く見せていた。ボブのサイドをまとめてサイドポニーテールにした彼女は、黒いパーカーにタンクトップ、ハーフパンツにスニーカー、全て黒ずくめという恰好である。

 本来の好みではない。

 今、黒い色が巷で流行っているというだけで、あとは加工で何とかなると思っていたのだ。

 ナイフは持ってきていたが、今の身体の状態では振るえる自信がない。

 だが、相手は器物回収者だ。

 陽唯は何とか立ち上がり、ナイフを右手に握った。

「おーおー、さすが。『緋の少女』はちがうねぇ。死にかけながら、それかい?」

 男は目にも止まらない回し蹴りで、陽唯のナイフを弾き飛ばした。

 終わりか。

 いや、ここでチャンスがなくとも、回収されてゆく途中や目的地でなら……。

 甘い考えだと自嘲する。

 やはり、終わりだ。

 男たちは、うすら笑いのままに彼女を三方に囲む。

 往来の人々は見て見ぬふりをしつつ、足早にその場から立ち去ってゆく。

「……ここかぁ」

 昼間だというのに、ランプを持った少年が彼女らの傍で立ち止まった。

 エスニック系のコートを着て眺めの髪を後ろで短い尻尾にまとめ、大き目のサイズのTシャツとハーフパンツ、サンダルという恰好である。

 陽唯と同年代に思えた。

「何だてめぇ!? さっさと消えろ!」

 男の一人が怒鳴る。

 少年は不思議そうな顔で彼をじっくりと眺めて、ため息を吐いた。

「なんだ、ただのチンピラか」

「んだと、コラ!?」

「急にこの地域のネットワークが切れてたから、どうしたのかと思ったんだけどね。ひょっとして、おまえらが? 頭悪そうなの?」

「黙れよクソガキ!」

 男は電磁ナックルを嵌めた拳を少年に振るった。

「がっ!!!?」

 差し出すようにしたランプに触れたとたん、男は身体を伸ばすように反らせて、固まった。

 残った三人には何が起こったかよくわからない。

「なんだ、面白くない。旧遺物かとおもったら、ただの喧嘩か。無駄足使っちまった」

 少年は深く息を吐いた。

 その視線の先に、陽唯が立っていた。

「あー、ついでだしなぁ」

「何がついでだよ!」

 男の一人が腰から拳銃を抜いた。

 ためらいもなく撃った弾は、少年の眼前で止まったかと思うと、そのまま路上に落ちた。

 男は茫然とする。

「どうせ、それ、発掘して改造した粗悪品でしょう? 銃というのは、こういうもののことを言うんだよ?」

 少年は人差し指と親指を立てて、男に向けた。

 男は我に返ると舐め切った笑みを浮かべる。

「なんだそりゃ?」

「バン!」

 少年が言ったとたん、に停まっていた車が急カーブを描いて走り出し、男たち二人を撥ねた。

 壁に激突した無人の車は、フロント部分を半分潰していた。

「ハイ、バン!」

 次は車の爆発だった。

 撥ねられたられたとはいえ低速度だったため、擦り傷程度ですんでいた傍の二人は立ち上がろうとしていた時に、爆風に吹き飛び、意識を失った。

「……派手なことするね、君」

 陽唯は、目前の出来事に一瞬一瞬、驚いている様子だった。

「君こそ、そんな状態で外に出るなんてね」

「仕方ないよ。クスリ切れたんだから」

「早く行きなよ。これあげるから」

 少年は昼間に鈍い明かりを灯すランプを、陽唯に渡した。

「これ……」

「小型の電子エンジンだよ。じゃあ、気を付けてね」

 陽唯が礼をいう間もなく、少年はどこかに消えていた。

 重い身体には変わりはないが、これで本来の能力が使える。

 何とか歩き始めた陽唯は、近くの阿賀石メディカル・センターに向かった。




 電子融合体の人類は、大堵谷(おおとみや)県の中にある地域、阿賀石(あがせき)市に多く住んでいた。彼らは、この地が故郷で本州に広がったのだ。

 大堵谷県は、古く激しい戦場になった地につくられた電子都市だが、昔からの伝統も残っている本州のなかでは珍しい地域だった。

 閉鎖的な県である。

 彼らはさらに奇妙なことに、いたるところに埋没している旧大戦の残骸を集めつつ改造して利用するという生活をしていた。

 



 史織(しおり)が神社近くの公園に戻ると、姿を見つけてきた少女がベンチから立ち上がり、大きく手を振った。

 インナーにビックサイズのTシャツ、ショートパンツに軍靴姿だ。

 髪はショートボブで大きな目はランランと生気に輝いている。

 芽衣(めい)だ。

「なんか、ランプの反応が病院に入って急に消えたから、どうしたかと心配したじゃんかよ!」

 軽く、史織の肩を拳で叩く。

「あー、ごめん。アレ人にあげたから」

「持ってないところを見ればわかるよ。まったく、人があげたものをすぐに他人に渡しちゃうとか、どーなんだろうねぇ」

 芽衣は下から真剣な上目遣いで史織の目を覗き込む。

「だからごめんて」

 必死に謝る史織に、急に芽衣は笑いだし、ジト目になった。

「うっそー。良いよ良いよ、事情があったんでしょう。女とか」

「いや、その……な? 色々あるよな?」

「フーン、色々ねぇ。で、異形斬りはいた?」

 異形とは、大堵谷県に出る、電子バグだと言われていた。

 実際、異形が姿を現すと何が発動するかわからないのだ。

 史織は異形斬りにはあまり用はない。ただ、芽衣が異常が発生したというので軽い気持ちで調査に出かけただけである。

 彼は学者志望であり、特に大堵谷県の歴史に興味があった。本来は他県民だ。本州の学校システムは、高等学校と大学がエスカレーター式になっており、高校三年にもなると勉強よりも論文の発表数でどの大学か決まると言っていい。

 特区と言っていいこの県の電子システムを使えるのは、集中的に大堵谷県の勉強の賜物だ。

「で、病院と異形斬りが出てきたってことは、変な事件でもあった?」

「あったねぇ」

 空中に文字と映像が浮かぶディスプレイを開くと、ニュースの一面を映し出し、史織の目の前にずらした。

『五件目の杭刺し事件。港東市で発生。犠牲者は二十代後半の女性』

 映像は顔だけモザイクで、心臓部分に打たれた杭はそのままに露出させていた。

「また関係者?」

 芽衣は呆れた顔でうなづく。

「直接的には知らない。でも、聞いたらそうだって」

 芽衣の父親は大堵谷県最大の右翼団体である涼正(りようせい)会の会長で、今年六十四歳に鳴嶋戴汽(なるしま たいき)という男である。

 芽衣は妾の子で、母親は仕送りで生活全てをまかなっている。

 いつも之嶋が絡む話になると、陽気な芽衣から明るさが無くなる。ろうそくの火がかき消えるように。

 ただ、二人はこの事件に関わらざるを得ないのだ。

 理由は、ベンチから石の階段で昇る神社の隅にあった。

 左時(さじ)。

 男はそう名乗った。

 史織と芽衣に呪いを掛けた本人である。

 二人は階段を登り切りった。本殿に入ると、隅っこで地べたに座り、キセルをふかしながら、ビール缶を飲んでいる男のところに行った。

 半袖Tシャツから見える両腕には何かの文字のような入れ墨が入り、髪はグレーに染めている。

 三十前後か。

 渋めの容姿をしている。表情には、常に嗤うかのような皮肉な笑みが張り付いていた。

「よう、ご苦労さん。ハズレだったようだな」

 ケラケラと嗤いつつ、ビール缶を煽る。

 左時に言われて行ったわけでも、何か言葉があったわけでもないので、芽衣は鼻を鳴らして流した。

「……あんた、方位術師なんだろう? 最初からわかってただろう?」

「あー、それな。良いじゃん別に。助かったやつが一人いたんだからさ」

 口調は軽い。しかも、事態をお見通しといった感がある。

「まぁ……それはそうなんだけどさ」

 何か言いたげな史織だった。

 史織と芽衣は、一度死んでいるのだ。それを反魂して蘇らせたのが、左時だった。

 自分の使役する式神として。

「それより、あんたここで何してるんだ? 普段はあっちこっちと移動してるのに、今回に限って、四日もここにいるじゃんか」

 史織が指摘する。

 もちろん、誰だどこにいても自由である。

 さが左時は、この神社の宮司と話をつけて、一画を借りているほどなのだ。

 研究者としてはここに何かあるのかと勘ぐってしまう。例えば旧遺物や、守護的な何かである。

「ああ、人がなかなか来ない神社だし、コンビニと銭湯と駅に近いから」

 思ったよりも簡単な理由で、史織は脱力する。

「ところでさ、犠牲者が五人目でたんだよ、左時。また始めるのかな?」

 芽衣は難しい顔をしている。

 犠牲者は皆、旧軍と何らかの関係のある人物である。

 理由はわからない。

 だが、彼らが殺されると、そのたびに異変が起こるのだ。

「ああ、出るね。百鬼夜行がさ」

 キセルをふかし、面倒くさそうに煙を吐く左時だった。




 杭を打たれた女性は、霧名方麻依子(むなかた まいこ)といった。港東市にすむ独身で三十四歳。

 街の調剤薬局で薬剤師として働いていた。

 佐時と二人は、夕刻。近くで家を見張っていた。

 良くある、改修の代わりにコンクリートを塗り込んだ壁の高層マンションで、一目で何度も違法建築をしているのがわかる歪な形のものだ。

 大堵谷県警察も見張りをおいていたために、佐時らは身を隠すようにしていた。

 ふと、車が止まり、私服警官を彼らが迎えた。

 長身で痩せぎすの男だ。一種、人を寄せ付けない雰囲気を持っていて、運転も彼なら行動も一人だ。

「……あいつ!」

 史織の語気鋭さに、佐時と芽衣は目を凝らす。

 芽衣はディスプレイを操作して、史織にみせた。

「こいつだね」

 ディスプレイには、大堵谷県警生活安全課、酉野清周(とりの せいしゆう)警部補と書かれていた。一緒の写真は警察に入ったころのものだろう。今より十歳は若い写真だが、雰囲気は変わっていない。

 忘れもしない。史織と芽衣を殺した本人だった。

「こんなところで何してんだ」

「まぁ、落ち着けよ。今は別の目的でここにいる。何かするときは目標を絞りな」」

 左時の言葉に、史織と芽衣は感情を押し殺した様子だった。

 ついでに、彼は空のキセルを吸うと、二人に息を吹きかけた。

 不思議と彼らから憎しみの激情が薄らぐ。

「……調べてくれ、芽衣」

 史織が頼むと、わざと黙って敬礼した彼女はでディスプレイを再び操作し始めた。

 彼は左時に目を向けた。

「いまさらだけど、張るの早くね? 俺たち」

「いんやー。 本来なら時間は決まってるが、今度の一連のやつは、いつ起こるかわかんねぇんだよ」

「左時でもわからないかぁ」

「占いの類も、電子パターンが入れられて全て全滅だしな。まぁ、強引にやろうと思えばできるが。これ絶対、裏になにかあるぜ?」

 彼はキセルを手にしていた。

 先に葉を詰めると火をつけて、口に咥える。

 小さく耀る火に、史織はちらりと目をやった。

「以前のは?」

「やってねぇ」

「……だろうね」

「なんだその反応は? 俺ぐらいになると、占おうとして占いができるとかそんなレベルじゃないんだぜ?」

「うん、そうだね」

「だから、なんだその反応」

 良い歳して意地になりそうな左時だった。

 史織が見るところ、左時は一点特化型だった。方位術と呼ばれる電子世界とサイバネティックスの混合物と化し本来とはまったく違ったものに関しては、化け物級と言える。だが、それ以外は知識は豊富でも、てんで駄目だった。

 自分を反魂したのも式神にしたのも、実は本人じゃないのではないかと、史織は軽く疑ってかかっている。

「あー、史織ぃぃぃ! 無いわ、名前しかデータ無い! 普通は幾らでも枝から探せるのに、それすら無い!」

 悔し気な芽衣の語気は強かった。

「じゃあ、まぁ仕方ないなぁ」

 軽く慰めるような、史織だった。 

 一方で、いっそ被害者宅に入って、直接に清周という男と会ってみたい欲求もあった。

 まさかいきなり逮捕などということはないだろうという、自分でも甘いと思う考えである。

「やめてね?」

 すぐに芽衣が頭の中を覗いたかのように、史織のコートをつまむようにして引き留める。

「あ、いやぁ。うん……」

 彼は苦笑いするしかなかった。

 マンションの四階部分の窓が、急に真っ黒に染まった。地上の出入り口も同じくだ。

 そのあたりの電子がチリチリと、小さく爆ぜだす。

「始まる、か。芽衣、どれぐらい集まった?」

 様子を見つめたままの史織が小声で聞く。

「周り五十メートル圏内に、約三十人。電磁シールドで隠ぺいしている人たちは、その倍いると思うよ」

「じゃあ、おまえら頑張れよ?」

 左時は立ち上がった。

 毎度のことだ。史織も芽衣も不満だが、何も言うことはない。

「おっさんは酒でも飲んでてね。邪魔だから」

 それでも芽衣は左時を皮肉ることを忘れない。

「おー、任せとけ」

 気分を害した様子もなく、背を向けるとキセルを持った手を軽く上げた。




 マンションの窓という窓が暗く染められた。

 途端に四階のガラスごと壁が砕けて、黒いシミのような太い煙状のモノが、地面に降りてくる。

 よく見ると、様々な家具や家電が中にあり、踊るようにうごめいていた。

 百鬼夜行と呼ばれる現象は、路地から別の家を破壊して巻き込むように巨大化しつつ、東北の方向に向かってゆく。

 静かだった辺り中から、エンジン音が鳴り響いた。

 異形狩りだ。

 彼らは遺物や百鬼夜行のなかにいる様々な部品を強奪する目的で、潜んでいたのだ。

 様々なところからホバーバイクが飛び出して、百鬼夜行に近づく。

 だが、最初の二人は黒い霧に当てられて意識を失い、取り込まれる。

 他の連中は、ホバーバイクに装着したチェーン付きの鈎を中に打ち込んで、適当なものを引きずりだそうとする。

 獲物に掛かった鈎は、逆に異形狩りたちを引きずり込んでいった。

「なんだ、あの強さは……芽衣、西野は!?」

 三回目にしたが、こんなに強力な百鬼夜行は初めてだった。

「まだ中みたいよ?」

 向かおうとした史織のコートを、芽衣は力を入れて握った。

「駄目なのかよ?」

「駄目」

 普段は何を考えているかわからない部分もあるが、今の芽衣は冷静だった。

 彼の前に立ち、マンションに目を向ける。

「あたしがやるよー。ふっふー、近くに良い始点があったの!」

 芽衣は砲術師と呼ばれる能力を持っていた。

 ネットワーク上にある拳銃からミサイルまでを乗っ取り、操作するのだ。

 近くにある砲。史織は脳内に地図を浮かべて必死に探す。

 伊螺遺跡。

 旧軍の秘密基地で、今も臨戦態勢のままに封印されている。

 芽衣は、そこにある戦車の砲をわがものにすると、狙いをつけた。

「撃て!」

 地平線上から空気が震えて轟音が空に鳴った。

 鋭い空を切る音がしたかと思うと、四階建てのマンションが数十発の徹甲弾を喰らい、吹き飛んだ。

 辺りに埃と塵が舞う。

 百鬼夜行は根元を失い、身体を剃り返すように歪んだ。バラバラに内部のものを落としながら、黒い霧は消え去っていく。

「西野は!?」

 史織は目を見開いてマンションの入口を見たが、彼の車はすでになかった。

「我らがご執心の方は、もう姿見えないよ」。

「くそ。せめて尾行ぐらいはしたかった」

 苦々し気に史織はつぶやいた。




 車の中で、清周はマンションが砲撃されたと聞くと、ニヤリとした。

 これで証拠は残らない。

 警察無線は、ネットワークを使って砲撃を行った人物の確保を急ぐように、各方面に通達していた。

 犯人については、清周も興味があった。

 元々、砲術師が噛むであろうという計画のもとの一部始終だった。

 興味はあるが、あまり捕まってほしくはない。

 あまりというのは、余計な仕事を増やしたくないのだ。

 今回は砲術師を利用できるという連絡があったが、情報元が怪しいのだ。ただ、あとで接触はしなければならないだろう。両方に。

 それでも、一応、やることはやった。

 彼の目的は、大堵谷県の遺物を全て我が物とすることだった。

 段階は踏む。着実に。

 清周は電子タバコを加えて、煙を吐いた。

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