8−4
帰宅し、玄関の戸を開けると、まさに父が出掛けようとしていた。
「おお、雫。お帰り」
父はいつもより高らかな声で言った。
「試合、どうだった」
「勝ったよ」
「それはよかった。お父さん、これから出掛けるから」
父の話し相手はしかし、目の前の雫ではない。
「あ、そう。飲み会?」
「学生時代の友達とね。こないだ久々に連絡が来たんだよ」
「あんまり飲み過ぎないでね」
「雫も、今日はゆっくり休むんだよ」
二人で口を噤み、居間の様子を窺う。それで何かわかるというわけでもない。
「わざとらしかったかな?」
「いいから行って」
そう囁き、父を出て行かせる。雫は小さく溜息をついた。
これこそが父と娘の協力の結晶、彼らが考えた作戦だった。
まず、父は母に対して出掛けるふりをする。母の目を盗んで納屋へ行き、渋川いかほとしてオーディションに参加する準備をする。
一方の雫は、夜七時に母と夕食をとる。そこからなるべく居間にいて、母の注意が納屋へ向かわぬよう引き留める。その間、オーディションの様子をスマートフォンで確認することも忘れない。
特に、始まった直後に各参加者に求められる意気込みの部分は見逃すわけにはいかない。父にとってはこれが初めての生配信となるのだ。ボイスチェンジャーの調整や音質、アバターの動きなど、客観的な視点で画面越しに確認しておく必要がある。
入念に段取りを覚え、いよいよ本番を迎えたのである。こんなことでは申し訳ないと思いつつ、雫はバレー部の試合よりも緊張していた。
台所では母が夕飯の支度をしていた。「おかえり」と言って父と同じように試合の結果を訊ねてきたので、父にしたのと同じように答えた。
探りを入れてみる。
「父さん、出掛けたんだね。珍しい」
「そうね。大学時代のお友達って言ってたけど」
「バンドの仲間かな」
「あら」
包丁でまな板を叩く音が止み、母が顔を上げる。
「雫も知ってたの、お父さんが昔バンドを組んでた話?」
雫は一瞬固まった。動揺を悟られぬよう、自然に見えるようどうにか身体を動かす。
「歌手になりたかったって言ってたから、バンドでもやってたんだと思った」
すると母は笑い、
「今じゃ全然、面影ないけどね」
包丁の音が再開される。
雫は小さく息を吐く。オーディションが終わるまであと何回同じ想いをするのかと考えると、助っ人でバレー部の試合に出続ける方が気楽に思えた。
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