天使の輪

アスナロウ

第1話

 外が良い天気であることを、真っ白になったカーテンが教えてくれた。布団の中でまどろんでいたくもあるが、この天気を満喫しないのはいささかもったいない。十時まで寝る予定だったのを一時間繰り上げる。カーテンを開けて、眩しさに目を細めた。窓を開けて深呼吸すると、そのまま深い青空まで吸い込めそうだ。ゆっくりと息を吐いて微笑む。

「洗濯干したらどこ行こっかなぁ」

 パジャマのままベランダに出て風に当たる。夏の重さをかすかに残す、九月の涼やかな風。

 いい気分をさえぎる携帯電話の呼び出しに舌打ちで答える。

「はい、笹崎です……」

「ダメですよ、女の人がそんなカッコでベランダに出ちゃ」

 三階のここから少し見下ろす感じで向かいの民家の窓を見て、電話の主に応えようとベランダから手を振る。

「一佳さん、今日特に用事ないですよね?」

「ええ、彼氏いませんから。美輝ちゃんこそ何? こんな朝早くから」

「遅いですよ……あのですね」

 昼からの予定が出来たので、洗濯物を干しにかかる。掃除もやっておかなくてはならない。一時間早く起きたのに、慌ただしさは変わらなかった。でも、こういう慌ただしさは心地いい。だらだらと時間を潰すだけの休日は、長らく味わっていない。

土日をのんびり過ごすことは少なくなったが、楽しく過ごせるようにはなった。社会人になって三年、一人暮らしを始めて二年、ようやく生活している実感を持てるようになった。

 髪を梳かし、眼鏡をかけ直し、鏡に笑顔を映す。丸顔に不釣合いなつり目と濃い眉、高くはない鼻に大きな口。自慢は出来ないが、我ながらイイ女だと思えるようになった。

「あんたのおかげだね、ルーエル」

 鏡の横の写真立てにそう言って掃除に取り掛かる。そこには写真ではなく、一枚の羽根が飾られていた。純白のそれは、光を受けて淡く輝いている。

 去年のクリスマスに出会った、小さな天使の羽根だった。





 クリスマスを彩る音楽しか流れてこないので、ラジオは切ってしまった。車の音も軽快であればそこそこ聞いていられるが、あまりに遅く走る音は逆に苛立たしい。前を走る軽トラックは、きっちりと三十キロ制限を守っている。

「ったく、こんな時間に何なのよ……」

 腕時計は十時を回っている。イブイブだと浮かれる世間にとっては、いよいよ最初のクライマックスを迎える時間かもしれない。だが残業帰りの会社員にとっては、ただの疲れた時間でしかないのだ。

 いまだろくに週休二日制を取れないような中小企業に勤めている一佳にとって、クリスマスが三連休であろうと関係なかった。いや、無駄に腹を立てる機会が増えるだけだ。

 ようやく前の車が曲がり、アクセルを吹かせるようになる。ため息混じりにスピードを上げ、真っ暗な農道を家へと急いだ。たとえ待っている彼氏がいなくとも、電話を掛けてくれる男性がいなくとも、とにかく家に向かう。

 夕飯を食べ損ねたが、明日の昼まで我慢だ。

『どうせ休み……午前中は寝てるし』

土曜日を休むために、有給休暇を取らなくてはならないことに舌打ちをする。

『予定なんかなくたって、私の有給どう使おうと私の勝手でしょ。世間様が三連休なのに何が悲しくて、金土と仕事しなきゃなんないよ』

 半分はクリスマスに予定のない自分自身に腹を立てながら、車を駐車場に入れる。

 アパートの三階に上がると、廊下がいつもより明るいような気がした。上の蛍光灯でも換えたのだろうかと思っていると、誰かが近づいてきた。

 このアパートの子だろうか、小学校低学年くらいの男の子だ。少し茶色がかった柔らかそうな髪に、真っ白い肌。どこか輝いているような白いダウンジャケットをモコモコと着込んでいる。一佳がここに越してきて一年と少しになるが、住人については全く知らない。寝に戻るだけの場所では、顔を合わす機会などないのだ。ただ、単身者のみのアパートだったとは思う。

 その子は一佳の顔をじっと見つめる。

「な……何? どうしたの、僕?」

 その子のあまりに真剣な眼差しに、彼女は少し気おされながらそう聞いた。

「見えるんですね」

「……? ハァ?」

「だったら話が早い。一緒に輪っかを探して下さい」

 その子がうれしそうに微笑んでいるのは分かったが、言っていることは全く分からなかった。しゃがみこみ、目線の高さを同じにして話し掛ける。

「僕、どこの子? もしかして迷子とか?」

「……まぁ、それに近いです」

 一佳は最寄りの警察はどこだったかを考えながら、こんな時間に面倒なことになったらかなわないなと思う。そして、とりあえず大家さんに相談することを思いついた。押し付けてしまえばいいのだ。部屋の外でその子を待たせ、ベランダから向かいの民家を見る。まだ電気がついていた。

「ごめんください。夜分遅く申し訳ありません、301号室の笹崎です」

 男の子の手を引いて、大家の家のインターホンを押す。しばらくして、女の子が出て来た。大家をやっている老夫婦の孫で、大学に通うためここで下宿している子だ。

「ごめんなさい。おじいちゃんもおばあちゃんも旅行で……」

「あぁ……そうですか。困ったなぁ、警察行かなきゃなんないか……?」

「あの、どうかなさったんですか?」

「いえ、何か迷子みたいで」

「……? ハ?」

「この子が、三階の廊下でウロウロしてたんで……」

 そこまで話して、一佳は女の子の表情がおかしいことに気付く。怪訝というか不審というか、何か複雑な表情だった。

「あの……この子って、何です?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る