2.スギ等による花粉症の顕在化と対応

(1)顕在化してきたスギ等の花粉症

(世界における花粉症の発見)

19世紀の英国において、夏に目のかゆみなどの結膜炎症状や、くしゃみ、鼻水等の鼻炎症状を発症する例が報告された。この症状は新しい干し草の匂いによって発症するとの説によって干し草熱(hay fever)と呼ばれるようになり、その後の研究によってイネ科の牧草等の花粉が症状を引き起こすことが確認された。また、同時期の米国では、秋に同様の症状を発症する者がみられるようになり、研究の結果、開拓地等の荒地に繁茂するようになったブタクサ等の花粉が原因であることが確認された4。

その後、シラカバやハンノキ等のカバノキ科、ブナやナラ等のブナ科の樹木等も花粉症を引き起こすことが知られるようになり、現在はこれらの草本及び樹木による花粉症がヨーロッパや米国で人々の生活に影響を与えている。また、世界各国で様々な植物の花粉を原因とする花粉症が報告されるようになっている。


(我が国におけるスギ花粉症の初確認と増加)

我が国においても、明治時代には花粉症は枯草熱の名称で紹介されていたが、日本人における症例は⾧く報告されなかった。日本初の花粉症患者の報告はブタクサ花粉症について昭和36(1961)年に報告されたものである6。最初のスギ花粉症の報告は昭和39(1964)年になされ、栃木県日光地方で春にくしゃみ等を発症した患者を研究した結果、スギ花粉をアレルゲンとする花粉症であると結論付けられた。

スギ花粉症患者の数を正確に把握することは困難だが、耳鼻咽喉科医及びその家族約

2万人を対象とした全国的な疫学調査によれば、有病率は平成10(1998)年の16%から約10年ごとに約10ポイントずつ増加し、令和元(2019)年には39%に達していると推定された。


(花粉症を引き起こす仕組み)

花粉症は、花粉によって引き起こされるアレルギー疾患の総称であり、体内に入った花粉に対して人間の身体が抗原抗体反応を起こすことで発症する。花粉が粘膜に付着すると表面や内部にあるタンパクを放出し、アレルギー素因を持っている人の体内ではこれが抗原となって抗体が作られ、粘膜上の肥満細胞(マスト細胞)に結合する。人によって異なるが数年から数十年花粉を浴びると抗体が十分な量になり、抗原が再侵入すると抗体がそれをキャッチして(抗原抗体反応)、肥満細胞が活性化しヒスタミンやロイコトリエンなどの化学伝達物質が放出され、それらが花粉症の症状を引き起こす。 同じ季節・場所でも症状が起こる時期や症状の強さは人によって変わるが、一般には体内に取り込む花粉の量によって症状の強さが変わり、短期的にみれば症状の強さや新規有病者数はその年の花粉飛散量の影響を強く受ける。 ⾧期的な花粉症有病率の増加の背景としては、花粉症は一度発症すると自然に症状が消えることが少ないために有病者が蓄積していくことに加え、花粉飛散量の増加や、食生活の変化、腸内細菌の変化や感染症の減少などが指摘されている。また、症状を悪化させる可能性があるものとして、空気中の汚染物質や喫煙、ストレスの影響、都市部における空気の乾燥などが考えられている。

花粉飛散量の増加の要因としては、昭和45(1970)年以降、スギ人工林の成⾧に伴い、雄花を付け始めると考えられる20年生以上のスギ林の面積が増加してきていることが考えられる。


(その他の花粉症の状況)

スギとヒノキはともにヒノキ科であり、花粉中の主要な抗原となる物質の構造が似て

いることから、ヒノキ花粉症はスギ花粉症と併発することが多い。ヒノキは関東以西に多く植えられており、それらの地域でヒノキ花粉飛散量が多い傾向にある。

北海道においては、スギは道南など限られた地域のみに植栽されていることからスギ花粉症患者の割合は低く、代わりにシラカバやイネ科の花粉症患者が多い。


(2)これまでの花粉症・花粉発生源対策

(ア)花粉生産量の実態把握に向けた調査と成果

林野庁では昭和62(1987)年度から、花粉生産量の実態把握や飛散量予測に向けて、雄花の着生状況等を調べる花粉動態調査を実施してきた。その中で、雄花が形成される6~7 月において日照時間が⾧く気温の高い日数が多いと着花量が増えることが判明しており、また着花量が多い年の翌年は減少する傾向がみられることから、これらの知見を活かして翌年度の飛散量を予測することが可能となった。また、花粉生産量の推定のため各地に設けた定点スギ林において雄花着生状況を観察・判定する手法が確立され、飛散量の予測精度が向上した。なお、平成16(2004)年度以降、環境省においても着花量を調査しており、林野庁の調査結果と併せて公表している。

定点スギ林の着花量は年によって変動するものの、林分内でも個体間で着花量に差があることから、雄花の着きやすさには遺伝的な要因が影響しているとみられる。

一方、林齢によって面積当たりの着花量が増減するといった明確な傾向は観察されていない。この理由として、雄花は日光の良く当たる枝(陽樹冠)に形成される性質があり、林齢が上がって面積当たりのスギの本数が減少したとしても林分全体の陽樹冠の表面積は大きく変わらないことが考えられる。 そのため、間伐による密度調整や枝打ちによる下枝の除去といった森林施業では単位面積当たりの着花量を大きく削減することは期待できない。

(イ)スギ花粉症・花粉発生源対策の着手と進展(関係省庁の連携がスタート)

平成2(1990)年には、社会問題化している花粉症の諸問題について検討を行うため、環境庁、厚生省、林野庁及び気象庁で構成する「花粉症に関する関係省庁担当者連絡会議」が設置された。この中で、花粉及び花粉症の実態把握、花粉症の原因究明や対応策について連絡検討が継続されている。

(花粉の少ないスギの開発に着手)

「花粉の少ないスギ」とは無花粉スギ品種、少花粉スギ品種、低花粉スギ品種及びスギの特定母樹を指す。平成3(1991)年から、林野庁は花粉の少ないスギの選抜のための調査を開始した。その結果に基づき、平成8(1996)年以降、少花粉スギ品種を開発し順次実用に供している。また、無花粉スギ品種の開発や特定母樹の指定も進められており、各地で花粉の少ないスギの普及が進められている。

(国による花粉発生源対策の取組)

平成13(2001)年に施行された森林・林業基本法に基づき新たに策定された森林・林業基本計画において花粉症対策の推進が明記されるとともに、林野庁では、国や都道府県、森林・林業関係者等が一体となってスギ花粉発生源対策に取り組むことが重要であるとの観点から、関連施策の実施に当たっての技術的助言を定めた「スギ花粉発生源対策推進方針」を策定した。

その後、林野庁では、花粉発生源対策として、①花粉を飛散させるスギ人工林の伐採・利用、②花粉の少ない苗木等による植替えや広葉樹の導入、③スギ花粉の発生を抑える技術の実用化に取り組んできたところであり、ヒノキについても同様に花粉の少ない森林への転換等を推進してきた。また、平成28(2016)年度から、花粉発生源対策として、花粉の少ない苗木や広葉樹等への植替えを促すため、素材生産業者等が行う森林所有者等への働き掛け等を支援している。


(地方公共団体による取組)

首都圏の9都県市では、平成20(2008)年に花粉発生源対策10か年計画を策定し、現在も第二期10か年計画により、スギ・ヒノキ人工林の針広混交林化や植替えへの支援等を行っている。また、兵庫県や岡山県、福岡県等でも少花粉スギ品種の苗木生産や植替え等に対して支援している。

さらに、令和4(2022)年には全国知事会が花粉発生源対策の推進に向けて提案・要望を行っている。


(ウ)花粉の少ないスギ等の開発と苗木の増産(少花粉スギ品種の開発)

着花量はスギの系統によって異なることから、平成3(1991)年以降、林野庁では、林木育種センターと都府県の参画を得て、第1世代精英樹を対象に雄花着生性の調査を実施してきた。その調査結果に基づき、花粉生産量が一般的なスギの1%以下であるものを選抜して、平成8(1996)年以降、少花粉スギ品種を開発している。これまで147品種が開発され、現在は花粉の少ない品種の中で最も普及している。


(無花粉スギ品種の開発)

平成4(1992)年に富山県で花粉を全く生産しない無花粉(雄性不稔)スギが発見されたことを契機に、全国で無花粉スギの探索が開始され、20個体以上が発見された。その後の研究で、花粉の形成に関する遺伝子の突然変異により無花粉になること、無花粉の性質は潜性遺伝すること等が判明した。また、各地での無花粉個体の発見確率から、自然に無花粉 個体が生じる確率は6千分の1から1万分の1であること、無花粉個体は成⾧、材質、雪 害抵抗性等の他の形質は通常個体と変わらないことが示唆されている。 これらの無花粉個体を種子親として、精英樹の花粉を交配して得られた個体の雄花に花粉が入っているかどうかを調べることで、花粉親の精英樹の中から、無花粉の遺伝子を持ちながら花粉を生成するものが発見された。そのような精英樹等を活用した優良な無花粉スギ品種の開発が、林木育種センターと都県の連携により進められており、令和6 (2024)年3月時点で28品種が開発されている。

なお、植栽木は自然界で⾧期間生育する間に様々な病虫害や気象害にさらされる可能性があることから、遺伝的多様性を確保するため、地域ごとに多様な少花粉・無花粉スギ品種が開発されている。


(スギ特定母樹の指定)

第1世代精英樹の交配・選抜により第2世代精英樹(エリートツリー)の開発が進展している。平成25(2013)年に改正された「森林の間伐等の実施の促進に関する特別措置法」に基づき、これらの精英樹等の中から成⾧に優れ雄花着生性が低いなどの基準を満たすも のが特定母樹に指定されている。令和6(2024)年3月時点で、305種類のスギ特定母樹が指定されている。特定母樹から採取された種穂から育成された苗木は特定苗木と呼ばれ、その普及が進められている。


(花粉の少ない苗木の増産)

開発された花粉の少ないスギを早期に普及させるためには、都道府県の採種園・採穂園における種穂の生産等、苗木生産に係る工程を短縮する必要がある。

このため、従来の採種園では母樹を植栽してから種子を採取できるようになるまで10年程度要していたところ、現在、都道府県において、ジベレリン処理等により種子生産までの期間を4年程度に短縮可能なミニチュア採種園の整備が広く推進されている。ミニチュア採種園の母樹は、植栽間隔を狭くし、樹高を低く仕立てるため、作業の効率・安全性を確保できるという利点もある。

さらに近年は、閉鎖型採種園の整備が推進されている。閉鎖型採種園は、外部花粉の影響を防ぎ花粉の少ないスギ同士の確実な交配が可能となることから種子の質の向上が期待されるとともに、果樹で導入されている「根圏制御栽培法」を応用し、温度や水分量等を管理することで種子生産までの期間を2年程度に短縮させることが可能となっている。

また、再造林に必要な花粉の少ないスギ苗木の増産に向けてコンテナ苗生産施設の整備を推進している。

これらの取組により、花粉の少ないスギ苗木の生産量は令和4(2022)年度(2022年秋から2023年夏)で約1,600万本まで増加し、10年前と比べ約10倍、スギ苗木の生産量の約5割 に達している。

特に、関東地方では各都県の集中的な取組により令和4(2022)年度でスギ苗木生産量の99%以上が花粉の少ないスギ苗木となっている。

なお、花粉の少ないヒノキについても品種の開発に取り組んでおり、令和6(2024)年3 月時点で、少花粉ヒノキ等159品種が開発されている。花粉の少ないヒノキ苗木の生産量は令和4(2022)年度で約200 万本であり、ヒノキ苗木の生産量の約3割となっている。ヒノキについては、採種園において着花を促す薬剤処理技術等の課題があるため、採種園における種子の生産工程の短縮技術が確立されておらず、現在、増産に向けて林木育種センターが短期間で安定的に種子を生産する技術の開発に取り組んでいる。


(エ)その他の花粉症対策

(スギ花粉の発生を抑える技術の開発)

スギ花粉の発生を抑える技術の実用化に向けては、スギの雄花だけを枯死させる日本固有の菌類(Sydowia japonica)や食品添加物(トリオレイン酸ソルビタン)を活用したスギ花粉飛散防止剤の開発が進展している。林野庁では、スギ林への効果的な散布方法の確立や散布による生態系への影響調査、花粉飛散防止剤の製品化などの技術開発等を支援しており、令和5(2023)年度は、空中散布の方法に関する実証試験等を支援した。


(治療法の研究と普及)

花粉発生源に関する研究と並行して、大学や製薬会社等により治療法の研究が進められてきた。ヒスタミン等の化学伝達物質の影響を緩和する対症療法が開発されているほか、根本的治療に近いものとして、あらかじめ微量の抗原を繰り返し皮下注射することで花粉を取り込んだ際のアレルギー反応が減る減感作療法またはアレルゲン免疫療法と呼ばれる治療法が開発された。平成26(2014)年には更に患者の負担が少ない減感作療法である舌下免疫療法が承認され、効果的な治療法として普及が図られている。 舌下免疫療法に使用される治療薬には原材料としてスギ花粉が必要であり、治療薬の増産に向けて、花粉を採取する森林組合等と製薬会社の連携が拡大している。


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