日本の林業まとめ

@kimura141421356

森林資源の利用と造成の歴史

(1)森林資源の利用拡大と造林技術の発達

(森林資源の利用拡大の歴史)

有史以前の日本列島は、日本の固有種であるスギやヒノキ等の針葉樹が、気候に応じて落葉広葉樹のブナや常緑広葉樹のシイ・カシ類等と様々な割合で混交し、広葉樹林の樹冠層を針葉樹が突き抜けるような林相の森林によって広く覆われていたと考えられている 。例えば静岡県の登呂遺跡では建築物や道具類、田や畔を区画する矢板などにスギ材が使われていたとともに、周囲でスギやシラカシ等の埋没林が発見されたことからも、低地にも天然のスギ林が広く分布していたと考えられている。なお、現在、日本 各地に残されている原生的な森林のうち、広葉樹や針葉樹がそれぞれ純林の様相を呈している森林の中には、人間が針葉樹や広葉樹を選択的に伐採したことが関係しているところも多いと考えられている。

奈良時代に入ると、大規模な建築物の造営等により、建築用材として優れた特性を持つスギやヒノキ等の針葉樹の伐採が進んだ。時代を追って大径の良材は減少し、伐採の範囲は畿内から次第に拡大していった。


(造林技術の発達)

江戸時代を迎える頃になると、森林の荒廃による災害の発生が深刻となり、幕府や各藩よって留山など森林を保全するための規制や公益的機能の回復を目的とした造林が推進されたほか、スギやヒノキの天然資源が減少してきた中で積極的に資源を造成する観点から、山城国(京都府)の北山地域や大和国(奈良県)の吉野地域、遠江国(静岡県)の天竜地域等で、スギやヒノキを植栽する人工造林が開始された。さらに、その他の河川での流送が可能な地域でも、大都市等での需要に対応して木材生産を目的とする造林が拡大し、現在に至る伝統的な林業地が形成された。

このような経緯の中で、スギやヒノキの育苗、植栽、保育等の技術の発達及び普及が進んだ。特にスギは、各地域の地理的・気候的な特徴に合った多様な品種系統が存在したことや、幅広い立地で生育が可能であること、成⾧が早い、面積当たりの収穫量が多いといった利点があるとともに、通直で柔らかいため加工しやすく、建築物や船、生活用具等の幅広い用途に利用できることから、全国各地で造林された。

スギの施業方法は一定の区域をまとめて伐採して植栽し同齢林を造成するものが多く、目的とする木材の形状や性質に応じて、植栽本数や間伐の回数、伐期(植栽から最終的な伐採までの期間)は多様なものとなった。例えば、吉野地域ではスギを密植(1万本/ha程度) し、間伐を繰り返すことで、様々な太さの丸太を生産して各種の需要に応えるとともに、⾧期間をかけて育成された大径材は年輪が細かく完満で無節の材が採れることから日本酒等を運搬する樽の材料として使われた。日向国(宮崎県)の飫肥藩では、油脂分に富み弾力性のある飫肥スギの特徴を活かして、単木の成⾧に重点を置いた疎植により成⾧を促して造船用の大径材を生産していた。

明治時代に入ると、近代産業の発展に伴って建設資材や産業用燃料等の様々な用途に木材が使われるようになり、国内各地で森林伐採が盛んに行われたため、森林の荒廃は再び深刻化し、災害が頻発した。その後、明治30(1897)年に森林法が制定され、保安林制度の創設等によって森林の伐採を本格的に規制するなど森林の保全を図る措置が講じられた。さらに、民有林において吉野地域などの先進林業地を模範とした林業技術の改良・導入の意欲が高まり、特に日清・日露戦争後は、木材需要の増大を背景に各地で林業生産が盛んとなり、新たな林業地も生まれた。


(2)戦後の人工林の拡大

(国土保全に向けた復旧造林の実施)

昭和10年代には第二次世界大戦の拡大に伴い、軍需物資等として森林の伐採が進んだ。また、戦後も復興のために我が国の森林は大量に伐採された。一方、食料その他多くの物資の不足から食料生産や生活必需品の確保が優先され、造林を行う余力が少なかったため、造林面積は低位となった。これらの結果、昭和24(1949)年における造林未済地は約150万haに上り、我が国の森林は大きく荒廃した状況にあった。また、昭和20年代には、各地で大型台風等による大規模な山地災害や水害が発生した。

こうした中で、国土保全の面から早急な国土緑化の必要性が国民の間で強く認識されるようになり、育苗・造林技術の確立していたスギ等を用いた復旧造林が各地で実施された。このような復旧造林の取組は、引揚者も含め人口が多かった山村における雇用対策の側面もあった。さらに、昭和25(1950)年には「荒れた国土に緑の晴れ着を」をスローガンに第1回の全国植樹祭が山梨県で開催され、以後国土緑化運動の中心的行事として毎年開催されている。こうした一連の施策により、戦後約10年を経た昭和31(1956)年度には、それまでの造林未済地への造林がほぼ完了した。


(旺盛な木材需要に対応した拡大造林の進展)

昭和25(1950)年頃から我が国の経済は復興の軌道に乗り、住宅建築等のための木材の需要は急速に増大し、木材価格も大幅に上昇した。一方、昭和30年代以降は、石油やガスへの燃料転換や化学肥料の使用が一般化したことに伴い、里山の広葉樹林等の天然林がそれ までのように薪炭用林や農用林として利用されなくなってきた。このような経済状況から、国内における木材の大幅な増産、そのための天然林の伐採と人工林化を望む声が大きくなった。

また、パルプ用材については、原料の大部分を占めていたマツ類の原木の調達が困難になっていたことを背景に、原料を広葉樹に転換するための設備投資が急速に行われたことにより、広葉樹の利用が後押しされた。このようにして里山の薪炭林や奥地の天然広葉樹林が伐採された跡地には、早期の森林回復と将来の高い収益を見込み、成⾧が早く建築用材等としての利用価値が高いスギ等の針葉樹を植栽する拡大造林が進展した。昭和40年代半ばまで、伐採跡地等においてスギを中心として毎年40万ha弱の造林が行われ、その後、拡大造林は急速に減少した。その要因としては、造林対象地が少なくなったこと、残っているのは権利関係が複雑で造林を進めにくい森林であったこと、外材輸入の増加等による木材価格の先行き不安、労賃や苗木代等の経費の増大などがあった。 このように、昭和20年代後半から40年代にかけて集中的にスギ等の人工林が造成されたことにより、人工林面積は昭和24(1949)年の約500万ha から現状の約1,000万haまでに達するとともに、スギはそのうちの約4割を占める主要林業樹種となった。


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