【毎週木曜日19時更新】#美味しんぼ〜未来のメニュー〜

湊 マチ

第1話 父との対立

東京の高層ビルが連なる街並みの中に佇む、モダンなデザインのレストラン「ガイア」。この店は、最先端の技術を駆使した未来の食材と、洗練された料理の融合を掲げた場所として話題になっていた。予約が数ヶ月先まで埋まるこの店に、遊美は仕事の取材を兼ねて訪れていた。


彼女の目の前に置かれた料理は、透き通るような見た目の合成肉を使ったステーキ。完璧な焼き加減で供されたその一皿は、驚くほど美しく、まるで本物の肉と見紛うほどの質感と香りを放っていた。しかし、遊美は一口食べた瞬間、かすかな違和感を覚えた。


「確かに美味しい。でも…何かが違う」


遊美は思わず箸を置き、窓の外に目をやった。最新技術を駆使した未来の食材に対して、彼女は以前から興味を持っていたが、それが伝統的な食文化にどう影響するのか、内心で疑問を抱いていた。彼女にとって食とは、単なる栄養摂取ではなく、心と文化を結びつけるものであると父から教えられてきたものだった。


そんな彼女の胸中に、父・山岡士郎の顔が浮かぶ。かつて「究極のメニュー」を追い求めた父の姿勢が、遊美の中で今なお強く根付いていた。だが、遊美は新しい時代の中で、自分なりの食の形を模索していた。


「お客様、次のコースです」


給仕が新たな皿を置く。それは、昆虫を使ったタパス料理だ。美しく盛り付けられたその料理は、サステイナブルな食材として世界的に注目されているが、遊美の中で再び疑念が湧いた。


「これが本当に未来の食事になるのだろうか?」


食材としての持続可能性は理解できるが、文化としての豊かさが感じられない。それは、彼女の食への根本的な価値観に関わる部分だった。


取材を終え、家に帰ると、遊美はすぐに父に電話をかけた。彼女の心にあるモヤモヤを晴らしたくてたまらなかった。


「父さん、今少し時間ある?」


「どうした?」と、士郎の低い声が電話越しに響く。


「今日、未来の食材を使ったレストランに行ってきたんだけど…なんだか釈然としなくて。持続可能性とか、そういう話はわかるんだけど、本当にこれが食文化としていいのか疑問が残るの。」


士郎はしばらくの沈黙の後、冷静に答えた。「持続可能性だのサステイナブルだの、そんな言葉ばかりが先行してるが、食の本質が忘れ去られているんじゃないか?」


「やっぱりそう思う?」


「お前が感じている違和感は当然だ。食とは、文化と歴史の積み重ねだ。それをただ効率や環境への配慮で置き換えようとすること自体、俺には理解できない」


遊美は、父が言葉にする通り、単純に新しい食材に飛びつくべきではないことを再確認した。しかし、同時に彼女は父の考え方に限界を感じていた。時代が変われば、食文化も変わるべきだという自らの信念も揺るぎなかった。


「でも、父さん、これからの時代、食材を変えなければならない局面もあるんじゃない? 今までのやり方が通じなくなることもあると思うんだ」


「それでも、食の本質を見失うべきではない」と士郎は強く反論する。「自然が与える本来の味、それを最大限に生かすことこそが、食文化の根幹だ。俺は今でもそう信じている」


遊美はその言葉を聞いて、少し苛立ちを覚えた。「父さん、確かに伝統は大事だけど、技術が進歩しても、未来のために食文化を進化させることが大切だと思う。私たちは父さんたちの世代が築いてきたものを壊すわけじゃない。ただ、新しい時代の答えを見つけようとしているの」


士郎は深い溜息をついた。「お前がどう感じようが、お前の自由だ。だが、俺は今でも変わらず、自然と共にある食材こそが人間の本質を表すと思っている。技術で作られたものは所詮、人が自然に背いて作ったものだ」


その言葉に遊美はしばらく返す言葉を失った。父の意見が理にかなっていることも分かっていたし、その哲学を自分が大切に思っていることも否定できなかった。しかし、遊美は新しい道を切り開く責任を感じていた。


「わかった。でも、私は自分の道を行くよ。父さんも見守っていて」


「好きにしろ」と士郎は無愛想に言い残し、電話は切れた。


電話を切った後、遊美はデスクに置かれた国際食材サミットの招待状に目をやった。これは世界中の料理人やジャーナリストが集まり、未来の食文化について議論する重要なイベントだった。


「父さんには反対されたけど、私はやるしかない」


遊美は決意を固め、サミットへの参加を決めた。彼女は父の教えを胸に秘めつつも、新しい未来を見据え、自らの道を進むことを選んだ。そして、サミットで何が待ち受けているのか、どんな未来の食材に出会えるのか、心が高揚していた。


だが同時に、父・士郎との対立が今後どのように発展していくのか、漠然とした不安も彼女の胸をよぎっていた。食の未来を追い求める彼女の旅は、まだ始まったばかりだった。


遊美は翌朝、電話を切ってからもずっと悶々とした気持ちを抱えていた。父・山岡士郎との電話で感じた重い言葉が頭から離れない。


「食とは、自然と人とのつながりだ」と士郎は言った。彼の考え方はいつも一貫していたが、遊美にはそれが、今の時代に少し古いように感じていた。


「本当に、未来の食に自然は必要不可欠なの?」と、遊美は問い続けた。


その日の午後、遊美は久しぶりに実家を訪れることを決意した。父と面と向かって話さなければ、このモヤモヤした気持ちは晴れないと思ったからだ。


実家に着くと、懐かしい庭の緑が出迎えてくれる。庭にはかつて士郎が丹精込めて育てていた菜園が広がっている。トマト、ナス、キュウリなど、どれも見事に育っており、無農薬で自然のままに栽培されている。幼い頃、父と一緒にこの畑で野菜を収穫し、すぐに台所で調理して食べた思い出が蘇る。


「自然の味」という言葉が、今も鮮明に残っている。それは、父が何よりも大切にしていた哲学だ。


玄関を開けると、キッチンからは懐かしい香りが漂ってきた。出迎えてくれたのは、料理をしている士郎だった。彼はキッチンのカウンター越しに立ち、まな板の上で手際よく野菜を切っている。


「帰ってきたか」と、士郎は振り返りもせずに言った。


「ちょっと、話したくて」と遊美は控えめに答え、キッチンのカウンターに腰掛ける。


士郎は無言で手を動かし続ける。包丁の音がリズムよく響き、遊美の緊張をさらに高めるようだった。父とこうして向き合うのはいつ以来だろうか。いつも頑固で、一度決めたら考えを変えない父に、どうやって自分の思いを伝えればいいのか、遊美にはまだ答えが見つからない。


しばらくの沈黙の後、士郎が切り揃えた野菜を鍋に入れ、だしを取るための昆布と鰹節を準備し始めた。シンプルな料理だが、遊美はその光景をじっと見つめながら、父の「食」に対する信念を改めて感じていた。


「食材は、自然の味を最大限に生かすべきだ」と士郎は唐突に言った。「新しい技術だとか、持続可能性だとか、そんなものがどれだけ素晴らしいかは知らん。だが、自然が与えてくれる恵みを、人間が無理に変えてしまうことが本当に正しいのか、考えたことはあるか?」


遊美は一瞬返答に詰まったが、胸の中でずっと考えていたことを口にする決意をした。


「確かに、自然のままの食材は素晴らしいと思う。でも、今の時代、人々は環境や資源の問題に直面している。限られた資源の中で、どうやって食を守り続けていくかを考えるのも、私たちの役割なんじゃないかな」


士郎は一瞬遊美に目を向けたが、すぐに鍋の様子に戻った。「そんなものはただの言い訳だ。資源が限られているなら、その中でやりくりするのが人間だ。人間は自然と共存するべきであって、自然に逆らうべきではない」


「でも、父さん、それは現実的じゃないよ。人口が増えて、食材を確保するのが難しくなってきてる。新しい技術を使わないと、未来の食文化を守ることも難しいんじゃないかな?」


士郎は火を止め、鍋の中からだしをすくい上げた。透明な琥珀色の液体が器に注がれ、その香りがふわりと広がる。


「これが自然の力だ」と士郎は静かに言った。「昆布と鰹節から取っただし。技術や合成物なんて一切使っていない。だが、この味を超えるものが技術で作れるか?」


遊美はそのだしを見つめながら、言葉に詰まった。父が作り上げる料理には確かに理屈では説明できない「深み」があった。それは、ただ食材の成分や栄養素だけでは測れないものだった。


「でも、技術も進化してる。人工的に培養した肉だって、本物に近い味を出せるようになってるし、栄養価も高い。これからは、そんな食材を使っていかないといけない時代が来るかもしれないんだよ」


士郎はゆっくりと頭を振った。「栄養だけが食事の価値じゃない。食事は人間の心を満たすものでもある。それを忘れてはいけない」


遊美はその言葉にハッとした。確かに、父の料理には「心を満たす力」があった。それは単なる栄養摂取ではなく、食材を通じて自然と人間がつながる瞬間を感じさせるものだった。


「わかってるよ、父さん。でも、私は新しい時代の中で、自分なりの答えを見つけたいんだ。未来の食文化を守りつつ、自然とのつながりも大切にする。そのバランスを探したいの」


士郎は再び静かになった。彼は遊美の言葉を否定することなく、ただじっと考えているようだった。


「お前が自分で答えを見つけるなら、それでいい」と士郎はようやく口を開いた。「だが、その答えが本当に正しいかどうかは、お前自身が証明しなければならない」


遊美はその言葉に小さく頷いた。彼女は自分が進むべき道に自信を持ち始めたが、同時にその道がどれだけ険しいものであるかも理解していた。


「ありがとう、父さん」


そう言って、遊美は立ち上がり、キッチンを後にしようとした。しかし、その背中に向かって士郎が一言つぶやいた。


「お前が進む道が間違っていないことを、俺に証明してみせろ」


遊美は振り返り、父の瞳を見つめた。その瞳には、今まで見たことのない光が宿っていた。それは、父が遊美に対して抱いている期待と、挑戦を促す視線だった。


「うん、絶対に証明してみせる」


遊美はそう誓い、実家を後にした。外に出ると、少し冷たい風が彼女の頬を撫でた。しかし、その風はどこか心地よく、彼女に新しい一歩を踏み出す勇気を与えてくれるようだった。


東京・羽田空港は朝から忙しく、飛行機が次々と離着陸を繰り返していた。遊美は、未来の食材に関する国際サミットに出席するため、シンガポールへ向かう準備をしていた。彼女は父・士郎との対話を胸に秘め、これから自分が挑むべき未来について考えていた。


「これからの食文化の未来を、自分で見極めなければならない」


士郎との話の中で、彼女は新しい食の時代がどのようなものかを自らの目で確かめることが重要だと感じていた。だが、同時に彼女には不安もあった。父が守ってきた自然の味わいと技術が進化する未来の食材の間で、どのような答えを見つけられるのか。それはまだ彼女にとって未知の世界だった。


チェックインを終えた遊美は、出発ゲートに向かう途中、搭乗待ちの人々が手にしているカフェのコーヒーやスナックに目をやった。簡単に手に入る食べ物の豊かさ。それ自体が現代の食文化の象徴だった。


「手軽さと効率が求められる時代だものね…」


遊美は心の中でそう呟いた。だが、そこには父が強調していた「心を満たす食事」の要素があるだろうか。食事は単に栄養を摂るだけの行為ではなく、自然とのつながりを感じ、人々との絆を育む重要な文化だ。それを彼女は父から学んできたが、今の時代、それがどれほど重要視されているのか疑問に思うこともあった。


飛行機が滑走路を滑り出すと、遊美は自分の座席に深く腰掛け、遠ざかる東京の景色を窓越しに眺めた。しばらくして、手帳を取り出す。そこにはサミットのプログラムが書かれていた。


サミット初日


サミットが開かれる会場は、シンガポールの近未来的な街並みに溶け込むように立ち並ぶ高層ビルの一つだった。遊美が会場に入ると、目の前に広がるのは巨大な展示スペース。世界中から集められた最新の技術を使った食材や製品が一堂に会していた。


「これが未来の食材…」


彼女の目に飛び込んできたのは、3Dプリンターで作られた食材や、培養肉、さらには昆虫を使った食品の数々だった。どれも、見た目は一般的な料理と変わらず、美しい盛り付けがなされている。しかし、そのすべてが人工的に作られたものであることを知ると、遊美は少し戸惑った。


「食事がこんな風に変わってしまうのか…」


遊美はため息をつきつつも、次々と展示される新しい技術に目を奪われた。あるブースでは、気候変動に耐えられる新しい作物が紹介されており、別のブースでは、水を使わずに栽培された野菜が試食として提供されていた。


「この食材たちが未来を救うかもしれないのね」


それは疑いようのない事実だった。気候変動や資源の枯渇が進む中で、こうした技術の進歩は人類にとって欠かせない。しかし、心のどこかで違和感を覚える自分がいた。それは父・士郎がいつも言っていた「自然の力を感じる食事」とはかけ離れていたからだ。


「未来の食がこれで本当にいいのか…?」


そんな疑念を抱きながらも、彼女は展示会を歩き回り、各国の代表たちと挨拶を交わした。やがて、彼女の前に一人の男性が近づいてきた。黒髪で整った顔立ちの彼は、遊美に向かって手を差し出す。


「こんにちは、私はリュウ・チェン。このサミットでプレゼンテーションを担当している者です」


彼の名はリュウ・チェン。中国の未来食材開発チームを率いるリーダーだった。彼は、昆虫を主食とする新しい食文化を推進している人物で、世界的に注目されている。


「初めまして、山岡遊美です。日本の料理ジャーナリストをしています」


リュウはにっこりと微笑み、「日本の食文化はとても素晴らしいですね」と答えた。「でも、これからの時代、私たちは食を再定義する必要がある。食材そのものを変えていかなければ、未来の世界は成り立たないと思いませんか?」


「再定義…」と、遊美はその言葉を繰り返した。「それは、どのような形でですか?」


リュウは深く頷きながら、「今、私たちは昆虫や培養肉といった新しい食材を使い、持続可能な食を目指している。自然を模倣するだけでなく、自然を超える存在としての食を作り出す時が来たんです。これが、私たちが目指す新しい時代の食文化です」


彼の言葉に遊美は衝撃を受けた。自然を超える食材。今までの自分の考えでは、自然の力を尊重し、そこから得られるものを最大限に生かすことが食の基本だと信じていた。しかし、リュウはそれを一歩超えた未来を見据えていた。


「自然を超える…そんなことが可能だと?」と遊美は尋ねた。


「もちろんです。私たち人類は進化し続けてきました。技術もまた、進化の一部です。自然と技術が融合し、より持続可能で、さらに心と体を満たす新しい食事が生まれる。これは進化の一環なんです」


遊美はその言葉に戸惑いを隠せなかった。進化とは、自然を守ることではなく、変えていくことなのだろうか。彼女の中で、父・士郎の教えとリュウの考え方が激しくぶつかり合った。


「私は、自然を超える食材が本当に心を満たすことができるのか疑問に思います。食事は、人と自然とのつながりを感じる瞬間であり、その中にこそ本当の満足感があるのではないかと考えているんです」


リュウは一瞬黙り込み、少し考えたようだった。そして、真剣な表情で答えた。「それも一つの考えです。でも、私たちが目指しているのは、より多くの人々に持続可能で、栄養豊富な食事を提供すること。未来の食文化を築くために、自然に頼らない新しい道を作る必要があるんです」


遊美はその言葉に再び悩んだ。父が言っていたように、食事は心を満たすものでなければならない。しかし、未来の世界において、技術がそれを実現する時代がやってくるのかもしれない。


「私はまだ答えを見つけられないけれど、リュウさんの考えも理解できます。未来に向けて、私たちは新しい選択をしなければならないのかもしれないですね」


リュウは優しく微笑んだ。「お互いに、それぞれの道を探しましょう。答えは一つではないはずです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎週 日・木 19:00 予定は変更される可能性があります

【毎週木曜日19時更新】#美味しんぼ〜未来のメニュー〜 湊 マチ @minatomachi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ