朝月夜に天秤は傾くか?

アメノヒセカイ

第1話 単位を落としてしまえッ!

 ……はよ。

 ……はよッ!

 

 大学。講義のある教室で音楽を聴きながらノートを準備する。そのとき、私のヘッドホンの片側を外されて。


「おはよ、ムラモっち!」


 鼓膜が破れる、ふざけんな。

 恨んだような目を向けてやる。その女、遊士ゆうし藍奈らんなは入学式の帰り、昼食難民となっていた私を誘ってくれた聖人であるのだが、それから懐かれたらしく自由席の講義では隣同士で受けることが多くなった。


「朝から元気だね」

「むー、むう? 氷雨ひさめ村藻むらも、今日は大学近くのラーメン屋とかどうぞよ?」

「今日は弁当だよ、作ってもらった」

「うわーん、いいな。いい、ママさんだな。大学入ってから一食五百円ねって小遣い渡すだけ。ほら、今の物価高を耐えられるわけないでしょ?」

「うん。おにぎり二個買ってお茶付けたら厳しい」

「雑草でも食えって言うのか! もうバイト代が溶ける、溶ける。ラーメン屋、学生証見せると大盛り無料ってわけで」


 ランナは小柄な私と異なって高身長なモデル体型だ。空きコマに大学近くのジムに通っているらしく、大食いながらも抜群のスタイルを持つ。本人曰く、フードファイターは健康的な生活とスタイルの良さが重要らしい。お腹の周りに脂肪があると胃の膨張を止めてしまうため、太ることは大食いにとって不利だとか。


 うん、何言っているのか分からないけど。


 ただ出るところは出ているし、貧相でだらしなくお腹が出ている私よりも健康でしっかり栄養を取っていることが分かる。


「弁当だから」

「二回も言わなくても。じゃあ、また今度行きますか」

「そのときはよろしく」

「もちろん、ってことで。講義始まる前にコーヒーでも買ってきますわ。眠いんですよ、本当」


 ランナは髪を揺らしながら駆けていった。ランナはモテる、寝起きで飛び出してきたような散らかった髪さえも、ギャップ萌えを生むらしい。たまたま同学科の男の会話から聞こえてきた。気づけばすぐ一人になってしまう私とは違う。

 自販機から戻るランナは、同学科の友人だけ得なく、高校からの友人の走りながら、コーヒーを飲む姿も画になる。ランナはスマホで時間を確認すると慌てて教室に戻ってくる。

 人気者のランナを除いても、講義が始まるまでの教室は喧噪で包まれている。レポートがどこまで進んだか、バイトがどれだけ忙しかったか、誰と誰がいい感じなのか、昨日は何時まで起きていたか、スマホゲームや携帯型ゲームでの進捗状況がどれほどか、好きな動画投稿者の何を見たか、などなど。


 私はその盛り上がりの中に入らない。時間が無駄に過ぎてしまうのが嫌だからだ。そんな時間があれば、私はスマホで『赤ちゃん名前サイト』を見る。大学一年生で子供がいるわけでも、親戚に子供ができたわけでもない。しいて言うなら私の子である。私は今年で三年目の物書きで、ネット上に自分が書いた作品を載せている。ネット小説家なんて言い方もあるらしい。


 時間を見つけ次第、自分の作品のために設定やプロットを作ったり、ネタについて考えたり、作中にでてくる小道具について調べたりする。隙間時間であっても、家に帰った後の時間であっても常に使い道がある。そのせいか、友人との雑談が面白くなかったり、布団の上でぼうっとしたり、家族や友人の買い物に付き合わされる時間さえも無駄に思うことがある。


 人間関係が深く、様々な経験が合った方が有利なのも分かる。でも、何も得られない時間に耐えられなくて、創作が進まない、成果も出ない日々があると焦ってしまう。

 自分が進む道がすべて塞がっているような途轍もない不安が、私の背後に憑き続けているような錯覚に陥るのだ。


「じゃあ、今日は先週勉強した——」


 先生の言葉を聞いてハッとする。ノートをぱらぱらとめくって復習しながら、新しく出てきたことをメモしていく。二十分ほど経って水を飲む。ランナを見ると机に伏せて眠っていた。でもどうせ誰かがノートを見せてくれるはずだ。

 そう思うと羨ましく思った。ノートを書く時間があれば、パソコンを出して内職は目立つものの、次の話のおおよそのプロットくらいなら書けるのでは? と一瞬でも思ってしまうのは先生に失礼だ。

 講義が終わる。


「どうしよ、ムラモちゃん。一時間寝ちゃった、もー!」

「バイト頑張り過ぎじゃない? 困っているの? お金」

「食費くらいだけど、店長に頼まれたり、友達に代わってみたいに言われたりすると頷いてしまって。良くないけどね」

「そっか」


 次の講義の教室に移動しようとすると、ランナは私の袖を引く。振り返ると両手を合わせて頭を下げてきた。


「さっきのやつを写させて。お願いします!」

「分かったよ」


 ランナなら私以外にも見せてもらえるだろうけど。ランナは人気者で、それでいて慌ただしい日々を送っていて。私が困っているときに助けてくれるかは分からないけど、創作のキャラとしてネタになりそうな気がする。仲良くしておくのはいいことだと思う。


「ありがとう!」

「休み時間に見せるね」

「ありがと、ムラモっち。今度ラーメン奢りますう」

「それってランナが行きたいやつ?」

「もちろん」

「奢りなら行ってもいいね」

「でしょ、でしょ。言質取りました!」


 私はいつも天秤にかけてしまっている。誰と関わる場合も、何かをする場合も。お金や時間などのコスト、精神的に疲れるか癒されるか、創作のための体力が残るのか、そもそも創作のネタになるのか。

 時間を潰す、なんて言葉は創作を始めてから消えた。だから何をする場合も、創作をするよりも優先すべきかという天秤にかけている。良くない考えだと思うけど、どうしても考えてしまうのだ。


 次の講義も終わる。昼食の時間は、建物の外にある木製ベンチに座って弁当を食べる。ランナは友人と外食をしている。外食に行けば、残りの昼休憩は移動時間に費やすことになるが、弁当を食べる場合は残りの時間を図書館での執筆に当てられる。

 図書館を利用するのは、私が静かな空間の方が書きやすいからだ。

 パソコンを開いて自分の作品がどれほど読まれているのか見てみる。

 どの作品も全く読まれていない。ここまで捧げて駄目なら何を犠牲にすればいいのか?

 睡眠や食事の時間? 既に限界まで削っている。睡眠は毎日五時間程度で、もう少し執筆時間を増やそうとさらに削ってみたが、体調を崩してやめた。趣味も市場調査を含めてアニメを見たりドラマを見たり小説や漫画を読んだりするだけだ。


「私、まだまだだな」


 自分のことが嫌いになりそうだ。現実世界の生活も上手くいかないのに、自分が書いている小説は全く読まれず、そこにあってもなくても変わらないような感じだった。私は一体どこにいるのだろうか? 

 こんなにネガティブになっても駄目だ。次の作品はもっと読まれるものにしよう。今は悪役令嬢なるものが流行っているらしい。


「なら」


 と図書館で資料を探してみるが、ろくに世界史を学んでいない理系人が簡単に見つけられるはずもなく。王政について書かれているものを読んでみた。しかし、目が滑ってしまう。パソコンを開いてまとめようとしたが昼休憩にそんな余裕はないことに気づいてやめた。

 本を棚に戻して、学校から家に帰るまでの電車でスマホを使って調べることにした。

 結局、更新している長編を五百文字程度書いて講義の教室へ向かう。

 

 私は何を捨てて何を得れば小説家になれる?

 創作と比べて価値が低いものは常に排除した。無駄な交友関係、長いアルバイト時間、睡眠時間、食事の時間、これ以上何を失えばいい?

 どうしたら必要な能力が身に付く?


 天才じゃない私でも小説家になれる方法、そのためだったら何だってできるのに。


「ムラモっち、どこ行っていたの?」


 教室の手前でランナと合流した。ランナの隣には一緒に外食へ行った友人が二人ほど。小柄な私と比べれば背は高くて、しっかり大学を満喫していますって誇示するような大きな笑い声が少しだけ怖い。


「図書館」

「本が好きだったね」

「……そう」


 小説家を目指すなら迷わず頷くべきだとは思う。でも図書館で並んでいるような専門性の高い本や厚い表紙の本は読まない。そのせいで、どう答えればいいのか迷ってしまう。

 それに。

 ずっと書いていて、それが評価されなくて苦しいから、本そのものが悪いやつに見えてしまうんだ。物書きは呪われている。時間の使い方も、ネタになるかどうかという物事への付き合い方も、追われているような怖さが一時も忘れられない。ここまで追い詰められているなら一度は休むべきだろうけど。

 そういうのも怖いんだ。


「そういえば、レポートさ。できていたじゃん? 例のやつ」

「なにそれ?」

「数学のやつ。難しくてどうにもならなかったけど。ムラモっち、先生やってくれない?」

「先生とは?」

「ムラモ先生、講義終わったらラウンジで、みんなでやりたいの。どうかな?」


 ランナはうるうるした目で見てくる。面倒、それに今日は三千字書いて投稿するつもりだった。何時に終わるか分からないし。


「お願いします!」

「ムラモ先生、助けてッス!」


 ランナの友人が両手を合わせてきた。断りたいけど、断れないのが私である。いや、押しに弱いというか、あまり関わらない人と関わるのは物書きとして刺激になるかもだし、これから大学生活を送るためにも有利になるかもだし。最悪、睡眠時間削って書けばいいか。

 うーん、仕方ない。


「分かった。その代わり、やる気ある人しか見ないから」

「「ムラモちゃん、大好き」」


 ギャルに抱き締められた。香水、柑橘系と桃とか? あまり強い香りは得意ではないのだけど、それにちょっと力が強くて痛い。痛い、痛い……。


「あ、ムラモが死んでいる!」

 ランナが言うとギャルは放してくれた。


「死んでないわ!」

「おお、生き返った。ムラモ先生がいなくなったら私たち終わりよッ!」

「分かったから。早く教室行くよ。ほら、間に合わないから」


 急いで教室へ。

 目の前にギャル、隣にランナの陽キャ、すなわイケているグループの布陣になっている。つまり私もその一員ということだ! というのは冗談で。


 ギャルたちは金髪に染めていて見た目は派手な印象だったが、講義は真面目に聞いている。食べた後で眠かったのか、後半「ふにゃふにゃ」と呟きながら伏せていたランナよりは圧倒的にましである、うん、もうランナは単位を落としてしまえッ!






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