sectⅤ 追込み

 埠頭。

 遠くに、ライトアップされたレインボーブリッジが見えている。

 コージとメグミが、ハーレーの上で抱き合いながら激しくディープキスをしていた。

 臨海副都心であるお台場周辺はデートスポットとして有名なので、コージとメグミ

のラブシーンは、特に目立つわけではなかった。

 が、突然そこへナンバーを泥で隠したスモークガラスの黒塗りのメルセデスベンツ

が現れた。

「V12のアーマゲだ!」

 コージが、言った。

「何それ」

「よッぽどの悪さでもしねーと、買えねークラスの高いベンツ」

 最近は庶民用のコベンツも発売されているが、メルセデスベンツの中でもV12気

筒エンジンを搭載したAMG仕様はバブルが弾けた今でも、都内の3LDKマンショ

ン一軒分の値段はするのだ。

 そのV12・AMG仕様を所有できる人種といえば、直系のヤクザか脱税している

歯医者ぐらいのものだろう。

 コージは、ハーレーのエンジンをかけようとしたが配線をスパークさせるのに手間

取った。

「コージ」

 メグミが、焦りの表情を浮かべた。

「テンパッたかも」

 たちまち、ベンツに進路をふさがれてしまった。

 ヤクザ達が、ベンツから降りて来た。

 組員の一人に後部ドアを開けられて、アルマーニのスーツを着た貸元頭がおもむろ

に出て来た。

「スカッシュの時間までには、終わらすぞ」

 貸元頭は、ロレックスの金時計を見ながら言った。

「はッ」

 組員達が、かしずいた。

 ヤクザの組織は完全なタテ社会だ。

 上から、総長―貸元―代貸―組長というピラミッド型コンツェルンの組織形態であ

る。

 一般の大企業に例えると、トップである親会社のオーナーが[総長]、子会社の社

長が[貸元]、孫会社の社長が[代貸]、そして[組長]というのは、フランチャイ

ズの事業主的な地位なのだが、ヤクザ映画等の影響からか総長と混同されている。

 総長は貸元に一つの地域を与え、その貸元がその中の地区を代貸達に任せ、さらに

細かい区域を組長達が担当する仕組みになっている。

 それぞれの下部団体から全ての権限を持つ総長に、上納金が吸い上げられていく。

 広域暴力団になると貸元だけでも十数人いて、それらの長が貸元頭というわけであ

る。

 この貸元達は、それぞれの自分の派閥と縄張りを持っており、互いに他の派閥のア

ラを探して優位に立とうとしている。

 アルマーニのスーツを着た貸元頭に取っては、自分のシマからカネが盗まれたとあ

ってはメンツが丸潰れになり、あらゆる交渉事で不利になる恐れがあったのだ。

 だから、早急に内々に処理する必要があった。

 組長・代貸クラスを超えた重要案件なのだ。

「サツをごまかす事はできるだろうが、ウチらの情報ネットワークをなめてもらって

は、困るな」

 貸元頭は、エルメスのネクタイを締め直すしぐさをしながら射るような眼光を放っ

た。

「……」

 コージは、まるでヘビに睨まれたカエルのように押し黙っていた。

「カネは、どこだ?」

 貸元頭が、静かに詰問した。

「ヤローは殺てまッて、オンナはシャブ漬けにして犯すぞ」

 組員の一人が、メグミの身体を触った。

 闇金融屋の経済ヤクザである。

「触ンなよ」

 メグミが、わめいた。

「ヤクザの銀行タタくとは、一体どういう教育を受けたのだね。タップリと利子を付

けて、返してもらうよ。生命保険に加入してから腎臓売れば、簡単だ」

 多くの腎臓移植を希望する人に対して、圧倒的にそのドナーが不足している現状で

は闇で腎臓が売買されているのだ。

 日本国内では違法な手術でも、タイやフィリピンに渡航すればカネ次第でどうにで

もなる。

 銃や麻薬と同様に貧しい国の病の一つだ。腎臓は二つあるので、片方を摘出しても

通常の生活は営める。

 バブルでヤクザから多額の借金を抱えた不動産屋が、強制される債務返済方法であ

った。

 現実は、術後のケアの問題で死亡するケースが多い。

 そのために保険金をかけるのだ。

 ヤクザと関係すると、骨までシャブリ尽される。

 闇金融屋が、メグミの上着に手を突っ込んで胸を揉んだ。

「やめろ、ヘンタイ」

 メグミが、騒いだ。

「わああああああ」

 コージが、闇金融屋に飛びかかった。

 横にいた別の組員のドスが、コージの脇腹を刺した。

「ぐッ」

 コージが、呻いた。

「コージ!」

 メグミが、叫んだ。

「カネはッ」

 貸元頭の尋問は、執拗に続いた。

 コージは、内ポケットに手を入れた。

「こいつ、チャカ呑ンでますぜ」

 闇金融屋が、言った。

 貸元頭のボディガードが、サブマシンガンを構えた。

“ガガガガガッ!”

 メグミがとっさに、コージをかばって撃たれた。

「メグミーッ」

 コージも、叫んだ。

「馬鹿野郎。カネを取り返すまで、殺すんじゃねえッ」

 貸元頭は、サブマシンガンを撃ったボディガードを蹴り上げた。

 その隙に、コージはメグミを前に抱くようにしながらハーレーを押しがけした。

 エンジンが息を吹き返した。

 逃走するハーレー。

 貸元頭は、ボディガードからサブマシンガンを取り上げて照準をハーレーに合わせ

た。

“バン!”

 ハーレーのエンジンに命中して、火を噴いた。

 操縦がきかなくなったまま、コージとメグミはハーレーごと海に落ちてしまう。

 燃料タンクに火が点いて爆発炎上した。

 海面に、ブクブクと泡だけが浮き出る。

 ヤクザ達は、サーチライトを照らして2人を捜索した。

 しかし、この騒ぎにヤジ馬が集結して来たので、貸元頭は撤退を部下達に命じた。

 警察に根回しする準備が必要になったからだ。

 水中では、コージがメグミを抱えて潜水状態だった。

 息苦しくなってきた。

 もう、3分以上潜ったままなのだ。

 このまま海面に顔を出せば、撃ち殺されるに決まっている。

 その時、メグミのポケットから声変えスプレーを見つけた。

 コージは、スプレーの残存空気を吸い込んで、メグミにマウスツーマウスで酸素を

与えた。

 急場をしのいで、いったん沖に出てから海面に漂っていたペットボトルにつかまり

ながら別の岸に泳いだ。

 廃棄物処理場。

 見渡す限りに広がるゴミの山……そこは、最終埋立地だった。

 コージは、大量の血を流しながらグッタリしているメグミを背負って、ゴミの海を

這った。

 2人は、ヘドロとゴミにまみれてドブネズミのようになっていた。

「コージ…」

 メグミが、虚ろな眼で呟いた。

「……」

 コージは、答えなかった。

「前は、いろンなデタラメやッてたけど、コージにだけは、あたし、一度もウソつい

たコトないよ」

「喋ンな」

「それだけ…言いたかッた……」

 そう言ったきり、メグミはガクッと首をうなだれて意識を失った。

「メグミ!」

 コージが、背にしたメグミを揺さぶった。

 メグミからの返答はなかった。

「クズとカスの死に場所は、ゴミためと一緒ッてわけか……」

 コージもまた、血ヘドを吐きながらもメグミをかばうようにして、その場に倒れた。

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