sectⅠ ID

 新宿、都庁ビルにつながる西口地下道。

 行き交うOLやビジネスマン達。

 その横に、100軒以上も連なるダンボールハウス群がある。

 グッタリとしている浮浪者の姿、姿、姿…。

 様々な理由でドロップアウトを余儀なくされた者の中には、リストラされた三十代

の働き盛りの人もいる。

 この中に、新聞紙にくるまりながら寝ている長髪に不精ヒゲの男が混じっていた。

 その男が、他のホームレスと異なる点は若いという事だ。

 家出少年には見えないが、二十歳前後だろう。

 男の部屋には孫子の兵法や広辞苑、そして六法全書が散乱している。

 彼の棲み家の前を、同世代の男女が通った。

「ま、いッかー」

 ロン毛で、キムタクのNGのような大学生が言いながら財布を落した。

「だよネ」

 頭に、カニミソの詰まったバカ娘が答えた。

 バカップルは、ダンボールハウスには全く無関心な様子だ。

 男は、寝ていた。

 が、眼だけは異様に光っていた。

 垢にまみれた男の手が、サッと財布を拾った。

 財布の中には数千円と運転免許証が入っていた。

 夜更けを待って、男は公衆トイレに入った。

 使い捨ての安全カミソリで不精ヒゲと肩まで伸びた頭髪を短くして、ちびた石ケン

で身体を洗い、フード付きのスエットを着込んだ。

 日が昇ってから、男はフードを目深にかぶって人相が目立たないように行動した。

 電話ボックスでタウンページを検索した。

 私設私書箱と電話代行業者の広告欄をピックアップして契約した。

 一億総背番号制の社会構造下において、住民票すら満足に持たないホームレスは生

ける生ゴミでしかない。

 ID(身分証)を持たない彼には、現住所を作る必要があった。

 個室ビデオ店の半畳ほどの室内で、男は仕込みに入った。

 この空間なら人目につかない。

 モニター画面には濃厚なセックスシーンが映っているアダルトビデオが流れている。

 男は、これには目もくれずに新聞紙を切り抜いていた。

 100円ショップで適当に選んで買って来た三文判を捺印して、【相原功治】と署

名する。

 盗んだ大学生の運転免許証に、新聞の活字を拾って住所と氏名を切り張りし作業は

完了した。

 後は、偽造した身分証をコピーしてサラ金ローンカード用の銀行口座を郵送で開設

すればいいのだ。

 電話代行業者には会社名を名乗らせて、勤務先在籍確認の連絡があった場合は留守

と答えてもらえば、現住所として登録した私設私書箱にカードが届くはずだ。

 在職のアリバイと身分証のコピーがあれば、IDとなる。

 数日後には男の手元にはローンカードで下ろした軍資金が入っていた。

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