第27話
ただの遊びのつもりだったのに、執拗に付きまとい粘着された。
まるでストーカーのようになってしまった真奈美との話し合いは揉めに揉め、弁護士を介入させて、最終的に接近禁止命令を出してやっと関係を切る事ができた。
まさに地獄を味わった。
雪乃がいない生活を、維持していく必要はないと感じ俺は仕事を辞めた。
たかが浮気だろうと思っていた。
世間一般的に、夫が浮気しないで一生妻だけしか抱かない男なんて、よほどモテない奴だろうと思っていた。
駄目だとは分かっているけど、面倒がなければ羽目を外して遊んだりするのは普通だろうと。
甘かった。
雪乃は俺を捨てた。
休日の朝は、旨いと評判のベーカリーでクロワッサンを買って来て、俺がコーヒーを淹れ雪乃の朝食を作った。
眠そうにしながらも、ありがとうと微笑んでくれた妻はもういない。
一人の方が楽だろうというヤツもいるけど、ベッドで目が覚めた時、隣にいるはずの雪乃がいないのは寂しかった。
俺は会社を辞めて、個人トレーダーとして仕事をする事にした。
ネット環境さえあれば、どこでも仕事ができるのならいっそ端っこまで行ってみようと思い、北海道の紋別に住むことにした。
雪と氷に覆われた恐ろしく寒い冬、広大な大地と生命の息吹を感じる春。梅雨のない大自然に覆われる夏に、実りの秋。
人より動物に出くわす方が多いんじゃないかと思われるこの地で3年過ごした。
会社員として客の金を動かしていた時と違い自分の資金を運用するやり方は、損出も全て自分に降りかかる。その代わり、利益が出るとそれは莫大で俺は成功し多くの資金を得た。
3年経った。東京に戻ろうかと思い、駅前に新しく建ったタワマンを購入した。
もし子供ができたなら、こんなマンションに住みたかったという夢みたいなのを一人で叶えた。
虚しいな、と、高層階からの景色を見ながらインスタントコーヒーを飲んだ。
『美味しい』『楽しい』『綺麗だ』『幸せだな』
全ては誰かと分かち合ってこそなんだなと思った。
一人で感想を言っても誰も共感してくれない。
ここは東京だ。もしかしたら雪乃にばったり出会うかもしれない。
その時は自分が成功している姿を見せたいと思った。
このマンションはコストパフォーマンスは抜群だし、共用施設としてスポーツジムとプールがあり便利だ。
夕方、ジムに行こうとマンションの部屋を出る。
仕事がら毎日部屋にこもっている。運動不足解消のためせめてトレーニングだけは続けようと考えていた。
ちょうど、隣の住む住人が玄関ドアを開けた。
引っ越しの挨拶には行かなかったし、あっちからも来なかったので会釈程度の挨拶でいいだろうと彼女を見た。
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「……雪乃……」
お互い顔を見合わせて、あまりの驚きに目を疑った。
「なんで……」
このマンションは億は下らない高額物件だ。
雪乃がまさかこのマンションに住んでいるなんて思ってもみなかった。
「え?ここに住んでいるのか?」
「……あなたこそ」
偶然なのか、必然なのか。
俺たちはまた出会ってしまった。
「雪乃……良かったら、クロワッサン食べないか?」
昨日、近所においしいベーカリーを見付けて昔を思い出して買ってきたクロワッサンがある。
何か話を繋ぎたくてついクロワッサンをどうかと言った。
もっと気の利いたことが話せたのにと少し後悔する。
雪乃は怪訝そうに眉を上げた。
「いらないわ」
軽く断られる。
彼女も少し居心地が悪いのだろう。
この場からすぐに去っていきそうだ。
「雪乃、少し話がしたいんだけど……」
彼女は少し戸惑ったように俺を見た。
「私、結婚したの」
「えっ……」
嘘だろう?
「今から夫と待ち合わせなの」
「ああ……そうか」
ショックのあまり、崩れ落ちそうになった。
いつの間に結婚したんだ。あれからまだ3年しか経っていないだろう。
誰からもそんな知らせは聞いていない。
もちろん実家の母からも聞いてなかった。
あの時、彼女は俺以外の男と寝なかった。
まだ俺を愛していたんだと思った。
きっと、まだ愛情は残っているはずだと、もしかしたらまた会えるかもと東京に戻ってきた。
くそっ……
なんとか気合で平静を保つ。
雪乃はこのマンションを夫婦で買ったんだな。
よりによって、なんでここなんだ……
投資目的だったとはいえ、もう引っ越さなければならないなと頭の中で考える。
「康介さん、あなた……今、幸せ?」
雪乃は急にそう訊ねてきた。
俺はできるだけ明るく見えるように、口角を上げた。
「ああ」
幸せそうには見えないだろう。
俺は、一人だ……
「……幸せだよ」
俺は雪乃に嘘をつく。
━━━━完━━━━
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