私をつくる好きなもの
千崎 翔鶴
「好き」と「嫌い」
このエッセイのタイトルは、私の敬愛する作家先生のエッセイのタイトルを参考にしている。その作家先生のことについては、また折を見てエッセイの中で触れたいと思う。
好きなものはありますか。
嫌いなものはありますか。
どうせならば自分のまわりは、たくさんの「好き」で溢れさせておきたい。嫌いなものは「嫌い」として、どうしても避けられないとき以外は触れる必要もないと思っているのだ。
別にそれが「嫌い」だからといって、攻撃するようなこともない。きっとそれを「好き」と思う人もいて、そういう人が愛していけばいいのだ。
言うなれば、無関心を貫く。わざわざ「嫌いです」と公言して、一体どうなるというのだろう。それを言ったとて、その存在が消えてなくなるわけでもない。
沈黙は金、雄弁は銀、そう言うではないか。
私はどうにも、あまり嫌いなものや苦手なものがないように思われるらしい。ただ人間であるので、もちろん嫌いなものも苦手なものもある。ただ、それを顔に出さない、語らない、それだけのことなのだ。
私個人の感覚であるが、自分の「好き」を語る人は好ましい。
人に「嫌い」ばかりを語る人からは、少しだけ距離を置きたくなる。
何が「好き」かを語って貰えると、「じゃあこれはどう?」とコミュニケーションを取ることもできる。「嫌い」の同調もコミュニケーションなのかもしれないが、私はどうにもそういうことが得意ではない。
さて。
このエッセイはともかく「好き」を語りたいなと思って書き始めたものだ。
とはいえ私はよくエッセイを書くわりには、突然ふっと消してしまう悪癖もあるので、いつまで続くかは分からない。けれど「好き」は案外たくさんあるので、なんだかんだ書けるような気もしている。
まずは何から語りましょうか。となれば、私はまず「読書」の話をしたい。本の話をしたい。
何せ私は活字中毒。自称「本の虫」である。ならば読書について語らずして、何について語るというのだろう。なのでまずは、そこから始めたいと思っている。その中で、前述の敬愛する作家先生についても語れたら良い。
余談ではあるが職務上、私は多くの「嫌い」を耳にする瞬間がある。
夏を過ぎましたね。中学・高校・大学といずれの入試も、これからですね。すべての受験生の皆さま、お疲れ様です、頑張って。それと同時に受験生の保護者の皆さま、お疲れ様です。
とまあ、そういうことである。
勉強ばかりは「嫌い」に対して無関心を貫くことはできないので、ぜひとも頑張ってもらいたいところだ。
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