異世界勇者株式会社 〜最低ランクからの上場物語〜

湊 マチ

第1話 勇者株式会社

田中竜星は、目を覚ました時、自分がどこにいるのかさっぱりわからなかった。周りを見渡すと、目に入るのは見たこともない風景だった。草が生い茂る田舎道、木造の建物がぽつんぽつんと立ち並び、道端を歩く人々の服装は、まるで中世ヨーロッパの時代劇のようだ。いったい、どういうことだ?


頭が混乱している。確か、俺は交通事故に巻き込まれて……それでどうなったんだ? 一瞬、記憶が飛んでしまったような感覚に陥るが、すぐに状況を整理しようとする。俺は、どうやらこの場所に転生してしまったらしい。


「ここはどこだ?」


田中は自問自答した。まるで夢の中のような感覚だった。自分が生きている現実ではない、そんな違和感が全身を包み込む。だが、足元の土の感触や、風に揺れる草木の音が、これが紛れもない現実だと告げていた。


「おい、お前、勇者か?」


突然、田中の背後から声が聞こえた。振り返ると、ボロボロの服を着た中年男が立っていた。男は田中をじろじろと観察している。勇者? 何を言っているんだ、この男は。だが、状況を考えれば、ここがただの異世界というわけではないことは明白だ。


「勇者……? 俺が?」


「そうだ、お前だ。さっき、あの城から呼び出されたってことは、お前はこの町に来た新しい勇者だろ?」


田中は頭を抱えたくなる気持ちを抑えながら、なんとか男に合わせた。「ああ……そうだ、俺は勇者だ」


「そうか、やっぱりな。まあ、今はどんな勇者も珍しくないからな。お前も最低ランクの勇者だろうが、せいぜい頑張るこった」


最低ランクの勇者……? 田中はその言葉に引っかかった。この世界では、どうやら勇者にもランクがあるらしい。そして、俺はその最低ランクに分類されている、と。


「ちょっと待ってくれ。最低ランクって、どういうことだ?」


「はっ、何も知らねえのかよ。新入り勇者ってのは、まず最低ランクから始まるんだ。剣もろくに扱えない、魔法も使えない奴は全員、そこだ。まあ、戦闘能力が上がれば、ランクも上がっていくって仕組みだな」


戦闘能力……田中はその言葉に苛立ちを覚えた。俺は戦闘なんてしたことがない。ましてや、剣を振るった経験も、魔法なんてものに触れたこともない。現実世界で生きていた時は、普通のサラリーマンだった。それなのに、なぜいきなり「勇者」として戦えと言われるんだ?


「俺には……戦闘なんてできない」


そう呟くと、中年男は哂った。「そうだろうよ。だが、この世界じゃ戦えなきゃ、ただの役立たずだ。戦闘ができなきゃ、飯の種も稼げない。そもそも勇者なんて、戦ってナンボだろ?」


田中は歯を食いしばった。戦えなければ、生き残れない。そういうことか。だが、俺は戦士でも、魔法使いでもない。ただのビジネスマンだ。普通の営業マンとして、現実世界で会社員をしていただけだ。そんな俺に、戦いを求められても、どうしようもない。


頭の中でぐるぐると考えが巡る。この世界では、どうやって生き残るべきなのか? 戦闘能力がない俺は、どうすればいい? やはり、ここでの生き方は戦うことなのか? だが、その時、ふと頭に浮かんだのは、これまで培ってきた自分のビジネス知識だった。


「戦わなくても、稼げる方法はあるはずだ」


そうだ、俺は戦う必要なんてない。現実世界では、戦って相手を倒すことで生きていくなんてことはしない。戦う代わりに、頭を使って、ビジネスを展開し、金を稼ぐのが普通だった。それなら、この異世界でも同じようにすればいいじゃないか。


「……株式会社を作るか」


田中は突然、閃いた。この世界には、株式会社という概念がないかもしれないが、それなら俺が最初に作ればいい。戦ってモンスターを倒すのではなく、資本主義を武器にして、最強の勇者を目指す。それが俺の道だ。


「戦闘力はないが、俺には知恵がある」


そうだ。戦いではなく、知恵と資金力で、この世界でのし上がってやる。そう決意した田中は、その日のうちに町の役所に向かった。この世界で「株式会社」を設立するための手続きをしようと考えたのだ。


役所に到着すると、職員らしき男が窓口に座っていた。田中は勇気を振り絞って声をかける。「すみません、株式会社を設立したいんですが」


職員は一瞬怪訝な顔をした。「株式会社? なんだそれは? 聞いたこともないな」


予想通りだ。この世界には、株式会社という概念が存在していない。だが、だからこそ俺がその最初の一歩を踏み出すべきだと田中は確信していた。


「会社を作って、商売をしたいんです。商品の売買や、冒険者たちのサポートを行う会社を」


「ふん、商売ねえ……そういうことなら、商人ギルドに登録すればいいんじゃないか?」


「違うんです。商人ギルドの一員になるんじゃなくて、俺が独自の組織を作りたいんです」


田中の言葉に、職員は目を見開いた。「独自の組織だと? そんなの、許可がおりるかどうか……」


「お願いします。俺は、この世界でどうしても成功したいんです。そのために、株式会社という新しい形のビジネスを始めたいんです」


田中の熱意が伝わったのか、職員は渋々と書類を取り出した。「まあ……一応、申請は受け付けてやる。だが、許可がおりるかどうかはわからんぞ」


「それでも構いません。お願いします」


こうして、田中竜星は異世界での最初の一歩を踏み出した。彼の挑戦は始まったばかりだが、これが異世界での新たな経済革命の始まりとなることは、まだ誰も知らない。


---


田中竜星は、異世界で「株式会社」を設立するという大きな目標に向かって一歩を踏み出したものの、その実現にはまだ遠い道のりがあった。役所での手続きは何とか受け付けてもらったが、この世界でのビジネス環境は予想以上に厳しかった。そもそも、ここには現代のような「商売」という概念がほとんど存在しない。冒険者たちは戦って得た報酬で生活し、商人たちは自分たちのギルドに守られて商売をしているだけだった。


「どうすれば、ここで会社を経営できるんだ……」


田中は冒険者ギルドの前に立ち尽くし、ため息をついた。異世界での戦いがメインの生活では、ビジネスを成り立たせるのは容易ではない。それに、彼自身が戦えないとなれば、信用を得ることすら難しい。戦闘能力が重要視されるこの世界では、戦えない者は見向きもされないのが現実だ。


ギルドの入り口には、多くの冒険者が行き来していた。彼らは鋭い剣を腰に携え、重厚な鎧を身にまとい、いつでも戦いに出られる準備をしている。田中はその姿を見て、さらに自分の無力さを痛感する。


「俺には、こんな奴らと渡り合う力はない……」


そう呟き、田中はふとギルドの中を覗いてみた。内部は活気に満ち、冒険者たちが次々と依頼を受け、仕事に出発している。だが、その中にひと際目を引く人物がいた。長い銀髪をなびかせ、鋭い眼差しで周囲を見渡す女性が、冒険者たちの注目を一身に集めていた。


彼女の名はミリア・オルステッド。ギルド内でも高い評価を受けている剣士で、特に女性冒険者の中では群を抜く実力者だという。田中はその名前を聞いたことがあったが、直接会ったことはなかった。彼女は美しいだけでなく、その実力も確かなもので、ギルド内でも一目置かれる存在だ。


「おい、ミリア! またギルドに戻ってきたのか?」


冒険者の一人が声をかけると、ミリアは冷静に返した。「ええ、少し様子を見に来ただけよ。依頼がなければすぐに出発するつもりだけど」


その凛とした声に、田中は思わず耳を澄ませた。彼女は一体どんな依頼を受けるのだろうか。彼女ほどの実力者ならば、相当な報酬が期待できるに違いない。しかし、その直後、ミリアの顔に影が差した。


「……ギルドの腐敗は相変わらずね」


彼女の呟きは、ギルド内に響き渡ることはなかったが、田中はその言葉に敏感に反応した。腐敗? 冒険者ギルドが? 田中は好奇心を掻き立てられ、思い切ってミリアに話しかけることにした。


「すみません、今、腐敗って言いましたか?」


ミリアは驚いたように田中を見つめた。彼女にとって、突然の話しかけは予想外だったのかもしれない。しかし、すぐに冷静さを取り戻し、田中をじっと見つめ返す。


「あなたは……?」


「田中竜星と言います。この世界に来たばかりの勇者……まあ、勇者というほどではないですけど。さっきの話が気になって……ギルドに何か問題があるんですか?」


ミリアは一瞬考え込むように目を閉じた後、小さくため息をついた。「あなたには関係ない話よ。ただ、私がこのギルドの運営に疑問を持っているだけ」


「疑問、ですか?」


「ええ。冒険者ギルドは、一見すると正義の味方のような存在に見えるけれど、実際には利益を最優先にしているの。強者だけが優遇され、弱者は見捨てられる。この世界では、力がなければ何も得られない。だから、私はギルドに所属していても、ずっとこのシステムに疑問を持っていたのよ」


田中はその話を聞いて、何かが胸の中で響いた。この世界では、やはり戦闘力がすべてであり、力のある者が上に立つ。だが、それは現実の社会と何ら変わらない。田中がかつて勤めていた会社も同じだった。上司たちは自分たちの利益を最優先し、部下たちを使い捨てにしていた。その光景が、異世界のギルドにまで重なるように思えた。


「だから、ギルドを抜けるつもりなの」


突然の言葉に、田中は驚いた。「ギルドを抜ける……? そんなことをしたら、生きていくのが難しくなるんじゃないですか?」


「確かにそうね。だが、私はもうこのギルドに属するつもりはないわ。自分の信念に従って生きる方が、私にとっては重要なの」


その言葉に、田中はふと思いついた。「だったら……俺の会社に来ませんか?」


ミリアは目を見開いた。「会社……? 一体どういう意味?」


田中は勇気を振り絞って、彼女に自分の計画を話し始めた。異世界で「株式会社」を設立し、冒険者たちをサポートするビジネスを展開するというアイデアを。ミリアは最初、田中の話に戸惑いを見せたが、次第にその話に興味を持ち始めた。


「戦闘だけがこの世界での生き方じゃないんです。ビジネスという手段で、俺たちはもっと自由になれる。ギルドに頼らずに、自分たちで資金を集め、仲間を集めて、新しい冒険者の組織を作るんです」


ミリアは真剣な眼差しで田中を見つめた。「あなた、本気なの?」


「本気です。俺には戦闘能力はないけれど、ビジネスの知識ならあります。それを使って、この世界での新しい生き方を提案したいんです」


しばらくの沈黙が流れた後、ミリアはゆっくりと頷いた。「……面白いわ。あなたの計画に乗ってみよう」


田中は思わずガッツポーズをした。「ありがとうございます! ミリアさんが仲間になってくれたら、きっとこの計画は成功します!」


「ただし、条件があるわ。私はギルドを抜けた身だから、もう後ろ盾はない。それでもあなたが責任を持って私を雇うつもりがあるなら、全力でサポートする」


「もちろんです! 全力で支えます!」


こうして、田中は最初の重要な仲間を手に入れた。ミリア・オルステッド――ギルドを抜けた実力派剣士。彼女の協力を得て、田中の「株式会社」設立の夢は、少しずつ現実味を帯びていくことになる。


田中竜星は、ミリア・オルステッドという心強い仲間を得たことで、いよいよ自分の計画を実行に移す決意を固めた。だが、株式会社を設立するというアイデアは、この世界においてまだ全くの未知のものだった。ミリアですら、最初はその概念に戸惑いを隠せなかった。彼女はこれまで冒険者ギルドの中で生きてきたから、戦闘以外での生き方を想像することが難しかったのだ。


だが田中には確信があった。現代社会で培ったビジネスの知識を、この異世界に持ち込めば必ず成功できるという確信だ。問題は、その実現方法だった。


まずは、会社を設立するための初期資金が必要だ。田中は、これまでにこの世界で手に入れた情報をもとに、資金調達を模索し始めた。異世界の経済は現代とは大きく異なり、基本的には物々交換や金貨による取引が主流だった。金融機関や株式市場の概念は存在せず、資本を集める手段は限られていた。


「まずは資金がなければ、何も始まらないんだ」


田中は頭を抱えていた。設立資金をどう集めるかが、最初の大きな壁だった。ミリアと共に町を回り、商人たちに話を持ちかけたが、誰も興味を示さなかった。「株式会社」という概念が理解されない上に、田中自身の信用も薄い。


「冒険者たちをサポートする新しい組織を作りたいんです。ギルドの腐敗に頼らず、個人の力を伸ばすための会社を設立しようと考えています」


田中は何度も商人たちに説明したが、そのたびに首を振られる。何度も断られる度に、田中は焦りを募らせた。現実のビジネスでも、新しいアイデアを受け入れてもらうのは容易ではなかったが、異世界ではさらに困難だった。


「どうして、誰も分かってくれないんだ……」


田中はふと口を滑らせた。異世界の人々にとって、株式会社やビジネスの概念が遠い存在だということは分かっているが、それでもこれほどまでに拒絶されるとは思っていなかった。ミリアもまた、その様子を心配そうに見つめていた。


「竜星、無理するなよ。確かにこの世界には、あんたが言うようなビジネスの考え方はまだない。だからみんな不安なんだろう。新しいものに対する不安ってのは、どこの世界でも同じだよ」


「でも、俺にはもうこれしかないんだ。戦う力がない以上、ビジネスでやっていくしかない。だから、諦めるわけにはいかないんだよ」


ミリアは田中の言葉に頷きながらも、その目には不安が浮かんでいた。田中は再び商人たちのもとを訪れ、何度も説明を繰り返した。だが、彼らの反応は相変わらず冷たかった。


ある日、田中とミリアは市場の中心で休憩を取っていた。何度も断られ続けて、二人とも疲労が溜まっていた。そんな中、ふと彼らの前に一人の女性が現れた。彼女は上品なドレスを身にまとい、その目には鋭い知性が宿っていた。


「あなたたち、もしかして資金を集めようとしているのかしら?」


田中はその声に驚いて顔を上げた。彼女の存在感は、ただならぬものを感じさせた。


「そうです。私たちは株式会社を設立し、冒険者たちをサポートする新しい組織を作りたいと考えています」


田中はこれまで何度もした説明を繰り返したが、女性はそれを興味深そうに聞いていた。彼女は腕を組んで、しばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。


「株式会社という考え方は、この世界では珍しいわね。でも、私にはそのアイデアが新鮮に思えるわ」


田中はその言葉に期待を感じた。ようやく自分のアイデアに耳を傾けてくれる人が現れたのかもしれない。


「失礼ですが、あなたは……?」


「私はベアトリス・バンクロフト。貴族出身だけれど、今は自分の投資ビジネスをしているわ。あなたたちの話に興味があって、声をかけさせてもらったの」


田中は一瞬、信じられない思いだった。この女性が、投資家だというのか? この異世界で、投資という概念を持っている人がいるとは思わなかった。


「株式会社を設立するという発想は面白いわ。資金を集め、冒険者をサポートすることで利益を得るというモデルも理解できる。でも、どうやってそれを実現するの?」


ベアトリスは鋭い目で田中を見つめた。彼女の質問には、投資家としての厳しい視点が感じられた。田中は慎重に言葉を選びながら、これまで考えた計画を説明した。


「まず、冒険者ギルドとは異なる独自の組織を作ります。ギルドは戦闘を重視していますが、私たちは個人のスキルを活かしたサポートを提供します。例えば、魔法アイテムの供給や、戦闘後の治療、さらには冒険者同士のネットワーク構築など、彼らの活動をより効率的に支援できるシステムを作りたいんです」


ベアトリスはその話に興味を示し、さらに質問を重ねてきた。


「なるほど。では、あなたたちはどのようにしてそのサービスを提供するの? 必要な資金や設備はどうやって手に入れるのかしら?」


田中は自信を持って答えた。「私たちは、まず最初に必要な資金を集めるために、初期投資家を募ります。資金を集めたら、オフィスや設備を整え、そこで冒険者たちに対してサポートサービスを提供するんです。その過程で得た利益を再投資し、事業を拡大していきます」


ベアトリスは田中の説明に耳を傾けていたが、その表情にはまだ冷静な考察が浮かんでいた。彼女はじっと田中の目を見つめた後、ゆっくりと口を開いた。


「面白いわね。その計画、私が出資してあげましょう」


その言葉に、田中は一瞬息を飲んだ。ついに、出資者が現れたのだ。


「ほ、本当ですか?」


「もちろん。私は新しいビジネスモデルに興味があるわ。あなたたちの計画が成功すれば、この世界に新しい経済の波を起こせるかもしれない。私としても、それに賭けてみる価値はあると思っているの」


田中は感謝の気持ちでいっぱいになった。ようやく、最初の一歩を踏み出すための資金が手に入る。この瞬間が、自分たちの会社設立への道のりの始まりだ。


「ありがとうございます! これで、私たちは必ず成功させます!」


ミリアもまた、安堵の表情を浮かべた。田中が目指す道に光が差し込んだ瞬間だった。


こうして、ベアトリスの出資を得た田中とミリアは、ついに「勇者株式会社」を設立する準備を整えた。異世界での新しいビジネスが、いよいよ動き出そうとしていた。

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