クラブ・ヘレシー

葵すみれ

犬に育てられた少年




ボクは犬に育てられた。


というのも、人語を喋る犬に。


絶妙にダンディなイケメンボイスだったその犬は、親が死んで行く当てもなく田舎を彷徨っていた人間の子供だったボクを育ててくれた。

一緒に畑を耕したり、田舎の川で川遊びをしたり、隣町の野良猫やカラスたちと一緒に鬼ごっこやどんちゃん騒ぎをしたりもした。


ある日、犬に呼びかける時ずっと犬とばかりと呼んでいたら、犬に「せめてお兄さんと呼べ。」と言われた。


「犬ってお兄さんって歳なの?」と問いかけてみたら、帰ってきた言葉は「あ?…ピッチピチの十代だわピッチピチの。」と返ってきて、少し驚いたこともある。

最近の若者がピッチピチなんて使うのかと疑問を呈した隣町の猫もいたが、そこは何故か少し濁していた。


少し気になって「本当におじさんじゃないの?」と聞いてみれば、心の底から嫌そうな顔をした犬が、「知り合いの言葉が感染ったんだよ。」と一言。


犬に知り合いなんていたんだ、という驚き半分、よくよく考えてみたら犬のことをボクは全然知らないなという気持ち半分でモヤモヤしていたところ、最近になって突然犬の体調が悪くなった。


ここ数年怪我はともかく病気にかかったことがなかったボクは、犬の体調が悪くなった時どうすればいいのか分からず、どうにかしようと隣町の猫に助けてもらって犬の看病していた。



「あ、姐さん!犬、助かる…?」



犬の休む田舎のボロ屋敷の家から出てきた隣町の猫こと姐さんにそう聞けば、苦い顔をして首を振る姐さん。


姐さんは隣町の野良猫界隈ボス猫の正妻で、ボクが怪我をした時には薬草を摘んで応急処置などしてくれる逞しい猫だった。

そしてそのボス猫とは、子猫たちに混ざってボクもよく遊んでもらっていたりした。


首を振った姐さんは顔をボロ屋敷の方に向けてにゃおんと鳴き、行ってこいと視線で伝えてくる。


ボクは恐る恐るボロ屋敷に入って犬が寝ている広間へと向かう。

床に敷かれた布団で寝ている犬があまりにも弱々しくて、いつのまにか犬よりも大きく成長した自分が、犬のために何も出来ることがない事実を悔やんだ。



「ねぇ、犬、しなないでよ、また遊ぼうよ。……そんなに体悪いの?」


「……はっ、誰がそう簡単に死んでやるかっつーの。」



そう言って答えた犬は、いつもよりも声に力がなかった。


「昔話をしてやる。」そんなことを突然言い出した犬に、ボクはなんだか本当に犬が死んでしまいそうで、眉を下げ、唇を噛み締め、今にも泣き出してしまいそうだった。


しかし布団から起き上がった犬は、いつものようにまるで人間のような座り方をして口を開く。



「それと、」



犬は広間の隅にある机の上に視線を向け、誰かに向けての手紙を書いたらしく、前に見た時代劇の人みたいな事をしていた犬に動揺する。

同時に、犬って文字も書けたのか、と驚いた。



「俺が死んだら、それをある人に渡してくれ。」

「ある人…?」


「ああ。俺にとってのヒーローみたいな人だ。」



ヒーロー、なんてこの犬の口から出てくるとは思わず、「えっ。」と素で驚いた。

今日は犬に驚いてばっかりだ。



「そうだな……もうかれこれ10年以上前のことだが、俺は人間だった。」


「冗談はほどほどにしてよね。」

「冗談じゃねぇって。……お前は特異能力って知ってるか?総人口の約1割にも満たない者が持つ特異な能力。」


「………昔、聞いたことあるよ。おじいちゃんがどうたらこうたらって。」


「ははっ、それなら上等だ。」



そう言って笑う犬に、ボクは「あんなの半信半疑だけどね。」なんて付け加える。

それに犬は、「……なんでそう思う?」と聞いた。


ボクは当たり前のことを言っただけで、どうして犬がそう真剣そうに聞くのか理解はできなかった。



「だって、普通に考えて、非現実的だよ。そんな力があるなら、もっと話題になってるでしょ。」


「非現実ィ?お前、それ俺と話してる自分の顔を見て言えるか?」

「んえ………?いや、だって、犬は犬だし……」


「おま……もっと頭柔らかくしろ、俺がこの村から出させなかったのが悪いけどよ。犬は普通は人間の言葉を喋らねーし、人間は普通猫やカラスの言葉を理解できねーんだよ。」



犬に放たれたその言葉が、ボクは一瞬理解ができなかった。


まるで、今までの常識や価値観を銃弾一発で撃ち抜かれたかのような衝撃。


ボクの瞳は酷く動揺して潤み、同時にここで一番非現実的な犬に、現実を突きつけられた気分だった。



「いやそんな心の底から驚いたみてぇな顔ヤメロ。外の世界に出てこの常識通用すると思うなよ。それこそ異端になっちまう。」


「え、でも、それじゃあなんでボクはみんなの言葉が理解できるの?」

「んなもんお前も特異能力者だからだろ。」


「んえ、」


''お前も特異能力者だからだろ……?''

犬から放たれたその言葉に、文字通り言葉を失った。


……この犬は今なんて言った?


さっきから驚くことしかできず、頭の中で犬の声が復唱して聞こえてくる。


突然そんなことを言われても理解ができるわけでもなく、一度深く息を吸った後、それでも理解ができなかったため「え?」と今一度困惑の声を出した。



「つ、まり……ボクも特異能力を持ってるってこと……?」

「少なくとも、動物の言語を理解できるだけの力はあるだろうな。」


「じゃあ、ボクの特異能力は動物の翻訳みたいな感じ?」

「さぁな。それはこの手紙を届けるヤツに聞けば分かるだろ。ま、俺もよく知らねーけど。でもお前の場合、先祖返りの能力もあり得るかもな。爺さんの特異能力については何か知ってるか?」


「ううん、よく知らない……おじいちゃんはおばあちゃんと一緒に行方不明になったってことぐらい。」



そう言えば、俯いて少し考えるような仕草をする犬。


ボクはおじいちゃんのことをよく知らない。

そもそもお母さんのことでさえ既に曖昧なのに、それ以上も前のことなんてもはや霧の中に入った煙草の煙の様。



「……とりあえず、お前は俺が死んだらこの村を離れろ。」


「どうして?」

「人間のお前は人間の世界に住むべきだ。ゲホッ、」


「犬……?」



突然血を吐いた犬の背中をさすって、しかし力が入らないのか犬は横たわる。


眉間に皺を寄せ、犬が助かる方法はもうないのかと姐さんを呼ぼうとして、引き止められる。

首を振った犬に、ボクは不安で顔を顰めながらも咳をする犬の背中をさすった。



「ゲホ、ッ……クラブ・ヘレシー、東京のどこかにある隠れ家にいる何でも屋だ。」


「クラブ・ヘレシー?」

「そこに行って、机のあれと……これを渡せ。」



そう言って渡されたのは、首輪についていた何の変哲もない数字の書かれた名札。

021と書かれていたそれは、少し古かった。



「これは……」

「これを見せれば話ぐらいは聞いてくれるだろ、ッゲホ、ゲホ…」


「もう、喋らない方がいいよ、犬。」



そう言って心配しても、何故かドヤ顔で「気にするな。」と笑う犬。

何が面白いのか分からなかった。



「知ってるか?女神って、存在するんだぜ。」

「な、なに?突然。」


「っふ、はは……お前も、いつか……あの光を見れるといい…な。」

「い、犬…?……………え、死んだ?」


「あ?まだ、死んでねぇよ……ただ、俺の走馬灯は随分と長いのに、過ぎ去る全てがあっという間なんだなって、思い出してた……」


「走馬灯って、死ぬ前に見るあの……」

「おう。安心しろ、お前にはきっと……いや絶対、人生で一番の光を見れる日が来る、さ……。」


「……いぬ…?」



息絶えた犬を揺さぶれど、いつものダンディなイケメンボイスは返ってくることがなく、そっと犬を布団へ寝かして天井を仰ぐ。


ボクの身近な人が死ぬのは、何も初めてじゃない。

お母さんの方のおばあちゃんはアルコール中毒で死んだし、お父さんは小さい頃にボクと鉄棒で遊んでてポックリ。

小学校高学年になる前まではお母さんがシングルマザーで育ててくれたものの、仕事場のトイレであろうことか過労死。


だから別に、悲しくなんてない。

悲しくなんて、全ッッッ然、そんなこと、あるはずもないのだ。


そんなことは慣れている。



「……だってボクは、意地でも犬のことを名前で呼ばなかった。名前を呼んだら愛着を持ってしまうから。ふいに名前で思い出してしまうから。」


「でも、っ……ダメ、だった!ボクはやっぱり、犬と過ごした6年間を忘れられないや……!」



涙が溢れそうになるのを必死に堪える。


唇を噛み締めて、無理矢理にでも笑おうとする。



「大体、犬種ポメラニアンなのにあれだけ無駄にいい声しといて忘れられる訳なくない、っ?」


「そもそもッ、犬だってボクの名前呼んだことないし!?ボク、自分から教えたことだってないっ!」


「ここに来る前の話なんか、一度だってしたことないのに………



もう、ボクに愛情を与えないでよ…!!」



ナォン、と外で姐さんの鳴いた声が聞こえた気がした。


ハッと意識を戻して眠る犬に目を向ければ、またいつものように話しかけてくれるんじゃないかと期待してしまう。


しかしそんなことは起こり得ない訳で。


深く息を吸ったボクは、立ち上がってボロ屋敷の窓を開けた。



「クラブ・ヘレシー、だっけ。そこに行ってこれを渡せばいいんだよね……」



ニャー、と猫たちが集まって、犬を囲う。

姐さんは、''後は私たちに任せな''と言ってくれていた。


犬が書いた遺書と首輪についてあった名札を持って、元々はお父さんの使っていたボロボロのランドセルに入れる。


もうランドセルを持つような歳じゃないが、色が茶色な分まだマシだろう。


この家に元々あった作業着と前にネズミたちが作ってくれた草履を履いて、玄関を出る。


晴れ渡った空はきっと犬も爽快な気分で天に昇れただろうことを祈って、今一度ボロ屋敷を振り返った。



「…………」


「ニャーォ。」


「心配してくれてありがとう、でもまた戻ってくるから。……やっぱ、帰るのは遅くなるかもしれない。」


「ナォン。ナォー、ニャー。」



そう言って小さい猫たちが持ってきたのは、最近畑で実ったきゅうりとトマトをたくさん。


子猫たちが持ってきたそれをランドセルに入れられるだけ入れて、後は両手で持つことにした。

子猫たちを撫でて、立ち上がれば、最後に姐さんから声がかかる。



「ナォーー。」



''ここはキミの実家よ、いつでも戻ってきて''

そう言って、なんでもお見通しな姐さんにも、頭を撫でさせてもらった。



「……じゃあ、行ってきます。」

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