【アップ】男山教会 2023年2月12日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります
天川裕司
【アップ】男山教会 2023年2月12日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります
【本日の礼拝メッセージ】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=vvUgrUYLN2E&feature=youtu.be
【ブログ】
https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12789665324.html
(讃美歌や聖書の内容を閲覧できます)
前奏
招詞 詩編86編11~13節
頌 栄
たたえよ、主の民[讃21-24,こども改25]
開 会 祈祷
主 の 祈り
十戒・祈祷
子ども説教
子どもと親のカテキズム問22
「神さまに背いた人間の歩み」
こどもさんびか
キリストの平和[改34]
牧 会 祈祷
讃 美 歌 259番(1,2節)
聖書
テモテへの手紙一2章1~8節(新P385)
エレミヤ書15章1~4節(旧P1204)
説 教
「真の希望と平和を求めて
~為政者のために祈る教会」
宮武輝彦
祈 祷
讃 美 歌 259番(3,4節)
みことばの交読文
イザヤ書27章12,13節
感謝のささげものと執り成しの祈祷
頌 栄 540番
祝 祷
報 告
讃美歌~♬
讃美歌259番(歌詞付)54年版「あめなる主イエスの」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Wh9dDUP97S0
1) 天(あめ)なる主イエスの こよなき愛は、
かよわき心の 隠れ家なれや。
責めと恥との 十字架を偲び、
わが罪咎(つみとが)をば あがない給う。
2) 恵みに背ける 我をもすてず、
主イエスは血汐の 功(いさお)によりて、
この身の汚れ ことごと潔(きよ)め、
つきせぬ生命(いのち)と 安きをたまう。
3) あおぐも畏(かしこ)き、 わが主の前に
燃立つばかりの 愛もてつかえ、
うきも悩みも み旨にゆだね、
天なるつかいと 共にぞ歌わん。
4) 十字架の恵みに 喜びあふれ、
涙にむせびて み許にはべり、
世に勝ちませる 主イエスを称え、
輝くみさかえ 仰がせたまえ
頌栄集 讃美歌539・540・541・542・543・544番 メドレー
(ブログを見て下さると歌詞も閲覧できます)
2023年2月12日 礼拝説教 中心聖句
…願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。
テモテへの手紙一2章1,2節
主はわたしに言われた。「たとえモーセとサムエルが執り成そうとしても、わたしはこの民を顧みない。わたしの前から彼らを追い出しなさい。…」
エレミヤ書15章1節
はじめに
信教の自由を守る日に、キリストの教会の祈りと使命を皆共に覚えたい。
1
「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい」とは、異なる教えを説く人々のこと、あるいは、無益な議論の中に迷い混んでいる人々のこと、正しい良心を捨てて信仰が挫折した人々のこと、など、教会内外の人々のことを覚えながら、更に、「すべての人々のために」祈ることを命じる。「願いと祈りと執り成し」とは「清い心と正しい良心と純真な信仰」(1章5節)と同じように、一つのことを三つの言葉で言い表す。それは、祈りの本質からして、心からの願いという面と、神に仕えるという面の両面から考えることを促す。神に仕えることからすれば、「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5章45節)ように、その心は、すべての人が救われること。悪人が善人になること。「いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深い」(ルカ6章35節)。方や、「わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように、と祈ってください。すべての人に、信仰があるわけではない」(テサロニケ二3章2節)、身体的な危険を承知し、悪い者からの守りを祈る。ここに、実際に直面する危険と隣合わせの中での、真剣で、真実な祈りを求める方向がある。その最たるものが、すべての人を死と恐れと不安の危険にさらす悪(国家的戦争)。
2
「王たちやすべての高官のためにもささげなさい」とは、国家的首長のためのみならず、地方地域の為政者たち、全世界の為政者たちのため。「わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るため」とは、ただ平穏無事な生活を願うことではなく、わたしたちの教えと生活自体への偏見や誤解、迫害が生じないように祈ること。主イエスは「神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる」(マルコ8章38節)と言われた。キリスト教国においても、為政者の罪が絶えず問われる。また、異教国であっても、第一に問われるべきは、教会の祈りにおける罪、キリストの福音を神の力と信じない罪。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力」(コリント一1章18節)と信じる時、一層「十字架のつまずき」(ガラテヤ5章11節)以外の裁きを、他者にあてはめないで、救いを求めて祈ることが大事。
3
「これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれること」「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます」「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとり」。ここに、人の願いではなく、神の望んでおられること、「神の国と神の義」(マタイ6章33節)、ただ一つの「福音」を求めて祈る教会の使命と理由がある。
おわりに
真の預言者エレミヤは、執り成しの祈りが聞かれず、主によって、民が顧みられない絶望の中で、神の裁きの言葉を告げた。しかし今や、恵みの日、救いの日、災禍や国家的悪事の中でも、ローマの支配下で十字架につけられた主は、「神の右に座っていて、わたしたちのために執り成して」(ローマ8章34節)おられるから。
(Mynote)
二〇二三年二月一二日(日曜日)。今日も礼拝を守らせて頂ける、この環境が与えられて居る事を神様に感謝する。
〈子供メッセージ〉
『子供と親のカテキズム 問二二』
「神様に背いた人間はどのように歩むようになりましたか?」
「心が曲がって、偶像を拝むようになってしまいました。他の人を愛さないで、憎み、虐めたりするようになってしまいました。神様がお造りになったものを大切にせず、自分勝手に用いるようになってしまいました。」
〈公同礼拝〉
『テモテへの手紙一』(第二章一〜八節)
『エレミヤ書』(第一五章一〜四節)
トルコ・シリア大地震の事を念頭に置き、本日の礼拝に臨む。
先ず神様に、願いと、祈りと、執り成しと、感謝を捧げなさい。教会自身が目を覚まして覚えねば成らない事は、それまで聞いた事の無かった新しい教えであった。それはイエス様が人々に教えられた事。旧約の教えに従い続けた人々は、この新しい教えを受け入れる迄に相当の時間が掛かった。その為には相当の忍耐と寛容と覚悟が必要に成る。ただ神様の前で、唯一の真実な使徒である様に祈り願う事。これが大事に在る。
どの教会に於いても、全ての人の為に、願いと、祈りと、執り成しと、感謝を捧げると言う教えは変わらない。これは「全ての人」と在る事から、全ての民族を越えて守られねば成らない事に在る。即ち、全ての人々に神様の宣教が伝えられなければ成らない。これは「全ての人々が、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごす為である」(『テモテ第一』第二章二節)と言う御言葉にも通じる。
全ての事を知る場合、更なる知識の集積と勉強が必要に成る。自分達の執り成しは何処に向かって居るのか?その為にはどんな事が必要なのか?これを知る必要がある。これは「神様が我々にどの様な祈りを求め、どんな生活を求めて居られるか?」を知る事から始まる。信仰に於いて正しいと信じられる方へ歩まねば成らない。その正しさは、神様と信仰の働きに依り教えられる。
聖書の時代から、異なる教えを説く人達が居た。また正しくない物事に惑わされ続ける人達が居た。また正しい生活を捨て、両親も捨てる人達が居た。パウロは自分も異邦人であると悩んだ。でも異邦人の方が当時のクリスチャンより、素直に信仰に聴き従った…と言う傾向が在る事も知った。でもその信仰がその人に宿るには、神様がその人に定められた時が在る事を知る。異邦人伝道もクリスチャンが改めて(悔い改めにより)救われる際にも、全て神様が定められた時がある。この事をしっかりと心に定めねば成らない。
「神は、全ての人が救われて、真理を悟るに至る事を望んで居られる。神は唯一であり、神と人との間の仲保者も唯一人であって、それは人なるキリスト・イエスである」(『テモテ第一』第二章四節〜五節)
この御言葉、真実を先ず覚える必要がある。広い心と正しい信仰と、従順な信仰心が必要である。この三つの言葉を重ねて教えられる事は、どの教会でも頻繁に聞かれる。神様に仕えて居る自分を知らねば成らない。よくクリスチャンにも多いが、自分が主導権を握り、異邦人から悔い改めが必要なクリスチャンを信仰・宣教により救う際にも、自分が主観的にその働きを為そうとする事がある。これでは成らない。常に誰でも信仰に就く者は、神様に仕えて居る自分を先ず知り、神様がその時々で何を求められて居るか?これを常に祈り求め、聴かねば成らない。
正しい者にも、正しくない者にも、神様は平等に晴れの日を与え、雨を降らせて下さる。詰り悪人も全て信仰に於いて救われる事を神様は望んで居られる。
イエス様がご自分を神様に捧げられたのも、神様が定められたその時に依る事である。悪しき者への向き合い方が、実際生活の中で、今、我々に問われて居る。戦争指導者など、世界中の人々を不安・恐怖・苦しみに遭わせる人々と、信仰に歩む我々はどう向き合うべきか?この時でも、神様が望まれる方へ歩む姿勢で、その為の宣教を為さねば成らない。この点でも、寛容の心と正しい信仰の姿勢(在り方)が必要と成る。悪事・悪人にしても、宗教(邪教)が絡んで来ると、一筋縄では行かなくなり、大変な問題・危機に成る事がある。この様な悪事・邪教に心身を任せて居るのは「王」でなく「王達」と複数であり、多勢居る事が分かる。また自分から身近な悪事・悪人を許し、寛容の心を以て、正しい信仰の姿勢を盾にし、布教する事、その人々の為に信仰を説く事も、時により使徒にとっては更に大きなハードルに成る事がある。世界中の危機を巻き起こす者達に対する時より、身近なぶん感情が衝動的にも入り、その救いを更に邪魔してしまう事もある。嫉妬、欲望、罪、それ等が使徒達の正しい信仰の姿勢を無きものにし、その歩みを邪魔する為に。その時でも先ず自分が堅く信仰に立つ事が必要であり、神様と一対一の関係に於いて真実を教えられ、それを見出し、その真実・信仰の正義を心に定める必要がある。悩ましい事を、全て信仰に依り、神様と聖霊の働きに依り、解消されなければ成らない。人が自力でそのハードルを乗り越えて、その信仰を守る事は出来ない。必ず神様の恵みと聖霊の働きに依らねばそれは出来ない。ここでも自分が主観に立つのではなく、神様に仕える者として自分が在る事を知らねば成らない。本当の命に至る、誠の教えを知らねば成らない。人の願いではなく、神様がどう願って居られるか?「先ず神の義と神の国とを求めなさい」(『マタイによる福音書』第六章三三節)この言葉が大事となり、常に心に留めねば成らない。
『マタイによる福音書』(第六章三三節)
クリスチャンでも全ての人々と同じく、世界危機に平等に直面する。その時こそ正しい信仰の在り方・姿勢が必要であり、神様の為に仕える自分、神の義と神の国とを先ず祈り求める必要がある。
〈御言葉の交読文〉
「その日が来ると、ユーフラテスの流れからエジプトの大河まで、主は穂を打つように打たれる」
「しかし、イスラエルの人々よ、あなた達は、一人一人拾い集められる」
「その日が来ると、大きな角笛が吹き鳴らされ、アッシリアの地に失われて行った者も、エジプトの地に追いやられた者も来て」
「聖なる山、エルサレムで主にひれ伏す」
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Café~
「良き羊飼い」THE DAILY with Arthur Hollands 2023/02/16
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=3CTBLUM-1Is
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop
Ray Parker Jr. - Ghostbusters (Official Video)
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Fe93CLbHjxQ
不思議のパルプンテ
https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
【アップ】男山教会 2023年2月12日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります 天川裕司 @tenkawayuji
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