第2章 解毒
真奈が眠れぬ夜を過ごすようになったのは、呟く声が囁き始めた時からだった。
「白石さんってさ〜目の奥が笑ってないというか(笑)いつも偽善者ぶってるけどさ、本当の所どう思ってんのか分かんない」
タイムラインに流れる匿名の書き込み。
普段の彼女を知る者にしか分からない皮肉と憎悪にまみれた言葉が、彼女の胸にグサリと刺さる。
それは、日常を少しずつ蝕んでいく見えない毒だ。真奈は初めのうちは気にしないようにしていた。
だが、それ消える事なく彼女に付きまとい、次第に日常すら浸食し始める。
最初はクラスメートの視線。
廊下で耳をそばだてると笑い声の合間に聞こえてくる自分の名前。教室に入ると、声は途切れ、皆目を逸らす。
いかにも関わりたくないと言っているようだ。授業中に視線を感じて振り返ると、何人かの生徒がひとつのスマホを覗き込んでいる。
真奈の視線に気づくと、彼らは慌ててそれを隠し、意味深な笑みを浮かべた。
「あの書き込み見た?」
「うん、まじで可哀想だよね〜」
断片的な会話が、真奈の耳を打つ。
どこか遠い世界の話のように、でも確かに彼女のことを言っている。
そんな時、真奈が頼れるのは親友の美咲しかいなかった。
放課後、二人で向かう帰り道。
青白い街灯に照らされる並木道を歩きながら、真奈は口を開く。
「最近おかしい。学校でも、SNSでも、誰かに見張られてる気がする」
美咲は一瞬沈黙し、目を伏せたまま歩みを止める。
「それって、どういう事?」
その声は、いつもの無邪気な響きがない。
どこか空々しいものだ。
真奈の胸に、また一つ小さな不安が芽生える。
「私に関わってる人しか分からない事を誰かが書いてる。誰かって言っても…まだ分からないけど」
「それ、本当?思い違いとかじゃなく?」
美咲が真奈の顔をじっと見つめた。その瞳に映る自分は、まるで違う人間のように感じられる。
真奈は何かを言いかけようとしたが、言葉が喉に詰まった。
美咲の目がどこか寂しく、でもちゃんと真奈を見ているような気がしたからだ。
「ごめん、変なこと言ったね」
美咲はそれ以上何も言わず、少し笑って首を振る。その笑顔はどこか緊く見えたが、真奈はそれ以上問い詰められなかった。
その夜、真奈はベッドに身を横たえてスマホを手にする。画面に映し出されたSNSのフィードは、見覚えのある言葉で埋め尽くされていた。
彼女の知らない誰かが、真奈の生活を少しずつ侵食している。しかし、書かれていることは、全て真実だ。
クラスの誰もが、そこに書かれている情報を見て、彼女に対する態度を変えたのだろう。
でも、どうして?
ふと、美咲の顔が頭をよぎる。彼女が最近、自分に対してどこかよそよそしくなったのは、何故だろう。
あの視線、曖昧な受け答え。何かを隠している気がする。真奈の中である思いが膨らむ。
次の日、彼女は意を決して美咲のスマホを見る事にした。
放課後、彼女が忘れていったスマホが机の上に置かれていたのを、真奈は偶然見つけたのだ。
好奇心と、それに逆らえない衝動が、彼女にスマホを手に取らせた。メッセージアプリを開くと、そこにはSTとのやり取りが記録されていた。
ST…
あのアカウントだ。彼女を追い詰める者。
その相手と、美咲は何度もメッセージを交わしている。
st-彼女、最近どう?
-ちょっと精神的に参ってる。でも、まだ気づいてないみたい
st-もう少し追い込めば、自分から辞めるかもね、
震える手でスマホを置き、真奈は呆然とした。全身は冷たい汗で濡れていた。
彼女は、目の前が真っ暗になり、崩れ落ちそうになる。
次の日、彼女は美咲を問い詰めた。放課後のガランとした教室、カーテンが風に揺れ、夕日の光が二人の間に差し込む。
「昨日、携帯、置いて行ったよね。私見ちゃった。どうして、私を裏切ったの?ずっと信じてたのに」
声は震えていたが、もう逃げられなかった。
美咲は真奈の目を見つめ、長い間黙り込む。
その沈黙は、耐えられそうもないくらい長く、緊迫していた。
「私は、真奈を守ろうとした。あいつから真奈を守るために、仕方なくあいつとやり取りしてた」
美咲の声は震えていた。目には涙が溢れている。それでも尚、言い訳のように話を続けた。
「あいつが、真奈のことをいじめようとしてた。だから私が間に入って、真奈に直接危害が及ばないようにした。でも、何もかも裏目に出てしまった。私は…真奈を守りたかった。それだけなの」
真奈は言葉を失い、その場に立ち尽くす。彼女が信じていた美咲は、果たして守ろうとしていたのだろうか。
「もういい」
真奈は教室を飛び出した。どこへ行けばいいのかも分からず、ただ走り続ける。
誰が悪いのかも分からない。信じたかった美咲が、最も信じる事が出来ない相手になってしまった。
今、何を信じて生きればいいのか、分からなくなった。
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