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@yuriosi219
第1話 柏水希
起きたら一番に雨の音がした。
部屋は湿気が強く、身体も少しばかりベタつきを感じる。
「初日から雨かーい。」
あまり目覚めは良くなかった。
今日は入社日。
緊張はしているけど、まぁなんとかなるよね。
時間は午前5:00。
思ったより早く起きてしまった。
起こしてくれる人もいなくて、自力で起きなければいけないからタイマー設定は必須。
遅刻が怖いからと、二度寝はやめて空腹の状態でブラックコーヒーを一気に口に含んだ。
「うぅ...苦い...。」
けど、おかげで目が覚めたぜ。
「いや待て待て、歯磨きが先だったじゃん。」
いつものことだが、色々と順番がめちゃくちゃである。
寝癖を直し、歯を磨いた後、朝食はプロテインのみ。
洗い物はなるべく減らしたいからだ。
「今日はバナナ味にしよう。」
私は甘いのが好きである。
テレビを付けて、ニュースを観ていると何やら芸能人のスキャンダルが報じられていた。
「あの人気女優、宮本晴さんが芸能界を引退することがわかりました。」
「えっ、突然だなぁ。人気なのにもったいない。結構好きだったのにな。」
私は食い入るようにテレビを観ていた。
しかし、時間は止まってくれない。
「うわ、もうこんな時間か。着替えなきゃ。」
朝食を終えてスーツに着替える。
動きづらくてあまり気に入らないが、仕事だから仕方がない。
スーツを着て外見も少し女の子感を出して準備もOK。
ただでさえショートカットで素行も男勝りなものだから、私服で外に出ると男と間違われることも少なくはない。
ジャニーズ顔ともよく言われる。正直それは少し嬉しい。
だからかえってスーツは都合がいいかもしれない。
「これから毎日スーツかぁ。考えるだけでダルい...。」
ボヤキはほどほどにして、私はある人の写真の前に立ち、手のひらを合わせて静かに祈る。
「今日も何事もなく、私も家族も健康で一日を終えることができますように。」
おばあちゃんの写真の前で祈るのが私の朝の日課である。
「よし、今日もなんとかなる気がしてきた。」
支度を終え玄関へ向かい、パンプスに履き替えてドアを開ける。
「それじゃあ、行ってきます。おばあちゃん。」
柏水希の、新しい生活の始まりだ。
この時私は、まだ知る由もなかった。
出会いは突然に、思いがけずやってくるものであるということを。
新卒の朝は早い。
初日から始業時間ギリギリで出社は、ある意味で勇者である。
せめて30分前には着きたいものだ。
にしても、この満員電車はどうにかならないものか。
「ぐっ、押すなよぉ...。」
私は出入り口付近で背中を押されて潰れそうになっていた。
雨の日は余計にストレスがかかる。
朝の満員電車だけで一日の体力の半分は消費した感じがする。
最寄り駅に着き、少し身だしなみを整えた。
入社日は第一印象が肝心である。
「水希、落ち着いてな。今日は礼儀正しく、真面目な新卒だという印象を与えて乗り切ろうな。」
私はそう自分に言い聞かせた。
この時点でちょっと怪しいけど、まぁ大丈夫。
一度は行ったことある場所だし、道も覚えてる。
最初の挨拶はさわやかにいこう。
それができたら今日の任務はほぼ終えたようなもの。
歩いて10分程経ち、勤務場所に到着。
「着いた。」
ここは、従業員が10人も満たない、小さなサービス業の会社である。
会社を目の前にして鼓動が速くなった。
緊張してるんだ。深呼吸、深呼吸。
入口の前で大きく両手を広げて鼻から吸って口から吐いていたら、誰かが話しかけてきた。
「もしかして、新しく入ってくる子?」
私は凍り付いた。
会社の前で両手を広げて立っている人間とか、どう考えてもおかしい。
「は、はい!柏水希と申します!今日からよろしくお願いします!」
私は顔を真っ赤にして深々とその場でお辞儀をした。
「おお、そうかい。ようこそわが社へ。僕はここの長をやらせてもらってる大江戸智と言います。よろしくね。」
まさかの長。大江戸さんは自転車通勤らしく、雨具を着てヘルメットをかぶっていた。
「そこで立っていないで、入りなよ。雨で天気も良くないし。」
「はい、失礼します...。」
初手からやらかした。私はそう思った。
(ちょっと不思議ちゃんとか思われたかなぁ。このくらいは許容範囲であってくれ。)
社内へ入ると、新品のパソコンが机に置かれていた。
「これが柏さんのパソコンだよ。設定も終えて、すぐ使える状態になってるからね。」
「ありがとうございます!」
これが社用パソコン。新品で、容量の大きい立派なものだ。
大学では格安の中古パソコンしか使ってこなかったから、急に裕福になった気分だ。
感心しているうちに、続々と社員さんが入ってきた。
「おはようございます」
「おはよー」
「おはよう」
「おっはよーございまっすー」
最後の人の挨拶は癖が強かったが、それすらも考えられないくらい私の緊張はピークに達していた。
「全員揃ったかな、そしたら早いけど新卒の子の紹介をしちゃおう。柏さん、みんなに自己紹介をお願いします。」
ついにきた。この時のために何度も鏡の前で練習したんだ。大丈夫、できる。
「今日からお世話になります、柏水希と申します!誠心誠意お仕事していきますので、どうか皆さんよろしくお願いいたします!」
(めちゃくちゃテンプレだけど、噛まずに言い切ったぞ。)
「はいありがとう。柏さん、ものすごく緊張してると思うからみんな仲良くしてやってな。」
(やばい、緊張してるのバレバレだ。恥ずかしい...。)
私はまた顔が真っ赤になった。
その時、一人の女性が笑顔で私に声をかけてくれた。
「柏さん、よろしくお願いします。私は市村幸って言います。市村って呼んでください。」
(えっ、優しい。...目、綺麗だな。)
ホッとした私はそこで緊張がほぐれていった。
「はい!市村さん!よろしくお願いします!」
やっと自然な笑顔が作れた。
(ここならやっていけそうな気がする。おばあちゃん、私頑張るからね。)
入社初日は無事に終わり、家に帰宅。
ノンアルコールのビールを片手に一息つく。
仕事は難なくこなすことができ、先輩や上司にほめられて安心していた。
「けど...思ったより、疲れたぁ...。」
元々人前だと緊張しいの私は、人一倍気疲れをするのだ。
「寝落ちする前に風呂入っちゃおう。」
「てか、ビールも風呂の後の方が良かったかな。まぁいいか。」
湯船に浸かりながら今日の出来事を振り返る。
そこでふと市村さんのことを思い出した。
「あの市村さんって人、何歳なんだろ?若く見えたけど...今度聞いてみよっと。」
最初の印象は、目が綺麗だということ。
特にそれ以外のことは思わなかったが、優しくて良い人だと思う。
風呂上がりに残りのビールを飲み干す。
炭酸が抜けていてあまり美味しくなかったが、初日を終えた安心感で胸がいっぱいだった。
「明日も頑張ろ。」
私は前向きな気持ちで初日を終えた。
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