珈琲9杯目 (6)胆嚢結石の盗難対策

 わたくしは、まず姪御様にむき出しの殺意を向けられておられるリュライア様に、次いで遠い目をされたゼルベーラ隊長に、珈琲をお注ぎいたしました。そして、ゼルベーラ隊長の幻想を微塵に打ち砕かれた張本人であるクラウ様の傍らの脇机に、珈琲カップを静かに置きました。

「クラウ様。アーモック産の珈琲でございます」

 わたくしは、ゆっくり珈琲をお注ぎいたしました。クラウ様は、わたくしの顔と、流れ落ちる漆黒の液体を交互に眺めておいででしたが、注ぎ終えたわたくしがそっとカップの載った皿をおすすめいたしますと、ありがと、と小さくつぶやかれました。


「さて、どこかの馬鹿のせいですっかり話が逸れてしまったが」

 リュライア様は新たな珈琲の香りを味わいつつ、ゼルベーラ隊長を促されました。

「話の続きに戻ろうではないか」

「……ああ、そうだな。どこまで話した? 『火竜の瞳』の盗難のおそれがあると相談があった、というところまでだったな」

 放心状態から回復されたゼルベーラ隊長は、珈琲をぐいと一口お飲みになられて、普段同様の明晰な頭脳を取り戻されたようでございます。


「リヴァッタ嬢が警務隊に盗難について相談してきた話だが、その前に『火竜の瞳』の盗難対策について説明しておいた方が良さそうだ」

 そこで一旦言葉を切り、再び珈琲をお飲みになられました。親友を珈琲派に転向させるというリュライア様の野望は、着実に成就しつつあるようでございます。


「話は、リヴァッタ嬢が父・ベラダン卿から宝石を受け取った時にさかのぼる。あの父親は、家宝である『火竜の瞳』を、箱にも袋にも入れずに使いの者に持たせ、むき出しの状態で娘に送り付けた――婚姻を認める五つ条件の第一、『金銭的なものは一切与えない』に従ってね。受け取った娘の方は、箱もくれないのかと怒ったが、そこは夫が高価な深紅の繻子織サティスの袋を贈ってどうにかなだめた」


「娘思いの父親だな」

 リュライア様は肩をすくめてつぶやかれましたが、その琥珀色の瞳は、クラウ様に注がれておいでです――まるで毒杯を見るかのような目で珈琲カップを凝視されておられるクラウ様に。

 一方ゼルベーラ隊長は、珈琲ですっかり本調子を取り戻されたご様子です。

「しかしともかくも『火竜の瞳』を手に入れたリヴァッタ嬢は、早速盗難対策を講じることにした――彼女が講じた策は二つ。一つ目は、模造品を作らせること。つまり、偽物で泥棒の目を欺こうというわけだな。二つ目は、秘宝を保管するために、ここリンカロット市で最も堅固な保管場所を借りることにしたことだ」

「君の家の酒蔵か?」

「葡萄酒の保管場所としてなら、そのとおりだ」隊長はにやりと唇をほころばせました。「だが私は宝石にはとんと関心が無くてな。リヴァッタ嬢が選んだ保管先は、クロストラ銀行の大金庫だ」


 リュライア様は、ほうと小さく嘆声を放たれました。帝国軍の物資集積所跡地を買い取り、石造りの地下倉庫を貸金庫に改造した両替商・クロストラ氏には、先見の明があったと申せましょう。彼の作った難攻不落の貸金庫には、多額の保管料を払ってでも金塊や宝飾品を保管してほしいという、富商や貴族からの依頼が殺到しているやに聞いております。

「イリオンゴルト家のご令嬢が『火竜の瞳』を預けたいと言えば、銀行も何人か順番待ちの列を飛ばすこともするさ。リヴァッタ嬢が銀行に『お願い』した翌々日には、地下の大金庫室の一隅に『火竜の瞳』専用の小金庫が設置されることになった――ちなみにリヴァッタ嬢の銀行へのお願いの中には、毎月の利用料は実家に請求するべしという一項があったらしい。しっかりしているね」


「模造品の方はどうなった?」

 リュライア様の問いに、ゼルベーラ隊長は、これから話すところだったよと長い脚を組み直されました。

「『火竜の瞳』を金庫に保管する前に、ここリンカロットで一番の宝石職人・シルキーザの店に数日預けて、精巧な模造品を作らせるため職人にじっくりと観察させた。確かに『火竜の瞳』は美しいが、ある程度近寄ってじっと見つめないと、あの独特の紅い煌めきには気付けない……つまり、色合いを工夫した硝子玉を上手く加工すれば、宴席に集まる俗物どもを騙すことは簡単だ」

 それから急に、隊長の瞳から光が消えました。「……所詮は胆嚢結石だからな」


「リヴァッタ殿は、どのような宝飾品を注文させたのでしょう?」

 ゼルベーラ隊長が闇堕ちするのを阻止すべく、わたくしは咄嗟にお代わりの珈琲をお注ぎいたしました。隊長は、おう、と笑顔を向けられます。

「さすがにそこに気付くか。いかに『火竜の瞳』が美しいといっても、裸のままではあまり意味が無い。ブローチや指輪などの宝飾品にして初めて見せびらかす価値が生まれるわけだからな」隊長は珈琲を一口すすられました。


「リヴァッタ嬢は、模造品を作ったらそれに合う首飾りも作るよう、宝石職人に依頼した。それらの代価を支払うのに、お嬢さんは家出する時に持ち出した宝石類を全て手放す羽目になったが、おかげで年末の冬至祭の宴席には、中心に深紅の『火竜の瞳』をあしらった豪奢美麗な首飾りを身に着けて参加できた――本物の『火竜の瞳』は銀行の暗い保管金庫の中で眠り、宴席で羨望の的になっていたのは偽物だったのだが、誰もそれに気づく者はいなかった」

 隊長は意味ありげに言葉を切ってから、ここからが本題だぞとリュライア様の視線を捉えられました。


「その後は特に異変もなく、夫婦生活もそれなりに順調だった。夫の商売はそこそこ、賭博癖も結婚前と変わりなし。一方押しかけ女房の方は、西部の葡萄農園に投資をしたりと、なかなかの上流階級ぶりを発揮していた……異変があったのは、三月に入ってからだ」

「夫が商売で大損したのか?」リュライア様が椅子から身を乗り出されました。「それとも、他に女を作ったのが妻に知られたのか?」

「どちらでもないよ」ゼルベーラ隊長は小さく笑って肩を揺すりました。


「夫の所有する宝飾品が――商売用ではなく、個人で持っている指輪や帯留めのブローチなどが――不可解な状況下で、相次いで無くなったのだ。最初は紛失かと思ったようだが、三件たて続けに無くなるに及んで、ようやく盗難だと騒ぎ始めたのさ」

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