珈琲8杯目 (21)新たなる扉

「まず座れ」

 クラウ様がお帰りになられた後、居間に戻ったわたくしに、リュライア様は感情を抑えた声でお命じになられました。わたくしは神妙な面持おももちで、来客用の椅子に腰を下ろします。


「奴が言っていたことは事実だな?」

 問いではなく断定。どうやら、第一の反応の模様です。はて何のことでございましょう、などととぼけるのは時間の無駄だと瞬時に察したわたくしは、覚悟を決め、潔く真実を答えました。

「はい」

「恥を知れ!」リュライア様が机をつと、空の珈琲カップが飛び跳ねて澄んだ音を立てました。「よりにもよって『ニャ』だと! それでもお前は、誇り高きスノート家に仕える使い魔か!」


 わたくしの予想と寸分違わぬお叱りのお言葉でございます。この場合、こちらは下手に言い訳などせず、ひたすらお怒りが収まるのを待つしかございません。

「まったく、ふざけた偽装だ! 猫だから『ニャ』だと? もう少しマシな擬態方法を考えろ!」

「は……」おっしゃること自体はわたくしも全く同感でございますので、素直にうなずきつつ恐懼のていでかしこまり続けます。


「……が、まあ仕方あるまい。お前が『ご主人様、どうするかニャ?』などと口にするなどとは誰も思わんだろうからな。身元を隠す方法としては、阿呆らしいが有効だろう」

 落ち着きを取り戻されたリュライア様は、ようやくわたくしの考えをお認めになられて、深々と椅子に背をもたせかけられました。


「それにしても……」リュライア様のお顔から怒りの色が消え、次いで浮かんだのは心からの笑みでございました。「よりによって、『ニャ』か」

 そして今頃そのおかしさに気付かれたと言わんばかりに、その笑みが哄笑に変わります。

「ふふ、お前が『ニャ』だと? ふふふっ、ははっ」


 何やらいろいろとご想像されて、肩を小刻みにふるわせて笑声を漏らされます……ああ、これは第二の反応でございます。これで予想されたご反応のうち、第一と第二が現実のものとなりました。そうなりますと、第三の反応も……。


「……なあ、ファル」急に笑顔を収めて真顔になられたリュライア様が、椅子から身を乗り出されました。

「なんでございましょう?」

「ちょっと、『ご主人様、ご夕食は何になさいますかニャ?』と言ってみてくれ」


 わたくしはつとめて平静を装いつつ、リュライア様のお顔をうかがいましたが、酔狂のあまりに口にされた戯言で片付けられる表情ではございません。真剣そのもののお顔で、第三の反応――わたくしに『ニャ』と言わせて興奮される――を示されておられます。


「……かしこまりました。ではミアンになりまして……」

「は? 何を言っている?」

 リュライア様は立ち上がり、わたくしに歩み寄られました。

「このままだ。人間ファル形態のままで言ってくれ! 『ニャ』と!」


 ……およそ人間には「一分いちぶん」というものがございます。わたくしは使い魔ではございますが、人間同様自我があり、理性と良識が備わっております。そのわたくしに、『ニャ』なぞ付けて話せとお命じになられるのでございますか?

「リュライア様」わたくしは、背筋を伸ばして立ち上がりました。これはわたくしの一分いちぶんに関わるお話でございます。


 わたくしといたしましては、ミアン形態時にフラン殿へ「ニャ」付きで話すという痴態を演じたのは、あくまで「華試合」を丸く収める方法を探るための方便であり、それですら大勇猛心を奮い起こす必要があったという事実をまずお伝えし、今この場で、しかも人間ファル形態で語尾に「ニャ」などと付けて話すというこっ恥ずかしい真似をすることは、執事の務めでも使い魔の任務でもないことを冷静にリュライア様にお話しするつもりでございました。


 加えて、わたくしが執事兼使い魔として長年リュライア様にお仕えしてきたという事実を思い起こしていただき、そのうえでなお「ニャ」を強制されるのであれば、遺憾ながら暇乞いとまごいという苦渋に満ちた決断も選択肢に入れざるを得ない、とお伝えするつもりでございました。しかし……。


「なあ、頼むファル。一度でいい、お前が『ニャ』と言うところが聞きたいんだ。知的で優しく忠実で、何ものにも代えがたいお前が、花は恥じらい月も隠れる美貌のお前が、『ニャ』とか言う様を見てみたいのだ!」

 リュライア様は、ほとんど涙を流さんばかりの切なげな表情でわたくしの両腕にすがりついて懇願なされました。忠誠を誓ったご主人様からここまで直実に求められれば、わたくしもお応えせざるを得ないでしょう。


「……わかりました。少しだけ、でございますよ?」

「構わん」コクコクと首を振り、目をいっぱいに開いてわたくしを見つめるリュライア様。わたくしは軽く咳払いをして、ご主人様の欲望にお応えいたしました。

「……ご主人様、ご夕食は何になさいますか……ニャ?」


 リュライア様は、雷に撃たれたかの如く全身を震わされました。

「も、もう少し、自然に言ってみてくれ。語尾だけではない、全体の言葉遣いも合わせてみてくれ!」

 ニャ、に合わせた言葉遣いというのも不明瞭なご指示でございますが、そこはわたくしが独断で処理いたしました。


「ご主人様、晩ご飯は何になさいますかニャ? お肉かニャ? お魚かニャ?」

「い、いいっ、いいぞ! もっと、もっと猫っぽく!」

「今日は、サヤインゲンの蒸し煮もあるニャ。お肉は、鶏肉の辛味焼きがいいと思うんだニャ!」

「夕飯はいい。お前と少しでもこうしていたい!」

 リュライア様は息を乱し、血走った眼でわたくしの腕を掴みました。


「こ、今度は語尾を少しだけ伸ばして『ニャァ』というのはどうだ!?」

「……ご主人様。僕、ご主人様が大好きなんだニャァ」

 悲鳴に近い歓喜の絶叫が室内に響き渡りました。わたくしの声ではございませんので、声の主はリュライア様以外あり得ませんが、しかしこんなけだものじみた咆哮がリュライア様のお口から出ようとは。


「も、もう一度、もう一度言ってくれ!」

「僕、ご主人様が……大好きなんだニャァん」

 少し甘えた感じに改良いたしました結果、最後に残っていたリュライア様の理性を完全に消し飛ばしたようでございます。もはや欲望の獣と化したリュライア様を押しとどめるものは何もなく、わたくしは絨毯の上で……。


 今回の「華試合」騒動で、クラウ様は親友を得、リュライア様は「新たなる扉」を開いてしまわれたようでございます。

                               珈琲8杯目 了

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