第49話 大事な人 2
手紙の返事を出すと、次の日の昼には王城から四頭立ての豪奢な馬車が寄越された。
「僕を置いていくのか?」
両親と共に馬車に乗ろうとするルイシーナの手を掴み、ベルナルドは子犬のような顔をして止めた。ベルナルドには手紙の内容も、アデライアが話していたこともまだ伝えていない。フェリペとの会合が終わってから話そうと思っていた。何も言っていないのに何かを感じ取っているらしく、面倒なことを言うのである。
「わたくしたちがいない間、この家のことは貴方に任せるわ。よろしくね」
不安そうなベルナルドの手を解き、モニカとエウリコに目配せして抑えておいてもらうことにする。モニカとエウリコは意図を察してくれたようで頷いた。
馬車の中で両親は何故皇太子に呼ばれたのか疑問を口に出してあれやこれやと話し合っていた。ルイシーナにも意見を求めてきたけれど、ルイシーナは仮面の下で口を閉ざしていた。アデライアとフェリペのことも、アデライアが言っていたことも、フェリペから脅しのような手紙を受け取ったことも到底言えなかった。
王城に到着し、限られた要人しか招かれないという皇太子気に入りのサロンに通された。
豪華なシャンデリアが下がり、壁にはいくつもの絵画が飾られたサロンでは、すでにフェリペが待っていた。カルロスとクロエ、そしてルイシーナは深く礼をして彼の向かいのソファに座らせてもらった。
緊張で表情が強張っている両親の傍ら、ルイシーナはいつも通りだった。これから何が起きるのか、全てを知っている自分が見極めなければならないと思っていたからだ。
フェリペは穏やかな口調でトーレス家を襲った不幸な事故を労い、そしてできる限り支援してくれることを約束してくれた。何を言われるのかと緊張して押し黙っていたカルロスとクロエは、願ってもない申し出に態度を一変させて何度も礼を言って頭を下げた。ルイシーナも頭を下げて心からの感謝を告げた。
「どうして殿下は私共にそこまでしてくださるのですか?」
カルロスが問うとフェリペはまるで聖人のように微笑んだ。
ルイシーナはフェリペを纏う空気が変わったことを感じ取った。
「是非、未来の妃の力になりたいからですよ」
「未来の妃?」
「ルイシーナ嬢を私の三番目の妃に迎えたいのです」
「ルイシーナをですか!?」
カルロスとクロエは口をあんぐり開けて驚いた。
「しかしルイシーナはうちの長子で、いずれは婿を迎えてトーレス家を継いでもらおうかと……」
「養子を迎えるのはいかがでしょう。優秀な人物を推薦いたしますよ」
「過ぎたことを言いますが、娘にはすでに愛する人がいるのです。わたくしも夫もルイシーナにはその者と一緒になってもらいたいと思っているのですが」
「なんとそうだったのですか。ついぞ知りませんでした。しかし、私の耳にも入って来ないということは、その男は褒められた出自の者ではないのではありませんか? そんな男と本当に大事なお嬢さんを結婚させて良いのですか? 良い訳がないでしょう。この私より、その男を選んで」
表情は笑っているけれど、目には相手を威圧する光が宿っている。カルロスとクロエは皇太子の圧力に負けて言葉を失った。
フェリペの威圧的な瞳がルイシーナまで滑ってくる。ルイシーナは黙ってフェリペを見返した。どんな答えも無意味であるように思えたからだ。
すると皇太子は意味ありげに頷いて言った。
「皆さんにあるものをお見せしたいのですが、足を運んでいただいても?」
唐突な申し出だったが断る理由もないので、三人はフェリペが見せたいと言ったあるものを見に行くことにした。
ルイシーナはフェリペの隣、両親は後についてサロンを出て、紅い絨毯を踏む。しばらく歩いていくと青空の下に造られた渡り廊下に出て、塔に着いた。
ところどころにランプの明かりが灯っているが、薄暗く、冷気が足元から這いずってくる。見上げた天井はそれほど高くはなかった。
一行は壁から突出した階段をせっせと登り、程なくして最上階までやって来た。
最上階には部屋があって、扉は外から鍵のかけられる鉄格子になっていた。
その鉄格子の向こうに、ルイシーナは『愛する人』を見とめた。
「アディ!?」
両親が声をそろえて鉄格子に貼りついた。
名前を呼ばれたアデライアは、気だるげにベッドに伏せていた顔を上げた。そうして光の無い目で両親を見つけると、涙を流して鉄格子まで転がってきた。
「お父さん! お母さん!」
アデライアはわんわん泣いて腕を伸ばし、鉄格子越しに両親と抱き合った。両親はアデライアの頭を撫で、憐れむようにキスをして、しきりに何があったのか問いかけた。しかしアデライアはわんわん泣くばかりだ。
ルイシーナは頬を叩かれたような気分でその場に立ち尽くしていた。
輝くばかりだった金髪はもつれて顔に張り付いており、卵のように白くて弾力のあった肌には艶が無い。寝ても覚めてもどこででも豪華だった衣服は薄汚れていてぼろぼろだ。
部屋には薄っぺらい布が敷かれたベッドが一つのみ。吹き曝しの窓に、蜘蛛の巣の貼った監獄のような場所だった。
どうしてアデライアはみすぼらしい格好をして、こんなところに閉じ込められているのか。
ルイシーナはフェリペを振り返り、震える声で訴えた。
「どうしてこんなところにアディがいるのですか?」
「彼女は先日【穢】を吐いた。【穢】を持つ者が皇族に近付くことは法で禁じられており、重罪に当たる。本来なら監獄へ入れられるのだが、奇跡の煌女であったことを加味して一先ずここへ収監した」
話しを聞いた両親が真っ青な顔をした。
アデライアは首を振って弁明する。
「なんでっ。おかしいのよっ。私が【穢】だなんてっ。私は奇跡の煌女でしょ? どうして【穢】なんて――ごぼっごぼっ」
アデライアの口から黒い吐瀉物が零れ落ちた。両親は苦しそうにせき込むアデライアを可哀想にと労わり、自身の服で口を拭ってあげていた。
「本来なら塵捨て場に彼女を連れて行き、そしてトーレス家は皇族に【穢】を近付けた罪で断罪されなければならないが。私も心苦しくてな。光の大集会を催し、民のために尽力していたトーレス家が罪人となり、奇跡の煌女が塵捨て場に捨てられるところなど見たくない。きっと民もそうだ。だから、一つ提案をしよう」
フェリペは穏やかな笑顔で言ったが、【穢】を吐いた妹と【穢】を拭う両親を塵でも見るような目で見ていたのを、ルイシーナは見逃さなかった。
「提案とは何ですか?」
カルロスが立ち上がる。クロエとアデライアもフェリペに注目した。
「ルイシーナ嬢を私の三番目の妃に迎える代わりに、アデライア嬢を解放しよう。もちろん【穢】についても目を瞑る。悪い交換条件ではないと思うが、どうだ?」
アデライアと両親の視線の先がルイシーナに集まった。一人は懇願するような表情、一人は可哀想なものでも見るような表情、一人は問いかけるような表情をして、全員がルイシーナの答えを待っている。
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