第22話 一人だけの煌女
奇跡の煌女が一人になっても光の大集会には席から溢れるくらい多くの人が集まった。
ルイシーナはアデライアがいなくなってしまったので誰も来なくなるのではないかと思っていたが、そうではなかった。
初めて一人で臨む大集会に、ルイシーナはひどく緊張していた。
「安心しろ、ルル。教会にはこれからの光の大集会にはお前しか来ないと告げてある。今日の民衆はそれでも集まったんだ。民はお前を見に来ているんだルル。頑張るんだぞ」
カルロスはこれから集会堂へ入って段上に上がろうとするルイシーナの背中をバシンと叩いた。ヒリヒリする痛みを己への励ましの一部として受け取り、ルイシーナは歩み出て段上に昇った。
一人で立つ段上はこんなにも怖ろしいものだったのかと震えた。きっと表情は強張っていることだろう。仮面があって良かった。顔色一つ変えずにこなしていた豪胆なアデライアをルイシーナは純粋に尊敬した。隣にアデライアがいてくれてどんなに心強かったか思い知らされた。
準備が終わったらしく、出入り口付近で黒髪の男が手を振るのが見えた。おそらくベルナルドだ。
久しぶりにベルナルドの姿を見られて嬉しくなった。思わず振り返してしまいそうになった手を胸の前でそれらしく組んで誤魔化す。
心が朗らかになって緊張が些か減ったようだった。ルイシーナは心の中でベルナルドに感謝して息を吸った。
「光を、信じよ」
幾度となく聞いた、耳に焼き付いた言葉を天に向かって叫んだ。
「私たちは光によって導かれる。光は私たちが生きていくために必要な物を与えてくださるのだ。光を称え、感謝せよ……」
口上を唱えながらルイシーナは何とも言えない気持ちになった。
この国のほとんどの人間は光を信仰している。だから教会の集会堂で光を称え、感謝することは間違っていない。しかしこの口上の光は、煌女を意味している気がしてならなかった。
口上はカルロスが福音書から抜粋してきたものだ。カルロスがどこまでの意図を持ってこの言葉を選んだのかは分からないが、もし光が煌女を意味しているのならば、ルイシーナが皆を導き、必要な物を与え、そして称えられ、感謝されるということである。
それはおかしいのではないかとルイシーナは常々思っていた。間違っても己は皆に崇められるような人間ではない。いずれ消える一時の【光】をただ見せびらかしているだけなのだから。
また罪悪感が湧いた。皆を騙しているのではないかという不安が渦巻いて飲み込まれそうになった。
人々が騒ぎ始めて我に返った。
今は一先ず【光】を求めて集まってくれた人たちのために祈らなければならない。
ルイシーナは目を閉じて手を顔の前で組んだ。心の中を一度真白にして祈る。
どうか皆が皆らしく生きていくために必要な物をお与えください。明日を信じられる言葉をお与えください。
真白な閃光。
純粋で心が洗われるような【光】は、集まった者たちの身体に深く浸透した。
「我々の祈りは光に届いたことでしょう」
柔らかなルイシーナの声に皆が閉じていた目を開ける。
ルイシーナはしばらく皆の様子を伺ってから椅子に座った。
それからはいつも通りだった。仮面をつけた人々が段上までやってきて自身に起こった奇跡をルイシーナに語り、感謝して去っていく。ルイシーナも特別緊張することなく時が過ぎていった。
このまま何事も無く終えられれば良かったのに、またしても事件は起こった。
何人もの大きくて疎らな足音がしたと思うと、悲鳴と大声が重なって聞こえて来た。
「煌女はいるか! 煌女を出せ!」
低い男の声がルイシーナを呼んでいた。見ると三つの扉からそれぞれ列を成して、身廊に十から二十人の麻布を頭から被った得体の知れない人物たちが雪崩れ込んでいた。麻布の人物たちは迷いなく中央部へ向かってくる。逃げ場を失った子羊たちは身を寄せ合ってところどころに固まっており、中央部に集まった子羊たちはやってきた得体の知れない人物たちと距離を取って境界を成していた。
ルイシーナは段上から応えようと思った。しかし声の小さな己が段上から声を張り上げたところで、聞いてもらえるかどうか分からなかった。だからとても恐ろしかったけれど、階段を降りて近くまで行くことにした。
ドレスの裾を上げて階段を降り、麻布の人物たちの元へ向かう。誰もルイシーナを止める者はおらず、また道を妨げる者もいなかった。
ルイシーナは麻布の人物たちと対峙した。
先頭にいた人物はルイシーナより二回りも大きく、垣間見える四肢は丸太のように太かった。顔は見えないが、露わになった分厚い胸板に十字と四芒星が重なった形の周りに円が描かれた刺青をしているのが見えた。
ルイシーナは震えそうになる身体を叱咤して、背筋を伸ばした。
「わたくしが煌女と呼ばれています」
先頭の人物は上から下にルイシーナを吟味してから口を開いた。
「先月、我々の同志が【光】を授けてもらいに此処へ来たが、戻らなかった。煌女様の指示で追い返され、そのまま塵捨て場に連れていかれたと聞いた。煌女様は我らを導く【光】じゃないのか? それとも煌女様でも【穢】を持つ人間は人間じゃないと思っているのか?」
ルイシーナは胃がよじれるような感覚がした。
男が言っているのは助けられなかったあの老爺のことだろう。あの時独りだった老爺には安否を気にかけてくれる人がこんなにもいたのだ。彼らの同志を酷い目に合わせたことや、彼を酷い目に合わせたことへの罪悪感でやりきれない。【穢】を持っていてもいなくても、全ての人間が人間らしく生きる権利を侵してはならなかった。
「わたくしは、全ての人に光の導きがあると考えています。先月は貴方たちの同志に酷いことをいたしました。大変申し訳ございませんでした」
ルイシーナが頭を下げると周りの人々がざわついた。後ろにいる子羊たちも麻布の人物たちもだ。
「謝罪は受け入れる。だが、もう連れていかれた同志は戻って来ない」
胸の奥が痛んだ。塵捨て場に連れていかれた人たちがどのような環境でどのようなことをしているのか、ルイシーナは詳しく知らなかった。ただ過酷な労働をさせられているという話が噂されているだけで、一般には公にされていないのだ。ひょっとしたら人知れず排除されている可能性だってある。
ルイシーナは頭を上げることができず、何かを言うこともできなかった。男も話さない。動くことも無い。
硬直状態がしばらく続いた後、男が口を開いた。
「なぁ、煌女様。誰にでも光の導きがあると言うのなら、俺たちにも【光】を授けてくれないか」
ルイシーナは頭を上げた。
男の背後から布に包んだ何かを抱いた人物が現れた。頭から麻布を被っていて顔は分からないが、ルイシーナと同じくらいの背格好で赤ん坊を抱く腕は華奢だ。右手の甲には十字と四芒星を重ね合わせた白い刺青があった。
「この赤ん坊は【穢】を持って生まれた可哀想な子だ。この子にあんたの【光】を授けてやってくれないか」
男は声を絞り出していた。
この世に縁があって生まれて来る赤ん坊の約二割が捨てられ、命を落とすと言われている。異常な数字は【穢】の所為だ。飲んだ乳を汚物に変えて吐き出す子を、隠したとしても【穢】だと気づかれれば塵捨て場に連れていかれてしまう子を、時間をかけて育てる者がいないのだ。この間出会った男の子のように運良く成長できる子もいるが、大抵は生き残れない。命は愛が無ければ繋がらない。
「抱かせていただけますか?」
ルイシーナが両手を出すと、麻布の人物はおずおずと赤ん坊を差し出した。
布を解いて赤ん坊を拝見する。
「!」
驚いて声が出そうになったけれど、何とか飲み込んだ。
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