第2話 光と穢

 カスティーリ集会堂は王都マレスリードの中央にある。尖頭アーチや垂直線を中心とした荘厳なファサード。三つの扉を挟んで左に鐘楼、右にドームを有し、西から東に伸びた本体と袖廊が交差する十字形の集会堂である。三つの扉は左から【穢】の扉、迷いの扉、【光】の扉と呼ばれており、扉をくぐると両脇に座席が並ぶ天井の高い身廊にやや天井の低い側廊が現れる。そのまま東に進んでいくと横方向に突き出た袖廊と交差する中央交差部に行きつき、見事なフレスコ画の描かれたドームを見上げる。交差部の奥には鮮やかなステンドグラスから明かりの落ちる聖歌隊席や祭壇を設置した階段状の内陣があり、階段最上部には二脚の椅子が用意されていた。


 段上に昇るは二人の姉妹。


 華美な真紅のドレスに流れるような金髪と整った顔に青い瞳を持った女は妹のアデライア・トーレス。微細なレースをあしらった紺のドレスに身を包み、艶のある黒髪を結い上げ顔を白い仮面で隠しているのは姉のルイシーナ・トーレス。


 これから二人の【奇跡の煌女】による【光の洗礼】が行われようとしていた。


「【光】を、信じよ」


 天に向かって腕を広げたアデライアの力強い声が反響する。


 集会堂に集まっていた数百人の子羊たちがアデライアに集中した。


「私たちは【光】によって導かれる。【光】は私たちが生きていくために必要な物を与えてくださるのだ。【光】を称え、感謝せよ」


 目を閉じて顔の前で手を組むアデライア。同じようにルイシーナも手を組み、祈った。


 どうか皆が皆らしく生きていくために必要な物をお与えください。明日を信じられる言葉をお与えください。


 瞬間、二人の身体から眩しい光が放たれた。集まった子羊たちはどよめき、あまりの眩しさに目を閉じて瞼の裏まで突き刺す真白な光が治まるのを待った。


 光が治まり、人々がもう一度二人を見上げた頃合いを見計らって、アデライアは優雅に笑った。


「我々の祈りは【光】に届いたことでしょう」


 拍手が沸き起こった。アデラアイアは満足そうに頷き、「後は任せたわよ」とルイシーナの肩を叩いて段上を降りた。


 ――アデライアはいつもそうだった。


 【光】の施しを終えるとさっさと下がって同行している父カルロスの元へ行くのである。


 しかしルイシーナは無言でアデライアを見送るだけ。毎度のことで慣れてしまって疑問も浮かばなかった。


 ルイシーナが椅子に座ると、間もなくして老夫婦と思しき二人が階段を登って目の前までやってきた。顔には仮面をつけている。


「あぁ、奇跡の煌女様。貴方様のおかげです。ありがとうございます、煌女様」


 老爺はルイシーナを拝んだ。


「夫は煌女様方の【光】を浴びるようになって、不治の病を克服しました。煌女様方のおかげです。ありがとうございます」


「奥様のお支え、旦那様の生きる力があってこその奇跡でしょう。もうお身体は辛くないのですか?」


「えぇ、えぇ。ありがとうございます煌女様」


 老爺は何度も頷いて、小刻みに震える手を差し出してきた。


 ルイシーナは老爺の手を優しく握った。しわくちゃでひんやりした手は思っていたより力強かった。


 次にやってきたのは赤ん坊を抱いた女だった。老夫婦と同じように仮面をつけている。


「この子はずっと目が開かなかったんです。けれど、煌女様方の【光】を浴びて目が開くようになりました。僭越ではございますが、お名前を一部拝借して、この子にはアデイルとつけさせていただきました」


 赤ん坊が灰色の目をルイシーナに向けて愛らしく笑った。


「きっとこの子は貴方の愛に満ちた声を聞き、貴方に応えたいと思ったのでしょう。名前のことはアデライアにも伝えておきます」


 ルイシーナも仮面の下で笑った。


 女が階段を降りて行くと入れ違いで上等な服を着た男が登って来た。男はルイシーナの手を取り、礼を述べると仮面をずらして唇を落とした。その次は若い夫婦で――。


 子羊たちは次々と長い階段を登ってやって来た。ルイシーナは休む間もなく何百もの人々に労いの言葉をかけて一人一人を送り出し続けた。


 これは義務ではない。煌女ルイシーナの役目は月に一度行われる【光の大集会】で、民衆に奇跡の煌女の【光】を施すことだ。一人一人に寄り添う必要などないのである。それでもルイシーナが一人一人と向き合うのは憐みから――ではなく罪悪感からだった。


「奇跡の煌女様のおかげで、無いはずの足にあった痛みが無くなったんです!」


 仮面をつけた片足のない男が嬉々とした様子で握手を求める。


 わたくしのおかげでは、決してないのに。


 子羊たちがさまざまな奇跡を語るたび、ルイシーナの心は痛んだ。なぜなら彼らに起こった奇跡はルイシーナの、奇跡の煌女のおかげではないからだ。


 【光】には何の効力もない。


 だからルイシーナは子羊たちを導き癒す奇跡の煌女の役を演じている時、罪を犯しているような気持ちになった。自らの力で状況を打破した人々にいかにも【光】のおかげだと言わんばかりの振る舞いをするのは、彼らを騙しているようにしか思えなかった。ただ、【光】には病や怪我を治すといった奇跡の力が備わっていないことは、皇室や教会によって公言されている。もちろん集まっている人々も知っているはずなのだが、皆はこぞって奇跡の煌女の【光】のおかげだと言うのだった。


 分からない。


 ルイシーナは、何故皆が【光】を求めるのか、【光】のおかげだと言い張るのか。どうして皆が【光】に希望を見出し、ありもしない神聖力の前にひれ伏すくらい絶望しているのか、分からなかった。

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