まさかり片手にバーに押し入り片っ端から酒瓶を叩き割ったおばさん、そして伝説へ(20世紀アメリカ)

 今日紹介するのは、私が近現代史でもっとも好きな人物の一人。


 言わずと知れた20世紀アメリカを代表する禁酒活動家という名のテロリスト(?)、キャリー・ネイション。

 1度目の結婚生活がアルコール依存症の旦那のせいで台無しになったことで酒を目の敵にするようになった彼女はWomen's Christian Temperance Union(キリスト教禁酒婦人連盟)を開設、カンザス州に悪魔のラム酒に代表される蒸留酒の販売を禁止するように求めたが次第にエスカレート、1900年の運命のあの日、ついに「カイオワへ行け(GO TO KIOWA)」という神の声を受信する。

 天啓を得た彼女は酒場を次々と破壊、やがて賛美歌を歌いながらまさかりで酒瓶やらバーの備品やらを叩き壊す極めて暴力的な反アルコール運動を展開するようになる(彼女は30回ほど逮捕されている)。

 All Nations Welcome But Carrie「キャリー・ネイション以外の全ての国(ネイション)は歓迎」などと揶揄されて伝説となった。死後、彼女の住んでいたカンザス州ではこのバー破壊おばさんを題材にしたオペラまで作られた。


◎おまけ:「悪魔のラム酒」の由来


 リチャード・フォス著「ラム酒の歴史」によれば、英語のrum(ラム)の語源について、最古の資料は1651年のイギリス植民地バルバドス(カリブ海諸島の一つ)を訪れたとある人物がサトウキビを蒸留して作った酒を「rumbullion 乱痴気騒ぎ」、別名「kill-Devil(悪魔殺し)」と評したのに遡るとされる。

 この俗説の真偽のほどはさておき、サトウキビプランテーションで働く奴隷たちが砂糖やサトウキビの絞り汁を精製する際の残滓を利用して作られた蒸留酒であるラムの質が悪かったことは本当のようだ。これは当時ワインやブランデーなどが飲めなかった奴隷たちが唯一合法的に飲むことができるお酒であった。

 やがてこの奴隷たちの生み出した粗悪な酒がアメリカやイギリスに輸出され、大量のアルコール依存症患者を生み出して社会問題となり、あの禁酒法へとつながっていく。

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