第4話 闇の底へ

大輔の視界は深い闇に包まれていた。周囲に感じるものは冷たく湿った空気と、時折耳を掠める風の音だけ。体の感覚さえも希薄で、自分がどこにいるのかさえ分からない。だが、そこには確かな実感が一つだけあった――自分が絶望の中にいるという事実だけだ。

「……もう、無理だ」

大輔の声は、虚空に吸い込まれ、誰にも届くことはなかった。彼は、過去に何度も「刻竜」の力を使い、幾度となく過去を変えようと試みてきた。しかし、変えた結果はいつも同じだった。たった一つの運命を変えるたびに、別の犠牲が生まれ、どんなに抗っても未来はより暗いものへとねじ曲がっていった。

「由香……」

彼はかすかに呟く。目の前に浮かんだのは、あの時、自分が助けようとした少女の姿だ。彼女を守るために、彼は過去に干渉し、全てを犠牲にする覚悟で挑んだ。しかし、代償はあまりに大きく、結果として彼は何も救えなかった。

「俺が……俺が悪いんだ」

その瞬間、胸に痛みが走った。大輔は目を押さえ、膝をつく。過去を変えるたびに積み上がった罪悪感が、彼の精神を追い詰め、身体を蝕んでいく。その重さに押し潰されそうになりながら、彼は自分を責め続けた。

「全部、俺のせいだ……」

虚空に響く彼の声は、暗闇の中で何度も反響し、重く鈍い音となって返ってくる。彼がどんなに強く抗っても、その絶望は消えることなく、ただ無限に彼を包み込んでいく。

突然、視界の端で何かが動いた。大輔は反射的に顔を上げたが、その先にあったのは、自分自身の姿だった。いや、正確には、自分とは似ても似つかない、歪んだ存在――闇に染まりきった、もう一人の「大輔」だった。

「お前がこの結果を招いたんだ」

歪んだ「大輔」が不気味に笑いながら呟く。その目は鋭く、彼を貫くように睨んでいた。鏡に映る自分自身を見ているかのような錯覚に陥りながら、大輔は後ずさった。

「違う……俺はそんなことを望んでない……」

「望んでない? 何を言ってるんだ? お前が過去を変えようとしたんじゃないか。自分のために他人を犠牲にしてきたのは、誰でもないお前自身だ」

その言葉に、大輔の体は硬直した。そうだ、自分が変えたかったのは――過去の悲劇。自分のエゴだったのかもしれない。

「……それでも、俺は由香を助けたかった」

「だが、助けられなかっただろう? お前は何も変えられない。それどころか、全てをさらに悪化させただけだ」

歪んだ大輔は冷たく言い放つ。彼の言葉に、大輔は胸をえぐられるような感覚を覚えた。事実だった。どんなに過去を変えようとしても、結果はすべて裏目に出て、未来はより暗いものとなっていった。

「そんな……俺は……」

「もう認めろ、お前は無力だ。過去も、未来も、そして今すらも、何もできないんだ」

その瞬間、大輔の目の前に広がる暗闇が大きくうねり、彼を飲み込もうとするように迫ってきた。彼はそれに抗うことすらできず、ただ呆然と立ち尽くしていた。

そして、次に目にした光景は、彼が最も恐れていたものだった。過去に彼が干渉しようとして失敗した数々の瞬間が、連続して目の前に映し出される。

まずは、五年前のあの日――由香が事故で亡くなった日。彼は何度もその日を変えようとしたが、結果として彼女を救うことはできなかった。いや、救ったと思った瞬間には、別の犠牲が生まれていた。

次に現れたのは、彼が別の友人を救おうとした瞬間だった。彼は過去を改変し、その友人を事故から守ったが、その代わりに、家族が巻き添えとなって命を失った。

「俺が……俺がすべてを壊してしまったんだ」

目の前に広がる無数の破滅の光景に、大輔の心は崩壊寸前だった。全ては彼が過去を変えようとした代償であり、そのたびに新たな悲劇が生まれていた。彼の行動は、未来をより暗いものへと導くことにしかならなかった。

「もう、やめてくれ……」

大輔は耳を塞ぎ、目を閉じた。しかし、それでも次々と悲劇は彼の心に押し寄せてくる。

「由香、友人たち、家族……すべて俺のせいだ……」

その瞬間、彼はふと気づいた。これらの光景は、すべて「刻ノ時」の中で繰り返されているものだと。彼は何度もこの地獄を体験し、その度に希望を失ってきた。

「刻竜の力……俺にはもう、必要ない……」

彼の中で何かが決定的に壊れた。過去を変えることの無意味さ、そしてその代償の大きさに気づいた今、彼は完全に絶望の淵に立たされていた。

「もう、すべて終わりにしよう……」

大輔は立ち上がり、ゆっくりと手を伸ばした。その手は、目の前に浮かぶ光の中へと向かっていく。それは、彼にとって最後の選択だった。刻竜の力を使うことで、自分を、そしてすべての存在を消し去ろうとしたのだ。

「そう、それでいいんだ」

歪んだ「大輔」の声が再び耳に響く。彼はニヤリと笑い、喜びに満ちた表情で大輔を見下ろしていた。

「お前が消えることで、すべてが解決する。誰もお前の犠牲になることはない。お前が存在しなければ、未来は歪むことはないのだから」

その言葉に、大輔は無意識にうなずいた。すべてを消し去ることでしか、未来を救うことはできない。そんな考えが彼の心に深く根付き、希望は完全に消え去っていた。

絶望の果てに

「さようなら……」

大輔は最後にそう呟き、光に包まれた。すべてが終わる瞬間――それが彼にとって、唯一の救いであるかのように感じていた。

しかし、その瞬間、大輔の心には再び深い絶望が襲いかかる。光の中に消えていくはずだった自分が、再び「刻ノ時」の無限のループへと引き戻されていた。

「やめろ……やめてくれ……!」

彼は叫んだが、誰にもその声は届かない。時間は無限に繰り返され、彼は何度でも同じ絶望の中に戻される。そして、それが永遠に続くことを、彼はもう理解していた。

未来は決して変わらない。絶望だけが待ち続ける。

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