第13話 新たな恐怖の芽生え

村上啓介が廃工場で遭遇した謎の繭状の怪物。それは髪の毛の怪物の消滅後、完全に終わったと思われていた恐怖の再来を予感させるものであった。怪物の進化は止まることなく、今度はさらに厄介な形で目を覚まそうとしていた。


村上は意識を失い、冷たい床の上に倒れていた。体中に絡みついた黒い触手の痕が彼の全身を覆い、その痛々しい姿はまるで戦場から逃げ延びた兵士のようだった。彼の体はしっかりと防護服に包まれていたが、触手が放つ毒素が浸透し、徐々にその命を奪っていこうとしていた。


「う…ぐ…」


村上はかすかな声を上げ、意識を取り戻した。目の前には、先ほどまでの繭が崩壊し、黒い塵のように散らばっているのが見えた。怪物はすでにその姿を変え、繭の内部で何かが動き出していた。


「まさか、まだ終わっていないのか…」


彼は痛む体を無理やり起こし、周囲を見回した。暗闇の中、奇妙な音が響いている。まるで何かが息をしているかのように、規則的に空気が揺れている。


その時、突然、工場の奥から人の声が聞こえた。


「…誰か、いるんですか…?」


村上は驚いて声の方へ目を向けた。そこには、うずくまるようにして座り込んでいる一人の若い女性の姿があった。彼女は青白い顔をしており、体中が汚れて傷だらけだった。


「君…こんなところで何をしているんだ?」


村上は彼女に駆け寄ろうとしたが、その瞬間、体中に電流のような痛みが走り、彼はその場に崩れ落ちた。触手に侵された毒が、彼の体を蝕んでいたのだ。


「大丈夫ですか!?しっかりして!」


女性は村上に駆け寄り、彼を支えながら必死に呼びかけた。その手には震えが見え、彼女もまた恐怖の中にいることが伝わってきた。


「お前は…一体、どうしてここに…?」


村上はかすれた声で問いかけた。彼女がここにいることが、どうしても理解できなかった。廃工場にたどり着くまでの道のりは非常に危険であり、怪物の目を掻い潜ってここに辿り着くのは不可能に近い。


「私は…研究チームの一員でした。田村博士の…」


女性の声に、村上はハッとした。田村のチームに所属していた者は、全員が怪物との戦いの中で散り散りになり、今や生存者はほとんどいないとされていた。


「君が…?」


村上の問いに、彼女は弱々しく頷いた。


「ええ…私は田村博士の最後の実験を手伝っていました。髪の毛の怪物の進化について、博士は最後の瞬間に何かを発見したんです」


「進化…?」


村上は彼女の言葉に驚き、彼女の顔を見つめた。田村が最期に残したメモには、怪物の消滅が「進化の始まり」だと書かれていた。その意味を彼女が知っているのかもしれない。


「博士は…怪物が自らを破壊して消滅することによって、新たな存在へと変貌することを予測していました。髪の毛という形態は、あくまで一時的なものであり、その先には…」


彼女の声が震える。まるで、その言葉を口にすることが恐ろしいかのようだった。


「その先には、何があるんだ?」


村上は痛みをこらえながら、彼女の言葉を待った。


「…人間の意識を支配する存在です。髪の毛の怪物は、ただ物理的に成長するだけでなく、髪の毛を介して人々の意識に干渉し、支配する力を持っていました。そして、その力を極限まで高めるために、自らを分解し、新たな存在として再構築しようとしているのです」


「そんなことが…」


村上は耳を疑った。怪物が人間の意識を支配する存在だというのか。もしそれが本当ならば、髪の毛の怪物を倒したとしても、次に現れるのはもっと恐ろしい存在だ。


「田村博士は…この進化を止めようとしたんです。でも、彼の犠牲によって怪物は一度は消滅しました。でも…」


彼女の目に涙が浮かんでいる。


「でも、完全に消えたわけではなかった。怪物は、再び形を変えて現れることを予測していたんです。だから、私は彼の遺志を継いで、ここで怪物の再生を止めようとしていたんです」


「そんな…一人で…」


村上は彼女の勇気に驚きながらも、その無謀さに心を痛めた。彼女のような若い女性が、田村の意思を背負って一人で戦い続けているという事実が、彼に自分の無力さを突きつけた。


「私は…」


彼女が言いかけたその時、工場全体が激しい音と共に揺れた。まるで何かが爆発したかのように、床が震え、天井から埃が舞い落ちてくる。


「何だ!?何が起こったんだ…」


村上が叫ぶと、彼女は顔を青ざめさせ、叫んだ。


「怪物が…目覚めようとしている!」


彼女の声が終わると同時に、工場の中央にある繭状の塊が大きく裂け、中から黒い煙が噴き出した。その中で、何かがゆっくりと姿を現し始めた。


「まさか…!」


村上はその場で立ち尽くし、目の前の光景に恐怖を感じた。繭の中から現れたのは、まるで人間の姿をした存在だった。だが、その体は無数の黒い繊維が絡み合い、髪の毛とは異なる異質な生物のように見えた。


その存在は、まるで人間のようにゆっくりと歩みを進め、村上と女性の方を見つめている。その目には、赤い光が宿り、まるで意志を持っているかのようだった。


「これが…怪物の新たな姿なのか…?」


村上は恐怖に震えながら呟いた。その存在は、彼らに一歩一歩近づきながら、無数の黒い触手を伸ばし、まるで彼らを飲み込もうとしているかのように感じられた。


「逃げなければ…ここから逃げないと!」


女性は村上の腕を掴み、必死に出口へと走り出そうとした。だが、その瞬間、彼女の足元に黒い触手が絡みつき、彼女の体を引き倒した。


「きゃあっ!」


彼女の叫び声が響き渡る。村上は彼女を助けようと必死に手を伸ばすが、黒い触手はさらに彼女の体に絡みつき、彼女を引き寄せていく。


「離せ!彼女を放せ!」


村上は痛む体を引きずりながら、触手を引き剥がそうとした。だが、触手はまるで鋼のように硬く、彼の力ではビクともしなかった。


「お願い…逃げて…ここから…」


彼女のかすかな声が、村上の耳に届いた。彼女の目には絶望の色が浮かび、もう自分が助かることはできないと悟ったかのようだった。


「そんなこと言うな!一緒に逃げるんだ!」


村上は叫び続けた。だが、次の瞬間、黒い触手が彼女の体を引き裂くように巻き付いた。その光景は、まるで彼女の命を飲み込もうとしているかのようだった。


「うわああああっ!」


彼女の体が黒い触手の中で激しく揺れ、そして次の瞬間、彼女は静かに息を引き取った。その体は、まるで闇に溶け込むように、黒い塊の中に消えていった。


「いやだ…そんな…!」


村上は絶叫し、膝から崩れ落ちた。彼女の命は、あっという間に怪物によって奪われたのだ。彼の目の前で、無残に、そして無力に。


その時、黒い怪物がゆっくりと村上に向かって近づいてきた。その姿は、まるで彼を嘲笑うかのように、ゆっくりと迫りくる。


「お前…まさか、田村の意思を…」


村上はその場で震えながら、怪物の目を見つめた。怪物の赤い目が彼を見下ろし、その中に何かを感じ取った。それは、かつて田村が持っていた強い意志と、同じもののように感じられた。


「お前は…誰なんだ…?」


村上は最後の力を振り絞り、問いかけた。怪物は、まるでその問いに答えるかのように、黒い触手を村上に向かって伸ばし、彼の体に絡みつけた。


「うわああっ…!」


村上の体はその場に倒れ込み、意識が再び暗闇の中に沈んでいった。彼はそのまま、静かに息を引き取った。


怪物は、その場に立ち尽くし、静かに村上を見下ろしていた。そして、ゆっくりとその場から姿を消し、再び工場の暗闇の中へと溶け込んでいった。


---


翌朝、警察と特殊部隊が廃工場に到着し、村上と女性の遺体を発見した。彼らはその場の惨状を目の当たりにし、言葉を失った。


「また…怪物が現れたのか…」


隊長は呆然としながら、工場の中を見渡した。そこには、村上が残した装置と、崩壊した繭の残骸が散らばっていた。


「まだ終わっていなかったのか…」


彼はそう呟き、固く拳を握りしめた。怪物は新たな形で、再び街に脅威をもたらそうとしている。田村の犠牲も、村上の命も、まだ怪物の進化を止めるには足りなかったのか。


街には再び恐怖の影が忍び寄っている。髪の毛の怪物が残した闇は、形を変え、新たな恐怖となって街を飲み込もうとしている。誰がこの新たな脅威に立ち向かうのか、それはまだ誰にもわからなかった。


だが、一つだけ確かなことがあった。怪物の進化は止まらない――それは、田村と村上が命を懸けて証明した、唯一の真実だった。

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