第13話

 郭封鈴カク・フーリンの死は変死として扱われることになった。つまり、警察が介入してくる。


「葬儀もすぐにできないなんて」


 李藍レイ・ランが悔しげに呟く。


「第五撮影所で亡くなってたなんて……嘘だろ?」


 馮情フェン・チンが途方に暮れたような口調で言う。

 葛原二式と、魈皓空シウ・ホウフンは沈黙していた。おそらく同じことを考えている、と二式は思っていた。


「葛原二式」

「何や、皓空ホンフン

「おまえのマネージャーに、確認したいことがある」

「奇遇やな、僕もや」


 二式が撮影をしているあいだに、逢坂はまたしても姿を消していた。だが今回は、彼がどこにいるのかの予想ができていた。二式と皓空ホンフンは連れ立って、俳優寮の四階にある客室──本来であれば二式の宿泊先でもあるはずの部屋に向かう。第三撮影所での仕事は、ほとんど有耶無耶の状態で終了していた。陳監督を含むスタッフ全員、それに出演者たちもひどく混乱していた。郭封鈴カク・フーリンはそれほどまでに、死から遠い場所にいる、生命力に溢れた女性だった。


「逢坂さん、おるか」

「我入去(入るぞ)」


 ノックもせずにドアノブを捻った。鍵は掛かっていなかった。

 果たして、逢坂一威は客室にいた。シャワーを浴びた直後なのだろう。上半身は裸で、その肌に極彩色の刺青が入っているのを──二式と皓空ホンフンは、見た。


「係黑幫嗎?(ヤクザなのか?)」

「我有冇提到我唔係黑幫?(ヤクザではないと言いましたか?)」


 逢坂の応えに鋭く舌打ちをした皓空ホンフンが大股で彼に近付いていく。殴るつもりなのだとすぐに分かった。二式には、皓空ホンフンを制止する理由がなかった。


魈皓空シウ・ホウフン!」

「!?」


 逢坂と皓空ホンフンのあいだに──唐突に割って入った男がいた。彼のことを、二式は知っていた。


「ジョンさん……!?」

「どうも、二日ににちぶり? それとももっとかな? 二式さん、お久しぶり」


 ひょろりと長身のチャウ・ジョンが、皓空ホンフンの手首をぐっと押さえ込んでいる。大きく顔を顰めた皓空ホンフンが、


「放開你隻手!(手を離せ!)」

「如果你應承唔打佢,我即刻放你走(あなたが彼を殴らないと約束するなら、すぐに離しますよ)」


 傍から見ている分には皓空ホンフンの方がずっと喧嘩に強そうだというのに、二式の目の前では異様な光景が展開されていた。


皓空ホンフン、手を……」

「我知!(分かってる!)」

「ジョンさん、皓空ホンフンは俳優や。怪我させんでやってくれ」

「Ah……噂通り、二式さんはずいぶん優しい人。でも、優しい人が来る場所じゃあないですよ、ここは。そうだろう、逢坂」


 お道化た様子のジョンの台詞に、逢坂は黙って肩を竦める。肯定も否定も、しなかった。


「逢坂、あんた」


 ようやく手首を解放された皓空ホンフンが、険しい顔で言葉を発する。


「どういうつもりだ、三会會Triadの人間を俳優寮に連れ込むなんて!」


 驚きはなかった。

 白いワイシャツの袖を肘まで捲ったジョンの腕には、逢坂の背中と同じように色とりどりの刺青が刻まれていた。そして、右手の手首の裏側には、


「目立ちたがり屋が!」


 皓空ホンフンが怒鳴る。撮影所から俳優寮への移動の道すがら、皓空ホンフンから二式は説明を受けていた。三会會の人間の一部には、まるで見せびらかすかのように組織のマークをタトゥーとして体に刻んでいる者がいるということ。逢坂がそうでなければ良いのだが、と皓空ホンフンは眉間に皺を寄せて唸っていたのだが──


「三角形に、洪」


 呆気に取られて、二式は呟いた。周・ジョンはへらへらと笑い、「良いでしょう」と自慢げに両方の手首を見せ付けてくる。悪趣味にもほどがある。


「私は、姚神狐ヤオシャンフーの関係者じゃあない。それは以前伝えましたね、二式さん」

「ああ、聞いた。たしかに聞いたわ。せやけど後出しで三会會の関係者やった〜っていうんは、ちょっと卑怯やないか?」

「郭封鈴を殺したのはおまえたちか? 三会會が関わってるのか?」


 牙を剥く皓空ホンフンに周・ジョンは応じない。歯茎が見えそうなほどのにやにや笑いが、ただひたすらに不愉快だった。


「逢坂、どうする──」


 皓空ホンフンが手を出してこないと確信したらしい周・ジョンが逢坂に尋ねる、その瞬間。

 部屋に入ってすぐの場所にあるソファ。その側に置かれたローテーブルに乗っていた硝子の灰皿を鷲掴みにして、周・ジョンに向かって力任せに投げる。

 投げたのは、葛原二式だ。


「がっ……!」

「おもんないんじゃ、クソボケが!」


 顔面に灰皿をモロに受けた周・ジョンがその場に昏倒する。皓空ホンフンとは打ち合わせをする必要すらなかった。どうにか起き上がろうとする周・ジョンを皓空ホンフンが数回殴り付けて黙らせ、二式が大股で逢坂に近付く。


「……なんだ、誰から聞いた? その名前は、軽々しく口にして良いものじゃないぞ」

「その部下がこんな……どうしょうもない男やなんて、春天自体も別に大した人間やないんかもしれんな」


 ソファの端に足を広げて腰を下ろし、煙草を咥えた逢坂がじっとりと二式を睨み上げる。


 知らない人間の顔をしていた。

 けものだ。

 けだものだ。


 ──化け物だ。


 鬼だ。

 こんな人間を、なぜ、一度でも信用した。

 愚か者め。


「二式」

「じゃかあしい」

「俺もずっと気になってた。?」

「俳優や」

「それだけじゃないよな。ジョンはまあ、ふざけた野郎だが──たかが俳優の一撃で昏倒するほど弱くはない。おまえはさ、二式、動きが堅気じゃないんだよ」


 二式と逢坂のやり取りを、周・ジョンを制圧した皓空ホンフンが黙って聞いている。彼には日本語は理解できないはずだが、それでも。


「郭さんには世話んなった。死んでええ人やなかった」

「そうだな。ちょっとばかりやりすぎだと、

?」

「點樣回事,阿二(どうなってる、阿二)」


 焦れたように皓空ホンフンが口を挟む。「春天」と二式は唸る。


「あんたが紹介してくれんのなら、自分で勝手に会いに行くだけやけど……ええよな? 逢坂さん?」

「好きにしなよ」


 逢坂は小首を傾げて鬱蒼と笑い、煙草を取り出して火を点ける。

 第三撮影所での撮影が再開する朝までは、まだ時間がある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る