力は封じられちゃったけど、第三次世界大戦の勃発を止めたり七十四回異世界を救ったノウハウでヒロインを救い出す
イマジナリー彼女、略して今カノ
このギャンブル、命賭け──。
もともと「デートの時間に」と約束した時刻からは、もう確実に、三十分以上の遅刻なのだけれど、そんなオレが、彼女のところに到着してすぐに発した第一声は、
「わり、遅れた」
の一言であった。
震える拳を抑えつつ、健気にも三十分間オレを待ち続けた彼女──
「……デートに遅刻とは、不心得者ね」
「悪い悪い」
でもさ、とオレは続ける。
「ヒーローは遅れてやってくるもんだろう?」
蹴られた。
それも二発。
「
更にもう一発。
弁慶の泣き所。
走る電撃。
「反省したかしら?」
「し、したした! 悪かったって!」
「ならよし」
蹴られた患部をさすりつつ、オレはさゆりに「でもまあ、安心しろよ」と言う。
「今宵、最高の夜を約束するぜ」
※
「その後、顔見知りの魔物にさゆりが
出し抜けに何を言いだすのか、と思わず人差し指でメガネのフレームを持ち上げた僕だったが、しかし彼、榊原
「前に、異世界に巣食う悪を倒して、異世界を救う機会があったんだけどな? そん時に倒し切れなかった残党が、復讐の為にこの世界に来たらしいんだよ」
ふんふんなるほど、と相槌を打ってしまうのは僕の悪い癖だ──こんなことだから相談を持ちかけられるのだ。
以前、英雄とは第三次世界大戦を
その度にいみじくも名案──と言っても英雄が勝手に会話からヒントを得ていくだけなのだが。だから彼にとって大事なのは僕ではなく、どうしてか僕から得られるキッカケの方だ──を思いついてしまう僕も僕なのだが……、それ以上に「それでそれで?」と続きを促してしまうのも、やっぱり、僕の悪癖なんだろう。
「奴には明確な弱点がある。俺が救った異世界は七十八っつほど数があるのだが……、奴の出身は四十七個目の異世界で、俺たちの世界で言う『金細工』や『十字架』が苦手だった。今も一応、相手から分からないよう、かなり小さいけれど、一定の効力を発揮するくらいの物は持っている……、具体的に言えば、鉛筆の芯くらいの直径で、縦に二センチくらいのサイズしかない、本当に小さいやつが。対策として」懐かしさに目を細めて、英雄はそう言った。そして続け様に「そしてその弱点は、その世界を巣食う全てのモンスターと共通のものだった」とも。
困惑気味に僕は言った。「なら、それを使えばいいじゃないか?」
「勿論、隙があれば使うつもりだ。ここまで小さければ効果は薄かろうが……、奴はその世界での俺の親友を殺した仇でもある。だからこの状況は、誤解を恐れずに言えば、願ったり叶ったりでもあるんだ」
「親友を……? そうか……」冒険譚には悲劇が付きものである。しかし、悲しいものは悲しいだろう。「でも、それなら余計にどうして?」
「一度それで滅ぼされたんだ。対策してくるに決まっている」何やら、そこは自信のある風だった。
「そう、か……」僕は声のトーンをいくらか下げた。「マジックみたいにミスディレクションでも出来ればいいんだがね……」
「ミスディレクション、視線誘導、か」
「思いつきそうか?」
「微妙だ」英雄は素直かつ端的だった。
「なにやらいろいろ企んでいるな」
背後から聞こえた声に踵を返し、英雄はその声の主をきっ、と
「ザクレン!」
「
その男の、つまり、
※
次の刹那、僕や英雄がいる位置を中心に、環状の壁が四方から現れて……、やがてそれが半球となり、すっぽりと、一帯の空間を包んでしまった──スケールの小さい、東京ドームのような状態だ。
「おっと、無関係な奴も巻き込んだか……、まあいい」ザクレンは僕の方を
英雄は毅然として聞いた。「それは全体、どういう勝負なんだ?」
「この、私が小脇に抱えている、私の世界から持ってきた──これ」ザクレンは左手の人差し指でそれを指差した。逆に言えば、抱えている小脇は右腕だ。「これは魔物の一種なんだけれど、その実、魔力を支払えばその能力を発揮してくれる、結構便利なアイテムでな……、今からこれを使って、私とギャンブルをしてもらう」
「ギャンブル?」英雄は復唱した。
「拐われた……、もとい、私が拐った彼女の居場所を、チップに賭けたギャンブルだ」
「…………ほぅ」
ザクレンの言う『これ』とやらを見
「その箱は何なんだ? ギャンブルの内容は?」即刻質問をする。英雄は展開に追いついていたらしい。
「嬉しいねぇ。存外に結構、乗り気じゃないか」
「混ぜっ返すなよ」英雄は露骨に不機嫌そうになった。「質問への解答は?」
「今するさ。差し当たり一つ目の質問には「このギャンブルの公正さを担保する、平等の為の舞台装置」とでも解答しておこう。ついでに言うならこの半球も、この『箱』の能力による産物に他ならない」ザクレンは僕や英雄から背を向けた。
英雄は、刹那のその隙も見逃さない……、すぐさま踊りかかり、奴の土手っ腹を、右の拳で────
「!?」
────貫き穿つことは、しかし、できなかった。
「…………なぜ効かない」
「言ったろう? 『このギャンブルの公正さを担保する、平等の為の舞台装置』──と。この半球の中にいる限り、暴力による終幕を迎えることは、決してこの『箱』が許さない。いくら貴様に化け物じみた力があると言っても、ここにいては赤子も同然だ」
もっとも、それは私も同じだがね、とザクレンは笑った。
「説明を続けても構わないか? サカキバラヒデオ」
「………………ああ」
対比するようにザクレンは「力無き英雄、何するものぞ、だ。ふ、ふふ……、ふふふふ……」と上機嫌だったが、すぐに英雄はペースを取り戻した。
「二つ目の質問には答えてもらえないのか?」
「おぉ、そうだったそうだった」さも「本当にうっかりしていた」みたいな風情で、ザクレンは間抜けヅラを晒した。「ジャンケンって知ってるか?」
「知ってるも何も……」
この世界の遊びである。
意図が読めなくて、なんとなしに僕はメガネのフレームに触れた。
「そう、当然知っている。知っていて然るべきだ。このギャンブルのルールは、貴様らの世界に歩調を合わせてあるのだから、そこは知っていてもらわなければ、困る」
「要はジャンケンが基盤になってなっているんだな?」英雄は理解が早い。「それで? まさか「それだけ」ではないのだろう?」
「無論そうだ」ザクレンは首肯した。「ジャンケンでの勝敗が決まると、上下左右のいずれか一方を指差すか、上下左右のいずれか一方に顔を向ける。前者が勝者で、後者は敗者の二者択一……、この部分をオリジナルに変える」
「ジャンケンに勝ったら、負けたらの先を、「あっち向いてホイ」から、別のものに変更する……?」
「その認識で正しい」
「変更内容は?」
「そこに机があるだろう?」ザクレンは右の手の平でそれを示した。
「…………あぁ?」
示された先に机があったのはいいが、その上に紙幣──それも日本の紙幣だ。正式名称は日本銀行券──がぽん、と置かれており、ざっと百万円以上は……、否、よく見たら万札ではなく千円札なので、言っても十万ぐらいだろうか?
「ここにあるのは、百枚に重ねられた千円札……、要するに十万円だ。ジャンケンして、それに勝利したら、ここに置いてある札束の、そのうち一枚を手に入れられる……、一回の勝利につき、一千円が自分のものになる計算だ」ザクレンの説明には、想定以上に想像通りのところと、想像通りに想定以上のところがあった。「そして手に入れた千円札は、この箱の中、もとい、箱の口の中に入れなくてはならない……、もちろん、千円札を掴んだ腕ごとだ。入れた値段分だけ、自分のポイントが加算されていく仕組みだから、そう難しいってこともあるまい?」
「なるほど」英雄は相槌を打った。「負けた場合は?」
「負けた場合は、勝った方が入れた値段分……、つまり、千円札と同等か、あるいはそれ以上に価値のある物を、自分の持ち物から探して、箱の中に──箱の口の中に、腕ごと入れなくてはならない」
そして、とザクレンは続ける。
「選んだ持ち物に、一千円相当の価値が認められなければ、その時点でこの『箱』は、自身に突っ込まれた腕を食いちぎる。このペナルティこそが、この賭けを賭けたらしめる要因だ。腕を失うんだ。下手を打てば、出血多量で死にかねない、相当にリスキーな賭けになる。題するならそう──
──『
そのまんまで良い名前だろう? と結んで、ザクレンは悪趣味に
※
「ば、馬鹿な!?」しばらく
……言いさして、はたと気付く。
恋人を人質に取られている彼には、元より選択肢などないということを。
「いいぜ、やるよ」英雄は迷わなかった。「やるけれど、仮に一万円相当の物を入れたとして、その余ったポイント……、九千円分は、次回の勝負に持ち越せるのか?」
「持ち越せる」ただし、とザクレンは続ける。「最大でも二回までだ」
「二回だけ……、つまり、三千円でマックス……、残りの七千円は無駄となる、か」
言って、二人は机を挟んで向かい合った……、早速始めようと言うのである。
「最初はグー! ジャンケン……」「最初はグー! ジャンケン……」二人同時だった。それで、その結果は──
「…………っ!」
英雄はグーを出し、ザクレンはパーを出した──つまり、英雄の敗北である。
「勝ったので、私が千円の紙幣を手にする」ザクレンはつづけざまに言う。「負けた貴様は自分で支払うのだ」
千円分の価値あるものか、自分のどちらかの腕をな、と結んで、ザクレンは醜く顔を歪めた。
「………………」英雄は自分の身体を検めた……、恐らく、使えそうなものを探るために。
英雄は、手始めにカバンから荷物を取り出した。
スマホ、モバイルバッテリー、ワイヤレスイヤホン、財布、読みかけの小説、小箱のようなもの、エトセトラエトセトラ……
財布は、その中身も含めて考えれば強力な戦力だし、スマホとその関連の諸々は、中古であることを差し引いても、かなり手堅い価値となりうる。
読みかけの小説は……、まあ、幾らかの足しにはなるだろう、決して完全な無価値とは言えない。
小箱は……、そもそもなんの箱なのだ、価値がどうとか以前の話である。
「………………まだ少し、心許ないか」
英雄はそう言って検めつづけた。
出てきたのは以下のものである。
腕時計に、靴。
上下の服は流石に勘定に入れないとして……、強いて言うなら、靴下とか?
「オイ、手を貸すのはありなのか?」僕は助け舟を出した。メガネのフレームを、人差し指でくい、と支えながら。
「なんだ部外者、いいわけないだろう」助け舟が二秒で沈没した。誘拐犯の癖に生意気である。
そのやりとりを傍目に、英雄は自身の戦力を着々と確かめていた……、財布から金を出し、札束と硬貨とで分類を進めている。
万札が一枚、五千円札が一枚、千円札は五枚……、もちろん、二千円札はない。
一方で硬貨はと言えば、五百円玉は一枚もなく、百円玉が四枚で、五十円玉が五枚ある。
十円玉は十一枚で、同じく五円玉が十一枚……、ラストの一円玉は七枚だ。
おそらくは戦力可視化の目的だろう、英雄は札束をつまんで、一枚づつ机の上に置いていった。
順番は、下から一万札→五千円札→千円札と、値段の下降に沿っている。
きっとあの『箱』に入れる際の、
札束の例に倣い、硬貨の方も、逐次机の上に重ねていく……、もっとも、まとめても千円を超さない為か、その順番に規則性はない、てんでバラバラだ。
途中、各ポケットを一通り調べ直して、硬貨のチェック漏れがないか、確認したりもしたのだけれど、
「見つかりそうか?」
「うーん」
ポケットから抜かれた手には、奥底に眠っていたらしい小さな紙片がつままれていたくらいで──特にこれといった変動もなく──、順当にコインタワーが築かれていった。
そびえ立つ硬貨の塔。
己の戦力を確かめる指には、いくばくかの緊張感が備わっていた。
「…………ふぅ」
紙幣と硬貨を可視化し終えると、次にはその他の持ち物に取り掛かった。
先述した通り、戦力に数えられそうなものは、スマホ、モバイルバッテリー、ワイヤレスイヤホン、財布(さっき抜き取ったので中身は無し)、読みかけの小説、小箱、エトセトラエトセトラ……。
加えて、腕時計と靴。
最悪のパターンも想定し、衣服等も勘定に入れたら──机上に並べた持ち物には──それなりの戦力があるらしいことが分かった。
「なるほど」
総戦力、もとい総額は明らかとなった。
「最低でも、二万八百二十二円以上か……」
スマホやイヤホン等の持ち物は、価値の
真剣勝負に「まあまあ」の公算で挑むのが、あまり良いとは思えないけれど、さりとて、最悪のケースを考えるにしたって──ジャンケンですべて敗北した場合──、十万割る千で百回ある勝負のうち、だいたい三割は耐える、という計算になる。
してみると、暗数としてのスマホ等の持ち物の価値も含めれば、その戦力は結構膨大と言えそうだ。
「あ……、でも違うのか」
「そう、仮に一万円があったところで、実際に意味を成すのは、そのうち三千円だけだ」つまり、と英雄は続ける。「実質的に、俺が確実に使えるのは、一万千八百二十二円」戦えても一割超だ、と彼は笑った……、苦々しげに。
「で、でもそれだって、あくまで最悪の想定だろう? 大丈夫! 実際はもっと楽に行けるって!
「出来レースさ」それでも、と英雄は笑った。「それでも俺は、戦わなくっちゃ駄目なのさ」彼氏なのだから、と結んで、それでも英雄は、至って
僕はメガネのフレームを人差し指で持ち上げて聞いた。「勝算はあるのか……?」
「厳しいだろうな」英雄は実に簡単にそう吐き捨てた。
あとはもう、無言だった。
無言のうちに、さっき積み上げた札束の、一番上の千円を手に取って……、そして『箱』の上の面にある、開かれた口に、腕を──
「…………っ!?」
──突っ込もうとして、刹那躊躇する。
『箱』の上の面には口があるのだと、
「み、見つめている! 口の上の目が、千円札を!」
ぎょろりと、不正を見張るように
「言い忘れていたけれど、もちろん不正発覚の暁には、相応のペナルティを課す」驚くほど冷ややかな笑みを浮かべ、ザクレンはこう言った。「腕の二本くらいは、当たり前に覚悟してもらうよ?」
「────ッ!!」流石の英雄もたじろいだようだった。
「無論、不正を見張るのはその『目』だけじゃない。私とて、箱に腕を入れる瞬間の、貴様の手元を見つめている……、
「……………………っ!」
英雄が言っていたのはこのことか、とことこの段階に至ってようやく思い至る。
──一度それで滅ぼされたんだ。対策してくるに決まっている
コレがその対策!
「わかっていたことだけれど……、流石に厳しいな」
「厳しい? 公平なだけだろう」ザクレンは英雄に
わかったよ、と短く言って、英雄は『箱』による厳正な審査を抜けると、すぐに千円札を突っ込んだ。
自分の腕を両断するかもしれない口の中に。
※
『箱』とザクレンの目視によるダブルチェックは思いのほか厳重だった。
例えば千円札を掌に包み込んで、握り拳を入れてはいけないし、もちろんのこと、それで『箱』の口が開くことはない……、絶対に三百六十度どこから見ても、不正が無いことを確かめてからじゃないと、『箱』が口を開くことはないのだ。
そして、仮にそこを抜けても、千円の価値が認められなければ片腕はなくなるというのだから、呆れてしまう。
とにかく千円札の端をつまんで、不正があり得ないことを示してから……、彼は千円を『箱』に投じた。
「あの『箱』の設定を鑑みるに、君が『金細工』ないしは『十字架』の力で、あの『箱』を機能不全にすることは難しい」
「そうだな」と英雄。
「あの『箱』の口が開くのは、不正がないと認められた時だけ。…‥要するに、『箱』自身が納得するまでは、あの口は一切開かないということだ……、どこかしら潜めておくことは、基本、叶わない」
「わかっている」
「そして恐らくは、奴は大量の札束を用意している。無駄になる金額を惜しんで……、大量に手に入れたであろう一万円を、全て千円札に換えて、だ」
「そうだろうな」
「なら、どうする!? 勝ち筋は閉ざされたぞ!?」
「そんなことはない」英雄は断言した。「勝ち筋はある……、どんな時にもな」かっこいいセリフだった……、だけど、ただそれだけのセリフだった。
「……もう良いか?」とザクレン。「とっとと次のジャンケンを始めたいんだが」
英雄は肩をすくめる。若干シニカルな仕草だった。「わかったよ」
「最初はグー!」と掛け声をした。どちらともなく。
「ジャンケン──!」「ジャンケン──!」
以下はそのリザルトである。
二戦目:英雄の勝ち。ザクレンが千円を消費。
三戦目:英雄の勝ち。ザクレンが千円を消費。
四戦目:ザクレンの勝ち。英雄が千円を消費。
五戦目:ザクレンの勝ち。英雄が千円を消費。
六戦目:ザクレンの勝ち。英雄が千円を消費。
七戦目:英雄の勝ち。ザクレンが千円を消費。
八戦目:英雄の勝ち。ザクレンが千円を消費。
九戦目:ザクレンの勝ち。英雄が千円を消費。
上記の流れで、英雄の持つ千円札は全て消えた。
以降確実に使えるのは、たったの六千八百二十二円。
問題はそれ以降の……、つまり、不確定要素である、スマホだの、モバイルバッテリーだのの、価値の定まらない領域だろう──国から公式に価値を定められた
「何故、さゆりを拐ったんだ? 目的がわからない」唐突に英雄はそう言った。考える時間を稼いでいるらしい。
「……もしかして、覚えていないのか? サカキバラビデオ」
「はぁ?」英雄は胡乱な顔をした。「なんの話だ? 覚えていない?」
「冗談を言っているのか? サカキバラビデオ。貴様が魔王軍を滅ぼしにきた時、一人の女を巡り合って、貴様と私、正義と悪とで、二人争い合っただろう!」
「?」全然記憶にないといった風情で、英雄は首を傾げた。「わからねーぞ」
「な……っ!? ここまで言っても分からぬのか!?」
「だから、説明しろって」
「ぐ……ぐぐ……っ!」いかにも屈辱そうな表情を浮かべて、ザクレンは英雄に「良いだろうッ! そこまで言うなら教えてやるッ!」と喚き散らした。ザクレンは
絶ッッッ対に許さないぞ、サカキバラビデオ!!
そう言って、ザクレンは英雄を
英雄は思わず閉口した。
空いた口が塞がらないといった顔でもある。
僕は小声で「小鳥遊さんとは異世界で出会ったんだね」と問うた。
英雄は「……ああ、一緒に召喚されたんだ」と答えた。
「確かに! 私は彼女に思いを寄せていたことを、貴様には伏せていた! 黙っていた! だがしかし、そこは恋敵同志! なんとなく分かってくれていると、貴様のことを信じていた! 抜け駆けなんてしないって……、信頼していたのに……ッ!」ザクレンは恨めしそうに英雄を睨んだ。「こんのォ……、裏切り者がァ!」
支離滅裂の
言っていることの内容の矛盾も、もはや分かっていないことだろう、ザクレンは、昂る感情を抑えきれず、半泣きで喚き散らしていた……、実に惨めである。
「……そのことと、このギャンブルを仕掛けたことに、全体、何の関係が?」英雄は流されない。と言うより、もうそこに触れたくないと言った風情である。
「ここで貴様に勝つことで、貴様と私、どちらが上なのかを明確に示し、改めて結婚を申し込む……」ザクレンは神妙にそう言った。「そのための
呆れ返った様子で、英雄は言う。「……ああ、そう」
「なんだ、言いたい事があるなら言えば良い」
「ああ、いやな?」
英雄は言う。
「お前のその強い執着を知って、ようやくのこと思い至ったのさ。だからあの時、お前は俺の親友を殺したんだな。……自分の想い人を奪われた腹いせに、俺からも何か奪いたかったんだろう?」
「そうだ」
「ちなみに」と英雄。
アイツはさ、さゆりの親友でもあったんだぜ?
そう言うと、英雄は腹の底から嘲笑した。
「誰が親友の仇に惚れるってんだよ! マヌケ!」
彼は
げらげらと、げたげたと、親友の恨みを晴らさんとして──、高らかに。
「とんだ道化だよ、お前。さゆりに「知らなかったんだ」で通すつもりか?」
「? 別に知っていたぞ」ザクレンは確かにそう言った。「その上での腹いせだ」
「!?」英雄は相好を崩した。「な、なんだと!? 知った上で!?」
ザクレンは「なにがおかしいのだ」とでも言いたげに顔を
「そ、そんなわけないだろうっ!」
「そうとも限らんさ」
ザクレンのイカれっぷりに、意見の正しい正しくないに関わらず、英雄は圧倒されたらしかった。
正しいのは彼の筈なのに、ザクレンの方が、圧倒的に優位にすら映った。
英雄はなんとか
「それで成功するとか思ってんなよ」
「愛は勝つ」とザクレン。
「……あの時のオレみたいに?」
刹那、ザクレンは顔を歪めた。
※
「ン今度こそ私が勝つのだッ! ン下郎ォ!」
「キレると文頭に二水がつく仕様なのか」
文頭が「令」だったら危うく「ン令」になるところだった……、無論、「冷」と「ン令」とでは、ビジュアルに結構、差があるから、そこまでの心配は必要ないけれど。
「ン私を侮辱した罪は、ンこのギャンブルで支払ってもらうッ! ン屈辱を味あわせてやるぞ、ン下郎ォ!」
変な喋り方になってしまったザクレンは察するに──というか察するまでもなく見ての通り──、怒りで我を忘れている。
故にここからのザクレンの集中はハッキリ言って、完璧とは言えない物になろう……、勝負の行く末は存外に、こちらの流れにあるようだ。
「ジャンケン──」「ジャンケン──」
幾度かのあいこを重ねて、勝敗が決まる。
「クソ……」と英雄。
「私の勝ちだ」
いよいよ千円札の層は潰えて、五千円札、一万円札、各一枚のゾーンに来る。
いや、別に千円から順に消費しようが、一万円か遡って消費しようが、結局のところ、使える値段が変わる訳じゃないのだが……、しかし、なんとなく心理的に、無駄に消える値段が多いのは、英雄的にも抵抗があるのだろう。
彼が選んだのは少なくとも前者だった。
そしてこれからは無駄をも受け入れる。
山札みたいに積まれた千円札から一枚つまんで、ザクレンは『箱』に腕を入れる。「貴様の番だぞ」
「応」と英雄は受けて、五千円札を手に取った。そして「支払いを持ち越せるのは二回まで……、つまり今回を含めて三回分の支払いであり、五千円支払った今回は二千円の損失があるんだな?」と再度質問した。
「くどいぞ。その通りだ」
「はぁ〜」英雄は嘆息した。「金を何だと思っていやがる」
「そんなに惜しいなら勝負から降りればいい」
「それとこれとは別問題だ」英雄は確固たる口調でそう言った。「おら」『箱』とザクレンのダブルチェックを経て、五千円が箱に入れられた。
以降は例に則って表でその結果を開示していく。
十一戦目:ザクレンの勝ち。英雄は十戦目で支払い済み。
十二戦目:英雄の勝ち。ザクレンが千円を消費。
十三戦目:ザクレンの勝ち。英雄は十戦目で支払い済み。
十四戦目:ザクレンの勝ち。英雄が一万円を消費。
十五戦目:英雄の勝ち。ザクレンが千円を消費。
十六戦目:英雄の勝ち。ザクレンが千円を消費。
十七戦目:英雄の勝ち。ザクレンが千円を消費。
十八戦目:ザクレンの勝ち。英雄は十四戦目で支払い済み。
十九戦目:英雄の勝ち。ザクレンが千円を消費。
二十戦目:ザクレンの勝ち。英雄は十四戦目で支払い済み。
スムーズに五千円と一万円が消え失せた。
暗雲垂れ込める展開を察し、メガネのフレームをくい、と人差し指で支えつつも、僕は聞いた。「次回はどうするんだ? 普通にあの硬貨の塔か?」
「いや……」英雄は逡巡した。「アレは総額が千円に満たない。仮に入れるにしても、いかにも値段が低そうな、本、財布などとセットになるだろう」
硬貨の塔、つまり、コインタワーの総額は八百二十二円である。
いかに中古の小説や、空っぽの財布の価値が低かろうと、セットにすれば、千円くらいならゆうに超える。
「あの小箱とかもそうか?」
「アレは戦力に入らないよ」何故かここで英雄は笑った。
僕は
「応」それは心強い返答だった。
英雄は、机上にある持ち物群を
ここからは選択を誤れない……、何故なら、国が価値(正確には数字ってだけなんだろうけれど)を定める紙幣と違い、ここからの持ち物のゾーンは、『箱』が価値の
勿論『箱』の特性からして不正はないんだろうけれど、しかしこちらからはそれを伺えない……、とにかくここからが、真実ギャンブルと言えそうだった。
「最初はグー! ジャンケン……」「最初はグー! ジャンケン……」心なし、英雄の掛け声には気合いが感じられた。「ポン!」
ザクレンはパー。
英雄はグー。
英雄の敗北である。
「フフフ……」ザクレンはいやらしく笑った。「気のせいか、お前ジャンケン弱いんじゃないのか?」
英雄はぴく、と眉根を寄せた。「……トータルで見たら、そう変わらんさ」
そうかね、と肩をすくめて、ザクレンは山札から千円を手に取った。
「おら」平等だという『箱』の検閲を抜け、ザクレンは千円を入れた。
「……」英雄はモバイルバッテリー……、と、ワイヤレスイヤホンを手に取った。単体じゃ不安だったようである。「二つ同時だが、構わんだろう?」
ふん、とザクレンは鼻を鳴らした。「ご随意に」
英雄は『箱』の検閲を抜け、その二つを口の中に投じた。
もちろん腕ごと。
「……………………っ!」緊張が走る。ここで『箱』が千円の価値を認めなければ、英雄は片腕を失う事になる。「…………ど、どうだ?」
しばらく待ったが、『箱』に動きは見られなかった。
「……どうやら、セーフらしいな」英雄はほっ、と一息ついた。
「つまらないことにな」
ザクレンは心底残念そうであった。
僕はそれを見咎めるも、口にまでは出さなかった。
「今のが千円以上と認められたのは良いが、具体的に何円だったのかは聞いて良いのか?」と英雄。
「知らん。『箱』に聞け。答えると思うのならな」
「……つまり何円分が次回に持ち越されたかも、こちらからは窺い知れないと言うわけか」
その辺含めて、これはかなりのギャンブルである。
総身がひりつく感覚が、部外者ながら肌を覆った。
「ジャンケン!」「ジャンケン!」
二、三あいこを重ねて、英雄の勝利だった。
「ハン! 命拾いしたな、サカキバラヒデオ」
「落命もまだなのに、命拾いもクソもねーだろう」
落とし物は落ちていなければ拾えない。
そう言って、英雄は千円を手に取った。「次はお前だ」
「無駄な抵抗だな」ザクレンは笑った。「どうあれ私は勝つ。どうあってもだ!」
「わかったわかった」英雄はザクレンの言を流した。「はやく千円を取り出せよ。どうせまだ大量にあるんだろう?」
「フフ……、分かっているじゃないか。この『箱』が不正を咎めるのは、半球が展開された後のことに限定されるからな。取り込まれてしまった時点で、お前の敗北は決まっていたのさ」
「……………………」英雄は答えない。
少しの間を開けて、彼は言った。「ジャンケン!」「ジャンケン!」
今度のジャンケンは英雄の負けだった。
定例通り千円を投じて、ザクレンは言う。「どうするサカキバラヒデオ? いよいよピンチなんじゃないのか?」
確かにピンチだった。
残っている持ち物を見て、財布、読みかけの小説とくれば……、まともな戦力はスマホくらいだ。
本当に服を脱ぐくらいしか、抵抗の術は残されていない。
そして脱いだとて、大した役に立つとも限らない……、かなりのピンチだ。
「……今回に関しては大丈夫らしいぞ」
「何」
見れば、『箱』はその口を閉じていた。
前回のモバイルバッテリーとワイヤレスイヤホンで、なんとかこの場は凌げたらしい。
「チッ!」ザクレンは不機嫌そうに舌打ちした。
「さあ、次だ」
ジャンケン──、と掛け声をして、両者手を出した。
今度もザクレンの勝利である。
「…………問題は、一体何円が持ち越されているかだ」モバイルバッテリーは数千円で買えるだろうし、ワイヤレスイヤホンもそれは同様だ。『箱』がそれらをどう処理したか……、生きながらえるには、そこを見定めることこそが肝要だ。「……よし」
ザクレンが千円を投じるのを待って、英雄は読みかけの小説を手に取った。
「俺は持ち越された金額を二千五百円以上三千円未満だと踏んだ! 残りを補うのにスマホは必要ない!」英雄はそう叫んで、読みかけの小説を天高く翳した──たしかに、モバイルバッテリーとワイヤレスイヤホンだ。それなりに価値が認められてもおかしくはない。「おらっ!」英雄は腕を箱に投じた。
その刹那──腕が、
「ぐ──、ぁ」
……『箱』の尖牙に穿たれて、赤々とした麗しい鮮血と共に、英雄の右肩から千切れた──断面から、痛々しい
「──ああああああああああああああああぁぁあああああぁぁああああぁぁあああああああああああああああああああっ!!」
ザクレンと僕は目を剥いて驚くと、各々取るべきリアクションを取った。
英雄は短くなった腕を押さえている。
地面には
どくどくと、間断なく。
黄昏の時分にはまだ早過ぎるのに、万象を赤く染めんとする勢いで──赤が、
赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が赤が──この場を真っ赤に染め上げていた。
「うああ……っ! ああっ、あああぁあああああああああああああああああぁぁああああぁああっ!」
否。
ともするとそれは、僕の勘違いかも知れなかった。
つい
真っ赤に染まっていたのは、僕の視界の方だった──つまり、メガネだった。
僕のかけていたメガネが、英雄の血で、真っ赤に染まっていたのだった。
だから世界が真っ赤に見えたのだ。
僕はメガネを外した。
「…………っ!!」
それは酷い惨状だった。
うずくまる英雄を中心に鮮血が四散しており、地面はもちろん、四囲を囲む半球の壁もまた、赤く情熱的なメイクがなされていた。
呻き声が聞こえる。
明らかに英雄とは別のものであり、僕でないとするならば、残るはアイツ一人しかいない。
見ればザクレンは、顔を押さえて苦しんでいる様子。
それではたと気づき、僕は『箱』の状態も知覚し、確信する。
「そうか、これが狙いか──っ!」
たかが血液が顔にかかったくらいで魔物が呻き声を上げるのは不自然である。
改めてよく見れば、ザクレンは顔、ではなく両目を押さえていた。
そして『箱』の方を見
要するに、ザクレンと『箱』は英雄から血の目潰しを喰らっていた。
このことはつまり、英雄の不正を見咎める、公正な目がないことを示している!
「今なら行ける! ──やれ、英雄!!」
英雄は動かなかった。
身じろぎもせず、『箱』を見下ろして、じっ、とその場に佇んでいる。
「な……っ、オイ!」僕は動揺する。「どうしたんだよ!? これはチャンスだぞ!? お前が作り出した、最大の!!」
「閉じている」
僕は「え?」と言って、英雄の視線を追う。
そして理解した。
「あ──」
そう、僕は理解した。
英雄の言葉を。
英雄の絶望を。
「嘘だろ……」
『箱』の口は閉ざされていた。
不正を拒むように……、きゅっ、と。
固く一文字に結ばれて。
※
「当然の用心だ。目が見えなければ、周囲を警戒することはな」
分類上、『箱』は魔物だ。
生き物が暗闇を警戒しないとでも?
そう言って、ザクレンは──いつのまにか血を拭い終えたと見える──、英雄を見据えて嘲笑した。
「とんだマヌケだよ、貴様は!」
「……クッソァ〜〜〜〜ッ!!」
英雄は歯噛みした。
『
「傑作だったぞ? 決死の覚悟がふいになるところは。すわ絶頂という感じだった」
「…………」
「さあ、勝負は終わりだ。貴様に勝った事実を土産に、私は彼女に告白する!」
「…………」
「あぁ、楽しみだ。彼女どんな顔をするだろう。なぁサカキバラヒデオ? これからタカナシサユリを寝取られる側として、意見を聞かせてはくれないか?」
「……続きだ」
ザクレンは耳を疑った様子だった。「は?」
「だから、続きだ」
みるみる、ザクレンの顔は青ざめていった。
「し、正気か貴様ッ! 片腕を失ったんだぞ!? ゲームを続けている場合ではないわッ!!」
「何度も言わせるなよ」
英雄はもう一度、噛んで含めるように言った。
「続きだ。俺はゲームを続ける。腕なら左にもついているし、持ち物も少しだが残っている」
だから、と英雄。
「続きだ」
「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
ザクレンは一歩二歩、と後
「──良いだろうッ! そこまで言うなら続けてやるッ!」ザクレンは大きく顔を歪めながらも「続行だッ!!」と絶叫した。「貴様はここで死ねッ! サカキバラヒデオッ!」
かくして、『
※
「それで、モバイルバッテリーとワイヤレスイヤホン、それに、読みさした小説を入れたわけだけれど、すでに二回持ち越したから使えない二つはともかく、小説の方はカウントに入るのか? それともやっぱり、腕を噛みちぎったからリセットなのかな?」
「……いや、まあ、腕を食いちぎった後を想定していなかったから、一旦リセットという形にはなるな」
そうか、と英雄。「では続けようか」
ジャンケン──、と二つの手のひらが
結果は以下の通りだった。
「私の負けか」とザクレン。
「では、オレの勝ちだな」
例によって例の如く、英雄が机上の山札から千円を取るのを待って、ザクレンは懐から千円を取り出した。
もはや白々しいっていうか、空々しいくらいなのだが、その資金源を訝しみながらも、僕は千円が『箱』の口に消えるのを見た。
その口腔内(もう胃だろうか?)には今、何枚の千円があるのか……、若干気になる所である。
ともあれ、次の勝負だ。
「ジャンケン──!」「ジャンケン──!」
今回は英雄が負けた。
ザクレンが机上の山札から千円を取る。
「ほら、貴様の番だ」
英雄はスマホを手に取った。
再開前に、一応『箱』の目も拭われているので、機能しないという期待はできない。
ダブルチェックを抜ける。
スマホが『箱』の胃に入った。
スマホで持ち越された分は以降表で示す。
二十七戦目:英雄の勝ち。ザクレンが千円を消費。
二十八戦目:ザクレンの勝ち。英雄は二十六戦目で支払い済み。
二十九戦目:英雄の勝ち。ザクレンが千円を消費。
三十戦目:英雄の勝ち。ザクレンが千円を消費。
三十一戦目:英雄の勝ち。ザクレンが千円を消費。
三十二戦目:英雄の勝ち。ザクレンが千円を消費。
三十三戦目:ザクレンの勝ち。英雄は二十六戦目で支払い済み。
心なし英雄に流れがあったようだ。
しかし問題はここからである。
「ジャンケン──!」「ジャンケン──!」
英雄の勝利だった。机上の山札から千円を取る。「次はお前だ」
「ああ」ザクレンは懐から千円を取り出した。「見たところ、残りの持ち物は財布だけのようだな? それも、空っぽの」
「そうだ。高い財布を買っておいて助かったぜ」
見れば、確かに高そうな、いかにもな革製品の財布だった……、間違いなく三千円は超すだろう。
「ハン! だからなんだ。延命措置は虚しいばかりだぞ」
「……そうかもな」英雄は首肯した。表情は暗く、見ていられない。
ジャンケン──、と二人手を出した。
英雄の勝ち。
ザクレンは千円を支払った。
「ほら、次だ」
ジャンケン──、と二人。
ザクレンが千円を支払った。
「次だ」
ジャンケン──。
革製品の財布を『箱』に投じた。
「次」
ジャンケン。
ザクレンは千円を支払った。
「次」
「次」
「次」
……。
…………。
………………。
「……」
「……なあ」
「なんだ」
「貴様イカれておるのか? 勝てないのは先刻承知だろう」
「…………さぁな」
「なぜ続ける」
「……」
「なせだ」
「……」
「なぜなのだ」
返答が無いのを見て、無言のうちに勝負を続行する。
ジャンケン──、と
ザクレンの勝利である。
「さぁ、その残った物を入れるのだ」
言われた通り、英雄は硬貨の塔をつまんで、『箱』の口の上に手をやった。
総額は八百二十二円である。
ボーダーの千円には届いていない。
……こうなるのは見えていたはずなのだ。
ザクレンがイカれていると言うのも、むべなるかなと言うしかない。
「さぁ、それを入れろ。両腕を失うことにはなるが、勝負を続ければこうなることくらい、貴様は分かっていたはずだ」
言われるがままにダブルチェックを経て、英雄は硬貨の塔を『箱』に落とした。
『箱』は──
どうしてか破裂した。
※
『箱』が破壊され、その当然の帰結として、『箱』が展開していた半球が崩れた。
ふりしきる半球の欠片。
僕らは避けようともせずにただそこに居た。
「……? ???? どういう????」
上記はザクレンのセリフである。
混乱の極みに口調が乱れたらしい。
「分からないのか? なら教えてやる」
俺は不正をしたんだよ。
英雄は分かりきったことを言った。
「そ──んな、はずはない」
「貴様が不正をしていないことは確かめた! あの『箱』もだ! 三百六十度一部の隙もなく、
「間違っているだろうよ。不正をしたんだから、道徳的に」
「確認はしたッ! 私も『箱』もッ!」
「三百六十度一部の隙もなく?」
「そうだッ!」
「じゃあ、内側は?」
「あ──」
英雄はふっ、と笑って「気がついたようだな」と言った。
「そう、最初から最後に至るまで、お前は外側しか見ていなかった。三百六十度一部の隙もなく、外側だけを、じっくりとな」
「……クソッタレェ〜〜〜〜ッ!!!!」
何やら二人は通じ合っているらしいが、僕は置いてけぼりだった。
「全体どういうことなんだ、英雄!」
「わからないか?」
「分からないさ! どうやって『金細工』だか『十字架』をコインタワーに仕込んだんだ!? それに、そんなことをする隙が一体いつ──」
「単純なことだよ」と英雄は笑った。「実に単純な、ミスディレクションだ」
言われて初めて、ザクレンが襲来する前に、そう言えばミスディレクションがどうのという話題があったことを思い出した。
僕は言う。
「ミスディレクション……、マジックにおける、トリックを看破されないために、見ていて欲しくない所から目を背けさせる、いわゆる視線誘導の技術……」僕は改めて語義を確かめた。「それが全体、どうしたんだ?」
いまだ真相に思い至らないらしい僕の鈍さには閉口しつつも、それでも英雄は、フェアにトリックを説明した。
「……俺が『箱』に腕を入れている間、ここにいる人間の視線はどこにあった?」
「────っ!」
英雄の一言に、ようやっと僕は思い至る。
「そうかっ! 『箱』に腕を入れている間は、『箱』もザクレンも、不正を見咎める為、手元に視線を注いでいたっ! もう片方の手には、見る必要がないと思って、一切視線を寄越すことなくっ!」
「正解」
一方に視線が集まる中、もう一方では、英雄はコインタワーに『十字架』だか『金細工』だかを仕込んでいたのだ。
だが、やはりおかしい。
そんなスペースが全体どこに……。
「硬貨にも意匠というか、値段ごとにデザインが異なるよな?」と英雄。
「……?」僕は胡乱に思いつつも「うん、そうだね。一円玉には若木が。五円玉には水と稲穂、それに歯車、裏には双葉かな? があって、十円玉は平等院鳳凰堂。裏には常盤木。五十円玉は菊花。百円玉は桜花があったはずだ。五百円玉は……、確か桐で、裏は竹と橘だったかな?」と答えた。「それがどうしたんだ?」
「ああ〜……」英雄は「正解だが全て間違いだ」と言った。「模様の話じゃない」
「ん? それじゃあなんの……?」正直、わけがわからないと言った感じだったが「ん……?」と天啓を受け、ようやく理解する。「なるほど、五円玉と、五十円玉か!」
「そういうこと」
ここに至ってもわからない愚者同志には僕が説明する。
硬貨というのは基本的に、その裏表には模様が施されるばかりで、あとは何も無いものだが……、しかし例外的に、五円玉と五十円玉には、円の中心に、更に円が、穴がぽっかり空いているのだ。
そしてその穴は、硬貨一枚では些事もいいとこだが、重ねていけば、少なくとも円柱状のスペースが完成する。
そのスペースに、『金細工』だか『十字架』は潜められたのだ。
枚数確認の時は確か、五十円玉が五枚で、五円玉が十一枚あったはずだ。
インターネットで確認する限りでは、五円玉の厚みは1.5ミリであり、五十円玉は1.7ミリなので……、(1.5×11)+(1.7×5)=25ミリだ。
よって最低限、円柱は二センチほどあったことになる。
思い返してみれば英雄は、自身の伏せていた切り札について、確か、こんなことを言っていた。
──鉛筆の芯くらいの直径で、縦に二センチくらいのサイズしかない
縦に二センチくらいなら25ミリの、つまり2.5センチの円柱のスペースに問題はないし、五円玉や五十円玉の穴の直径は、各四ミリと五ミリ程度だ。
五円玉が五ミリ。
五十円玉が四ミリ。
小さい方に基準を合わせるとして、四ミリの直径なら、通常の範囲を出ない、普通の鉛筆の芯の直径と言えよう。
仮に問題があるとして、コインタワーを外側から見た時に、同じ柄の部分が多くなるかも、というのがあるけれど、
──まとめても千円を超さない為か、その順番に規則性はない、てんでバラバラだ
と言った具合に考えた覚えもあるので、おそらくはそこも、五円玉、五十円玉と、交互に重ねて解決したのだろう……、結構完璧に対策がなされている。
「で、でも! 一体いつ『十字架』だか『金細工』を取り出したんだ? ①どこからか切り札を取り出す。②視線が一方の手に集まっているうちに仕込みをする。この二工程を一気に済ませれば、流石にバレないとは限らない!」
「お前も見ていたはずだぜ? ほら、コインタワー建設途中にさ、残っている硬貨がないか各ポケットを探ってみて、結局紙片しか出てこなかった、みたいなくだりがあっただろう?」
── 見つかりそうか?
──うーん
その時の会話が思い出されたので、特に障りもなく僕は頷いた。「ああ、確かにあったな」
「その時だよ」
「え?」
「その時に俺は、ポケットから取り出した紙片の裏側に、切り札を隠しておいたのさ。言っても二センチしかないからな。小さな紙片でも、切り札は余裕で裏に隠せた」言うと、英雄は不意にザクレンを見て「切り札もそうだが、紙片はたまたまあったわけじゃない。テメェがさゆりを拐ってから、わざわざ「自分が犯人だ。近いうちにもう一度現れる。そのとき二人で勝負をしよう」なんて言ってたから、こっちも一応、準備をしてたのさ。あるであろう対策を切り抜けるべく、紙片の裏にそれを隠そうと」と言った。
そのあと英雄は、床かなんかに紙片を置いたはずだ。
そして時が満ちて、ミスディレクション要件が成立した刹那、『もう一方の手』で紙片の裏の切り札を掴んだのだろう……、その後のことは、すでに述べた通りだ。
①ポケットから紙片と共に切り札を取り出し、床に伏せておく。
②ミスディレクションが可能になった刹那、それを紙片から取り出し、塔に仕込む。
……そして③。
ザクレンと『箱』のダブルチェックを抜け、目的の『箱』を破壊する。
以上が今回仕組まれた、英雄のトリックだったらしい。
「なるほどそれはいいだろう。しかし、五円玉や五十円玉の穴に入る微小なサイズでは、あの『箱』を破裂させるような威力があるとは思えない」
「ん。なんというか」英雄は言い淀む。「『金細工』も『十字架』も、実は入っていないんだよ」
「はぁ?」ザクレンは思いっきり訝しんだ。「どういうことなんだ。入っていると言っていただろうが」
「入ってるさ、ただし、入っていないだけで」
「……? ??? 誤魔化すなよ、意味がわからない」
「だから、『金細工』も『十字架』も入ってないれど、『十字架の刻まれた金細工』はあったのさ」
「な──」ザクレンは瞠目した様子だった。「合体させたのか!?」
「そう、円柱状の金細工のデザインを、十字を掘ることで完成させたのさ」
「……なるほど、そういうことだったのか」
いかにも得心が行った、というような顔をしていたザクレンだったが、次第に怪訝な表情になり、「……ここまで徹底したトリックがあったなら、どうしてわざわざ腕を喰らわせた?」と言った。「意味がないだろう」
「……ああ、それね」まだ説明するべきところがあったかと、英雄は笑った。「予定外のことでね。アレは本来次善の策だったのさ」
「どういうことだ」
「そのまんまだよ。仮にトリックが見破られたら、俺は両腕を失う。んで、両腕を失った後出来るのはあれくらいだろう? ……本当は口に咥えてでも、『箱』に切り札を投じるつもりだったのさ」
確かに、ザクレンは不正が発覚した暁には、魔力による攻撃で両腕を断つと言っていた。
英雄はトリックを見破られたパターンも考えて、両腕を失ってもできることとして、アレを考えたに過ぎないのだろう。
だが、現実には順番が前後して、先にやらざるを得なくなったのだ。
「でも」と僕。「もっと早い段階で、あのトリックを仕掛けたら良かったじゃないか。そうしたらあんな風に追い込まれないで、普通に切り抜けられたはずだ」
「そこは素直に失策だったよ」英雄は肩をすくめて、苦笑する。「ピンチを演出したかったんだ。そうすれば、監視の目も緩むと思ってね」
答え終わると、場に静寂が訪れた。
概ね疑問は解消したらしい。
※
「さぁ、さゆりの居場所を教えてもらおうか」
「? 断る」
「なっ!? お前、どういうことだっ!!」僕は横合いから
「いや、そんな約束はしていない」
「はぁ!? どういう──」
言いさして、はたと思い至る。
「そう──か、あくまで約束は、賭けに勝ったらか。さゆりさんの居場所をチップにしたギャンブル……、つまり、不正が発覚した時点で、ゲームオーバー……」
それと気付かれない内に、不正を仕込まなくてはならないらしい。
「そんなの──、無理に決まってる」
ザクレンはククと笑って、英雄に正対し、こう言った。
「貴様の努力は全て無駄だったのだ! 片腕を失ったことも! 手の込んだ不正も! 全て無意味だ! ぎゃーーららららららららっ!!」
ここに来て笑い方が特殊という新事実を提供しつつ、ザクレンは極めて、悪辣に笑った。
「ぎゃーーらららららっ!! ぎゃーーらららららっ!!」
「………………」
「お、元気がないなサカキバラヒデオ、どうしたんだ? さも、契約を交わすときに文章をしっかり読んでなかったみたいな顔をして」
「………………」
「元気を出せよサカキビラヒデオ。事情は知らないが、女は星の数ほどいる。レッツゴー・ネクスト! 次のオンナ!」
「………………」
「オイオイオイオーーーーイいつまで暗い顔しちゃってんの? 過去なんか振り返ってもなんも意味ねぇーーーーよっ! ほら、昔のことは忘れて、未来に目を向けよう! 誰に恨みがあるのかは知らないが、復讐なんてマッタクの無意味だ! 明日の朝日へ、さあ行こう!」
「………………」
「あ、そうだ思いついた! 良かったらなんだけど、私のオンナを貸してやろうか? 生きている間は無理だから、抱くにしても、墓石と抱き合う形にはなるが。どうだ、良い提案だろう?」
「ここまで俺が黙っていたのには訳がある」
「へ?」
いくらかの間を開けて──、彼は言った。
「お前をブン殴るカタルシスを、最高潮にまで上げる為だ──ッ!」
すわ、森羅万象をも潰えさせる勢いを伴って──
「──ってああああああああああっ!!」
めぎり……、と。
ザクレンの顔面に陥没させた。
顔の骨は確実に折れている。
「んぎぃああああああああああ!!!!」
ザクレンの大音声が一帯を震わせた。
その声を聞いて、僕は「このギャンブルの公正さを担保する、平等の為の舞台装置」とやらの、暴力を禁じる『箱』が壊れていることを思い出した。
これこそが英雄の狙いだったのかと、僕は遅まきながらようやっと気づく。
ザクレンの呻き声が聞こえる。
実に痛そうな、悲痛な慟哭だ。
しかしそうか、暴力が使えるなら、無理やり吐かせちまえば良いもんな──。
「さゆりの居場所を吐くか?」
「い……っ、居場所を吐く!? ジョーダンはよせ!!」大いに顔を歪めつつ、しかし口の端は持ち上げて、ザクレンは言う。「私は不死身だ!! なればこそ、貴様は魔王様を滅ぼせても、私だけは滅ぼせなかったんだっ!!」
「俺が異世界を救ったのはお前の世界で四十七度目だ」
「………………は、はぁ?」それがどうしたとばかりに、ザクレンは胡乱な表情をした。
「そして、オレはその後も、三十一回は異世界を救った」
「だから、それがなんだって……」
「それまでに、オレは不死者の攻略法を理解して、百五十二体の不死者を撃滅した」
「!?」ザクレンは目を剥いて驚いた。「オイ、それはどういう──」
「全ての不死者は、生きようと思えば生きていけるが、死のうと思えば死ねる奴だった」
「!? 貴様、それを知って──」
「だから、考えたんだ。不死者本人が死にたいと思うまで、極めてドラスティックに、痛めつければ良いのだと」
「な、何を──」
「殺し続ければ良いのだと」
「何を言っているんだあああああああ!!」
「わかるだろう? お前は死ぬんだよ」
微塵の容赦もなく英雄はそう言った。
「ただし、お前がさゆりの居場所を吐けば、その限りではないのだがな」
英雄のそのセリフを聞いて、途端、ザクレンは取り戻す。
「ふ……、ふふふ……、結局は私に命運を握られているわけか。バカだな、サカキバラヒデオ。それはほとんど、懇願と同じだ」
ククク、となんとか笑って、満身の力でザクレンは
それを受けて、英雄は喋り出す。
「『も、もう疲れた……、オレを殺してくれ』」
「……は?」
「『死にたいない、殺してくれ、死にたくない』」
「ん? え? 何?」
「『頼むもうやめてくれ、オレの娘をやる。好きなだけ犯して良い。だから殺してくれ』」
「は? は? 何? 何なの?」
「全て、俺が殺した不死者共の台詞だ」
英雄は
「奴ら不死者には核がある。生きたいと思ううちは奥底に隠し、死にたければ前面に露出させる。そしてオレは、その露出した核を掴んで、それ以外を永劫、殺し続けた」
「……………………っ!!!!」
ザクレンは
腹の底からの恐怖したのだろう、彼は失禁してしまった。
「不死者ってのはタチが悪いからな。見せしめとして、これくらいは必要だ。さて──」
ザクレンに正対して、英雄は言う。
「教えてくれ、お前はどんな風に死にたがる?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!!!!」
ザクレンはさゆりさんの居場所を話した。
※
ザクレンに誘拐されてからこっち、私はどこかの建物に監禁されていた。
デートの別れ際を狙って、私は拐われたわけだけれど、しかしその後は、ずっとここに放置というのだから色気がない。
もちろん、最低限の食料、トイレなどの設備はあるけれど、それこそ本当に最低限であり、最低であるのには変わりなかった……、文化的水準は現在、地に落ちている。
「……ねぇ、そんなことしていいの?」
「あぁん?」
ザクレンは私の監視に番を置いていた。
魔物の番ゆえに、ザクレンに言いつけられた命令などは、結構な割合で無視されている。
それなりの厚遇を命じられていた記憶があるのだが、しかし実情は、用意された食料や衣服等は、前者は貪られ、後者は打ち捨てられるばかりだった。
だから私は、食料に関しては、番の魔物が残した残飯にありつけるかどうかなどという、かなり
そして今、この瞬間。
上記の待遇以上の酷遇を、番の魔物により、私は迫られているのだった。
「監視の番を監視する番はいねェ。イッパツくらいヤッてもバレねーの」
「────っ!」
緊急事態である。
異世界にいた頃の力は、もう失くしているし、食事やトイレの時以外、私は椅子に縛られている……、この状態では抵抗も出来ない。
「く……っ、やめて! やめなさい!」
「そんな状態で抵抗しても興奮するだけだって」
言って魔物は、私の服を強引に──といっても容易く──引き裂いて、溢れたバストを見て満足すると、ズボンのベルトをかちかちと鳴らした。
露出するグロテスクな男性器。
私はさっ、と目を逸らした。
「ほら、股ひらけ」
「…………っ!」せめてもの抵抗として、私は魔物を
魔物はそれを意にも介さず、強く閉じた私のふとともに手を入れた。「うるっせーんだよ。大人しく犯されろ」抵抗虚しく、私の太ももはがば、と開かれる。「おほは、エッロ」
魔物の舌がうち太ももを這った。
その刹那、込み上げる嫌悪感と共に、想い人の顔が脳裏に浮かんだ
「……誰か……」
僅かに
「助けて……」
「応」
常識とは
驚く暇もなく、番の魔物は
「か──、かはっ!」
立ち込める煙と舞い上がった
きっと、彼だろう。
「わり、遅れた」
それは、いつかの遅刻のような台詞だった。
「……デートに遅刻とは、不心得者ね」
「悪い悪い」
でもさ、と彼は続ける。
「
私は思わず顔を逸らした。
が、あるいは彼──榊原英雄からは、赤く染まった頬が見えたかもしれない……、そう思うと一段、私の頬は赤くなるのだった。
「遅くなって悪かった。でも、もう大丈夫」
英雄は、上着を引き裂かれて、露出した私のバストを一瞥すると、拘束を解き、上着を脱いで、私の身体に羽織らせてくれた。
「帰ろう?」
差し伸べられた手を取って、私はゆっくりと、立ち上がった。
「待"て"っ"!」
声の主の方向を見
「あ、貴女には……、そんな男よりも、私の方が……っ!」上擦った声で、ザクレンは言う。「私の方が、相応しいっ! わ、私と、私と、婚約してくれ、タカナシサユリ!」
「アンタ誰」
「んぇ……っ!?」ザクレンは思いっきり目を剥いて驚いた。「お、覚えていない!? い、いやいやいや、そんなわけないでしょうっ!」
無論知っている。
私と英雄の親友を殺した下手人であり、あの世界ではついぞ殺せなかった魔物だ。
そして私を誘拐した犯人……、忘れられるわけが断じてないが、しかしここは、こう言うのが一番効くだろう。
「お前なんか、記憶に留めておく価値すらない」
「そんな──」
「二度と、関わらないで」
呆然と、ザクヘンは立ち尽くしてしまった。
ほとんど死人みたいな声で彼は言う。
「どうして……」
「まだ、わからないのか?」と英雄。
「……わからないな」怒気を孕んだ声だった。おそらく、ザクレンは逆ギレするつもりなのだ。「私ならお前のように、デートで三十分も待たせたりしない! もっと早くから来て……、そう! 約束した十分前には来る!」
と思ったら──待ち合わせの時点からずっと見張っていたのかという点に目を瞑りさえすれば──、指摘だけは真っ当な指摘であった。
さて、英雄はどう切り返す?
「十分前に? そうだろうな、情景が目に浮かようだぜ」
「だ、だろう!? だから私の方が、彼氏に、夫に──」
「ただし、早いのは十分ぽっちじゃない」
「はぁ!?」
英雄は言う。
「────テメェにゃ百年早ぇンだよ、ザクレン!」
詭弁だった。
でも、滅法素敵な、詭弁だった。
※
少し経って、英雄とさゆりさんは婚約した。
プロポーズの成功を知らせるLINEには「あの日、当日のギリギリまで悩んで良かった」という文面と共に、指輪の写真が添えられていた。
……あの小箱はそう言うことだったらしい。
力は封じられちゃったけど、第三次世界大戦の勃発を止めたり七十四回異世界を救ったノウハウでヒロインを救い出す イマジナリー彼女、略して今カノ @vampofchicken
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