一 : 黎明 - (14) 土産

 堺に一月余り滞在していた奇妙丸一行だったが、予定していた期間が近付き岐阜へ帰る支度を始めていた。

 そんな中、奇妙丸は新左と末吉を連れて市に出掛けていた。

「……なぁ、新左。義母上はこちらの色とこちらの色のどちらがお好みかな?」

「はて……」

 奇妙丸の問いに首をひねる新左。一方の奇妙丸も二つの反物たんものを手に本気で悩んでいた。

 今、奇妙丸達は呉服屋に居る。京と堺へ行く前に、濃姫から土産を頼まれていたのだ。最初は「物見遊山ものみゆさんで行くのではありませんので……」と断ったのだが、濃姫がどうしても欲しいと何度も何度もせがんできたので、根負けした奇妙丸が折れた形である。どちらが子どもか分からない有様だが、天真爛漫てんしんらんまんな濃姫らしいと言えばそうか。

 ただ、土産を頼まれたものの何を買えばいいか分からず頭を抱える奇妙丸に、末吉から「近頃流行りの反物はいかがでしょうか?」と助け船を出され、現在に至る。

 店員が次から次へと反物を持ってくるが、奇妙丸は種類の多さに圧倒され、なかなか決めきれずにいた。付き添いの新左に意見を求めるが、門外漢で頼りにならない。どうにか片手で収まる数まで絞り込んだけれど、気が遠くなる思いだ。

 唐紅からくれないの生地に牡丹ぼたんをあしらった反物か、あい色の生地に桔梗ききょうをあしらった反物か。そのどちらかにしようと思うが、両方共に似合うから余計に迷う。

 すると、悩んでいる奇妙丸の姿を見守っていた末吉が近付いてきた。

「奇妙丸様。僭越せんえつながら、藍色の反物の方がよろしいかと」

「ほう……それはまたどうしてだ?」

 それまで一切口を挟まなかった末吉の助言に、奇妙丸は思わず問い返した。直後、末吉は事も無げに答えた。

「桔梗は帰蝶様のお母様・小見おみかたの実家である明智家の家紋ですから」

 末吉の返答に、奇妙丸も納得した。成る程、確かにそうだ。

 明智家は濃姫の父・斎藤道三が斎藤義龍の叛逆はんぎゃくで美濃国の国人の大部分が離反する中でも最期まで付き従った数少ない功臣だ。道三が長良川の戦いに敗れ討たれた後、本拠である明智城は義龍勢に攻め寄せられて落城。一族は散り散りになるき目に遭ったが、かつて道三の小姓を務めていた濃姫の従弟いとこに当たる明智“十兵衛”光秀は越前の朝倉家で頭角を現した。さらに、越前へ落ち延びてきた足利義秋の信任を得て、濃姫との血縁の近さも加味されて台頭著しい織田家との橋渡し役に大抜擢。今では足利将軍家と織田家の双方に籍を置き、信長も光秀の能力を認めて重用するようになった。

 濃姫と所縁ゆかりの深い桔梗は特別な花に違いなく、本来なら迷うまでもなかった。寧ろ、忘れていた奇妙丸は自らの至らなさを恥じていた。

「では、こちらを頂けますか――」

「ちょっとお待ち下さい、奇妙丸様。日頃お世話になっている女中達へ、これを機に労いと感謝を込めて反物を贈られてはいかがですかな?」

 唐突に挟み込んできた末吉の提案に「さもありなん」と思う奇妙丸。二つ返事で了承した奇妙丸を尻目に、末吉は幾つかの反物を見繕うと今度は店員と価格交渉を始めた。堺滞在中の経費は宗久が負担しているので、少しでも値切ろうという魂胆なのだろう。流石は商人の卵、しっかりしていると奇妙丸は感心した。


 粘り強い交渉の末、一割弱の値引きでまとまった。それでも末吉は「もう少しまけれた」と少々不満顔だ。

 呉服屋からの帰り道、熱気溢れる市場をブラブラと歩く。堺滞在中に何度も訪れているが、商人の威勢の良い掛け声や多種多様な品揃えは回数を重ねても飽きる事なく眺めてられる。市場の活気に満ちた雰囲気の中に居ると、元気を貰うような気がしてくる。

 今日も特に目的もなく気の向くままに歩いていた奇妙丸だったが、ある商店の前でピタリと足が止まった。

 その店は、小間物こまもの屋。女性の装飾品や日用品を扱うお店で、店内の棚にはこうがいかんざし、口紅などが並べられている。

 奇妙丸は吸い寄せられるように小間物屋の中へ入っていくと、くしの棚の前に立った。

「……いかがされましたか?」

 新左がおずおずと訊ねると、真剣な眼差しで吟味ぎんみしていた奇妙丸がポツリと漏らした。

「いやなに、松姫様に櫛を贈ろうと思ってな。折角堺に来ているのだから」

 奇妙丸の言葉に、新左は合点がいった。それと共に、奇妙丸の配慮に心を打たれた。

 婚約したとはいえ、いつ嫁いでくるか分からない相手に贈り物をしようという発想が、この年頃で思いつく者はそうそう居ない。本当に心優しい御方だな、と新左はしみじみと思った。

 一方の奇妙丸は、感動する新左などお構いなしに櫛選びに没頭していた。もしかしたら濃姫の為に反物を選んでいた時よりも熱を帯びているように、末吉の目には映った。

 じっくりと選んだ結果、奇妙丸は最高級品の黄楊つげで出来た逸品いっぴんに決めた。末吉が支払いをしようとすると、「これは自分の買い物だから」と言って奇妙丸が払った。手持ちが少し足りず新左から借りたのはご愛敬あいきょうだが。


 それから二日後。奇妙丸一行は支度を整え、帰国の途に就こうとしていた。

 奇妙丸は見送りに屋敷の外まで出てきた宗久の方を向いて言った。

「長らくお世話になりました。宗久殿のご厚意は忘れません」

「左様ですか。ならば、奇妙丸様が家督を継いだ暁には、便宜べんぎを図って頂きましょうかね」

 宗久の売り込みに、二人は顔を合わせて笑い合った。やはり商人、ただでは転ばないらしい。

「さらばだ。仕事熱心なのは良いが、お体には気を付けて下さいね」

「ありがたき御言葉……奇妙丸様も、お元気で」

 奇妙丸は見送りに出た者達に深々と一礼すると、颯爽さっそうと歩き出した。新左以下連れの者も奇妙丸に倣い、頭を下げてから出立していく。

 堺に滞在した間、色々な事があった。濃密な時間で、半年か一年くらい居たような感覚だ。そう考えると堺を去るのは少しだけ名残惜しい気持ちになる。

 でも、自分はあくまで織田家の嫡男であり、見聞を広める為に堺を訪れた事は忘れていない。目的をある程度達成したのなら国へ戻るのが筋だ。滞在に掛かる経費は宗久または織田家が負担しており、自分の我儘わがままで日をばすのは違うと思う。

「……新左」

「はっ」

 堺を出て岐阜を目指して黙々と歩いている最中、不意に奇妙丸は新左を呼んだ。

「京で一つ用事がある。供の者は妙覚寺で待たせておいてくれ」

 妙覚寺は日蓮宗の寺院だが、昨年の上洛以降に信長が京に滞在する際の定宿として頻繁に利用されていた。また、濃姫の父・斎藤道三がその昔に“法蓮房ほうれんぼう”の名で修業をしていた経緯がある(法蓮房こと“松波庄五郎”は道三の父である説もある)。

「畏まりました。……して、その用事とは?」

 てっきり真っ直ぐ岐阜へ帰るものだとばかり思っていた新左は、奇妙丸の申し出に困惑しながらも了承した。来た時には二条新御所造営の陣頭指揮に当たる父・信長に顔を見せる事も固辞したくらいだから、特に用事も思い当たらないのだが……。

 新左が困惑の表情を浮かべるのをチラリと見た奇妙丸は、はっきりと告げた。

「――南蛮寺だ。先方には既に伝えてある」

 自信あり気に答える奇妙丸に「はぁ……」と生返事を返す新左。何を考えているのか分からないが、どういう展開になっても傅役の務めを果たせばいいかと割り切り、取り敢えず京を目指すことにした。

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