一 : 黎明 - (13) 発言の真意、伝兵衛の過去
身綺麗になった奇妙丸は新左一人を伴い、小西隆佐の屋敷を訪れた。奇妙丸が用向きを伝えると、程なくしてワクサが現れた。
「お待ちしておりました。ご案内致します」
「よろしくお願い致します」
ワクサに対して丁寧な言葉遣いで応対する奇妙丸。その後、ワクサに先導される形で奥へと進む。
前回と違い、会話は一切無い。自らの命運を左右する勝負という訳ではないが、追い求めてきた疑問の答えが引き出せるか否かの分かれ道という点で、今日の対面にかける思いは強い。緊張で顔がかなり強張っている事にも奇妙丸は気付いていない様子。
傅役として大半の時間を共にしてきた新左も奇妙丸の異変に気付いているものの、どう言葉を掛ければいいか迷っていた。すると、ワクサが急に足を止めて言った。
「そんな怖い顔をされていたら、伝兵衛様も変に警戒してしまいますよ」
「……そんなに怖いですか?」
「えぇ。まるで別人のように見えます」
言葉を選ぶことなく端的に指摘するワクサに、新左はハラハラしながら成り行きを見つめる。
すると、振り返ったワクサは奇妙丸の両頬を手で包み込みながら言った。
「初対面の方に心を開いてもらうには、まず自分が心を開かねばなりません。互いに敵意が無いと分かってから、誠心誠意の姿勢で気持ちを伝えれば、きっと求めていた答えが聞けることでしょう。……心配ありません、きっと分かってくれます」
ワクサの
意識していなかったが、些か気負い過ぎていたのかも知れない。ワクサの掌が離れた時には、肩の力が少しだけ抜けたような気がした。
「さぁ、参りましょう。伝兵衛様がお待ちです」
やがて、
「失礼致します。御客人が参られました」
「分かった。通してくれ」
ワクサが声を掛けると、室内から隆佐の声が返ってきた。許しを得たので、奇妙丸は意を決して襖を開く。
「お前……この前の!?」
伝兵衛は奇妙丸の姿を目にするなり、大変驚いた様子をで目を大きく見開いていた。。奇妙丸は二人に一礼してから部屋に入る。
「先日はご挨拶が出来ませんでしたので、改めまして。織田“上総介”が
奇妙丸が名乗ると、伝兵衛はさらに驚きで目を
伝兵衛と向かい合う位置に腰を下ろす奇妙丸。まだ状況が呑み込めてない伝兵衛は困惑を隠せない。
一度下がっていたワクサが奇妙丸と新左にお茶を出して再び下がると、ようやく冷静になってきた伝兵衛が口を開いた。
「……それで、織田家の御子息様が
「奇妙丸様はここ数日、貴方様にお会いしたい一心で色々と動かれていたみたいです」
明らかに警戒している伝兵衛に対して、横から説明してくれる隆佐。
「騙し討ちのような真似をした事については謝ります。本当に申し訳ない」
言うなり、頭を下げる奇妙丸。それから顔を上げると、
「ただ、どうしても知りたいと思いました。先日の去り際に
奇妙丸の言葉に、伝兵衛は驚いたのか目を丸くする。本人も言った覚えはあったが、奇妙丸は気にも留めないと思っていたみたいだ。
さらに、奇妙丸は続ける。
「あれから、自分なりに色々と調べてみました。南蛮寺も訪ね、こちらに
直後、奇妙丸は伝兵衛に向かって深々と頭を下げた。その態度に「若!!」と止めようとしたが、奇妙丸は頭を上げようとしない。隆佐も奇妙丸がここまでするとは考えておらず、息を呑んでいた。
何不自由ない生活をしてきた大名家の跡取りが、一介の浪人に教えを乞うべく頭を下げる。尊大な態度で命じても不思議でないのに、奇妙丸はそうしなかった。身分など関係ない、一人の人間として接しようとしていた。
「……頭をお上げ下さい」
伝兵衛から声を掛けられ、ようやく頭を上げる奇妙丸。自分より年下の少年に頭を下げさせてしまい、伝兵衛はバツの悪そうな表情を浮かべていた。
「では、お教え頂けるのですね!?」
「それは……」
思いが通じたと喜ぶ奇妙丸に対し、口ごもる伝兵衛。その後も伝兵衛は気まずそうな表情を見せるばかりで、口を
何か、言えない事情でもあるのだろうか。奇妙丸が訊ねようとしたその時、横から声が掛けられた。
「……私は席を外した方がよろしいですかな?」
隆佐が穏やかな声で問うと、伝兵衛は静かに頷いた。どうやら言い出せなかったのは隆佐が居たからみたいだが、それならば何故隆佐が居ると話せないのかと新たな疑問が湧く。先日隆佐に訊ねた時は本当に知らないようだったし、もし仮に隆佐にとって都合が悪いなら伝兵衛が余計な事を言わないか監視する為に意地でも席を立たないだろう。
奇妙丸が様々な可能性を探っている内に、隆佐は立ち上がり「ごゆるりとどうぞ」と言い残して襖を閉めた。隆佐が歩いていく足音が静かな室内に響いた。
やがて、隆佐の足音が完全に聞こえなくなったのを確かめた伝兵衛は、徐[おもむろ]に口を開いた。
「……フロイス様を始めとした耶蘇教の教えを
伝兵衛は周りに漏れないよう声を落としながら、明かしてくれた。
成る程、隆佐に聞かれたくなかったのはこういう事か、と奇妙丸は納得した。日本人の宣教師も少なからず存在するが、教義は全て南蛮からやって来た南蛮人から伝えられたものであり、この国の民に都合の悪い話は意図的に省くことも容易い。それと共に、敬虔な吉利支丹である隆佐に不都合な真実を聞かせたくなかったのだと理解した。
「それは……」
先を促す奇妙丸。伝兵衛は一つ息を
「南蛮の者達がよく口にしている、“神の前では皆平等、上も下も無い”という文言。これは、嘘です」
遂に明かされた、伝兵衛の真意。一方で、奇妙丸に特段の驚きは感じなかった。
この国にも、法に定められてないが身分の上下は存在する。武家や公家の中でも上下はあるし、武家・公家と庶民の間にも決定的な身分の差がある。さらに、庶民より下には“人ではない”と
所詮はそんなものか、と落胆する奇妙丸だったが、伝兵衛はさらに続ける。
「我が国にも身分の上下はありますが、吉利支丹だらけの南蛮と比べれば遥かにマシです」
「……どういう事ですか?」
伝兵衛の言葉に、反応する奇妙丸。どこの国も一緒と思っていたが、どうやら違うみたいだ。
一つ唾を飲み込んだ伝兵衛は、意を決した表情で告げた。
「南蛮では、吉利支丹だけが人であり、それ以外の異教徒は――人として扱われません」
告げられた内容に、奇妙丸も思わず息を呑んだ。この国には仏教だけでなく
「それは……真ですか?」
半信半疑、というより俄かには信じがたい発言に、確かめる奇妙丸も声が少し震える。違うと言って欲しい。秘かに願った奇妙丸だったが、口を真一文字に結んだ伝兵衛の首が横に振れることはなかった。
「残念ながら……実際に、某がこの眼でしかと見ましたので」
奇妙丸の願いも
伝兵衛がまだ九州に居た頃、南蛮船に乗る機会があった。船員は
また、
戦乱続く世において、乱暴
本来であればこうした非人道的な行いは戦国大名が禁じるべきなのだが、多くの勢力はそうしなかった。それどころか、黙認していた。合戦に勝利しても、恩賞を貰えるのは正規の身分の者達だけ。末端の兵は目覚ましい働きをしない限りはタダ働き同然だった。戦の最前線で命を落とす危険が高いのに旨味が無いのでは、末端の兵士は不満を抱えて当然だ。それ故に、不満を抑える為に略奪や人攫い・強姦などの乱暴狼藉に目を
一方で、織田家では将兵達にこうした行為を禁止し、犯した場合には斬首の厳しい処罰を科した。その理由として、合戦中や勝利後に乱暴狼藉を
「人を買いに来た異国の商人の為に、人買いの商人が東国から
「……何という事だ」
あまりの衝撃に、奇妙丸は言葉が無かった。自分が食べる事や住む所を失わない環境で過ごしている間も、九州では普通の生活をしていた人達が奴隷として海外に売られていたなんて。傍らで控えている新左も
「しかし、それは真なのでしょうか? あいや、伝兵衛殿を疑う訳ではありませんが、現実のものとは思えないのでして……」
横から新左が伝兵衛に訊ねる。ここまで来て伝兵衛が
新左の問いに対しても伝兵衛はムッとすることはなく、淡々とした調子で答えた。
「
伝兵衛の言葉に、奇妙丸の眉がピクリと反応する。その場に居合わせただけなら“見聞きした”だけで済むのに、その後ろに“体験した”と付け加えた。
これは聞いていいのか分からず迷っている奇妙丸に、伝兵衛ははっきりと言った。
「
伝兵衛の口から語られた衝撃の真実に、二人は文字通り言葉を失った。
それから、伝兵衛は自らの過去を
元々、伝兵衛は
「南蛮船に乗せられようとしたその時、たまたま居合わせたフロイス様が商人と掛け合い、某は自由の身となりました。もしもあの場でフロイス様と出会わなければ、某は今頃異国の地で奴隷として過ごしているか、南蛮船で馬車馬のように
何事も無かったかの如く話す伝兵衛に、奇妙丸は他人事のように思えなかった。
織田家は今でこそ京や畿内を含めた数ヶ国を領有する全国でも指折りの大名に成長したが、元は尾張半国をやっとの思いで収めていた身。武運
普通の人から
海外に出れば二度と人として扱われない瀬戸際で、間一髪
「……一つ、お訊ねしてもよろしいですか?」
「何なりと」
おずおずと訊ねる奇妙丸に、快く応じる伝兵衛。
「伝兵衛殿は吉利支丹ではないとお見受け致します。違いますか?」
伝兵衛は吉利支丹がよく身に付けている十字架の首飾りが無く、フロイスが指で十字を切っていても他の信者のように真似をしたり祈ったりしていない。そこから推察するに、入信していないのではないかと奇妙丸は考えた。
「ご明察の通り、某は吉利支丹ではありません」
洞察力の高さに舌を巻いたという反応を見せる伝兵衛。奇妙丸の見立ては正しかったようだ。
ただ、ここで一つ疑問が湧く。フロイスに
奇妙丸の疑問に気付いた伝兵衛は、一つ間を置いてから答えてくれた。
「某を救ってくれたフロイス様には感謝しております。されど、南蛮から来た商人が我が国の者達を奴隷として買っているのも紛れのない事実。フロイス様を始めとした伴天連の皆様が二枚舌を使っているとは思いませんが、自分達以外の異教徒に対する扱いを目の当たりにしていれば、某も入信したいとは思いません」
伝兵衛の言いたいことは、奇妙丸にも何となく分かる気がした。伴天連が説く“神の前では皆平等”の原則は本心で言っているのだろうが、南蛮人が異国人を奴隷として
どちらにせよ、伝兵衛にとって耶蘇教は今までの信仰を捨ててまで入信する程のものではないという事だ。
「……分かりました。最後に、もう一つだけ聞いてもよろしいでしょうか?」
奇妙丸が訊ねると、伝兵衛は静かに頷いた。それを
「あの時、どうして私に声を掛けて下さったのですか?」
言葉の真意については明らかになったが、ここで疑問が湧く。どうして見ず知らずの私に伝兵衛は忠告とも取れる言葉を掛けてくれたのか。耶蘇教の教えに惹かれた奇妙丸が仮に入信した後で理想と現実の違いに失望したとしても、それは入信した奇妙丸の自己責任であり、フロイスの護衛をしている伝兵衛には何ら責任は生じない。それなのに、敢えて思い留まるよう働きかけた。その理由を知りたかった。
疑問をぶつけられた伝兵衛は頭を掻くと、やや困った表情を浮かべながら答えてくれた。
「……某が売られそうになった時、ちょうど貴方と同じような年頃でしたので。何となく、当時の某と重なって見えて」
フロイスの話を聞いて、耶蘇教に対して凄く惹かれているのは奇妙丸自身感じていた。目新しさだけでなく従来の仏教には無い教えや
伝兵衛にとっては咄嗟の出来事だったかも知れないが、結果的に様々な人と出会えて奇妙丸は良かったと感じている。
「ありがとうございます」
奇妙丸は感謝を示すべく、再び深々と頭を下げる。すると、伝兵衛はまた困ったような顔をして頬を掻く。
「……頭を上げて下さい。そんな大した事はしていませんから」
そう伝兵衛は謙遜するが、奇妙丸はどうしても感謝を伝えたかった。当の本人には
事の成り行きを見守っていた新左が「隆佐様を呼んできます」と言って部屋から出て行く。出された茶を
「成る程、そのような事でしたか……」
その日の夜。奇妙丸は宗久に「一緒に茶が飲みたい」と誘うと、宗久も快諾してくれた。敷地内の草庵に移り、これまでの経緯について説明した。
宗久が
「私は、何も知らなかった。異国から渡って来た信仰も、この国の者が奴隷として売られていく事も、全く知らなかった。岐阜で何不自由なく過ごしていた間にも、世の中は刻一刻と変化しているとは思いもしなかった。……本当に、堺へ来て良かった」
奇妙丸が率直な思いを口にすると、宗久は静かに頷いた。
幼い頃に暮らしていた生駒家は灰や油の商いに
しかし、実際に現地を訪れてみて、自らが井の中の
絵巻物や書物の中の京はとても華やかで雅な場所と描かれ、今もそうだと勝手に思っていた。だが、現実は
「平穏に暮らしていた人達が戦を境に奴婢にされ、人を家畜同然に売り買いする商人が居て、海外へ商品として出荷される。こんな事は一日一刻も早く止めなければならない」
声量は大きくないけれど熱の籠もった声で話す奇妙丸。
「人の道理に反する行いで商いをする輩が居る……確かに、
奇妙丸の話に同意を示した宗久は自らが点てた茶を啜ると、ポツリと漏らした。
「されど、売り買いが成り立つという事は、それなりに儲けもある裏返しでもあります」
「……宗久殿は、同じ商人が非道な行いに手を染めているのを、良しとお考えですか?」
宗久が人身売買を肯定するような発言をして、奇妙丸は大変驚いた。
噛み付かんばかりの勢いで奇妙丸が質すと、宗久は「いやいや」と否定した上で続ける。
「商いというのは“売り手”“買い手”“世間”の三方が満足するのが良しとされております。その点で言えば人買いは“売り手”と“買い手”は満足しても、残る“世間”は決して納得しないでしょう。にも拘わらず、
宗久の説明を聞いて、成る程と思う奇妙丸。商売は何が何でも安ければ良いという訳ではなく、あまりに質が悪かったり不愛想だったりすると儲けに結び付かない事がままある。金を出して買うならより良い物を買いたい。一方で、“世間”が認めないにも拘わらず人買い市場がいつまでも廃れないのは、“売り手”“買い手”共に一定の需要があるからだとも考えられる。
「決して褒められた商売とは言えません。されど、商人は儲けたモンが勝ち。どんなにあくどい商売をしていても、利益を世間に還元しているのなら、稼げてない者達が幾ら声を挙げても握り潰されるだけ」
「……まるで武家みたいだな」
何気なく
「商いは、言うなれば“
そう言い、宗久は自らの頭をコツコツと叩く。
豪商の中には大名家と
例えば、宗久は信長に上洛の兆しが見られたので『今後の成長が見込める』と判断して接近。永禄十一年十月に初めて信長と対面した際には名物茶器の“松島茶壺”や“紹鴎茄子”を献上し、歓心を得た。先日の堺への二万貫要求の時も宗久は街を守る為に奔走したが、自分が見込んだ信長の要求に応える事で株を上げようという思惑が少なからずあった……と思われる。宗久の見立ては今のところ当たり、その恩恵を受けている。失敗すれば自分だけでなく家族や働く者・取引先にも影響を及ぼす点では、武家と何ら変わらない。
神妙な面持ちで茶碗の中を見つめる奇妙丸に、「さて」と宗久が声を掛けてきた。
「奇妙丸様。商売で勝ち抜く為に大切な事があります。何だと思われますか?」
唐突に問われて「うーん」と唸る奇妙丸。先程宗久は合戦と通ずると言っていたが、全く見当がつかない。
奇妙丸は、自分が商人になったつもりで考えてみる。買い手が喜ぶような値段で、しっかり利益が出る値付けをして、世間が満足する商売をする……どれも大切だと思うが、違う気がする。
暫し考え込んだ奇妙丸は、おずおずと答えた。
「……商人の勘、でしょうか?」
以前、誰かから聞いたことがある。合戦で幾度も武功を挙げてきた猛者は、ただ強いだけでなく独特の嗅覚を持っている、と。商売も同じで、経験や分析も大切だが、勘が優れているかどうかで繁盛するかしないかが決まるのではないか。
その回答に「なかなか鋭いですね」と宗久は感心する。ただ、宗久の求めている答えではないみたいだ。
「勘は確かに必要です。されど、もっと簡単なことです」
「もっと簡単なこと……?」
持っていた茶碗を畳に置いて、腕を組んで真剣に考える奇妙丸。純粋に答えを探し出そうとする姿に、宗久はクスッと笑った。
「いや、失礼しました。答えは簡潔――人です」
宗久が明かしてくれた答えに、奇妙丸はハッとさせられた。さらに宗久は言葉を継ぐ。
「どんなに才覚がある商人でも、一人では出来る事が限られてしまいます。助けてくれる人、支えてくれる人、多くの人の力があればこそ成功に結び付く……そう考えております」
指摘されて初めて、奇妙丸は自分の至らなさに気付かされた。
生まれてからずっと下働きの者が居て、生駒屋敷では入れ替わり立ち代わり誰かが気に掛けてくれて、岐阜城に移ってからも傅役の新左を始めとする家臣に囲まれて過ごしてきた。自分が何不自由なく生活出来ているのは、自分に関わる多くの人達の支えがあるからであって、それを当たり前のように捉えていた。
恥じ入る気持ちの奇妙丸をチラリと見た宗久は、優しく語り掛けてきた。
「人に囲まれて生活していると、それが当然と思うのは自然なことです。ですので必要以上に自分を責めなくてもいいですし、これから認識を変えればいいのです。特に、奇妙丸様はまだお若いのですから」
「……はい」
そう言われ、奇妙丸は少しだけ気持ちが軽くなった。表情が明るくなったのを確認した宗久は、茶を啜ると再び口を開いた。
「私の商いも様々な人に支えられています。お得意様や取引先も大事ですが、一番は店で働く者達です」
また一口茶を飲むと、宗久は奇妙丸の目を見つめながら話し始めた。
「仕入れ、店の掃除、接客、取引先廻り、寄合への出席、棚卸……やらねばならない事はまだまだあり、全て一人でやろうとすれば体が幾つあっても足りません。ですから人を雇い仕事を分担するのですが、肝要なのは適切な配置と目利きです」
「適切な配置と、目利き……?」
奇妙丸が問い返すと、宗久は大きく頷いた。
「能力の無い者に高度な仕事を任せると失敗ばかりで店が傾きますし、逆に能力が有る者にいつまでも下働きをさせていては宝の持ち腐れになります。我々上に立つ者は下の者の器をよくよく見極め、相応の仕事を与えるのが肝要です。また、多少の失敗はありましょうが、こちらが委ねた以上はあまり細かく叱責せずに見守ることも大切です。叱り飛ばして萎縮させては本来の力を発揮出来なくなりますから」
ふむふむと首を縦に振る奇妙丸。豪商の主人である宗久の言葉を一語一句聞き漏らすまいとする姿勢が前面に出ていた。
宗久はさらに続ける。
「茶の湯の世界に、“
宗久の言葉に、奇妙丸は目を大きく見開いた。雷に打たれたように暫く固まった後に「……そうか」と一言ポツリと漏らした。
得心したという表情の奇妙丸に、宗久も変化に気付いた様子。
「……何か思うところがあるとお見受けしましたが」
「はい! とても実りあるお話が聞けて、気持ちが固まりました!」
宗久の問いに、奇妙丸は晴れ晴れとした表情で答えた。
「左様ですか。それは良かったです」
すっきりとした面構えの奇妙丸を見て、宗久も目を細めた。
奇妙丸は茶碗に残っていた茶を一息で飲み干した。その瞳は何かを決意したのか炎が灯っているように映った。
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