第2話 朝市にて

 七日に一度、朝市が開かれる。そこへ行くのをラフィは毎回楽しみにしていた。

 本当は一日休みをとっているのだが、俺が働いている店も、出店していて店主が出払う。俺と店主しか従業員の居ないこの小さな店は、朝市のある日は食堂の方は午後から開店する。それでも店主一人で朝市の料理と食堂で出す料理と、両方仕込むには間に合わない。店主が居ない間、仕込みだけは俺がやることになっていた。もちろん、その分の手当は貰っている。


 初冬の朝の凜と澄んだ空気を吸い込み、鼻の奥まで冷たい。朝早くからしっかり体を動かしたとはいえ、寒いものは寒い。マフラーに顔をうずめ、足取り軽く前を行くラフィを追った。


「腹を満たしてから回りましょう」

「スープを先に買おう。お前、熱いと飲めないだろう」

 仕込みをしたのだから、ついでに朝食を作った方が楽なのだが。せっかくの朝市だ、屋台の料理を楽しみたい。自炊はいつでもできる。


 標高の高い山脈の入り口としてある、村と呼ぶには活気があり、町というには小さい、小さな町。海から離れているため、塩の値段が少々お高め。国内に岩塩が採れる地域があり、ピンク色の塩はそれでも手に入りやすい。海水で作った白いサラサラの塩は高級品だ。塩味を補いつつ、体を温めるため、唐辛子入りのものが多い中、辛いものが苦手なラフィは、犯人を捜す犬のように鼻をスンスンさせながらあちこち屋台回り、辛く無さそうなものを吟味する。


 賑わう市場にある、我が主人の朝日に照らされてキラキラ輝く青い髪は目立つ。様々な国へ行ったが、目が覚める青色を持つ人間には、故郷以外で見たことが無い。外に出て、これが特別な色なんだと改めて思い知らされた。

 この辺りは外国人は珍しく、いくら日に当たっても赤くなるばかりの色白の人間が居ない。健康的なオリーブ色をベースにして、野良仕事で日に焼けた町民ばかりだ。


 外交盛んな国ならば、珍しい外国の本も見かけるものだが。ここでは故郷の本どころか、母国語の一文字も見た事が無い。この町に住む人たちに、母国の名前を訪ねても、誰も知らないほど、遠く離れた地。


 加えて、美人の多い祖国公認で、その中でも特別美人である評価を貰っている俺だ、ラフィと二人連れ立って歩いていたら好奇の目に晒されることは免れない。

 故郷でも立場ある主人――ラフィに仕えていたのだから、注目されるのは慣れている、これくらいは空気と同じ、日常風景。


 視線を集めながらも、姿勢正しく安定した歩幅で堂々と歩く主人の姿は、役者のようで役人のようで、市井に出るとやはり育ちが良さが見てわかる。物心つく前から人の上に立つ者として叩き込まれた立ち居振る舞いは、どうしても滲み出てしまうものがあった。


「誰か! あの男を捕まえて!」

 唐突に女の金切り声がして、市場にざわめきが起こる。

 人の群れから、男が一人飛びだしてきた。ぼろ切れをまとった見窄らしい格好に似合わない、艶のある革製の鞄を手に持って。


 窃盗か。


 俺が判断するより前に動いたのは、ラフィだ。

 素早く人混みを駆け、逃げる男の足を蹴って掬い上げる。転んだ男の腕を後ろ手に捻り、あっという間に捕まえ、鮮やかな手腕に、行き交う人々から「おお」と歓声が上がる。


『大丈夫ですか?』

 俺は、路上に転がった高価そうな鞄を拾い、持ち主の女に返した。


「ありがとうございます。盗られたら主人に申し訳が立たない所でした。何とお礼を言っていいか」

 中年女のコートの下から覗く格好はメイド服のようだ。人口の何倍もの羊が居るような辺境で使用人を雇うのは、ここ一帯の土地を所有している地主の屋敷しかない。


『彼に、言ってください』

 この国の言葉で返した。


 話す言葉は不自由なく理解できる。喋る方は、まだ短い文法しか話せないだが、日常生活の意思疎通くらいは問題ない。文字の読み書きは、古本で買った、一字がでかでかと書かれ、書き順やらのお手本が書かれた子供用の厚みの薄い本と、食堂の店主と気まぐれな客の教えが頼り。目下、練習中だ。


「本当に、ありがとうございました」

 窃盗犯を組み敷くラフィに向け、女は深々頭を下げた。


 後から来た自警団に、盗人を引き渡す。

「師範、お休みの日にすみません。ありがとうございます」

「私もこれで」

 ラフィに挨拶をした自警団の男は礼儀正しく頭を下げて盗人を連れ、使用人の女も急ぎの用事があるのか、それとも、見慣れない外国人を警戒したのか、早足で行ってしまった。


「見事だった。流石、ご主人様です」

「自警団の師範なんかやってなかったら、放っておいた」

 スンと鼻を鳴らす。

 寒さで鼻を啜ったのか、自慢げなのか、俺には判断がつかない。


 確実なのは、もしラフィが自警団に関係していなかったら、国に居た頃から腰に下げているその剣を問答無用で抜いていた。あの盗人は運がいい。いや、殺してやった方が親切だったのかもしれない。この町の真冬は、宿無しで生きていけるものではないから。


 ラフィは現在、自警団に剣を教える仕事をしていた。

 この辺りを荒らしていた盗賊討伐の人員募集があり、報酬が良く、定住する資金作りの為に参加した。

 獣並みの身体能力と、他人に強い警戒心を持ち、気配に敏感な主人が、森の中のねぐらをあっという間に見つけ、あっさり討伐してしまった。


 己の手足の如く滑らかに繰り出し、力でものをいわせる剛剣に、唖然と見ているしかなかった自警団所属の男から、是非とも剣を教えてくれと頼まれ、現在に居たる。


 ラフィはいい顔をしなかったのの、そこそこいい報酬が出ると知って渋々受けた。今や狼師範と言われている。不機嫌と警戒心むき出しに、叩きのめしているだけなのだが……。かつて、俺以外の使用人を全て解雇し人を寄せ付けず、他人を拒絶していた人嫌いのラフィが、警戒心は無くならないものの、人とコミュニケーションを取れるようになったのだから、かなりの進歩だ。

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