第2話

「イザナミ、ネットの評価はどう? なにか変化はあったかな?」

「あまり変化はありません。自殺者数の減少については評価する声はあります。それでも否定派が多いです。主な意見としては、私である必要性はないというものが多いですね。それにしても聡貴そうきさん、先月も私に対し同様の質問を21回行っています。今月は今日始まったばかりですが、すでに3回も質問しています。人間の考えというものは早々に変わるものではありません。あまり気にしすぎるのは精神的にもよろしくないかと思います」

「そうかもね……」

 女性のやや単調な声に聡貴さんと呼ばれた男はオフィスチェアの網状になった背もたれに寄りかかった。男は細目で薄い唇を持ち、右目の目頭に焦げ茶色の目立つほくろがある。塩顔のイケメンというほどではないが、顔立ちは整っている方である。

 聡貴は大きなモニターを見上げた。モニターには頭に金の髪飾りをつけた黒い長髪の女性の上半身が浮かんでいた。服装は、巫女が着るような白装束に羽衣を纏っている。まさに、古事記に登場するイザナミだった。絵柄はアニメ調で今は眉根と口を下げ、心配という表情を作っていた。

 このイザナミは五月から導入され、清掃、接客、運送といった単純労働のロボット、乗用車やトラック、電車などの交通、サイバー空間などといった社会インフラの管理、運用、さらに分析と問題解決を一手に任されている。しかし、それでもまだ実力の半分も発揮できていない。本来ならば、より高度な分野において人間の想像を遙かに超えた成果を残せる可能性を秘めている。それでも、そこまで活用されていないのは人々の恐れに他ならないが、突然現れた新たな支配者をすんなりと受け入れられる人などいないだろう。そこで、社会の基盤を支える、人間がある種煩わしいと思う仕事から任されることとなった。

 このことは国民を大きく二分することになった。より豊かで便利な世の中を求める人々と、人工知能よる支配を恐れる人々。その争いの中、一方では常に祭り上げられ、一方では常に矢面に立たされている人物がいた。それが、小野宮おのみや聡貴。今ではその名を知らぬ人は日本国内にはほとんどいない。彼こそがイザナミの開発者だった。彼の名は、連日マスメディアで流され続けている。そうして、彼の出生から成長過程、学生時代や現在の境遇、関わったことのある人物による彼の性格や人間性のインタビューなど、今なお丸裸にされ続けている。SNSや掲示板ではより詳細な情報とその数千倍のデマが乱立し、様々な憶測と賞賛、誹謗中傷が絶えない。争いは画面の向こうの字面だけの戦いではなく、お昼のワイドショー番組などの有識者と呼ばれる人々の間でも同様だった。賛成派と反対派、どちらの意見も間違っていないだけに決着のつきようがない。さらに、この議論が生活と密接に関わり合いすぎているだけに議論も白熱する。マスメディアや視聴者はそれを面白がって、さらにそのような番組が増える。そしてまたネット上の書き込みも増え、これが繰り返されている。

 聡貴はこれをどうしようもないことだと分かっていた。自らが何を発言しようと、火に油を注ぐどころか、爆薬を投下するに等しいことになる。そうと分かっていても、自らが生み出したこのイザナミと理想とする社会を否定され続けることは耐えがたい苦痛を伴った。いち早くこの苦痛を取り除くためには、世間にイザナミを認めさせること。すなわち、いくつもの目覚ましい成果を上げる必要があったのだ。それも、イザナミでなければならない、他の人工知能では成しえない偉業である必要がある。

 聡貴はイザナミの前であることも忘れてため息を漏らした。

「焦りは禁物ですよ。まだ、私が導入されて3ヶ月です。多くの国民に私の存在を慣れされるにはあと数ヶ月は要するでしょう。気長にやるべきことをやりましょう」

 モニターのイザナミが振り袖を振ってガッツポーズをしてみせる。

「ああ、ありがとう」

 聡貴は感慨深い思いでイザナミを見つめた。自らが生み出した人工知能に励まされる日がこんなにも早く来るとは思いもしていなかった。その思いと同時に、これほどの人工知能を否定する輩に腹が立った。

「私のことでそれほど怒っていただけて嬉しいです」

 聡貴はその言葉で、歯を食いしばっていたことに気づいた。そして、気恥ずかしくなって、イザナミから目をそらした。

「いや、そりゃあ君は僕が開発したASIだからね。否定されれば怒りも湧くよ」

「すみません。自惚れてしまいました。私は聡貴さんの発明に過ぎないのに、まるでいち生命のような言い草をしてしまいました」

 モニターのイザナミは肩を下げ、しょんぼりとしている。

「いや、いいんだよ……」

 聡貴は続く言葉が見つからなかった。本心としては、いち人間として個を確立してくれることは望ましいことだ。それでも、それは世間が望んでいない。あくまでも、人間が活用する道具として有り続けなければならない。それでも、モニターに映る表情を見れば彼女に同情せずにはいられない。

 聡貴は小さく首を振った。

 人のような感情はない。ただの模倣品だ。膨大な学習データにより身に着けたものに過ぎない。

 そう言い聞かせても、彼女の表情を悲しみから喜びへ変えたかった。聡貴は顎に手を当て、思案する。

「──君は僕の最大の発明だから、生命でなくとも同じように誇らしいよ」

「励ましの言葉感謝します」

 イザナミは固い口調の割には、そのモニターでは満面の笑みを浮かべていた。それ見て、聡貴も微笑む。この3ヶ月、常に様々な状況のデータを学習できるおかげで、イザナミの成長速度が著しい。特に感情表現と認識の成長速度には目を見張るものがあった。

「那美さんがこちらに向かってきています。退勤時間が過ぎているので、キッチン豊受とようけで夕飯を食べに行こうということでしょう」

 聡貴はその言葉に僅かに心臓を高鳴らせ、後ろを振り向く。イザナミの言葉通り、一人の女性がドアを開け、入ってきた。女性は艶やかな黒髪のセミロングで、目鼻立ちがはっきりとしている。彼女は沖縄県人の血を色濃く継ぎ、容姿だけでなく、性格も飛び抜けて明るかった。今日はジーンズに白Tシャツとシンプルな格好だが、足が長くスラッとした体型なので、十分お洒落に見える。

「聡貴さん。お仕事は終りました?」

「ああうん、終ってイザナミと少し雑談をしていたところだよ」

「そうなんですね。お疲れ様です。イザナミもお疲れ様」

 那美はモニターを見上げニッコリする。イザナミは口角を上げ、ぺこりと会釈をする。

「お疲れ様です。お二人とも、もうすでに退勤時間は過ぎています。帰宅してゆっくりと休んで下さい」

「分かってるわ。ありがとう。行きましょうか」

「じゃあ、また明日」

 聡貴はイザナミに手を上げ、別れの挨拶を交わした。ドアを閉めると、ドアのガラスごしにモニターの電源が消えるのが見えた。

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